前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その2(大院君時代の朝鮮王朝)‐

 

 

 

『アヘン・アロー戦争』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89

 

 

・加速する欧米列強の侵出

 

アヘン戦争・アロー号戦争を経て、すでに中国市場に侵入し、また日本を開国させた欧米列強は、1860年代に入って「残された最後の市場」である朝鮮を、まっさきに自国が開国させて従属させようと競い合い、「黒船」がさかんに朝鮮近海に出没するようになった。

 

地理的にちょっと奥まった位置にあって、ヨーロッパからもアメリカからも最も遠い朝鮮は、そのため他の国に比べて最もおそく、しかし最も急激に外圧に直面することになりました。

 

 

『大院君<テウォングン>が国民に攘夷を訴えた碑』

 

中国で欧米列強が何をしたかは、詳しく朝鮮に伝えられており、朝鮮の各階層は民族的危機がやがて到来するであろうことを、強く意識するようになっていた。

 

 

・欧米資本による国内市場の「食い荒らし」を阻止しようとした大院君

 

ところで、1860年代のヨーロッパやアメリカなどの帝国主義国家の朝鮮侵略に対して、李是応(大院君)の政権が、侵略の尖兵の役割を果たす天主教(中国・朝鮮におけるキリスト教<カトリック>)を強く弾圧するとともに、断乎たる攘夷の姿勢をもって応じたことはよく知られています。

 

しかしながら、そのように「対応した理由」は、王朝権力者の頑固な「排外主義」と誤解され、しばし偏重した認識で語られている。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その2(大院君時代の朝鮮王朝)‐

 

前記のように、李是応(大院君)政権は、古い大両班地主とは対立し、「新しい国家権力維持の手段」として、商人層の取入れを積極的におこない、彼らの要求を反映する政府となりました。

 

したがって、その攘夷政策の断行も、まだ幼弱な国内市場の上にたつ商人層の、欧米資本主義の乱入による「商権剥奪」を阻止しようとする要求の表れであり、日本の幕末攘夷論者の立場と一脈通ずるものがあった。

 

実際、李是応(大院君)が軍備を強化して侵略に備えようとしたとき、なかば形だけになっていた王朝の正規軍は使い物にならず、呼応して立ち上がったのは民衆たちで、零細行商人層の組織である『褓負商団』<ボブサンダン>を中心としました。

 

 

・丙寅・辛末<ビョンイン・シンミ>の洋擾

 

そんな中、李是応(大院君)政権成立後まもない1866年丙寅<ビョンイン>の年、きびしい試練が続けざまに押し寄せた。

 

 

『アメリカ軍艦ゼネラルシャーマン号に抗議する朝鮮軍の絵(インターネット資料)』

 

https://blogs.yahoo.co.jp/doxazo_korea/5829616.html

 

まず8月アメリカ船シャーマン号が、現在の北朝鮮地域にある、大同江<テドンガン>をさかのぼって、平壌<ピョンヤン>の下流、羊角島<ヤンガット>付近にまで侵入した。

 

いわゆる『ジェネラル・シャーマン号事件』です。

 

シャーマン号は、船主はアメリカ人で、船長はデンマーク人、ほかにイギリス人中国人も乗り組んでおり、数門の大砲を装備し、大量の武器弾薬を積んでいて、商船というより半ば海賊船と言った方がはやい。

 

当時、東洋近海には、そんな怪しげな船がさかんに出没していました。

 

しかも、そういう「海賊船」の背後には国家(欧米列強)がついていたのであり、シャーマン号も不法侵入を承知で入り込んできたのだった。

 

平壌在住の朝鮮政府地方官は、難破船に対する慣例に従って、食料や薪・水を提供し、即時退去を命ずる方針でしたが、シャーマン号は、使者の李玄益<イ・ヒョニョッ>の乗る小舟を転覆させて李を連れ去り、さらに沿岸に集まった群衆を砲撃して10余名を殺害、続けて河をのぼりはじめた。

 

激昂した民衆は、官の命令を待たずに、シャーマン号を攻撃しはじめ、数日における戦闘の末、同船を浅瀬に座礁させ、火を放って焼き払ってしまった。

 

つづいて、同年9月・10月二回に渡って、今度は王都漢城(現ソウル)の関門にあたる江華島<カンファド>一帯に、フランス東洋艦隊が本格的な侵攻をかけてきました。

 

 

