旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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朽木 祥, 山内 ふじ江

たそかれ 不知の物語 (福音館創作童話シリーズ)


河童の八寸と少女麻との交流を描いた「かはたれ 」の続編です。

河童は人間の十倍の寿命を持つと言うから、読む前は大人になった八寸とおばあちゃんになった麻が出てくるのかしら、とちと心配していたのですが、大丈夫、舞台は八寸と麻が出会ってから四年後。小学生だった麻は中学生になっているけれども、八寸は相変わらずまだまだ子供で、ほんのりぼんやりしていました。

今度の表紙にいる河童は八寸ではありません。この美しい河童は、高い霊力を持った月読の一族の最後の一人、不知という河童。そして、この「たそかれ」の副題は「不知の物語」。不知と不知が親しんだある人間の物語でもあるのです。

もくじ
序章   「水溜」の一族
第一章  月読の一族
第二章  不知の話
第三章  河童騒動
第四章  四年前の夏
第五章  二階堂雪さんの話
第六章  プールサイド
第七章  再会
第八章  司の話
第九章  プールにいるのは
第十章  ピアノ
第十一章 音楽で遡る
第十二章 記憶に旅する
第十三章 心に届く調べ
終章    誰そ彼

ひとりぼっちの河童だった八寸は、前作「かはたれ」のラストにおいて、自分の家族との再会を果たしたのだけれど、八寸の一族は相変わらず肩身の狭い境遇にあり、今では「水溜」の一族となっていました。家族と暮らす日々は、何にも代えがたいものだったけれど、八寸は世話になった麻とラブラドールレトリバーのチェスタトンを懐かしく思い出すのでした。

そんな中、八寸は河童族の長老から呼び出しを受け、今度は河童猫の術
ではなく、<見え隠れの珠>を貰って、人間界に赴くことになります。八寸の此度の使命は学校の古いプールに住んだまま、散在ガ池に帰ってこない月読の一族の最後の一人、不知を連れ帰るというもの。

不知はなぜ帰ろうとしないのか? 不知は長きにわたる間、誰かを待っているようなのですが…。

不知が住まうのは中学校の古いプール。そこはちょうど麻が通う学校でもあったのです。麻と八寸は再会を果たし(犬のチェスタトンも!)、不知のために力を合わせることになります。「かはたれ」に出てきたいじめられっ子の河井君も、すっかり立派になって登場します。

前作においても本作においても、重要になるのは見えないものを見、聞こえないものを聞くということかな。

<人の心が悲しみや苦しみでいっぱいになってしまうと、音楽や絵や物語の入りこむ余地はなくなってしまう。だけど、心はそのまま凍ってしまうわけではない。人の心の深いところには、不思議な力があるからだ。何かの拍子に、悲しみや苦しみのひとつが席をはずすと、たとえば音楽は、いともたやすくその席にすべりこむ。そっとすべりこんできた感動は、心の中の居場所をひそやかに広げて、まだ居座っている悲しみや苦しみを次第にどこかに収めてしまう> (p250より引用)

また、麻の通う中学校で八寸のために起こった河童騒動に対する校長先生の言葉も深い。目に見える現象に騒ぐだけではなく、それが引き起こす波紋についても思いやれるようでなくてはね。

まだまだ続編もありそうなラストです。
高い霊力を持つ不知は、その能力を与えられたという責任を果たせるようになるのでしょうか。与えられた能力はただ一人のためのものではなく、みなのために活かすべきものでもある。次作ではその辺りの話も絡んでくるのかなぁ。八寸は相変わらずぼんやりしていてくれると嬉しいけれど…。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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朽木 祥, 山内 ふじ江
かはたれ―散在ガ池の河童猫 (福音館創作童話シリーズ)

裏表紙には「小学校中級以上」とあり、思いっきり児童書なんだろうけど、これは良かった。内容も大人の読書に十分に耐えるものであり、また特に平仮名が多用されるわけでもなし、子供には難しいと思われる言葉も、その章の終わりを待って説明されるため、物語の流れを殺ぐことがない。

もくじ
序章 蝶トンボのくる沼
第一章 散在ガ池
第二章 宮ノ前
第三章 丘の上の家
第四章 「ともだち」
第五章 青いフリージア
第六章 すみれ色のノート
第七章 月のしずく
第八章 河童には、できること
第九章 「迷い猫」
第十章 笛吹き
第十一章 薔薇の名前
第十二章 彼は誰(かはたれ)
第十三章 カミング ホーム
終章 河童猫


