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・「海外雄飛」「国権拡張」 軍国主義者 福沢諭吉の実像

 

 

『탈아론이 게재된 지지(時事)신보. 당시의 신문이 게이오의숙(慶応義塾) 도서관에 보존되어 있다.<脱亜論が掲載された時事新報。当時の新聞が慶應義塾図書館に保存されている。>』 (dongA.com『[역사는 살아있다/청일전쟁]기억을 만드는것<「歴史は生きている/清日戦争]記憶をつくるもの>』記事より)

 

http://www.donga.com/news/View?gid=8483332&date=20070828

 

福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった

 

<中略>

 

中学高校で教わった通り、福澤諭吉は民主主義の先駆者だと思い込んでいました。ところが30年ほど前にあるきっかけから福澤の「帝室論」「尊王論」を読むと、日本国民は「帝室<天皇>の臣子(家来)なり」と書かれていて驚いた。世間の福澤諭吉像を覆すような文章がどんどん出てくる。それが興味を持った始まりです。

 

<同>

 

代表作「学問のすすめ」の冒頭には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と言えり」とあります。「言えり」は伝聞体で、本人の言葉ではない。一説によるとアメリカの独立宣言の一部を意訳したとも言われている。つまり、もともと福澤の思想から出た言葉ではないのです。このことは福澤が創立者となった慶応義塾大学のウェブサイトにも明記されています。

 

・・・「学問のすすめ」だけを読んでも「分限(身の程)を知れ」「(自分の)身分に従え」など、およそ自由平等とは程遠い言葉が次々に出てくる。教育のない者を「無知文盲の愚民」と呼び、そうした人々を支配するには力ずくで脅すしかないと言いきっています。独裁者でもここまで露骨なことは言えません。

 

教育といっても、福澤は政府が政治をしやすいような人間になるために学問を推奨し、その結果、国民に報国心を抱かせようとしていた。そうなると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は単なるキャッチコピーに過ぎません。最初にこの言葉に興味を持った人を、民主主義とは反対の方向へ導こうとする。これでは思想的な詐欺と変わりありません。

 

「学問のすすめ」では「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」など、人間本来の平等を説いている部分も何カ所かある。これは人が経済的、社会的に成功するかどうかは智を持っているかどうかで、生まれつきの違いはないと福澤が考えていたからです。こうした思想は、中津藩の下級藩士だった父親が身分格差から名を成すことができなかったことが影響しているといわれています。一方で智なき愚人は嫌悪の対象とし、当時の平民を「表向きはまず士族と同等のようなれども、(中略)その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」と見下しています。

 

──福澤が明治15年に立ち上げた時事新報は、当時の新聞が政党機関紙化していたなかで独立を掲げ、一躍日本を代表する新聞になりました。

 

ところが福澤はその新聞発行の趣旨で、自分が一番やりたいことは国権皇張だと言っています。これは日本の権力を他の国に及ぼすという意味。つまりアジア侵略です。侵略される側からしたらたまったものではありません。日本最大の新聞を発行し、慶応の塾長も務めた人間がこんなことを堂々と述べていたのです。もともと福澤の大本願は日本を「兵力が強く」「経済の盛んな国にする」こと。そのために天皇を国民の求心力の象徴として利用しました。

 

──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。

 

実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。

 

福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。

 

安倍晋三首相は2013年の施政方針演説で、福澤の「一身独立して一国独立す」の言葉を使い、日本を強い国にすると言いました。また日本会議は天皇を中心とする大日本帝国的な社会に戻ることを目指しています。これらの考えの最初の一歩を始めたのが福澤諭吉。つまり、福澤が明治の人々に行った洗脳はいまだ続いています。

 

<中略>

 

──日本会議は皇室を敬愛する国民の心が日本の伝統にあるといいます。でも明治時代前の日本人は、殿様は知っていても天皇は知らなかった時代が長かったのでは?

