前回の記事

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編9(「朝鮮解放」までの道のり)‐

 

 

 

『終戦の詔勅 (玉音放送)』

 

https://www.youtube.com/watch?v=LSD9sOMkfOo

 

 

・大戦の終結 解放直後の建国運動(『建国準備委員会』の動き)

 

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、米英中ソを中心とする連合国に無条件降伏しました。

 

このポツダム宣言には、「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものたらしむるの決意を有す」という『カイロ宣言』(1943年11月27日)の履行が明記された。

 

日本の敗戦前すでに、このカイロ宣言によって「朝鮮の独立」の方向は、国際的に確認されていたのである。厳重な日本の報道管制の網の目をくぐって、朝鮮独立の知らせは、朝鮮国内にもひそかに伝えられ、一部の人々は来るべき日本の敗戦と朝鮮の独立に備えて活動を開始した。

 

民族主義者の呂運亨(1885~1947)『朝鮮建国同盟』を組織し、獄外にあった共産主義者も地下サークル活動を始めていたが、朝鮮がいつ独立するかについて連合国は、「やがて(in due course)」と何ら具体案も示しておらず、どんな形で実行するかについても、アメリカの20~30年の朝鮮信託統治案があったものの、諸国間の決定をみてはおらず、すべては戦後に持ち越されました。

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 261頁より

 

8月15日、解放を迎えた朝鮮は、歓喜に満ち溢れていました。

 

人々は昨日までの国民服やモンペをかなぐり捨て、白衣やチマチョゴリに身を包み、太極旗(1882年に創られた朝鮮の国旗、現在の大韓民国の国旗でもある)を振りかざしながら、腹の底からこみ上げる喜びとともに「マンセー」と、「朝鮮独立万歳(チョソントンリッマンセー)」を叫んで街をねり歩いた。

 

昨日まで主人顔をしていた日本人は姿をかくし、街は「マンセー」の叫びとともに完全に朝鮮人の手に取り戻されたのでした。

 

民族解放の喜び、それは日本人がいまだ体験したことのない、民族があげて一体となり、ともに味わう真の喜びであった。

 

ソウルの街角には、15日に結成された呂運亨(ヨ・ウニョン)や安在鴻(アン・ジェホン)らによる『建国準備委員会』の呼びかけによるビラが張り出され、釈放された政治犯を迎えて、街では民衆の熱狂的な歓迎の中で集会が開かれていた。

 

この中で建国準備委員会副委員長安在鴻(アン・ジェホン)は、1945年8月16日にラジオを通じて3000万の同胞に向けて、力強く建国への第一声を放ち、警備隊の結成正規兵の軍隊編成による秩序維持食糧確保通貨・物価の安定政治犯の釈放などなど、新政府の取るべき具体的な政策を提示した建国への呼びかけでした。

 

朝鮮総督府の遠藤政務総監から「治安維持の協力」を求められた、呂運亨(ヨ・ウニョン)や安在鴻(アン・ジェホン)らは、治安維持といった消極的なものにとどまらず、このように建国に向けての具体的行動を民衆に提起した。

 

建国準備委員会の呼びかけもあり、地方では日本人の手になる植民地統治機構にとって代わる人民委員会がつくられ、各人の自主的な立ち上がりにより、その組織形態や名称はさまざまでした。植民地時代により、つくられた会社や工場、学校、新聞社や警察署などを接収し、自律的な管理・運営が始められ、予想をこえた民衆の立ち上がりに慌てた朝鮮総督府は、建国準備委員会に警告を発したり、政治運動取締要綱を策定したりと抵抗したが、解放を迎えて爆発した朝鮮人のエネルギーの前に、もはや成す術もなく、ほとんど効果がありませんでした。

 

同委員会は、積極的に地方の組織との連絡にあたり、わずか半年で支部145を数えるようになり、解放後の朝鮮において、民衆の意思を反映した中央機関としての実体を備えるようになった。米軍の進駐を目前にして、宋鎮兎(ソン・ジヌ)らの「日本が連合国軍に政権を渡すまでは動くべきでない、重慶(チョンチン)の臨時政府(一九一九年三・一運動のあとブルジョア民族主義者が上海で組織したもので、その後蒋介石政権と行動をともにしていた)を新しい主権の正統派にする」(『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂262頁より)との主張もあったが、呂運亨(ヨ・ウニョン)らは朝鮮人自身による統一政権創立に乗り出した。

 

建国準備委員会は、1945年9月6日ソウル全国人民代表者会議をひらき、『朝鮮人民共和国臨時組織法』を採択。人民委員55名、同候補委員22名、顧問12名を選出し、『朝鮮人民共和国』の成立を宣言した。