愛らしくも淋しげな表紙が印象深いけれど、これが主人公となる河童の八寸。およそ人間の十倍の寿命を持つ河童としては、八十一歳とはいえ、八寸はまだまだ子供。

さて、散在ガ池一帯の浅沼に、八寸は両親や兄弟たちと暮らしていた。ところが、ある夏のこと、八寸の兄、六寸と七寸が大騒動を起こし、八寸は天涯孤独の身となってしまった。兄たちが迷惑を掛けた、河童の中でも位の高い大池の一族にも疎まれ、また、大池の河童たちと共棲せざるを得なくなった、深沼の一族たちにも疎まれ、八寸は幼き身でありながらも一人、兄弟たちと覚えた遊びをしながら、淋しく暮らす。

そんな八寸の元に、ある日、河童族の長老からの呼び出しがやって来た。昔々の河童たちは、今とは比べ物にならぬほどの霊力を誇っていたのだという。一番大事な霊力とは、人間の心を読むことであり、心を読んではうまく立ち回っては、人間や彼らのもたらす危険を避けてきたのだ。老いたりとはいえ、長老は『河童猫の術』くらいわけはないと請け負う。そうして、八寸は猫として、夏の間、人間たちの世界で「修行」をすることになる。

人間たちの世界へと、里山を下りた八寸が、最初に仲良くなったのは、情けない顔をした犬のチェスタトンと、優しい人間の女の子、麻。八寸は猫として、麻の家で暮らすことになる。優しく八寸の面倒を見てくれる麻だけれど、実は彼女は少し前に母親を亡くしていた。父親との約束通り、二人で出来る限り、母の居た頃と変わらない形を整え、何とかしのいで生きているのだが…。

親兄弟に去られ、孤独に暮らしていた八寸、母を亡くしてから、自分の心が分らなくなっていた麻。二人は立派に再生を果たす。

「河童というのは好奇心に溢れたもので、それが子河童であるなら尚更」な八寸の悪戯は微笑ましいし、たっぷりとした月の光を浴びるさまも実に愛らしい。この物語の中では、河童と猫は実によく似た性質をもつ生き物、らしいですよ。体もつるつるではなく、緑の柔毛に覆われていたりね。

麻の亡くなったお母さんがまた素敵。「Heard melodies are sweet,but those unheard are sweeter.」との詩人、J・キーツの言葉を記した「すみれ色のノート」に、麻と一緒に耳に聞こえない音楽を探しては、書きつけていたのです。母と暮らす日々は、なんてことない毎日が、麻にとってはきっと冒険だったのだよね。
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ヴィルヘルム ブッシュ, 佐々木 マキ, 上田 真而子
黒いお姫さま―ドイツの昔話

もくじ
黒いお姫さま
かしこい百姓
小人のぼうし
金のくさりをつけた王子さま
スリクシェばあさん
しょうがないヤギ
ムッシェティーア、グレナディーア、プンペディーア
寒い冬
ふたごの兄弟
かじ屋と坊主
魔法にかけられたお城
あとがき

ドイツ民話といえば、グリム童話などよりも、私が思い出すのは、オトフリート・プロイスラーという児童文学者による童話。「クラバート 」なんかは、まさにドイツ民話から採られたもの。

国による童話の色合いの違いまでは良く分からないけれど、この「黒いお姫さま」に収められた「昔話」では、宝探し、冒険、裏切りとその報いが、ユーモラスに語られる。「昔話」の基本(?)、繰り返しもバッチリ。以下、内容をメモメモ。

「黒いお姫さま」
十五歳の誕生日に、炭のように真っ黒になって、死んでしまったお姫さま。死の前日、彼女は父である王様に、自分のお棺を城の教会の祭壇の前に置き、一年の間、毎晩見張りを付けてくれるように頼む。番人たちの中に、悪いことを一度もした事のない者がいるのならば、その者が彼女を呪いから救ってくれるというのだが・・・。

「かしこい百姓」
ある晴れた日、利口者の百姓が、大きな魚に食い付いて、動けなくなっている狐を見つけた。王さまの元に、そのままの形で持っていけば、その珍しさに喜んで、きっと褒美を下さるはず。百姓が望んだ褒美とは?

「小人のぼうし」
ある夕方、羊飼いは耳元で小さな声を聞いた。「ぼうしをほうりなげておくれ!ぼうしをほうりなげておくれ!」。それは不思議な帽子だった。その帽子をかぶれば、人間の目には姿が見えなくなるのだという。

「金のくさりをつけた王子さま」
世の中を見るために、旅に出る事にした王子。それを知った王さまは、金の鎖を打たせ、息子の身体に直に巻きつけてやった。盗賊の元で、攫われた姫を見つけた王子は、姫を助け出すのだが・・・。

「スリクシェばあさん」
これぞ昔話の基本の繰り返し!とびきり良くきく鼻の持ち主、スリクシェばあさん。彼女は村のどこで何を焼いているのか、何を煮ているのか、一ぺんに嗅ぎつけてしまうのだけれど・・・。スリクシェばあさんは、ちょっと可哀相かもしれないなぁ。

