前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その30(錯綜する「独立論」と『六・一〇万歳運動』)‐

 

 

・「左右合同」の民族団体 『新幹会<シンガンフェ>』

 

 

『左와 右를 아우른 신간회, 민족의 힘 하나로 모았다<左と右があわさる新幹会,民族の力をひとつにあつめた>』 (朝鮮日報より)

 

 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/02/15/2017021500159.html

 

『六・一〇万歳運動』の翌年、1927年2月『新幹会<シンガンフェ>』が創立された。

 

新幹会は、その網領に三つのスローガンを掲げた。

 

1.われらは政治的および経済的覚醒を促進する

 

2.われらは団結を強固にする

 

3.われらは機会主義(日和見主義)をいっさい否認する

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 235頁より

 

民族運動が左右に分かれ、対立点がハッキリしてきた状況のもと、抗日独立のために力を合わせる「単一の民族運動組織」が強くもとめられ、非妥協的な民族主義者共産主義者が連携してつくりだしたのが『新幹会』です。

 

今風に言えば、ここに「リベラル」と「保守」の違いはありません。

 

 

『李商在』 (韓国語Wiki百科より)

 

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9D%B4%EC%83%81%EC%9E%AC

 

国や民族のため、みなが一丸となって、初代会長には、かつての『独立協会』の指導者李商在<イサンジェ>が選ばれた。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その14(腐敗政治とのたたかい 発展する大衆の民権意識)‐

 

新幹会は、先の「妥協的な朝鮮自治論」に一撃を加え、民族的権利の回復につとめ、日本の警察の厳しい監視下にも関わらず、朝鮮各地はもちろん、日本東京・大阪・京都・名古屋などにも支部を設け、会員3万7000名におよんだ。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その30(錯綜する「独立論」と『六・一〇万歳運動』)‐

 

 

『근우회 창립 총회<槿友会創立総会>, 사진 출처<写真出典>: YMCA』

 

https://m.post.naver.com/viewer/postView.nhn?volumeNo=11797376&memberNo=2102994

 

一方、同年5月新幹会の姉妹団体として『槿友会<クユネ>』が組織され、槿友会は「女性運動の団体」として、封建的道徳・因習からの「女性の解放」を目指し、女子を抗日運動に立ち上がらせるために活動した。

 

 

・女子学生に対する「侮辱」に抗議した 『光州学生抗日運動』

 

 

『광주학생운동 / 이광춘, 박기옥<光州学生運動/イ・クァンチュン,パク・キオㇰ>』 (韓国民族文化百科事典より)

 

https://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0005301

 

『新幹会』や『槿友会』の創立に先立って、学生たちのあいだでも「植民地教育」「民族的迫害」に反対する運動が広がり、1925年から1928年までに、453件「同盟休校」が起こった。

 

1929年『光州学生抗日運動』は、学生をはじめ全朝鮮人の中での「抗日機運」が、どれほど高まっていたかを示す重要なファクトです。

 

또, 이날 통학열차가 운암역을 통과할 때 일본인 중학생 하나가 "한국인은 야만스럽다"라는 말이 문제가 되어 일본인 중학생과 광주고등보통학교학생들의 충돌 사건이 일어났다.

 

<また,この日における通学列車が雲岩駅を通過する際、日本人中学生のひとりの "朝鮮人は野蛮だ "という言葉が問題となり、日本人中学生と光州普通学校学生たちとの衝突事件が起きた。>

 

이러한 사건 등으로 인해 광주지방의 한·일학생간의 감정은 더욱 악화되고 있었으며, 특히 광주주변에서 기차로 통학하는 우리나라 학생과 일본인 학생들의 관계는 긴박한 긴장감마저 돌게 되었다.

 

<こうした事件を原因とし、光州地方の朝・日学生間の関係は緊迫したものとなった。>

 

이러한 한·일학생간의 대립은 1929년 10월 30일 오후 5시반경 광주발 통학열차가 나주에 도착하였을 때 폭발하였다. 이날 나주역에서 통학생들이 집찰구로 걸어나올 때 일본인 학생 몇 명이 광주여자고등보통학교 3학년 학생 박기옥(朴己玉).이금자(李錦子).이광춘(李光春) 등의 댕기 머리를 잡아당기면서 모욕적인 발언과 조롱을 하였다.

