「月魚」 を読んで、文章の巧さは良く分かったんだけど、その寸止めBL小説のような香りに、ちょっと何が言いたいのか分からんなーと混乱し、でも、此度めでたく直木賞を獲ったことだしと、評判の良い「私が語りはじめた彼は」に挑戦。
結論からいうと、いや、これは良かったんだよ。胸に染み入るような綺麗な表紙、そのまんまの世界。そして、此度は言いたいこともちゃんと分かりましたよ。
愛って何だ?そして愛を持続させるには?
目次
結晶
残骸
予言
水葬
冷血
家路
「ニシノユキヒコの恋と冒険」 のように、一人の男性について、関わった人々が語るスタイル。「ニシノ~」の場合は、語るのは女性だけだったけれど、こちらでは男性も。
さて、この輪の中心となるは、歴史学を専門とする村川教授。彼は妻に言わせるとこんな男性。「村川の魅力は、ある種の女にはたまらないものです。どこを掴まれたのかは自分でももうわからない。けれど、彼によってふいにもたらされた痛みと驚きだけは、いつまでも新鮮に残る。外見や性格とはかかわりのない、そんな種類の魅力です」。
浮気を繰り返した彼は、妻と二人の子どもとは別れ、太田春美というカルチャー・スクールの生徒と結婚し、彼女の連れ子を娘とした、新たな家庭を築く。
「結晶」は村川の弟子、三崎が怪文書を確かめに彼の妻の元を訪う。
「残骸」は、村川のカルチャースクールの生徒、多分、彼の最初の浮気相手である真沙子の夫が語る。
「予言」は村川の息子、呼人が語る。離婚を知った彼は荒れる。彼だけが父の十数年に亘る浮気を知らなかったのだ。現在高校生である彼が過ごした時間の大半が、全て嘘で塗り固められたものであるとは、なんと残酷な事だろう。
「水葬」は、大田春美の連れ子、村川綾子の物語。なぜか彼女を監視する調査員が語る。彼女は自らを海に埋葬する。
「冷血」は、村川の娘、ほたるの婚約者、市川律が語る。
「家路」は、新聞の訃報欄で村川の死を知った、三崎が再び語る。
村川の心中はどこにも描かれないけれど、様々な人が語る彼の様子から、村川の心が浮かび上がってくる。
この世のどこかに不変なものがあると信じたい、子供のような村川。誰かと生活を共にするという事は、鮮烈な感情が薄れ、ゆっくりと変化していくということでもある。永遠を求めて、次々と恋を仕掛ける村川は、純粋ではあるが、ある意味哀れな男なのかもしれない。
愛を求め、確かにそれは得られたけれど、誰が村川を理解しただろうか。
また、一体誰が理解されたのだろうか。
変化するからこそ、揺らぐからこそ愛は美しい。
それは、一瞬の完璧に固められた恋の輝きとはまた異なったもの。
村川とは違う生き方を選ぶ男性二人にしんみりする。
冒頭の二千年以上前の、不義密通をした寵姫に対する皇帝の残酷な仕打ちは非常に怖い。変わらぬ愛を許さない大田春美の怖さにちょっと通じているのやも。全く同じ状態をキープしようと努力する愛なんて、不自然なものなのかもね。思い出を合った事として、そのまま受け入れる村川の家族と比べ、村川の何もかもをも奪おうとする、貪欲な大田春美はあまりに醜い。
巻末には、田村隆一の詩が載せられている。
「私が語りはじめた彼は」というタイトル、かっこいいよなー。
この男 つまり私が語りはじめた彼は 若年にして父を殺した
その秋 母親は美しく発狂した
田村隆一「腐刻画」
*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。