『‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その8(在日朝鮮人の法的地位の問題)‐』
https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12352804544.html
こちらで戦前から日本に住む朝鮮人が、如何にして「在日コリアン」となったのか、ざっくりとした歴史的経緯から話を進めましたが、今回はその詳細に参りたいと思います。
イ‐国籍・戸籍事務の「取り扱い上は、南鮮・北鮮を区別することなく『朝鮮』と記載するのが相当である」(1953年12月25日、民事五発第二◯八号民事第五課長回答)が、
ロ‐「外国人登録事務の取り扱い上は・・・・・・本人の希望によって『韓国』又は『大韓民国』なる呼称を採用してさつかえない」(1950年2月23日、民事甲第五五四号通達)
ハ‐しかし、右「通達の趣旨は単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題とは全然関係ない」(1950年8月15日、民事甲第二一七七号通達)というわけです。
※現在において「南鮮・北鮮」という表記は、極めて差別的であるものとして、中国や台湾(中華民国)の「支那」の定義と同様、そうした文脈の中での使用は禁則事項とされています。
以上を要約しますと、在日朝鮮人の法制上の地位は、「当分の間外国人」であり、しかも「日本国籍を有する」が、サンフランシスコ講和条約(以下サ条)発行後は、「日本の国籍を失い」「朝鮮国籍の回復」しましたが、「朝鮮」とは単なる「用語」であり、「国籍」ではないとする、まったく意味不明かつ無責任極まりない状態となってしまいました。
この不明瞭な状態を、日韓会談の「在日朝鮮人の法的地位」の議題で、分明にするといわれています。
そこで議されたことは、
1.国籍確認問題
2.在留権(「永住権」と称されている)の議題
3.強制退去
4.処遇問題
以下の四つであり、他の議題に比して、いちはやく『日韓』双方で原則的な意見の一致をみて、草案も出来上がっていると伝えられています。
しかしながら、ここで話された日韓会談における「国籍確認」とは、在日朝鮮人すべてに※「本人の意志を無視」「朝鮮民主主義人民共和国の主権を無視」「一律韓国籍への強要」することでした。
※1951年の「予備会談」の際、日本側が「韓国」に示した『友好条約草案第四条』には「1945年9月2日以前のいずれかのときより日本国に引き続き居住する朝鮮人が大韓民国国民であることを確認する」とされています。
また『外国人登録法逐条解説』では「『朝鮮』と国籍欄に記載されている朝鮮人は、『韓国』と記載することを希望しなかった者という意味に了解すべきであって、国籍が朝鮮ということでなく、まして我が政府(日本)の承認していない主権の統治する朝鮮民主主義人民共和国の意ではない」としています。
また1959年12月28日付法務省民事甲第二九七号(二)六四一号『朝鮮人の身分に関する取扱いについて』は、「新たに韓国民法が施行されることになったので、その身分法に関する部分は、同法の施行後は、・・・すべての朝鮮人につき、同法中の親族編に則って実務の処理をするのが相当である」と規定しています。
結論でいうと、時の冷戦構造のパワーポリティクスの中で、『日韓』双方が勝手に決めたことです。在日コリアンに対して「明日からお前ら韓国人な。嫌だったらそのまま無国籍の『朝鮮籍』だぜwそれと北朝鮮とかいう無法国家の国籍はやらん」という、アメリカのご意向に忖度しまくった情けない帰結であり、身勝手極まりない判断です。
今でもそうした行政処理を肯定する資料が、拙ブログの過去記事にありました。
『‐韓国籍変更者に渡される「洗脳文書」について‐』
https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12191541737.html
この中で、韓国政府が、「韓国籍」を取得する在日朝鮮人に対して手渡す「紙の資料」があって、「朝鮮民主主義人民共和國の‘朝鮮’は、今まで朝鮮籍を持っていた在日同胞が心の中で憧れている“朝鮮”と似ているものではないし、言葉そのものの意味も、現実の様子も、全く違うものだということです」という記述がありました。
半ば感情的な記述であるにせよ、戦後から「在日朝鮮人」の立場を裏付けるものとして、彼ら彼女らの国籍が「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ではない」という意味になります。
つまり、そのままの解釈でいけば「在日韓国人」ではない「在日朝鮮人」は、文字通り『無国籍状態』という、まことに異常な事態に陥っているのです。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房
・拙ブログ記事『‐韓国籍変更者に渡される「洗脳文書」について‐』