前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その16(反植民地闘争を繰り広げた義兵たち)‐

 

 

・「近代民主主義思想」としての『愛国文化啓蒙運動』

 

 

『대한자강회 월보<大韓自強会月報>』 (韓国民族大百科事典)

 

http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0035203#

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その14(腐敗政治とのたたかい 発展する大衆の民権意識)‐

 

上述の独立協会<トンリㇷ゚ヒョッペ>万民共同会<マンミンコンドンフェ>が弾圧されたあと、都市民を中心とした大衆の政治運動一時後退しますが、1898年に相次いで発刊された『皇城新聞』『帝国新聞』『毎日新聞』などの言論機関を通じた、啓蒙的文化運動に受け継がれていきます。

 

 

『皇城新聞・帝国新聞・毎日新聞』

 

※皇城新聞 https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%99%A9%EC%84%B1%EC%8B%A0%EB%AC%B8

 

※帝国新聞 https://namjindu.tistory.com/5507

 

※毎日新聞 https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tuzang99&logNo=220836821275&proxyReferer=http%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Furl%3Fsa%3Di%26rct%3Dj%26q%3D%26esrc%3Ds%26source%3Dimages%26cd%3D%26ved%3D0ahUKEwj_97jm0OXkAhUOyosBHVypAbEQMwhKKAIwAg%26url%3Dhttp%253A%252F%252Fm.blog.naver.com%252Ftuzang99%252F220836821275%26psig%3DAOvVaw2sPO6XUVILOKJoLxtE1QnK%26ust%3D1569282981536161%26ictx%3D3%26uact%3D3

 

南官檍<ナㇺグンオッ>・朴殷植<パㇰグンシッ>・申采浩<シンチェホ>らに代表される、これらの啓蒙活動家たちの運動も、日露戦争「乙巳保護条約」(第二次日韓協約)で、日本帝国主義と朝鮮民衆の矛盾が激化すると、大衆的で多様な形態の『愛国文化啓蒙運動』となって発展します。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その15(日露戦争と韓国併合)‐

 

1904年立憲政治樹立を目標につくられた『憲政研究所』は、政治結社だとされ解散させられたが、2年後には『大韓自強会』として再発足した。

 

ついで、安昌浩<アンチャンホ>・李甲<イカプ>らの『西友学会』李東輝<イトンフィ>・李儁<イ・ジュン>らの『漢北興学会』が結成され、1908年には、この二つが合同して『西北学会』となります。

 

その他にも、『畿湖学会』『湖南学会』など、数多くの団体が結成された。

 

これらは、いずれも「文化団体」の形をとっていますが、「朝鮮の独立」「主権の回復」「自由と民権の伸長」を目的として、活発な啓蒙宣伝活動を展開しました。1905年梁起鐸<ヤンギタッ>を主幹(仕事の中心になる人)となって、発刊された『大韓毎日申報<テハンメイルシンボ>』を先頭に、『朝陽報<チョヤンボ>』『大韓民報<テハンミンボ>』などの新聞が創刊します。

 

 

『大韓毎日申報・朝陽報・大韓民報』

 

※大韓毎日申報 https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%A7%A4%EC%9D%BC%EC%8B%A0%EB%B3%B4

 

※朝陽報 http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Index?contents_id=E0052367

 

※大韓民報 https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%AF%BC%EB%B3%B4

 

さらには、『西友<ソユ>』『自強会月報<チャガンフェウォルボ>』『韓半島<ハンバンド>』などの月刊誌が発刊され、いずれも日本の侵略を批判し、近代的民主主義思想を宣伝した。

 

 

『周時経』 (『「現代的なハングル」の父 チュ・シギョン先生を訪ねて』記事より)

 

https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=lovestorisac&logNo=220830658966&proxyReferer=http%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2Furl%3Fsa%3Di%26rct%3Dj%26q%3D%26esrc%3Ds%26source%3Dimages%26cd%3D%26ved%3D0ahUKEwifm8Oa4OXkAhUOCqYKHeq8DOsQMwhQKAIwAg%26url%3Dhttp%253A%252F%252Fm.blog.naver.com%252Flovestorisac%252F220830658966%26psig%3DAOvVaw3P1dR-IY1J6ETW5YGLqhLh%26ust%3D1569287117287808%26ictx%3D3%26uact%3D3

 

この運動は、周時経らの「近代朝鮮語の確立」をめざす国文運動「女性の権利を高めよう」とする女権運動「独立と国権回復」のための国債報償運動などを含め、広く大衆に訴える多様な形態と分野の活動として展開された。

 

 

・『義兵闘争』と結びつかず 「独自の路線」に立った愛国運動

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その16(反植民地闘争を繰り広げた義兵たち)‐

 

『愛国文化啓蒙運動』自体は、同時期におこなわれた義兵運動とは結合せず、日本の侵略と封建支配とは「全面的に」対決せず、運動を教育や文化に限定していた点で、制約や限界点があったのは否めません。しかし、「台頭する民族ブルジョアジー」の政治的要求が反映されており、この時期は総じて「反侵略・反封建」の運動として、専門分野としての役割を積極的に果たした。

 

『乙支文徳伝』(隋帝国の侵略を撃退した高句麗の名将)および『李舜臣伝』(秀吉の侵略軍を破った朝鮮水軍司令官)『李舜臣将軍実記』『姜邯賛伝』(契丹の侵攻を防いだ高麗の将軍)『金庾伝』(三国統一を成し遂げた新羅の将軍)『楊萬春伝』(唐帝国の侵攻時の高句麗軍武将)などの、愛国英雄伝記や、世界の革命物語の紹介など、大衆の愛国心を振るい起こした。

 

『内修外学』のスローガンのもと、精力的にすすめられた教育運動は、全国各地に私立学校の設立をもたらし、旧来の書堂から、各種講習所労働学校など、新しい形態の教育職業訓練などの「学習の場」をつくりだした。

 

大韓帝国末期における「近代開化」の思想は、もはや一部のインテリだけのものでなく、数多くの大衆たちに深く捉えていった。

 

旧来の因果応報・勧善懲悪の枠をこえて、文明開化を主題とした『新小説』が、なお形式上や内容面に不十分さを残しながらも、「伝記」「愛国民権」を主題とした政治小説とともに、民衆に受け入られていきます。主に『春香伝<チュニャンジョン>』『沈清伝<シㇺチョンジョン>』などの古典も、大衆的な新小説の文体リニューアルされ「新装版」として流行した。

 

また、この時代には、民族的自覚と文明開化を主題とした「唱歌」が数多く生まれ、人気を博していきます。それは、義兵闘争にあらわれた「反侵略のたたかい」を高らかに歌い上げ、いっそう広く民衆のなかに浸透していき、朝鮮における近代的国民文化の「胎動の時代」でありました。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

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