「しょうがないヤギ」
これまた繰り返しに、その報い。三人の息子を持つ仕立て屋が、一匹のヤギを手に入れる。息子一人一人に、ヤギを野原に連れて行き、お腹一杯食べさせるようにというのだけれど・・・。

「ムッシェティーア、グレナディーア、プンペディーア」
攫われた三人のお姫様を探して、ムッシェティーア、グレナディーア、プンペディーアの三人は森へと入る。

「寒い冬」
とてつもなく寒い冬の事。アイススケートをしていた一人が、魚釣りのための穴に足を滑らせてしまった。穴に落ちざま、なんと氷の鋭い淵で、首がすぽん!と切れてしまうのだけれど・・・。

「ふたごの兄弟」
ふたごの兄弟の冒険。彼らが生まれる前、漁師の父はおそろしく大きな魚を捕らえ、その魚から幸せを約されていた。

「かじ屋と坊主」
ある所に、かじ屋の奥さんといい仲になった坊主がいた。坊主と奥さんは、何とかしてかじ屋を遠ざけようとするのだけれど・・・。かじ屋が「くっつけ!」と叫んで作った、『ゆかいなゴッチャゴチャ』が楽しい。

「魔法にかけられたお城」
誰一人、そこから戻ってこない森があった。一人の美しい若者が、そこへ狩りに出かける。素晴らしい金の角を持つ、鹿を追いかけた彼は、森の中で迷ってしまう。城を見つけた若者は、夜毎不思議な体験をする。十二時の鐘が鳴った途端、真っ黒い男たちが入ってきて、彼を捕まえ、城中を引きずりまわすのだ。ただし、どこからか聞こえる声の言う通りに、引き出しにある塗り薬をすりこめば、その痛みは消えてしまう。
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レオポルド ショヴォー, L´eopold Chauveau, 山脇 百合子
きつねのルナール

表紙扉からそのまま引きます。

この本の原典『狐物語』は、十二世紀後半から十三世紀の中ごろにかけてのフランスで、多くの書き手によってつくりあげられた<動物叙事詩>。動物たちを登場人物とした物語の中に、中世という時代の風物や雰囲気、そこに生きる人々の暮らしぶりと思いを生き生きと描き出した傑作です。定評あるレオポルド・ショヴォー編の現代語訳から二十二のお話を選び、親しみやすい日本語に移して、現地取材の成果をもりこんだ豊富な挿絵をつけました。

訳と挿絵を担当されているのは、「ぐりとぐら」シリーズのイラストでお馴染みの、山脇百合子さん。表紙もいかにも可愛いでしょう。豊富な挿絵も目が楽しい。表紙の絵と「中世フランス」の二つに惹かれて、借りてきたもの。

収録されているのは、[1]そもそものはじまりから[22]ルナールとお百姓のリエタールまで。

自分が生きる、また妻子を養うためとはいえ、絵はほのぼのとしているけれど、ルナールは悪賢く、時にひどいヤツ。とりわけ良くルナールの被害にあっているのは、国でも屈指の領主である、狼のイザングラン。イザングランはルナールを「かわいい甥っ子」と呼び、応えてルナールは「伯父さま」と呼び合う仲ではあるけれど、イザングランは[2]では大切な腿肉を盗まれ、[8]では熱湯により頭の毛を剃られ、[9]では尻尾を切り落とされ、[15]では井戸の底に置き去りにされ、と散々な目にあっている。

この物語の不思議なところは、獣然としているところと、騎馬姿などの、思いっきり擬人化された表現が入り混じるところ。獣然としてても、普通にお百姓さんや商人たちと話してたりもするんだけれど(ま、「寓話」であるしね)。

私もあまり知恵が回る方ではないので、ルナールよりもどちらかというと、彼に騙される動物たちや、お百姓さんに大いに同情してしまった。狼のプリモなんて、なんとルナールにより殺されてしまうのだ! 大体、ルナールは自分が人を騙す事には抵抗がないんだけれど、自分が騙された場合は、確実にやり返してるんだよね・・・。伯父さま・・・・・・の野郎、見てろ>とかさ。汗

また、この本には数多ある『狐物語』の中から、選ばれたものが載っているので、例えば[22]における、ルナールの次のような台詞はちょっと流れ的に意味が通らないような気もする。

「悪事を働くことしか考えないやつは ― 殺したり、ぬすんだり、誠意もへったくれもなく、うそやペテンで隣人の財産をむしり取ったりするやつは、何一つ不幸にみまわれない。どころか、世界一尊敬され、財産もたっぷりふえるだろう。だけど、悪いことをしたり言ったりするのをつつしむ人には、あらゆる不幸と災難が用意されている」

