『源氏物語』第五帖「若紫」~第3章~
若紫③【光源氏18歳:若紫への思慕】
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明けゆく空は、いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、めづらしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。
聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。かれたる声の、いといたうすきひがめるも、あはれに功づきて、陀羅尼誦みたり。
御迎への人びと参りて、おこたりたまへる喜び聞こえ、内裏よりも御とぶらひあり。僧都、世に見えぬさまの御くだもの、何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。
「今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。なかなかにも思ひたまへらるべきかな」
など聞こえたまひて、大御酒参りたまふ。
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【若紫139-1】明けゆく空は
【若紫139-2】
【若紫139-3】
【若紫140-1】錦を敷ける
【若紫140-2】
【若紫140-3】
【若紫141-1】聖、動きも
【若紫141-2】
【若紫141-3】
【若紫142-1】御迎への人
【若紫142-2】
【若紫142-3】
【若紫143-1】僧都、世に
【若紫143-2】
【若紫143-3】
【若紫144-1】今年ばかりの
【若紫144-2】
【若紫144-3】
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「山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりもおぼつかながらせたまへるも、かしこければなむ。今、この花の折過ぐさず参り来む。
宮人に行きて語らむ山桜
風よりさきに来ても見るべく」
とのたまふ御もてなし、声づかひさへ、目もあやなるに、
「優曇華の花待ち得たる心地して
深山桜に目こそ移らね」
と聞こえたまへば、ほほゑみて、「時ありて、一度開くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。
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【若紫145-1】山水に
【若紫145-2】
【若紫145-3】
【若紫146-1】今、この花の
【若紫146-2】
【若紫146-3】
【若紫147-1】とのたまふ御もてなし
【若紫147-2】
【若紫147-3】
【若紫148-1】ほほゑみて
【若紫148-2】
【若紫148-3】
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聖、御土器賜はりて、
「奥山の松のとぼそをまれに開けて
まだ見ぬ花の顔を見るかな」
と、うち泣きて見たてまつる。聖、御まもりに、独鈷たてまつる。見たまひて、僧都、聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、やがてその国より入れたる筥の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に付けて、紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。
君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経などして出でたまふ。
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【若紫149-1】聖、御土器
【若紫149-2】
【若紫149-3】
【若紫150-1】と、うち泣き
【若紫150-2】
【若紫150-3】
【若紫151-1】聖徳太子の
【若紫151-2】
【若紫151-3】
【若紫152-1】紺瑠璃の
【若紫152-2】
【若紫152-3】
【若紫153-1】君、聖よりはじめ
【若紫153-2】
【若紫153-3】
【若紫154-1】そのわたりの
【若紫154-2】
【若紫154-3】
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内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、まねびきこえたまへど、
「ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。もし、御志あらば、いま四、五年を過ぐしてこそは、ともかくも」とのたまへば、「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なしと思す。
御消息、僧都のもとなる小さき童して、
「夕まぐれほのかに花の色を見て
今朝は霞の立ちぞわづらふ」
御返し、
「まことにや花のあたりは立ち憂きと
霞むる空の気色をも見む」
と、よしある手の、いとあてなるを、うち捨て書いたまへり。
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【若紫155-1】内に僧都
【若紫155-2】
【若紫155-3】
【若紫156-1】ともかくも
【若紫156-2】
【若紫156-3】
【若紫157-1】さなむ
【若紫158-1】御消息
【若紫159-1】御返し
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御車にたてまつるほど、大殿より、「いづちともなくて、おはしましにけること」とて、御迎への人びと、君達などあまた参りたまへり。頭中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひきこえて、
「かうやうの御供は、仕うまつりはべらむ、と思ひたまふるを、あさましく、おくらせたまへること」と恨みきこえて、「いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、立ち返りはべらむは、飽かぬわざかな」とのたまふ。
岩隠れの苔の上に並みゐて、土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇、はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と歌ふ。人よりは異なる君達を、源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐたまへるは、たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ、何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥吹く随身、笙の笛持たせたる好き者などあり。
僧都、琴をみづから持て参りて、
「これ、ただ御手一つあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかしはべらむ」
と切に聞こえたまへば、
「乱り心地、いと堪へがたきものを」と聞こえたまへど、け憎からずかき鳴らして、皆立ちたまひぬ。
飽かず口惜しと、言ふかひなき法師、童べも、涙を落としあへり。まして、内には、年老いたる尼君たちなど、まださらにかかる人の御ありさまを見ざりつれば、「この世のものともおぼえたまはず」と聞こえあへり。僧都も、
「あはれ、何の契りにて、かかる御さまながら、いとむつかしき日の本の末の世に生まれたまへらむと見るに、いとなむ悲しき」とて、目おしのごひたまふ。
この若君、幼な心地に、「めでたき人かな」と見たまひて、
「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな」などのたまふ。
「さらば、かの人の御子になりて、おはしませよ」
