前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その34(天皇に爆弾・激化する朝鮮民衆の闘争)‐

 

 

・『祖国光復会』設立 朝鮮人民革命軍の普天堡戦闘

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 245頁より

 

1936年5月5日安図県の西隣通化省撫松県の東崗で、常設的な抗日統一戦線である『祖国光復会』が結成され、金日成はその会長に推された。

 

 

『故・金日成主席』 (在日コリアンの友人の写真資料より)

 

祖国光複会は、

 

(一)朝鮮民族を総動員し、広範な反日統一戦線を実現することによって、強盗日本帝国主義の統治を転覆させ、真の朝鮮人民政府を樹立すること━をはじめとする一〇項目の綱領を発表した。

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 同頁より

 

この網領は、これまでの遊撃根拠地━解放区の経験を汲み取り、抗日的ないっさいの勢力を一つに結集した『反日統一戦線』を実現することこそが、日本の支配をくつがえし、真の朝鮮人政府を樹立する基礎となることを強調し、しかも「解放のあかつき」に、再建される朝鮮での諸施策を具体的に示したものであった。

 

これは朝鮮の民族解放闘争史上、はじめて「朝鮮の革命家」が、自らつくりあげた解放網領であり、かつ1930年代の半ばに入って、朝鮮民衆と日本帝国主義との「民族的矛盾」が、かつてなく先鋭化し、それを集めて民族解放闘争の「強大なエネルギー」をつくりだすものでした。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その34(天皇に爆弾・激化する朝鮮民衆の闘争)‐

 

この網領もまた、真に「朝鮮の独立」のためにたたかう「革命的軍隊を組織すること」を述べていますが、金日成の率いる『人民革命軍』は、白頭山の西南方、長白県地方に「根拠地」をつくるとともに、朝鮮内への「組織拡大」につとめた。

 

百度地図より 福岡発 コリアフリークなBlog 『長白を走るランクル』記事

 

https://blog.goo.ne.jp/yoshi1963jp/e/99038f2aeae2fc6c0575c862ba2fc6b5

 

その結果、朝鮮国内には『朝鮮民族解放同盟』をはじめ、さまざまな名称をもった祖国光復会の組織ができ、満州にいる朝鮮人のあいだでもそれは広がった。

 

 

『1937년 6월 5일자 동아일보 호외<1937年6月5日付 東亜日報の号外>』 (韓国語Wiki百科より)

 

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%B3%B4%EC%B2%9C%EB%B3%B4_%EC%8A%B5%EA%B2%A9

 

1937年6月3日国内の朝鮮民族解放同盟の組織と連携して、金日成自ら人民革命軍の主力を率いて鴨緑江<アㇺロッカン>をわたり、次の4日夜朝鮮内に進撃甲山郡の普天堡<ポチョンボ>を攻撃した。主に警察・官庁を襲撃これを焼き払って、住民をはげまし、祖国光復会の綱領を伝え、軍需物資をぶんどって、また鴨緑江をわたり引き揚げていった。

 

「朝鮮人は滅びないで生きている。日本帝国主義とたたけば勝利することができる、ということを全世界に宣布した。これが普天堡戦闘の戦略的意義である」と金日成自らが述べている

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 246頁より

 

日本帝国主義は、この国内侵攻作戦におどろき、1937年10月~1938年にかけて『祖国光復会』と連絡をとって活動していた、国内の『朝鮮民族解放同盟』や、祖国光復会の「長白県の根拠地」に大弾圧を加え、2000余名を検挙し、権永壁<クォンヨンビョㇰ>ら6名の幹部を死刑160余名を有罪とした(甲山・恵山事件)

 

 

『權永壁(권영벽)』

 

일제 강점기 연변조선족자치주에서 활동했던 함경북도 경성 출신의 사회주의 독립운동가.<日帝植民地期、延辺朝鮮族自治区(間島)にて活動した咸鏡北道鏡城(ハンギョンプットキョンソン)出身の社会主義独立運家。>

 

『世界韓民族文化大全』より

 

http://www.okpedia.kr/Contents/ContentsView?contentsId=GC05302777&localCode=krcn&menuGbn=category&searchCnd=%EC%9D%B8%EB%AC%BC%2F%EC%9D%98%EB%B3%91%C2%B7%EB%8F%85%EB%A6%BD%EC%9A%B4%EB%8F%99%EA%B0%80&parentName=%EC%9D%B8%EB%AC%BC&categoryName=%EC%9C%A0%ED%98%95

 

 

・大日本帝国末期 「解放間近」の朝鮮独立軍のたたかい

 

朝鮮民衆の「民族解放闘争」は、常に日本軍・警察そして満州国軍などによって、執拗な「討伐」弾圧をうけ、大きな犠牲を伴いながら進められた。

 

しかし、決して打ち破られることはなかった。

 

1940年3月には、間島省安図県大馬鹿溝付近で、金日成の指揮下の人民革命軍は、日本の警察討伐隊を待ち構え、隊長の前田作市以下56名を全滅させたりした。

 

小林よしおの研究室 金日成主席『回顧録 世紀とともに』 7 「前田討伐隊」の末路 記事

 

http://kcyosaku.web.fc2.com/f72107.html

 

━そして国境付近の戦闘は、朝鮮国内の新聞に報じられ、抗日パルチザンの戦闘と、その指導者としての「金日成」の名前は、朝鮮に広まり、また在日朝鮮人のあいだにも拡散されていった。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編10(独立と強いられた分断)‐

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 247頁より

 

 

「これ以後の歴史」については、幾多のシリーズ記事にて書かせていただきました。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編7(李氏朝鮮→大韓帝国→日韓併合)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編8(過酷な植民地経営の実態)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編9(「朝鮮解放」までの道のり)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

シリーズ総数35回にもわたる長編でしたが、お付き合い頂き、本当にありがとうございました。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

<ツイッター>

 

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