ま、これもまたある種の人生の真実ではあるのかもしれないけれど(でも、[22]に至るまで、「悪いことをしたり言ったりするのをつつし」んでるとは思えないんだよ)。

「解説」にもあるように、「のどかで豊かな中世フランスの田園風景」を楽しむことの出来た本(ただし、ルナールの行状は時々、ひどい)。

物語として収められたものだけを読んでいると分からない設定が、解説に載っていたのでメモ。

昔、ルナールという名前の性悪の狐がいました。仲間の動物たちをだましたり、ペテンにかけたり、罠に落としたりするのが大好きで、それが生きがいという大変なワルで、動物世界の人々は、鶏も四十雀も烏も山猫も狼もみんな、こやつのためにひどい目にあわされていました。でも、ルナールはとてもずる賢く、頭もよければ口も達者なので、動物世界の国王であるライオンのノーブル王の宮廷にいくら訴え出ても、いつもうまく言いのがれられてしまうのがおちでした。その上、ルナールはノーブル王の重臣として信頼あつく、国王がいざというときにはもっとも頼りにしている諸侯の一人なのです。しかしルナールのほうは、国王など少しも本気では恐れていないのです。それどころか、内心では馬鹿にしきっているので、国王が軍勢をひきいてルナールの城を攻めに来ても、痛くもかゆくもありません
                         
(以上、解説より引用)。

中世フランスの人々は、ルナールの姿を痛快だと見たのかなぁ。もともとのお話は、ピエール・ド・サン=クルーというキリスト教の僧が創ったものであり、その後、それらの続きや全く異なる新しい話を創作する作者が次々とあらわれたそう。ルナールは今でも、フランスで愛されているのだろうか。

あ、そうそう、[1]そもそものはじまりでは、女性としては、「うーむ」と思います。イヴっていっつも分が悪いよね・・・。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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ローラ・インガルス・ワイルダー, ガース・ウィリアムズ, 恩地 三保子
プラム・クリークの土手で  

ローラたち一家は、インディアン・テリトリイの丸太の家を出て、カンザス州、ミズーリ州、アイオワ州を通り、今度はミネソタ州にやってきた。「大草原の小さな家」では、移動の様子も詳しく書かれたけれど、この「プラム・クリーク~」では、移動についての記述はほとんどない。とはいえ、今回の旅もかなりの距離を移動しており、前回が南下だとすると、今回は少々西側によりながら、北上している。

さて、ローラたち一家の今度の家は、なんと地面の中!土手に扉がついているのだ。ノルウェー人のハリソンさんから、この家を買い取ったローラたちは、このプラム・クリークの土手で暮らすことになる。

ローラは七歳。既に小さな女の子ではない(この感覚って、現代日本人からするとすごいなぁと思うけれど)。土手の家と畑を耕す大きな牡牛の代わりに、これまで一緒に旅をしてきた、インディアンのポニイ、ペットとパティーとの別れも涙をのんで堪える事が出来る。そう、泣いたりするのは、もう恥ずかしいこと。

この土手の家には子供の頃、非常にわくわくさせられた。日本では見掛けないし、ちょっとままごとのようでもあるのだ。引用すると、こんな感じ。

扉のまわりを、草土手からのびている緑のつる草がぐるっとかこみ、花がびっしりついていました。赤、青、紫、バラ色、白、それからしぼりと、色とりどりのその花は、みんな、朝を迎えるよろこびの歌をうたっているように、のどを大きくあけていました。それはアサガオの花だったのです。
(表紙の絵がちょうどこれを表していますよね)

なかは、一部屋で、まわりじゅう真っ白でした。土の壁はなめらかで、白壁に仕上げてあります。土間もすべすべしていて、しっかりかためてありました。

実はこの土手の家は、町で買った製材した板で(そう、いつもの丸太ではないのだ!)、とうさんが新しい家を途中で作るので、前半の段階で用なしになってしまうのだけれど、やっぱり「プラム・クリーク~」では、この土手の家が印象深い。

この巻で印象深いのが、ローラたち一家の屋根を踏み抜く牡牛と、とうさんの畑に壊滅的な打撃を与えるにっくきイナゴ。ローラたちの家はなにせ土手の中にあるので、屋根といってもそれはただの草の土手。足をずぼっと穴の中に入れて、吃驚している牛の挿絵もついている。牛によって天井が崩されてしまったので、ローラたちはその日、家の中だというのに星空の下で寝るのだ。にっくきイナゴは、空から突然やってきて、収穫直前だった小麦を全て駄目にしてしまう。「プラム・クリーク~」は、今まで住んだ中では最も町に近く、小麦の収穫を当て込んだ町での買い物が家計を圧迫し、とうさんは収穫期を迎えた東部へと、出稼ぎにゆくことになる。

