前回の記事

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その11(日本人の「アジア嫌悪のルーツ」を探る)‐

 

 

・世界規模における 本格的な「帝国主義の到来」

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その10(ついに日清戦争が勃発する)‐

 

先の日清戦争は、朝鮮の近代化に著しい被害を与えたが、「帝国主義的世界政治の形成」の上にも、決定的な影響を与えた。

 

19世紀後半世界資本主義国の飛躍的発展は、資本主義自体に「質的変化」をもたらした。

 

 

『独占資本主義』

 

https://www.many-many-info.com/blog/2015/12/23/1087

 

欧米の「先進国」では、一握りの金融独占資本が形成され、その支配が、政治・経済あらゆる分野に浸透し、それと合わせて、彼らによる世界の領土的分割が一応「完了」しますが、さらなる植民地の独占的領有と再分割のための闘争が激化していきます。

 

「その理由」としては、前にもお話した通り、産業革命以後における「生産能力の飛躍的拡大」は、製品を作り出すための材料を膨大に必要とし、結果、加工のための「資源大量獲得」を目指し、同時にそれらの「消費先」を抑えることが優先されました。それは欧米列強の「植民地獲得競争」へと繋がり、グローバル規模の植民地経営の進展にともなって、成長する金融資本が母体にあります。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3

 

「資本主義は、一握りの『先進』諸国による地上人口の圧倒的多数の植民地的抑圧と金融的絞殺との世界的体系に成長した」

 

(レーニン 『帝国主義論』)

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 184頁より

 

アジアでは、それまで清朝が「宗主権」を主張して「属国」としていた諸地域が、次々と列強の支配下に置かれ、1880年代においては、それをめぐる列強間の「再分割闘争」さえ表れはじめていた。

 

※清の「宗主権解釈」の変容

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その6(壬午の軍人反乱による日清介入および済物浦条約)‐

 

 

・「死せる獅子」 すすむ中国の植民地化

 

そして、日清戦争と「清国の敗北」は、いよいよ列強による「中国そのものの分割」へと、舵を切ることになる。

 

 

『1898년 1월 15일 프랑스 신문 《르 프티 주르날》(Le petit Journal)에 실린 열강들의 중국 분할 구상을 풍자하는 만평.<『1898年1月15日 フランス新聞《ル・プティ・ジャーナル》に掲載された列強間の中国分割構想を風刺するイラスト>』 左からイギリス・ドイツ・ロシア・フランス・日本

 

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9D%98%ED%99%94%EB%8B%A8_%EC%9A%B4%EB%8F%99

 

戦後、中国の国家財政は、「国際的な金融資本の支配下」におかれはじめ、鉄道敷設・鉱山開発などの「利権獲得」の名のもとに、列強間の「資本輸出」に結びついた。

 

 

世界の歴史まっぷ 『中国分割 列強による中国の分割地図 列強の中国侵略』記事より

 

https://sekainorekisi.com/glossary/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%89%B2/

 

それは、新たな「侵略」「分割の競争」を呼び、それが実行に移された1890年代の末には、「租借」の名による中国の直接的な「領土の切り取り」が進んだ。

 

 

『遼東半島』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E6%9D%B1%E5%8D%8A%E5%B3%B6

 

これに先立ち、『下関条約』(1895年4月17日)で、自国歳入の4年2ヵ月分にあたる「賠償金二億両」「澎湖列島」および「台湾」割譲を成功せしめた日本は、遼東半島にも植民地野心を示したが、「領土分割の均衡を崩す」という理由で、前述に触れた他の列強三国(フランス・ドイツ・ロシア)の圧力により、その野望をあきらめざる得なかった(ちなみに朝鮮は1897年を境に『大韓帝国』と国号を改めます)。

 

 

『삼국간섭<三国干渉>』 (ナムウィキより)

 

https://namu.wiki/w/%EC%82%BC%EA%B5%AD%EA%B0%84%EC%84%AD

 

この分割競争には、世界中の名だたる帝国が争って登場し、日本は、資本主義の未成熟からくる弱さを、地理的便宜と軍事力で補いつつ、積極的にこの分割競争に加わった。世紀が変わろうとする1900年この侵略に反対する中国民衆の『義和団運動』が激化すると、日本は大軍を派遣して、反乱鎮圧にあたり、列強が中国を侵略し、支配するための「憲兵の役割」を果たした。

 

 

『의화단 운동<義和団運動>』 (韓国語Wiki百科より)

 

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%9D%98%ED%99%94%EB%8B%A8_%EC%9A%B4%EB%8F%99

 

そうして、2年後には日英同盟を結び、イギリスやアメリカの援助を受けつつ、「ロシアとの戦争」へと突き進んでいく。

 

このアジア分割競争と、それを土台とする「列強間の複雑な国際関係の形成」は、バルカン半島アフリカ分割を中心に、すでに出来上がっていたヨーロッパ列国同士の対立同盟の関係に、より複雑な様相を加えつつ、アメリカや日本も含め、帝国主義の支配を文字通り「世界体制にしていく」過程でもありました。

 

 

・朝鮮も例外ではなかった

 

無論、列強の魔の手は、朝鮮にも忍び寄る。

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 185頁より

 

1896年以降「利権」の名による各帝国の「新たな侵略」が激化します。日清戦争後、朝鮮をめぐる、この分割競争で「主役」を演じたのが、日本とロシアだった。前年、日本は清との『下関条約』で、「朝鮮への宗主権」を剥奪し、より干渉しやすい環境を作り出します。

 

同年、日露両国「朝鮮に関する二つの協定」(小村=ウェーバー協定、山県=ロバノフ協定)を締結しましたが、そこでは「ロシアの政治的優位」が示されていました。しかし、1898年の『西=ローゼン協定』では、再び日本が台頭しはじめていた。

 

かねてから、中国東北部への侵出を狙っていたロシアは、フランスやドイツを誘って日本に「遼東半島の返還」をさせた恨みを持つ日本は、ロシアを仮想敵国とし、『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』のスローガンを掲げたのは有名な話です。

 

 

・植民地化に作用した『日英同盟』

 

 

http://freesozai.jp/itemList.php?category=nation_flag&page=index&type=sozai

 

これら日露の「競争」は、一方で、朝鮮民衆の反帝運動に規定されつつ、他方で、全世界に対する帝国主義列強の分割競争は「不可避」な一環をなしていた。日英同盟は、中国分割で「日本がイギリスに協力する」と同時に、日本が朝鮮での「優位」を、イギリスに認めさせ、その援助や便宜を図ってもらう形でロシアに対抗し、朝鮮の支配権をいっそう強化するものでした。

 

すべてこうした事柄は、朝鮮の自主的な進歩と発展に、「新たな困難」をもたらすものであった。

 

しかし、朝鮮民衆は、これとたたかって後の朝鮮の歴史を発展させるとともに、帝国主義の矛盾を激化させ、世界史をすすめる重要な勢力の一つとなっていきます。

 

 

<参考資料>

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

<ツイッター>

 

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