『沿岸部を攻撃するフランス海軍』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AF%85%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

主な理由は、「天主教徒弾圧への報復」を名目にしていましたが、その本質は当時のフランス皇帝ナポレオン三世の侵略政策によるものでした。

 

 

『Admiral Roze によって指揮されたフランスのフリゲート艦「ゲリエール」。フランス艦隊の指揮艦で韓国への示威行動を行った。1865年頃の長崎港での写真。』 (同より)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%AF%85%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

殊に10月の侵攻は、本格的な準備を整えたもので、日本の横浜に駐屯していた陸戦隊二個中隊600名が江華島に上陸し、一時は江華城を占領してほど近いソウルをうかがうほどの勢いを示した。

 

 

『朝鮮八道』 (Wikiより) ※文字は筆者註

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%85%AB%E9%81%93

 

これに対し、平安道<ピョンアンド>方面から、急遽動員された猟師たちで編成した1000余の決死隊が逆に江華島に上陸し、『鼎足山城<チョンジョッサンソン>の戦闘』となったが、フランス軍は多数の死傷者を出して、ついに退却したのでした。

 

朝鮮の官民は、実力で武力侵略を撃退したが、さらに大規模な侵攻を予想して緊張し、とくに江華島付近の武力を増強して、これに備えました。

 

とりわけアメリカは執拗で、シャーマン号事件の謝罪と開国を要求する使者をよこした。

 

また、1868年には、ドイツ人オッペルトを船長とするアメリカ船チャイナ号が、忠清道<チュンチョンド>の徳山郡<トッサングン>に上陸して、李是応(大院君)の父である南延君<ナミョングン>の墓をあばき、盗掘をはたらこうとする事件も起きたが、これも現地の民衆の力によって撃退しました。

 

そして、1871年(辛末の年)5月ロジャース率いるアメリカ艦隊6隻が、本格的な準備を整えて江華島を襲い、激しい砲撃戦のすえ、陸戦隊を上陸させ、草芝鎮・広城<チョジジン・クァンソン>の砲台を占領するに至ったが、朝鮮側の守備隊は、夜陰に乗じて奇襲作戦をかけ、これも敗走させました。

 

 

『徳津鎮攻略を喜ぶ米将兵』 (同より)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E6%9C%AA%E6%B4%8B%E6%93%BE

 

李是応(大院君)は、このような無法な侵略今後も断固として撃退する方針を堅持することを示すに、各地に以下のような石碑を建て、民衆の支持を得ました。

 

 

「洋夷侵犯 非戦則和 主和売国 戒我万年子孫(洋夷の侵犯に対して断固戦わないものは屈服するものであり、屈服するものは売国の徒にほかならない。これを記して子孫万年までの教訓とする)」

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 155・157頁より

 

 

・大院君の失脚 閔氏一族の台頭と屈服外交

 

しかし、そういう李是応(大院君)政権に対して、かねてから反感を抱いていた大両班地主勢力は、息子の高宗王(李煕)の妃である閔氏<ミンシ>一族を中心にして結集し、古い勢道政治を復活させるべく、宮廷内で陰謀をすすめ、ついに1873年にいたり、高宗王の成人を名目として李是応(大院君)を政権から追い落とすことに成功した。

 

結果どうなったかと言うと、政権をとった閔氏一族は、国内的には反動的であるとともに、対外的にはより屈服的な姿勢を取る「最悪な選択」をしてしまう。

 

民衆はもはや、民族主権を守るのに封建権力者はあてにすることはできず、彼らと戦うとともに、自分たちの手で民族の利益を守るほかないことを自覚するようになっていく。

 

後に1894年2月甲午農民軍は、その蜂起にあたって、

 

「いわゆる公卿(中央の大臣)以下方伯・守令(地方官)にいたるまで、国家の危機を考えもせず、ただ己れの身を肥やすことにのみ熱心である。・・・・・・百姓は国家の根本である。根本が衰えるなら国家は必ず滅びるのだ。・・・・・・我等は在野の遺民にすぎないが、・・・・・・どうして国家の存亡を坐視するにしのびえようか。朝鮮八域心を同じくし、億兆の衆議により、ここに義の旗をかかげ、輔国安民をもって死生の誓いとする」 (呉知泳<オチヨン>『東学史』より)

 

『同』 158頁より

 

と、はっきりと宣言するにいたるのである。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

<ツイッター>

 

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