と聞こゆれば、うちうなづきて、「いとようありなむ」と思したり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、「源氏の君」と作り出でて、きよらなる衣着せ、かしづきたまふ。
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【若紫160】御車に
【若紫161】頭中将
【若紫162】いといみじ
【若紫163】岩隠れの
【若紫164】人よりは
【若紫165】例の
【若紫166】これ、ただ
【若紫167】乱り心地
【若紫168】飽かず
【若紫169】この世の
【若紫170】この若君
【若紫171】うちうなづき
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君は、まづ内裏に参りたまひて、日ごろの御物語など聞こえたまふ。「いといたう衰へにけり」とて、ゆゆしと思し召したり。聖の尊かりけることなど、問はせたまふ。詳しく奏したまへば、
「阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ。行ひの労は積もりて、朝廷にしろしめされざりけること」と、労たがりのたまはせけり。
大殿、参りあひたまひて、
「御迎へにもと、思ひたまへつれど、忍びたる御歩きに、いかがと思ひ憚りてなむ。のどやかに一、二日うち休みたまへ」とて、「やがて、御送り仕うまつらむ」と申したまへば、さしも思さねど、引かされてまかでたまふ。
我が御車に乗せたてまつりたまうて、自らは引き入りて、たてまつれり。もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。
殿にも、おはしますらむと心づかひしたまひて、久しく見たまはぬほど、いとど玉の台に磨きしつらひ、よろづをととのへたまへり。
女君、例の、はひ隠れて、とみにも出でたまはぬを、大臣、切に聞こえたまひて、からうして渡りたまへり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、し据ゑられて、うちみじろきたまふこともかたく、うるはしうてものしたまへば、思ふこともうちかすめ、山路の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしういらへたまはばこそ、あはれならめ、世には心も解けず、うとく恥づかしきものに思して、年のかさなるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに、
「時々は、世の常なる御気色を見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、いかがとだに、問うたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」
と聞こえたまふ。からうして、
「問はぬは、つらきものにやあらむ」
と、後目に見おこせたまへるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌なり。
「まれまれは、あさましの御ことや。訪はぬ、など言ふ際は、異にこそはべるなれ。心憂くも、のたまひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし、思し直る折もやと、とざまかうさまに試みきこゆるほど、いとど思し疎むなめりかし。よしや、命だに」
とて、夜の御座に入りたまひぬ。女君、ふとも入りたまはず。聞こえわづらひたまひて、うち嘆きて臥したまへるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり。
この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、「似げないほどと思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄りがたきことにもあるかな。いかにかまへて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿宮は、いとあてになまめいたまへれど、匂ひやかになどもあらぬを、いかで、かの一族におぼえたまふらむ。ひとつ后腹なればにや」など思す。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、深うおぼゆ。
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【若紫172】君はまづ
【若紫173】聖の尊かり
【若紫174】大殿
【若紫175】のどやかに
【若紫176】我が御車に
【若紫177】殿にも
【若紫178】女君
【若紫179】ただ絵に
【若紫180】思ふことも
【若紫181】世には
【若紫182】時々は
【若紫183】からうして
【若紫184】まれまれは
【若紫185】世とともに
【若紫186】よしや
【若紫187】聞こえ
【若紫188】この若草の
【若紫189】いかに
【若紫190】いかで
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またの日、御文たてまつれたまへり。僧都にほのめかしたまふべし。尼上には、
「もて離れたりし御気色のつつましさに、思ひたまふるさまをも、えあらはし果てはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば、いかにうれしう」
などあり。中に、小さく引き結びて、
「面影は身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど
夜の間の風も、うしろめたくなむ」
とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包みたまへるさまも、さだすぎたる御目どもには、目もあやにこのましう見ゆ。
「あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ」と、思しわづらふ。
「ゆくての御ことは、なほざりにも思ひたまへなされしを、ふりはへさせたまへるに、聞こえさせむかたなくなむ。まだ「難波津」をだに、はかばかしう続けはべらざめれば、かひなくなむ。さても、
嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ
いとどうしろめたう」
とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二、三日ありて、惟光をぞたてまつれたまふ。
「少納言の乳母と言ふ人あべし。尋ねて、詳しう語らへ」などのたまひ知らす。「さも、かからぬ隈なき御心かな。さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。
わざと、かう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえたまふ。少納言に消息して会ひたり。詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、「いとわりなき御ほどを、いかに思すにか」と、ゆゆしうなむ、誰も誰も思しける。
御文にも、いとねむごろに書いたまひて、例の、中に、「かの御放ち書きなむ、なほ見たまへまほしき」とて、
「あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ」
御返し、
「汲み初めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき」
惟光も同じことを聞こゆ。
「このわづらひたまふこと、よろしくは、このごろ過ぐして、京の殿に渡りたまてなむ、聞こえさすべき」とあるを、心もとなう思す。
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【若紫191】またの日
【若紫192】かばかり
【若紫193】中に
【若紫194】御手など
【若紫195】あな
【若紫196】ゆくての
【若紫197】まだ
【若紫198】いとど
【若紫199】少納言の乳母
【若紫200】さも
【若紫201】わざと
【若紫202】詳しく
【若紫203】いとわりなき
【若紫204】御文にも
【若紫205】あさか山
【若紫206】御返し
【若紫207】惟光も
◇登場人物一覧◇