 

日本会議の言う日本の伝統とは討幕後の明治時代に意図的につくられたもの。大日本帝国時代のわずか80年の歴史だけをもって、日本の伝統ということ自体がおかしいのです。

 

──いま福澤を知る意味はなんでしょうか。

 

 日本がなぜこうなってしまったのか。まずそれを考えるには、その大本の思想をつくりだし、日本人を洗脳した福澤を正しく理解することが必要です。そのうえで真の日本のあるべき姿を議論できると考えています。(構成 桐島 瞬)

 

※<>は筆者註


AERA dot.『福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった』記事より

 

https://dot.asahi.com/wa/2017011800026.html?page=3

 

 

名作『美味しんぼ』作者・雁屋哲先生と、AERA編集の濃密な記事です。

 

日本語ウェブで、なかなかこういう記事と出会えないので、ものすごく貴重だと思う。

 

 

・今もなお続く 「差別」「分断」の戦犯

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その11(日本人の「アジア嫌悪のルーツ」を探る)‐

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 171頁より

 

‐「人の痛み」を理解できない政治家‐

 

安倍氏については、所詮、主体性なき「政治屋」に過ぎないと私自身は思い、今の「戦前二次創作」的なものは、本来の大日本帝国の国学や、日鮮同祖論的なものから遠ざかっているので、非常にチープで浅はかなものであると考えています。

 

 

問題は、現在も北東アジアにおける、日本人周辺諸国に対して「暗に抱いている感情」、しっかりと状況を理解できている識者層は除いて、多くの方々が、心の奥底「自分たちはコイツらよりも優れている」と、何の根拠もない発想が、近代・明治以後における薩長田舎侍たちが、自らの権力基盤を確立するために、日本のナショナリストである国学者(皇学者)の思想的手ほどきを受け、天皇主体の体制をつくり、それを「実際の国造り」に注入した歴史がある。

 

‐江戸時代の朝鮮観その3(優越思想と国学者の場合)‐

 

‐江戸時代の朝鮮観その4(幕末期)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その1(征韓論③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その2(自由民権派の認識③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答③)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答④)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答➄)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑥)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答⑦)‐

 

私自身、北東アジア華夷秩序の「落とし子」である日本も、文化的同種として「一緒になること」が、もっとも丸く収まり、戦争や係争なき安定の地として復活することに繋がる。それは長らく外国人たちと議論やコンタクトを取ってこられた英語ブロガーMichikoさんとのお話の中で、再三取り上げられてきたことだ。

 

‐韓国が天皇を「日王」と呼ぶ理由(中国と日本における文明比較の話)その1-

 

‐韓国が天皇を「日王」と呼ぶ理由(中国と日本における文明比較の話)その2‐

 

「文化」と「関係性」の柔らかい話

 

問題は、そうした紐帯を「断ち切り」関係を「ぶち壊して」きた、明治の元勲思想家らの所業について、私たちは一度ふかく「振り返ってみる」ことだと思います。

 

 

・『脱亜入欧』 自己否定の果ての 異形の「キメラ国家」

 

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その7(開化派と甲申政変)‐

 

福沢にしろ、その自己中心的で、自国を憂う金玉均に対しても「血も涙もない」態度をみせ、まことに読んでいて不愉快な感情を呼び起こすに十分であったが、そもそも『欧米文明』「至上の到達点」とした彼自身の思想からしても、アジア諸国に対するそれは、極めて冷淡なものであったのは必然といえよう。

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合①)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合②)‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合③) ‐

 

‐明治時代の朝鮮観その3(脱亜論者の場合④)‐

 

とはいえ、明治期の国家体制を見ても、イギリス王室風だったり、ドイツ・プロイセン風しかり、大本にある中華皇帝を模した天皇制度(国学)や、喪に服す儒教的考えなど、まことに主体性なき様相を呈していて、しかし自分たちは「名誉白人」であると誇るのだから、その行き着く先は気味悪く悲惨である。

 

 

『信任状捧呈式のため皇居を訪れた日本駐箚アメリカ合衆国特命全権大使ジョン・ルース。昼の正礼装であるモーニングコートを着用』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%BB%E7%8A%B6%E6%8D%A7%E5%91%88%E5%BC%8F

 

有用なものは取り入れるべきだが、しっかりと自分たちの「立ち位置」を忘れないことこそが、ファンタジーではない現実論者としての、私自身の意見であると思います。

 

 

<参考資料>

 

・AERA dot.『福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった』記事より

 

https://dot.asahi.com/wa/2017011800026.html?page=3

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

・Cluttered talk blab blab blab 『「文化」と「関係性」の柔らかい話』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12545321515.html

 

 

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