 

<このような朝・日学生間の対立は、1929年10月30日午後5時半ごろに光州発通学列車が羅州に到着したときに勃発した。この日、羅州から通学生たちが改札口から歩いてきたとき、日本人学生の何人かが光州女子高等普通学校3年生の学生パク・キオㇰ、イ・クㇺジャ、イ・クァンチュンらの三つ編みを掴み引っ張って、侮辱的な発言と嘲笑を浴びせた>

 

『광주학생운동(光州學生運動)』(同より)

 

https://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0005301

 

このように「運動のきっかけ」は、光州<クァンジュ>と羅州<ナジュ>間を汽車通学していた、朝鮮人女子学生を、日本人中学生が侮辱したことからはじまり、結果「朝鮮人学生と日本人学生が衝突」した背景にありました。

 

 

『일본인 학생의 한국인 여학생 희롱을 다룬 당시 신문 보도광주시교육청 제공<日本人学生の朝鮮人女学生愚弄を説いた当時の新聞 プレス光州市教育庁 提供>』 (ハンギョレ新聞より)

 

http://www.hani.co.kr/arti/society/region/867367.html

 

それなのに、日本の警察は一方的に「朝鮮人学生にだけ」に責任を負わせて検挙しました。これに対して、光州市内の朝鮮人学生は、1929年11月3日を期して「植民地差別教育撤廃!」「朝鮮独立万歳!」を叫んで決起した。

 

 

『1929년 광주시내에서 항일시위를 벌이는 학생들 광주학생독립운동동지회<1929年光州市内における抗日示威をおこなう学生たち 光州学生独立運動同志会>』 (同より)

 

http://www.hani.co.kr/arti/society/region/867367.html

 

そして、この運動は日本当局の「報道管制」にも関わらず、全朝鮮に波及し、翌年の1930年3月末まで、各地で同盟休校と示威運動が展開された。

 

この運動に参加した学校は、初等学校54・中等学校136・専門学校4、合計194校にのぼり、そのほか、中国・満州にある朝鮮移民の多い間島(カンド)地方でも、8校がこの運動に関連して「万歳示威」をおこなった。

 

※『間島』に関して

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その26(斎藤実の文化政治と間島の朝鮮人虐殺)‐

 

デモに参加した学生の「総数」は、5万4000名以上にも達し、三・一運動以後「最大の抗日民族運動」となりました。

 

このとき、先の『新幹会』「学生らの運動に賛同した」理由で、多数の幹部が検挙され、その後1931年には解散するにいたるが、『光州学生抗日運動』は、一地方の反日運動が、たちまち全国的に波及したものであって、ここにも朝鮮の「民族解放闘争の発展」をみることができる。

 

 

・労働問題における 日本人リベラルの「応援」

 

さらに労農運動の分野にも、『朝鮮労農総同盟』は発展的に「解消」し、『朝鮮労働総同盟』と『朝鮮農民総同盟』に分かれ、それぞれが専門的な組織として強化し、社会運動の知見を高めていった。

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

とりわけ、1929年『元山ゼネスト』は、この時期の「代表的たたかいのひとつ」でした。

 

1928年秋『ライジングサン石油会社(現・昭和シェル)』文坪<ムンビョン>油槽所からはじまった争議は、1929年1月から4月にわたり、元山労働組合連合会傘下の24の労働組合、3000名の労働者が参加するゼネスト(一斉ストライキ)に発展した。

 

日本帝国主義は、軍隊・警察・日本人在郷軍人団・青年団・消防団などを動員し、あらゆる弾圧をおこなったが、労働者側朝鮮各地の労働者・農民・市民・学生の「全民族的支援」と、ソビエト・中国・フランス・日本などの労働者・社会団体(リベラル)「国際的な連帯」の支援を受けた。

 

‐東アジアの今とこれから その20(偉大な先人たちの姿)‐

 

とりわけ日本では、『無産者新聞』“朝鮮の兄弟を援助せよ”争議資金をあつめ元山<ウォンサン>行きの荷物の「荷役拒否」などを訴え、『労働組合全国協議会』などの労働諸団体も支援活動を展開した。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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