その他、この巻で特筆すべき事は、ローラとメアリイが学校に行き始めたこと。意地悪な町の子もいるけれど、ローラは総じて学校生活を楽しむ。短すぎるスカートから足をにゅっと出したローラが、「シギ!シギ」と呼ばれてからかわれる所も覚えていた。また、「プラム・クリーク」と言うくらいだから、クリーク沿いには野生のプラムの木の茂みが広がっている。このプラム摘みの様子もいいのだ。この辺になると、メアリイとローラの性格の差がはっきり出ていて、木に登ってゆさゆさと枝を揺らし、プラム落しを楽しむローラと、家の中で読書をしている方がいいのに、と嫌々プラム摘みをするメアリイの様子が描かれている。ローラたちの生活は、色々羨ましいところも多いのだけれど、クリークにいるという、ヒルだけは勘弁願いたい・・・。子供の頃は、このヒルも怖かったなぁ。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

長年、イナゴの襲来ってどんな感じだろう?、と思っていたんだけど、「
名もなきアフリカの地で 」という映画の中で、大規模なイナゴの襲来シーンがありました。燻したり、シーツで追い払ったり。ああ、ローラたちと一緒だ~、と思いながら見たのでした(と思ったんだけど、テレビシリーズでもイナゴのシーンってありましたっけ?ローラがぱたぱた畑を叩いているシーンの記憶が、薄っすら蘇ってきました)。

☆関連過去記事
 
「大きな森の小さな家」
 
「大草原の小さな家」  
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ローラ・インガルス・ワイルダー, ガース・ウィリアムズ
大草原の小さな家 ― インガルス一家の物語(2)

心地よい「大きな森」の「小さな家」の生活を捨て、ローラたち一家は旅に出る。ウィスコンシン州の「大きな森」には、大勢の人が住むようになって野生動物も少なくなり、広々として、野生動物が安心して暮らす土地が好きな、とうさんの好みには合わなくなっていたのだ。

西部には平らな土地が広がり、野生動物たちが、広い牧場にでもいるように自由に歩き回っているらしい。ミシシッピ河がまだ凍っている冬の終りに、ローラたちは幌馬車で西部に向かう。「大きな森」に住む、じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこたちとも、暫しのお別れ。

後ろの地図を見れば分かるけれど、この旅程の長さはかなりのもの。ウィスコンシン州ぺピン湖そばの「大きな森」から、アイオワ州、ミズーリ州、カンザス州を越えてオクラホマ州まで、ローラたちは、数え切れない程沢山のクリークを渡り、見慣れない森や丘、見たこともない木が一本もない土地を見る。外でのキャンプを繰り返し、水嵩を増したクリークでは、愛犬ジャックとのあわやの別れも経験する。

長い道のりの果てに、ローラたち一家は目的地に着く。とうさんは家を建て、ここまでの道のりを引っ張ってきてくれた、ペットとパディーのために、馬小屋も建てる。エドワーズさんという、良き隣人にも出会い、井戸を掘り、家の中にも炉を作り、生活環境を整えていくローラたち一家。時にオオカミや、インディアン(*)たちに脅かされながら・・・。

ここでのローラは、既に「大きな森の小さな家」における、小さな女の子ではない。今後のローラに繋がる片鱗が、ちらちらと仄見える。とうさんがいない家で、母さんとキャリーを守ってインディアン(*)に立ち向かったり、とうさんの片腕となって家に丈夫な扉を作ったり。女性ばかりの一家の中で、この後、活発で勝気なローラはどんどん「とうさんっ子」になってゆく。

大草原での暮らしは、外遊びという楽しいこともあるけれど、ローラやメアリイにも、既にそれぞれの役割が与えられ、最早楽しいだけの子供時代ではない。この中で、一番楽しいイベントは、多分、クリスマス・ディナー。クリークがゴーゴーと音を立て、サンタクロースを諦めていたローラたちの元に、服を頭に乗せ、増水したクリークを泳いで、隣人エドワーズさんがやって来る。インディペンダンスの町で、サンタクロースに出会ったというエドワーズさんは、ローラたちへのプレゼントを預かってきたというのだ。とうさんとかあさんの目に、エドワーズさんへの感謝が光る。

畑を作り、牛を飼い、一年間をかけて、すっかり心地よい暮らしを手に入れた(家の窓には高級品のガラス入り!)、ローラたち一家のもとに悪い知らせがやって来る。ローラたちの土地は、インディアン・テリトリイとなり、白人の移住者であるローラたち一家は、もうここに住んではおられないのだ。ローラたち一家がおこり熱に罹ったときに、助けてくれたスコットさんたちは、この土地に残るというが、とうさんやエドワーズさんは、兵隊に追い立てられるのを嫌い、直ぐにこの土地を出て行くことにする。この土地に残るというスコットさんに牛を譲り、エドワードさんとも別れ、再び野外での暮らし、旅が始まる。

「大草原の小さな家」のお話はここまで。前にも書いたけれど、楽しいだけの子供時代は既に終り、この本ではここからの一家の苦難の道が仄見える。とはいえ、大変ではあろうけれど、馬車での旅、満天の星の下でのキャンプ、露天の炉で作る食事などは、非常に魅力的。エドワーズさん、スコットさんと隣人たちと支えあっていく生活も美しい。外でのほとんど流浪といってもいい生活の中で、きちんとした生活のリズムを作っているかあさんにも、感心させられる(だって、アイロンなんかもきっちりかけているのだ!)。

