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‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その12(日韓会談粉砕、在日米軍撤退など)‐
安保条約改定阻止国民会議の全国統一行動(写真提供:共同通信社)
第2章 日本警察50年の軌跡と新たなる展開 『(3) 60年安保闘争等高揚する大衆・労働運動』記事より
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h16/hakusho/h16/html/F2202030.html
・国内における様々な動き
安保国民会議は、実質上の「日米韓軍事同盟」である『日韓会談』を阻止する共産党から、それを目標として取り上げるようしぶとく要求されていた。
行動的な労組や、民主団体からもこの声は強かった。
春闘の中で、賃上げ要求や政暴法反対とともに、「日韓」がスローガンに入っていた組合や地域も数少なくありませんでした。
※政暴法(政治的暴力行為防止法案)について
‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その9(『日韓会談反対』を中心とした動き)‐
1962年3月27日、返還前の沖縄で初の『春闘統一スト』がたたかわれ、続く28日には総評、中立労連傘下70単産550万人(春闘共闘委発表)の労働者が、この年はじめての大規模な実力行使に入った。
※単産(たんさん)とは
《「産業別単一労働組合」の略》職種の別なく、同一産業に働く労働者によって組織されている労働組合。日本では普通、企業別組合を単位組合とする産業別連合体をいう。
『コトバンク』より
https://kotobank.jp/word/%E5%8D%98%E7%94%A3-95042
労働者は、まず経済要求を前提に、差し迫った日韓などの政治課題や民衆各層の諸要求を掲げる集会やデモと相呼応しながらたたかわれた。
政府自民党は『ガリオア・エロア返済』、『タイ特別円処理協定』の自然成立を狙って衆院での質疑打ち切り、強行採決をたくらみ、国会情勢は緊張を極めていました。
※両協定の詳細について
‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その11(日本共産党の決意)‐
このような空気のなか、安保国民もついに全国統一の行動を打ち出すに至った。
『(日米)安保廃棄全国統一行動』が1962年3月30日を期して行われ、同日、国民会議は、『安保条約廃棄第九次統一行動』として、先の「日韓会談粉砕」や「ガリオア・エロア・タイ特別円協定反対」のスローガンを中心に、東京日比谷の野外音楽堂で全国統一行動中央決起大会を開きました。
折からみぞれまじりの雨をついて集まった約7千人は、大会のあと国会に請願して社会党・共産党の国会議員を激励し、さらには新橋までデモ行進をおこない、都民に「日韓会談粉砕」「国税通則法反対」「物価値上げ反対」などでともにたたかおうと訴えました。
※国税通則法反対に関する詳細
『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(5) 『成立日前に施行された国税通則法の怪』記事より
http://www.sekimoto-tax.ne.jp/chosho/g-mi-04-05html.html
この大会は、安保国民会議としては、通じて第九次統一行動にありましたが、日韓会談反対運動史の上では、のちに第一次統一行動と呼ばれるようになった。
無論、前後のいきさつが示すように、国民会議が全面的、積極的に日韓会談反対に立ち上がった「というのではなく」、それらの主要目標の「ひとつ」として、『日韓会談粉砕』の六文字が取り入れられたという意味で、第一次統一行動とされました。
かくして、国民会議を中心とする運動は、『対安保条約強行採決二周年』の1962年5月19日、安保反対の歴史的大闘争を記念する全国統一行動の日へ引き継がれた。
※日米安保条約改定(いわゆる『60年安保』)について
‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その4(日米安保闘争と日韓会談の関係)‐
この日、東京では『五・一九全国統一行動中央集会』(主催安保国民会議)が、午後6時から日比谷野外音楽堂で開かれ、小雨をついて2千人(主催者発表)が集まりました。
当時確認された「八つのスローガン」の中に『新しい軍事同盟につながる日韓会談反対』が含まれ、またこの大会では、アメリカによるラオス軍事干渉に反対し、これに支持を与えている日本政府に対する抗議が決議され、最後に「侵略的軍事条約と反動支配の根源である安保条約の廃棄を目指したたたかいをつづける」との大会宣言を採択。
・いっぽう「反対側」は?
今まで日韓会談に反対する団体や人々を紹介してきましたが、もちろんこれを「推進する側」も存在していました。
1962年5月23日、訪米中の吉田茂元首相にケネディ大統領が日韓会談の「早期妥結」を要求し、先の同年5月8日には反共を目的とする『アジア自由連盟』第八回大会の準備委員長に、あの岸信介元首相(安倍氏の母方祖父)を選び、同年10月に東京で開催するためプリンス・ホテル初会合を開いた。
その2日後の1962年5月10日、ソウルで日本、韓国、台湾などの反共主義者によって『アジア反共連盟』臨時大会が開かれるなど、いわゆる『NEATO』(North East Asia Treaty Organization)と呼ばれる『日韓台三軍事同盟構想』の「思想面」での裏付け作業が着々と進められていました。
‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その12(日韓会談粉砕、在日米軍撤退など)‐
・朝鮮半島における南北間の動き
しかし、尹大統領の辞任以後、火がくすぶっていた韓国の政権内では、通貨改革による経済混乱とも相まって、ますます統制が乱れ、1962年6月16日には宋堯讃(ソン・ヨチャン)が総理を辞職。
※宋堯讃(ソン・ヨチャン)について
‐シリーズ 日韓会談反対闘争の展開とその歴史的役割 その7(韓国軍事クーデター後の北東アジア)‐
それに続き、全閣僚も辞表を出す結果に至りました。
合わせて、南朝鮮(韓国)の学生たちも、米軍によるリンチ事件をきっかけに反米闘争に立ち上がりつつあり、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高人民会議は、韓国のこうした矛盾を見逃さず、1962年6月20日には韓国民衆に、南北合わせた米軍撤退を求める全民族的闘争を呼びかけました。
この中で、とくに韓国当局に対し、不可侵条約と協商会議を求めたのが注目されました。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房
・第2章 日本警察50年の軌跡と新たなる展開 『(3) 60年安保闘争等高揚する大衆・労働運動』記事
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h16/hakusho/h16/html/F2202030.html
・『納税者の権利救済制度確立のたたかい』(5) 『成立日前に施行された国税通則法の怪』記事
http://www.sekimoto-tax.ne.jp/chosho/g-mi-04-05html.html
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