前回の記事
‐東アジアの今とこれから その19(『済南事件』『第三次山東出兵』に反対した日本のリベラル)‐
『北東アジアの地図』 ERINA 公益財団法人環日本海経済研究所より
https://www.erina.or.jp/data/asia/map/
こちらの方で、『韓国軍自衛隊機レーダー照射事件』にて、あのまま難破した北朝鮮漁船の人々を「見殺し」とする、人間以下のクズ連中など、アメリカに阿り「北東アジアの分断永続」を目論む、実に胸糞悪い工作員連中と比べ、戦前における、命の危険を含む過酷な環境下において、決死の活動を行った、当時の偉大なるリベラル系日本人の姿を、自国の主権もまともに考えられないゴミどもにぶつけてやりたい気分です。
20世紀初頭の日本において繰り広げられた、『対支非干渉同盟』『戦争反対同盟』『反帝同盟』のたたかいは、日本人の日朝中連帯、反戦を掲げた国際連帯のもっとも輝かしいものとして、永久に記録されるでしょう。
特に、この時期にたたかわれた朝鮮の元山(ウォンサン=現・北朝鮮領)ストライキに対する連帯も、重要な闘争のひとつです。
日本の植民地下における朝鮮(1910年~1945年)では、1920年代末~1930年代初め、労働運動と労民運動が新たに高揚しました。
この革命的高揚の口火を切ったのが、元山ゼネストです。
※ゼネスト(ゼネラル・ストライキの略)
全国・全産業または一地方・一産業全体にわたって、いっせいに行われるストライキ。総同盟罷業。
▷ general strike から。
当ゼネストでは、1928年9月『ライジング・サン石油会社』文坪油漕所労働者の、日本人監督の朝鮮人労働者殴打事件に抗議するストライキからはじまり、1929年1月、元山労働者連合会の呼びかけで元山全市が完全にマヒするゼネストに発展。
ゼネストは、警察、憲兵、在郷軍人、消防隊などを総動員した激しい弾圧のなかで、約3ヵ月間にわたって頑強に展開されました。
それは、朝鮮労働史上画期的な意義をもつ大闘争であり、日本の労働者階級は元山争議団の訴えに応え、いち早くこのゼネスト支援の行動を開始した。
『無産者新聞』は1929年1月25日付で、『朝鮮に大罷業勃発し憲兵隊出動す』と、この大闘争を報道し、『朝鮮の兄弟を援助せよ』と訴え、ついで2月1日付で『元山三千の労働者奮起し戒厳下に総罷業断行 (朝鮮)総督府の暴言言語に絶す 日鮮労働者の提携に進め』と題し、日本の労働者階級に、こう告げました。
日鮮労働者は、元山の兄弟応援のために直ちに協力しろ!
闘士、闘争資金、檄電をどしどし送れ!
朝鮮行きの物を断じて積込むな!
朝鮮総督府の暴圧に大衆的抗議運動を起こせ!
田中反動政府を倒せ!
日鮮労働者の提携万歳!