*さて、この本に出てくる「インディアン」について。巻末にも四ページに亘る注釈が付けられているのだけど(私が持っている1980年の第二一刷のものですが)、時代背景を表して、インディアンへの偏見、蔑視の念が随所に見られます(とうさんは、この時代としてはあまり偏見がない方だと思われるけれど)。そう信じ切っていたから仕方のないこととはいえ、今現在の知識からすると、少々褒められない言動もこの本の中には出てくることを、付け加えておきます。

☆関連過去記事:「大きな森の小さな家」/大きな森で暮らしてみたい
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テレビ放映されていたシリーズ、「大草原の小さな家」の方が馴染み深い方もいらっしゃるのかな。テレビシリーズでは、ウィスコンシン州を後にオクラホマ州へ移るまでの話(『大草原の小さな家』)と、移住後更にミネソタ州へ移るまでの話(『プラム・クリークの土手で』)が基になっているそう(Wikipedia より)。
ローラ・インガルス・ワイルダー, 恩地 三保子, ガース・ウィリアムズ
大きな森の小さな家

さて、今日のこの本は、一連のインガルス一家の物語のⅠに当たる。つまり、テレビシリーズ以前のお話となる。 家の外には暗い怖い大きな森が広がっているけれど、小さな居心地の良い家の中には何の憂いもない。逞しく優しい「とうさん」、料理上手で働き者の「かあさん」に守られた、子供時代の宝物のような楽しい一年間のお話。

目次
1  「大きな森」の小さな家
2  冬の昼と、冬の夜
3  長いライフル銃
4  クリスマス
5  日曜日
6  二ひきの大グマ
7  さとう雪
8  じいちゃんの家のダンス
9  町へいく
10 夏の日
11 刈り入れ時
12 すてきな機械
13 森のシカ

ガース・ウィリアムズによる挿絵もまた大変に美しい。ここに出てくる生活用品に、ぴんとこないこともあるのだけれど、バター作りや丸太のうろを利用した燻製肉の作り方など、この挿絵のおかげで随分助けられる。ただし、鉄砲の弾丸(たま)ごめは、昔も今もいまいちイメージがわかないのだった(挿絵がないせいだと思われる。鉛を溶かして、弾丸を作る所は想像できるのだけれど)。

開拓者である「とうさん」と「かあさん」は、何から何まで自分たちで作らなければならず、その生活力の高さには驚かされる。食料品だって娯楽だって、自給自足の日々なのだ。バター、チーズ、ラードなどを作るのは当たり前のことだし、冬のための食料の備えも当たり前のこと。娯楽だって、とうさんが弾いてくれるヴァイオリンや歌、夜にローラたちを膝の上に乗せながらしてくれるおはなしだけだったりする。一週間の仕事だって決められていて、かあさん曰く、こんな感じ。

「月曜はせんたく、
火曜はアイロンかけ、
水曜はつくろいもの、
木曜はバターつくり、
金曜はそうじ、
土曜が天火(オーブン)しごと、
日曜は休息」

それだけなのに、何だかとっても楽しそうな日々。本日、当地は快晴なのですが、気分としては、雪に降り込められているような時に、読みたい本。

このインガルス一家の物語は、福音館から前半の五作(『大きな森の小さな家』『農場の少年』)が、岩波書店から後半の五作が出版されている(訳者も異なる)。ローラが過ごした日々の困難が、その時代により異なるせいか、はたまた訳者の違いのせいなのか、岩波版も岩波「少年」文庫から出ているのに、後半の作は読んだ当時、福音館のものに比べ、随分大人っぽく感じたものだった。そんなわけで、子供の頃は福音館の前半五作に馴染みが深く、岩波版はあまり読み返すこともしなかった。今であれば、過酷な開拓者の日々も、少しは想像がつくものであるし、こちらも少し読み返してみようかなぁ、などと思った。

 ←こちらは文庫。

そして、今、発見したのですが、訳者の恩地 三保子さんは、クリスティの「杉の柩」 も訳されていたのでした。こちらもまた、好きな本なのです。ブログに書くと、懐かしい本の訳者や出版社などを意識するので、新しい発見があって面白いです。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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オンライン書店ビーケーワン:シモンとクリスマスねこ
「シモンとクリスマスねこ」
レギーネ・シントラーぶん / ジータ・ユッカーえ / 下田尾 治郎やく


シモンはクリスマスを楽しみにしているけれど、まだ幼いから、どうしてもクリスマスまでの「にーじゅうよん」を数えることが出来ません。こんなんじゃ、ぼく、クリスマスを待てないよ! そんなシモンの様子を見て、おとうさんはいいことを見つけました。猫のフローラの尻尾には、ちょうど二十四の縞があるのです。

