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 今で日本でも“海外移住”という言葉が比較的よく聞かれるようになりましたが、その①の冒頭でも触れました「パラグアイへの日本人移民がはじまった1936年」という時代を考えると、移民者たちの心境たるやいかなるものであったか計り知れません。

 

 

 行く先の情報を簡単にインターネットで調べることができ、グーグルマップでその土地の様子まで分ってしまう現代。いざ向かうにも、飛行機で翌日には目的地の国へ到着・・・

 

 一方、国から与えられた情報のみで、果たしてそれが正しいか否かも確認できず、全くもって未知なる世界へ何週間もの船旅を強いられ向かった1930年代

 

 どれほどの“不安”を抱え、そしてどれほどの“勇気”“覚悟”をもって  遠い南米へと渡ったことでしょう。

 

 しかも現代の移住と大きく異なるのは、そこには“開拓”という使命もあること。

 

 ちなみに「移住」「移民」とは基本的には同じことで、時代の“都合”に よってその名称が使い分けられたようです。

 

 主に1890年代から1930年代は一般的に「移民」の名称が使われ、 戦後「移住」の名称が現在に至るまで定着しているようです。

 

 ということで、今回はパラグアイの日本人移住地ラ・コルメナ(La Colmena)をご案内したいと思います。

 

 場所は、首都アスンシオン(Asunción)から南東に約140kmです。

 

       

 

 この地に最初の日本人移民が入植したのは1936年8月。当時すでに移民が はじまっていたブラジルでの年間の受け入れ人数が大幅に減らされる法が成立した ことで、急遽、移民先にパラグアイが浮上したのです。

 

 その背景には排日機運の高まりがあったようです。

 

 日本からの移民者が到着する前の1936年3月に行われた入植地選定の際に、3候補地の中から選ばれたのがラ・コルメナでした。

 

 そして5月15日宮坂クニト氏によって建設されました。

 

<ラ・コルメナに入植地を建設した宮坂クニト氏を記念した広場>

 

<ラ・コルメナに入植地を建設した宮坂クニト氏の像>

 

<ブラジルからの転住者受け入れに貢献した笠松尚一氏の像>

 

 ラ・コルメナの入植当初は準備期間が短かったことや、畑を荒らすバッタの大量発生に見舞われるなどもあって、開拓を断念する人々が続出したそうです。

 

 さらに1941年に太平洋戦争が勃発すると、パラグアイは日独伊枢軸国と国交を  断絶。

 

 これにより、日本からの移民は途絶えるとともに、ラ・コルメナでは日本語学校の閉鎖を余儀なくされ、加えてパラグアイ全土の日本人収容地と化します。

 

 

<ラ・コルメナの日本語学校>

 

 終戦後といえば、主にアジア地区から日本へ引き揚げて来た人々や戦地からの 復員者など、敗戦後の日本が抱える人口としては余剰となったため、政策的に海外移住を推進する時代を迎えます。

 

 1950年代には、首都アスンシオンから南へ約400kmのチャベス(Chavez)を皮切りに6つの新たな移住地が建設されましたが、受け入れ態勢の整っていない中での移住も多く、困難を期したとのことです。

 

 中でも首都アスンシオンから北へ420kmにあるアマンバイ(Amanbay)では、 当初、カフェ農園の契約雇用という形で移住が始まったため、住居なども用意されていない中の重労働に加え、挙句の果てに雇用主は倒産。別の移住地を自ら見つけなくてはならないなど、半世紀前の「移住」とはまさに“命がけ”だったの  です。

 

 こうした移住の歴史を写真とともに展示した資料館があります。因みにこの建物はパラグアイ拓殖部のラ・コルメナ事務所の支配人宅でした。

 

<移住の歴史を学べる写真記念館>

 

 1939年6月に拓殖医としてブラジルからラ・コルメナへ来た田中秀穂氏は、 写真が趣味であったことから、とりわけ戦前から戦後にかけての貴重な写真が 見られます。

 

<記念館に収められた写真>

 

 

 田中秀穂氏は、敗戦後の1945年には診療所を買い取り個人経営を行っていました。

 

 ラ・コルメナに公設の診療所が出来るのが1966年頃とのことですので、それまでは田中秀穂氏の診療所ががラ・コルメナで唯一の医療機関だったのです。

 

 

 写真のほかにも移住者が日本から持ち込んだものや、医療器具なども展示されています。

 

<パラグアイ日本人移住50周年記念碑>

 

<パラグアイ日本人移住70周年記念に秋篠宮殿下が訪れた際の記念碑>

 

 2016年にはパラグアイ日本人移住80周年記念式典に眞子様が公式訪問されています。

 さて、現在パラグアイ全土に日本人移住者は約7,000人とのことです。数字として顕著に示された農業における日本人の貢献として大豆があります。

 

 パラグアイは大豆の輸出国として世界でも五本の指に入りますが、大豆生産の約7%は日系農家で生産されているそうです。

 

 また、輸入がほとんどであった小麦の生産も、現在は約30%を日系農家が担っており、開拓当初から様々な野菜を栽培してパラグアイ人の食生活改善にも 貢献しています。 

 

 そして何より、移民の先人たちが遺してくれた尊いものは“勤勉な日本人”という印象でしょう。それは日本人への大きな信頼にもつながります。

 

 主に農業開拓ではじまった日本人移民の歴史ですが、近年は商業や金融業などと分野も広がり、場所も都市部への日本人移住が増えています。

 

 そんな中、日本人移住地の課題と言われているのが、次世代の育成と、日系 一世の時代に高度であった日本語能力の復活。

 

 後者は特にパラグアイ社会で増えつつある日本語教育の需要に応えるため です。

 

 多くの困難を乗り越えて来たパラグアイ移住の先人たち。その移住地における今後の発展を祈らずにはいられません。

 

 パラグアイ移民の歴史はいかがでしたでしょうか。現在の「海外移住」においても先人たちから教わるべきところが多々ありますね。

 

 その③では日本のお城が登場します。 

 

            パラグアイその①はこちら

 

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