当時は、本当に色々な意味で過酷で、命が最も軽んじられる時代です。
植民地では、奴隷のように酷使される現地の人々に対し、これらの言葉の重みは、相当なものであると思います。
同紙はまた、『上海、大連、大阪、神戸其他(そのほか)各国の波止場労働者は朝鮮行きの荷物を積むな』という、周辺国すべての労働者宛てに、元山争議団からの檄電をのせ、これに応えることを呼びかけました。
『無産者新聞』は、このあと毎号元山ゼネストへの支援を中心的にとりあげ、繰り返し、支援運動を呼びかけ続けました。
そして、これに応答する形で、日本労働組合関東地方協議会(2月1日)、全国金属産業労働組合準備会、関東地方金属産業労働組合協議会(2月5日)などが、まず闘争支援のメッセージを送ったのをはじめとして、闘争資金の募集など、さまざまな活動を行った。
関東金属、東京合同、関東自由、関東木材、市電協同会、労農同盟東京支部連合会、全農東京出張所、労農青年同盟、無産者新聞など、関東地方の諸団体は2月12日に協議会を開いて、『関東無産者団体協議会』の名で、行商隊の編成、漫画市場、ナップ移動劇場公演、奉賀帳等によって大衆的応援基金募集をすると共に、各地域の無産団体会議、または労働組合会議を開き、組合、労働同盟との密接な連絡の下に、工場や職場に計画的な宣伝煽動を行い、日本本土(内地)における示威運動、五分間ゼネストなどによって、朝鮮現地のゼネスト弾圧に抗議し、さらに代表応援闘士を派遣することを決めました(『無産』二九・二・一五)。
労働組合全国協議会は、加盟組合に対して、次のように指令しました。
①この争議の起こり、経過を全労働者にわからせるために、工場分会毎に集会を開く
②この集会では、特に永い間虐げられてきた朝鮮労働者と日本の労働者との提携の必要を煽動、宣伝すること
③工場職場で激励文を送ることを決め、日給一日分を送ること、元山行き貨物の積み込み荷役を絶対に拒絶すること
④朝鮮労働者の働いているところでは、日鮮労働者の共同闘争をやること
➄応援の全国的罷業、示威運動を行うため、地域的に労働組合協議を開くことを提唱し、この運動に加わる工場中で決議して、その決議を工代を開くような方向へ向けさせること
これだけ見ればわかるように、口先だけの「理想論」を並べるのではなく、実際の「痛みの伴う活動」を目標として、各リベラル系日本人の活動が垣間見れます。
実際、朝鮮労働者の惨状を見れば、自分たちよりも、さらなる過酷な現状におかれている事実を直視した上で、上述の現実的な目標が掲げられたと推測できます。
神戸、小樽では同情ストライキが展開されました。
三・一五事件や、四・一六事件の直前という、帝国政府によるリベラル大弾圧が続いている時期に、日本民衆が展開した元山ゼネスト支援の運動は、日朝連帯の歴史の上で、極めて重要な意義を持つ闘争です。
『関東大震災』の悪夢が色濃く残る1920年代の日本において、一歩間違えれば、殺されることだって十二分にある。
こうした命がけの行動に対して、朝鮮の労働者は、次のように感謝の意を伝えてきました。
親愛なる全日本労働者農民諸君!
我々のストライキに対する、諸君の絶大なる支持と応援とに対して、我々元山(ウォンサン)労働者一同は、真に心の奥底から感謬を禁じ得ない。
『元山の兄弟へ!』と諸君が争議基金を募集し、且つ遠き此の地へまで諸君の代表を送るといふことを我々の参謀本部から聞いた時、実に我等争議団一同は、否、全朝鮮労働者一同は、涙ぐましき階級的歓喜に堪へ得なかったのだ!
(2月25日付、元山争議団よりの『日本の全労働者に訴ふ』の一節、『無産』二九・三・一三)
朝鮮と日本の労働者が、それぞれの地で、自分たちのより良い生活のために、命を懸けて、国家権力とたたかい、不幸な時代が引き起こした「分断」にもめげず、ともに連帯の意識を表明する姿に、今の日本人はどれだけの意味を見出すことができるでしょうか。
大本営報道に騙され、歴史的教訓を何も活かせず、現代の愚かなリベラルにしても、工作員たちの情報戦に敗北し、韓国軍のレーダー照射に大騒ぎ。
特定の情報しか受け取れぬ状況下において、一方の主張だけが「正論」として持ち上げられ、今刻々と変動しつつある北東アジアの趨勢も理解できず、やれ主権が侵害されただの、自衛隊や在日米軍の必要性の議論に持っていこうと必死ですが、結局が彼らが望んでいることは、日本が半永久にアメリカの『植民地』であり続けることや、北東アジアが分断を作り出し、それを永続化させることによって、前者の目標を達成させようと、ネットや既存メディアを通じ、日本語話者相手に騙すことに従事している。
そういう意識が、あらゆるところで垣間見えるのです。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房
<ツイッター>
【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】
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