前回の記事

 

‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その6(「朝鮮半島有事」に関する介入論)‐

 

 

 

『1961年5月16日の南朝鮮(韓国)におけるクーデター』 (画像はWikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E3%83%BB16%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

 

5・16軍事クーデター(5・16ぐんじクーデター、5·16 군사 쿠데타は、後の韓国大統領で当時少将(第2野戦軍副司令官)だった朴正煕などが軍事革命委員会の名の下、起こした軍事クーデター1961年5月16日に発生したため「5・16軍事クーデター」と一般的に言う。

 

『Wikipedia』より

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E3%83%BB16%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

 

 

・韓国における軍事独裁政権、アメリカが「承認」

 

引用文のとおり、1960年代初頭に入り、韓国で軍による「政権樹立」が強行され、『軍事革命委員会』が組織された。

 

同委員会は、立法・司法・行政の三権を掌握し、「反共」「親米」を宣言すると同時に、「非常戒厳令」を公布。集会・言論・出版・報道の自由を圧殺し、「国会」と「地方議会」を解散させ、一切の政治活動を禁止する措置を断行しました。

 

同年5月19日には、同委員会が『国家再建再興会議』と改称され、アメリカ国務省は、軍事政権を支持すると声明しました。

 

結果、ファッショ的な一連の措置が連日のように実施された。続く5月20日には、軍事ファッショ「内閣」が発足し、「首相」兼「国防部長」に張都暎(チャン・ドヨン)が就任。

 

 
『張都暎』 1962年撮影 (同)
 

1961年5月25日、張都暎のメッセージの返答をおくり「軍事政権」を支持すると言明。

 

『ジョン・F・ケネディ米大統領』 (同)
 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3

 

そしてクーデター直後に、アメリカは一個戦闘団を軍事境界線隣接地帯に新しく配置した。

 

南朝鮮(韓国)の政界上層部の激変の根源は、李承晩政権が存続できなくなるほどの政治的・経済的矛盾の中にあったことは疑う余地がなかったとしても、あまりにも目まぐるしい軍事ファッショ的な政策の連続は、ついに支配層内部の抗争を呼びました。

 

7月3日には張都暎(チャン・ドヨン)が追放され、「国家再建最高会議議長」には朴正熙(パク・チョンヒ)が、「国家首班」宋堯讃(ソン・ヨチャン)が就任しました。

 

 

『朴正熙』 (同)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95

 

 

 

『宋堯讃』 (同)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E5%A0%AF%E8%AE%83

 

それ以後も、経済関係ならびに国民の権利制限に関するファッショ的な法律が次から次への公布された。

 

全世界の衆目は、とどまるところを知らぬ南朝鮮(韓国)の急速なファッショ化に注がれていた。もちろんこの間は、会談としての「日韓会談」が開かれるどころではありませんでした。

 

 

・アメリカの指示により、日本は「韓国支援」へ

 

 

アメリカンビュー 『日米同盟の歴史』より

 

https://amview.japan.usembassy.gov/history-of-the-alliance/

 

一方、1961年6月20日、21日に行われた『池田・ケネディ会談』では、日本がアメリカの極東戦略体制の中で果たす役割を確認し、日本が南朝鮮(韓国)軍事ファッショ政権を「援助」し、支持する方向に積極的に乗り出すという基本線について話し合われました。

 

この会談で、池田首相はこう述べた。

 

「日本にとってはある意味では中国問題よりも韓国問題の方が重要だ。なんといっても韓国は大国主命以来、地理的にも歴史的にももっとも日本に近く、日本の死命を制する立場にある。とくに釜山が赤化した場合、日本の治安にたいし大きな影響を及ぼすだろう。南朝鮮の反共体制にたいし、日本は重大な関心を払わねばならない。日本は現状でも韓国を積極的に援助したい。そのためにも日韓交渉を再開したい。」

 

『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 168頁より

 

 

同年7月28日には、米ラスク国務長官が声明を発表し、韓国の「ファッショ政権」が国家再建のために適切な施策を採用しつつ政権であることを認めるかのように、これを支持する立場を明らかにした。

 

続く8月7日、あたかも『池田・ケネディ会談』の即時実践を思わせるかのように、日本外務省東北アジア課長前田利一は、南朝鮮(韓国)で「軍事政権」と密議をこらし、8日には『米韓合同経済委員会』が開かれた。つまり、これらの出来事は日韓会談の「事実上の当事者」であるアメリカと日本の支配層としても、無視したり放置できない事態であるとして対応したことを示していました。

 

軍事ファッショ政権の側でも、先の7月に崔徳新中将を「親善使節」として日本に派遣したのに続き、8月30日には金裕沢「経済企画院院長」が日韓会談促進のため来日しました。

 

この日(8月30日)、日本からは日立製作所の技術者が、電力部門についての調査のため南朝鮮(韓国)へ出かけ、9月に入ると、軍事政権は、アメリカ、西ドイツ、イタリア、日本、イスラエルなどの各国と外資導入交渉の具体化に着手。

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その8(日本との利権づくりに奔走した韓国の「親日派」)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 その9(日系大企業の韓国進出における調査報告)‐

 

朝鮮戦争(祖国解放戦争)の苦い経験を持つ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、最高人民会議が、8月23日に朝ソ、朝中友好・協力および相互援助条約を批准しました。

 

この時期は、緊張した空気が朝鮮半島━北東アジア一帯を覆いました。

 

 

・朴正熙の娘と岸信介の孫が合意した意味とは

 

くしくも『慰安婦問題』関連で、朴槿恵氏と安倍氏が「合意」を行いましたが、過去の歴史としっかり向き合えば、その「意味」がどういうものか、おのずと分かってくるだろう。

 

‐金正恩委員長のソウル訪問歓迎の動き(若き学生たちの想い)‐

 

自由韓国党と自由民主党、いずれも「親米保守」を生業とする、宗主国の衛星政党として買弁右翼主義を振りまいてきた両者にとって、「親」であるアメリカの意向に沿って、日韓が適当に折り合いをつけて「和解すること」は、過去の日韓会談を見ても、その歴史は常に繰り返されてきた。

 

そこには「弱者救済」は存在せず、政治的支配者たちだけが「得をする」関係が、今もなお温存され続けてきたが、文大統領はそれを壊し、人々の「分断」を癒し、韓国独立の道と合わせて、北東アジア全体の平和を常に見据えた行動を続けている。

 

本当にすごい方です。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

 

<ツイッター>

 

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