前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その20(続・過酷な植民地経営 強行された会社令)‐

 

 

・「植民地」における 朝鮮人の状態

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 207頁より

 

このような日本帝国主義の支配下で、朝鮮民衆はあらゆる政治的諸権利を奪われ、生活は極度に悪化させらました。

 

1917年総督府戸口調査によれば、当時の朝鮮全人口1092万人中、85%以上を占める約929万人農林業に属するとされているが、このように人口の圧倒的部分を占める農民は、なかば封建的な地主制支配下におかれていた。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その19(続・過酷な植民地経営 強行された土地調査令)‐

 

すなわち、全農家戸数約265万戸中、地主8万戸自作農52万戸自小作兼業農家104万戸純然たる小作農100万戸を占めます。

 

全農民中の3%にすぎない地主土地を集中所有し、自小作農も合わせて77%以上の農民が、その地主のもとで「小作人(雇われ農民)」として支配されていた。

 

この農民たちに、総督府が定額の金納化された地税を課していたことは、先に述べた通りですが、この地税は、本来「土地所有者たち(地主・拓殖企業)の負担すべきもの」でした。

 

ところが、実際に小作人たちに転化され、農民の大半を占める小作農は、一般に収穫高の5割以上を占める現物納の高率小作料のほか、前述の地税をはじめ、戸税・家屋税・地税付加税などの地方税・面費・学校費など、さらに農会・水利組合などの組合費等、各種の公租公課を負担させられた。

 

その上、小作農には、耕作物の品種選択から耕作方法をはじめ、農業経営そのものについての地主の束縛・強制が加えられ、果ては、地主邸宅の「修理」や「掃除」にいたる雑務まで労働力を奪われ、これが常態化していました。

 

こうして、心も体もボロボロになり、生活苦に陥った貧農を待ち構えているのは、「地主と一体化」した商業高利貸しによる資本の収奪で、さらに日本人経営の農場では、一般小作人に悪影響を与えるとか、公安秩序を攪乱するとかの理由で、ただちに農場より小作農を退去させることが規則として定められていた。

 

つまり、「雇用条件」や「社会秩序」に意見を述べれば、ただちにリストラされる現実にありました。

 

 

・「帝国主義経済」がもたらした 朝鮮農業の惨状

 

※翻訳文字は筆者註

 

『일제 강점기 농민의 계층별 구성 도표(위)에서 자작이나 자소작농이 줄고 소작농이 늘어난 것을 알 수 있다. 이것은 1910년대의 토지 조사 사업과 1920년대의 산미 증식 계획으로 농민들이 토지를 상실하고 몰락하였음을 보여준다.<日帝植民地における(朝鮮)農民の階層別構成図表。自作や自小作兼業が減り、小作農が増えたことがわかる。これは1910年代の土地調査事業と1920年代の産米増殖計画による農民たちの土地喪失と没落したのと関連する>』 (ZUM学習百科Betaより) 

 

http://study.zum.com/book/13264

 

このように、小作権さえ保障されないで土地を失った農民の中には、山地に逃れて焼き畑耕作でわずかに生活をつなぐ『火田民<ファジョンミン>』となって、極貧生活を余儀なくされたり、新たな職を求めて都市に流入する人々が増加していきました。

 

しかし、労働者の状態も決して「良いもの」ではなく、そもそも労働の場が少なかったのと、たとえ就業しても、長時間労働と劣悪な労働条件、そこに民族的差別による低賃金のオンパレードにより、民衆はどこに行っても苦しい生活しかなかった。

 

 

・都市労働市場における 日本人と朝鮮人の「賃金格差」

 

たとえば土工の場合、日本人の日給93銭に対して、朝鮮人が49銭鉄工前者が1円53銭に対し、後者は79銭(いずれも1912年)という、不均衡な金額設定が、それを端的に示しています。

 

そして、『悪しきお家芸』と言うべき「長時間労働」の地獄が待っており、1日において12時間~16時間労働は普通で、中には18時間労働も相当あったと参考図書では指摘されています。

 

現代の日本においても、サビ残が横行している事実からも、当時の大日本帝国における「植民地人」の待遇は、当然最悪になると考えるのは自然でしょう。

 

また、朝鮮の中小商人や企業家たちも、絶えず日本資本との極めて「不利な競争」に脅かされ、他方で総督府の「営業停止」や「禁止処分」の恐怖に晒されていました。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その20(続・過酷な植民地経営 強行された会社令)‐

 

そのような状態のなかで、『武断政治』による、植民地の「すべての政治的諸権利を奪われている」ため、朝鮮人民の日本の支配に対する抵抗は、著しく困難であったのは過酷な現実でしたが、必ずしも日本の強権統治が「安定」したわけでもありませんでした。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

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