フローラの尻尾に赤いしるしを付ける代わりに(だって、可哀相でしょ?)、おとうさんは白い紙に、二十四の縞のある尻尾を持つ猫を描いてあげました。ふたりはその絵をベッドの上の壁に貼り付け、一日が終わる毎に尻尾の縞を塗りつぶす事にしたのです。

だからこの本には、ちょうど二十四の縞を塗りつぶす事が出来るように、寝る前にシモンのおとうさんやおかあさんがしてくれた話、シモンが体験した話、猫のフローラの話など、全部で二十四篇の短い物語が収められている。またそれぞれのお話に、一ページを丸々使用した、美しい挿絵もついてます。

クリスマスを待つ、わくわくした気持ちを、シモンと一緒に感じることが出来る本。お話も挿絵もいいよ。大人になったら、忙しくてそれどころじゃないかもしれないけど、こういうわくわくって楽しいじゃない? 待つ楽しみを思い出すよ。

 ←文庫もあるようです
レギーネ シントラー, Regine Schindler, Sita Jucker, 下田尾 治郎, ジータ ユッカー
シモンとクリスマスねこ―クリスマスまでの24のおはなし

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ジャンヌ・ロッシュ・マゾン, 山口 智子, 堀内 誠一
おそうじをおぼえたがらないリスのゲルランゲ

リスのゲルランゲは、やさしいおばあさんと、十匹のきょうだい子リスたちと一緒に、立派なブナの林の中で、楽しく暮らしていました。
かくれんぼうをしたり、おにごっこをしたり、リスとびをしたり。また、時には林の中の明るい空き地で、輪になって踊る事もありました。

ゲルランゲはきょうだいたちの中で、いちばん小さな子リスなのですが、少し怠け者で、大変強情でもありました。でも、元気で剽軽ですばしこく、可愛い、抜け目のない顔つきをしていたから、誰でも好きにならずにいられなかったのですけれど。

さて、そんなゲルランゲには嫌いな事が一つありました。それはお掃除!
ご飯のあと、クルミのからのお皿を片付ける事は、割合気持ちよくやったのだけれど、コケの絨毯をしっぽで掃く事は大嫌い!

ある日、お掃除の番にあたったゲルランゲは、埃を払う振りさえせずに、ブランコを作りに出かけてしまいます。これにはにいさんたちもとても怒り、とうとうやさしいおばあさんに、家から追い出されてしまいます。
ご飯にもありつけない、野宿もしなければならない、踊るときも一人っきりで踊らなくてはならない。でも、ゲルランゲはとっても意地っ張りなのです。

「ぼく、ごはんなんかいらない。野宿をしたっていい。オオカミにたべられたっていい。でも、ぼく、おそうじはおぼえたくないや」

こうして、ゲルランゲは風呂敷包みを肩に担ぎ、みんなの所から出て行きます。屁理屈を繰り返しながら、ぴょんぴょんと枝から枝へと跳んでいたゲルランゲ、足を踏み外して、眠っていたオオカミの背中の上に落ちてしまいます。オオカミはリスを食べる動物。ゲルランゲ、ピンチ?!ところが、ゲルランゲは落ち着いたもの。

「ぼく、たべられてもいいんです、オオカミさん。でも、おそうじはおぼえたくありません」

ゲルランゲを食べるのは、オオカミにとって簡単な事だけれど、このオオカミにはプライドがあったのです。生意気な子リスにあんまり吃驚したオオカミは、いとこのキツネの所に、ゲルランゲを連れて行きます。

「わしは、この国でいちばんえらいオオカミだ。わしが、つねづね、たべものをえらぶたちだということは、だれだってしっておる。もし、このわしがなにもできんリスを一ぴき食ったとしてみろ、わしは、みんなのまえで、大きな顔ができるかね?」

そう、オオカミはこのままでは、ゲルランゲを食べることが出来ません!
ゲルランゲを、食べるに値するものにするために、オオカミはゲルランゲにおそうじを覚えさせなくてはなりません。ここから始まるオオカミの悪戦苦闘は涙ぐましい。ゲルランゲの屁理屈のために、オオカミはゲルランゲに食べ物をやり、家を建ててやり、踊りの相手をしてやります。相談する動物も増えていき、キツネの次には、キツネの友達のアナグマが、その次にはフクロウおくさんが加わります。

この辺の反復は、きっと子供にはたまらない(大人になってもとっても楽しい!)。オオカミにやらせてみてから、きみは、なにもしっちゃいないんだな」と子ギツネを案内に付けてあげる、いとこのキツネも大概意地悪。

はっはっ、はっはっ!