 

構成メンバーについては以下。

 

主席 李承晩(イ・スンマン)

 

副主席 呂運亨(ヨ・ウニョン)

 

金九(キム・グ)、許憲(ホ・ホン)、曺 晩植(チョ・マンシッ)、金性洙(キム・ソンス)、李康国(イ・カングッ)、金日成(キム・イルソン)など

 

民族主義者であれ共産主義者であれ、日本帝国主義下でたたかった者をほとんど網羅しており、全民族的な統一組織の体裁を整えた者であったが、米軍進駐に対して、朝鮮人の意思を統一した自主組織として急いで創建された人民共和国は、その時まだ海外にいた指導者については、本人の了承も得ないまま委員に選出するなど、後の「拙速」との批判があたらないこともなかった。しかし、数々の不十分さはあったにしても、人民共和国は当時の朝鮮人の後半ないしを反映した唯一の組織だったことは確かでした。

 

 

・「東西の冷戦」と38度線

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編1(その歴史と38度線)‐

 

朝鮮国内で、このような独立への準備が進められていたにも関わらず、米ソ間では38度線を境界線とした米ソの分割占領が決定されていた。

 

1945年8月8日、対日宣戦布告をしたソ連は、翌9日には早くも北部朝鮮に軍をすすめ始めており、日本が「国体護持」の条件付きでポツダム宣言受諾を連合国に通告した10日、アメリカの最前線がまだ沖縄にあったのに対し、ソ連はすでに清津(チョンジン)に上陸、朝鮮全土に兵を進めることができる位置にあった。

 

米ソにおける上記の「軍の配置」の中で、アメリカはソ連の朝鮮全域進駐をおさえるため、それまで日本軍編成の境界であった38度線による米ソ分割占領案を提起したのです。

 

このような日本処理案が、アメリカから米ソ中に伝達され、ソ連は朝鮮における軍事的地位が「アメリカよりも有利」であったにも関わらず、この38度線による分割占領案に同意した。この中身については、本来アメリカの「提案意図」は、朝鮮における「米国の地歩の確保」であり、ソ連がなぜ簡単に受け入れたかについては、詳しい理由は明らかにされていませんが、イタリアやドイツの降伏によって、ようやく第二次大戦の勝敗が明らかになると、連合国の間で、戦後の世界支配をめぐって米ソを中心に微妙な対立がありました。

 

戦後、アジアにおいてベトナム民主共和国の樹立はじめ、旧植民地の独立闘争や中国革命の進展があり、またポーランドやチェコスロバキアの東ヨーロッパでも相次いで新しい権力が樹立され、社会主義世界の建設を目指すようになりました。

 

「対ソ封じ込め」を狙ったいわゆる『トルーマン・ドクトリン』や、欧州の資本主義復興のための『マーシャルプラン』を発表した。

 

-今日の『世界秩序』について考える-

 

 

・朝鮮南部の「植民地化」

 

1945年9月7日朝鮮南部に進駐した米軍は、『布告第一号』を布告して、軍政施行と朝鮮総督府の旧機構・法令をそのまま機能させることを宣言した。

 

 

『ホッジ・アメリカ駐屯軍司令官・朝鮮南部軍政庁長官 陸軍中将』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B8

 

しかるに三八度線以南に進駐した米軍は(九月七日仁川上陸)、日本軍の武装解除のみならず、朝鮮それ自体に軍政を敷いた。その「駐留軍司令官R・ホッヂ中将の声明」(九月九日)に曰く。「・・・・・・余の指揮下にある諸君は、連合国総司令官並びに、その指揮下に発する余の命令に厳格に服さねばならぬ・・・・・・」(六)と。

 

この南朝鮮における米軍の軍政実施それ自体が、違法であり、分断化の発端となるのである。

 

『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房 55頁

 

※註釈

 

(六) 「終戦前後の状況報告」 平壌地方運輸局経理部長荒木道俊、(一九四六年八月)

 

『同』 57頁より

 

そればかりか、アメリカの軍政活動に協力する宋鎮兎(ソン・ジヌ)金性洙(キム・ソンス)らを組織して、『軍政府協力朝鮮人諮問会議』を作るとともに、先に朝鮮人自身の手で作られた朝鮮人民共和国を認めない旨の『アーノルド米軍政長官声明』(1945年10月10日)を発表した。

 

このように、米軍政府は人民共和国を形成させた朝鮮民衆に対する弾圧に乗り出しました。

 

 

<参考資料>

 

・Youtube動画 『終戦の詔勅 (玉音放送)』

 

https://www.youtube.com/watch?v=LSD9sOMkfOo

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

 

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