オオカミは息を切らしながら頑張ります。

さてさて、全ての望みを叶えてあげても、ゲルランゲはこう言い放ちます。

「そんなこと、どうだっていいのです。ぼく、おそうじをおぼえたくありませんよ」

げっそりしてしまったオオカミは、めくらめっぽうに遠吠えを始めます。最後の踊りがあんまり華やかだったし、オオカミの遠吠えはやまないしで、ゲルランゲ一行の元には、森中の動物たちが集まってきます。勿論、そこにはゲルランゲのおばあさん、きょうだいたちも・・・。おお、ゲルランゲが物騒な動物たちに囲まれている!

ゲルランゲのおばあさんは、大弱りのオオカミに、ゲルランゲの耳を引っ張って、とっちめてやることを請合います。ただし、足の悪いおばあさんがいる木の上まで、ゲルランゲを押し出してやるのは結構大変なこと。オオカミはゲルランゲのしっぽをしっかり咥え(逃げられては大変だ!)、キツネがそのオオカミを押し上げ、しんがりにはアナグマがつきます。フクロウおくさんは、アナグマの首筋の毛を引っ張って応援します。

さてさてさてさて、どうなるか。それはそうですよね。ゲルランゲはおばあさんの機転で、勿論、この自分を食べることが出来る物騒な動物たちから、首尾よく逃げ出します。オオカミの律儀なことといったら!おばあさんに話しかけられて、思わす応えてしまうのですもの。当然、しっかり閉じていた歯は緩んでしまい、よろけて倒れて、オオカミたちはがらがらがっしゃーん。

この冒険ではとうとうお掃除を覚えなかったゲルランゲ。芯は気立てのよい子リスだったし、おばあさんを喜ばせたかったので、この後、ともかくもお掃除を覚えたそうな。

ゲルランゲの絵は勿論、サスペンダーつきの黄色いズボンを履いたオオカミ、赤い洒落たベストとチェックのジャケットを羽織ったキツネ、赤いベスト(というか、チョッキ?)のアナグマ、青いズボンの子ギツネの絵も、とっても可愛い。

この本の続編には、「
けっこんをしたがらないリスのゲルランゲ 」があります。そう、ゲルランゲはあまり懲りていないのです。ただし、「けっこん~」の方では、ゲルランゲは多少痛い目にあっています。こちらもとっても楽しい本です。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
************************************************
さてさて、そろそろ大掃除のシーズンでしょうか。新しい年を迎える時には、綺麗なお家がいいなと思うものの、何もこの寒い時期にやらなくても、と思う事も確か。普段の掃除が大切なのよねと思いつつ、私もゲルランゲと同じで、片付けはともかく掃除はあまり好きではありません・・・。

普段のお掃除には、こちらの本がオススメです。「
毎日楽ちんナチュラル家事 」。店頭にあったら、どうぞお手にとってご覧くださいませ。
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テーマ:
レイモンド・ブリッグズ, すがはら ひろくに
さむがりやのサンタ

どうですか!この表紙の赤い丸い鼻、もっさりとしたひげ、つぶらな(?)丸い点のような目。この表紙は、熱い紅茶を入れた水筒持って、サンドイッチのお弁当持って、着膨れてクリスマスのプレゼントの配達に向かうサンタさんの図。

サンタだからといって、冬や雪、寒い所が好きだとは限らない。「おやおや、ゆきかい」「ふゆはいやだよ まったく!」とぼやくサンタが居たっていいよね。

プレゼントを皆の所に届けるのは、とってもたいへん!えんとつなんて なけりゃいいのに!」だし、「すすだらけになっちまった」とぼやくのもむべなるかな。
そうそう、そしてこのサンタさんに感謝の気持ちを表すのならば、ジュースを置くよりもパパのお酒を飲んで貰うほうが良さそう。凍えた体もあったまるしね。

配達が終わりに近付くと、牛乳配達のおじさんと会話をしていたりして、もう夜明けは近い。さあ、仕事が終わって、ようやくお家に帰れるぞー!

美味しい紅茶を沸かして、ご馳走を作って、お風呂にゆっくり入って、ご馳走、お酒を楽しみ、自分に贈られたプレゼントを開けて・・・(でも、そういえば、このプレゼントはまた別のサンタが配達したのかな?)。サンタさんの幸せな時間。

翌日は、一緒に暮らす、猫のクロや犬のポチにもプレゼントをあげて、寝起きのベッドから私たちにこのお言葉。
「ま、おまえさんも たのしいクリスマスを むかえるこったね」
そして、ここでこの絵本は幕を閉じる。

動物の世話をするところ(トナカイ含む)、日常の細かい仕草、ぼやきながらも頑張ってプレゼントを配達するところなどなど、細かいコマや、時には二ページ見開きを使って、細部まで描き込まれた丁寧な絵で表現されている。子供の頃から、大好きな絵本です。ちょっと早いけれど、私たちもよいクリスマスを迎えたいですね。

*臙脂色の文字の部分は、ふきだしの部分から抜書きしています。
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