旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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リン ストッケ, Linn Stokke, Hans Normann Dahl, やまのうち きよこ,
ハンス・ノルマン ダール
トロルのなみだ

絵本のオチを紹介するのは野暮だよな、と思いつつも、今日はこちらを。

可愛らしい絵の北欧の絵本。表紙扉には、「日本で出版=トロル級の成功!―ノルウェーの新聞記事より」とある。

湖をいくつも越えた山の奥。高い山に囲まれた深い森の中に、トロルの子、トリムの家がある。トロルとはまあるい顔に、まあるい鼻、まあるい目を持ち、足の指に苔が生えている、そんな生き物。表紙にある絵は、トリムとトリムの父さんの後姿。

さて、トロル村には村長はいないけれど、みんなで決めた規則がある。その中の一つは、「涙を出してはいけない」というもの。涙が出そうになったら、こみ上げるそれをぐっとのみ込まねばならず、万一涙が落ちた場合には、長老達が誰にも見られないうちに、その涙を掬い取って湖に捨てるのだ。

しかし、涙が出ない、涙を出すことがないというのは、果たして幸せな事なのか? トロル村には涙があってはいいけないというのは、決まり事なのだけれど・・・。

ある日、トリムの大好きな父さんが病に倒れ、父さんはまるで冬の花の様に死んでしまう。亡くなる直前、トリムを見つめる父さんの目には、涙がぽっちりと浮かんだ・・・。トリムは父さんの涙をズボンのポケットに入れ、暗い森へ向かって走り出す。父さんの涙は誰にも渡さない!

一人ぽつんと座るトリムに、父さんの涙、ナミダが「ハロー」と語りかける。ナミダはトリムに、ひみつの色の話を教える。それは今までの花にはない、花の色。
「最初の花」に涙を落とす事で、美しい花を咲かせることが出来るのだ。しかし、それは涙を嫌うトロルたちには、見られない色でもある・・・。

トリムはひみつの色の花を求めて、ナミダと共に旅をする。途中、ナミダを奪還しようとする長老たちの邪魔が入ったり、今まで足を踏み入れた事もないマックラ森を通ったり。ミドリ山に向かってトリムの冒険は続く。

たとえ、目で見えなくなっても、それは存在しないことと同義ではない。父さんはいつもトリムと一緒にいるし、消えてしまったナミダもそれは同じ。そして、涙をこらえるばかりではなく、偶には涙を流す事も、ココロの整理には必要なんだよね。
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プロイスラー作、中村浩三訳「クラバート」

「愛と勇気と友情と」、何ていってしまうと、かの少年ジャンプのようだけれど、この物語は著者が少年の日に出会った、ドイツのある地方に伝わる、
<クラバート伝説>をもとにしており、どちらかというと暗い色彩を帯びている。

<クラバート>はヴェント人の伝説。ヴェント人とは、独自の言語や服装、特色のある慣習、豊かな民族的な伝統を持った西スラヴの小民族。早くからキリスト教化が行われたのにも関わらず、在来の異教の信仰の風習を色濃く留め、口頭で伝承された多くの民話を有し、魔女や魔法使いの伝説も豊富に残っている。

大人になって、改めてまた新しい<クラバート伝説>に出会ったプロイスラーは、自分の<クラバート>物語を書く決心をする。人間の生死に関わる深刻で重苦しい題材の『クラバート』に行き詰まったことで、その反動のように愉快なホッツェンプロッツ氏(「大どろぼうホッツェンプロッツ」)が生み出されたのだそうだ。「クラバート」は、同作者の「小さい魔女」 などとも、かなり趣きの違った物語。児童書ではあるけれど、大人の読書にも耐えうるものだと思うし、強く引き込まれる作品だった。
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仲間の少年たちと、浮浪生活を送っていた14歳の少年クラバートは、夢に導かれ、コーゼル湿地の水車場の親方の弟子見習いとなる。水車場の職人は、クラバートを入れて十二人。水車場の生活は、定められた暦にしたがって続く。クラバートが水車場に来た時の、職人頭はトンダ。トンダは仕事に慣れないクラバートを何かと手助けしてくれるのだった。

聖金曜日の夜、水車場に来てから三ヶ月が過ぎた頃、クラバートは見習いから弟子に昇格する。親方の弟子となった今、クラバートはここがただの粉引き場ではなく、<魔法の学校>でもあることを知る。職人たちはからすの姿になり、親方から魔法の技術を習う。親方が朗読してくれるのは、彼しか読むことが許されない『魔法典』の中の一章。

季節は過ぎる。職人たちは親方の要求に従い、復活祭の前夜は戸外で過ごさなければならない。それも、ふたり一組になって、人が変死した場所で。クラバートは職人頭トンダと<ボイメルの死の場所>で、その夜を明かし、明け方に五線星形のしるしを額に付け合う。夜が明ければ、職人たちは水車場に戻り、今度は親方と儀式を行う。そして、そのまま最後の一人の五線星形の額のしるしが消えるまで、粉引き場で働き続けねばならない。

水車場に冬が来る。冬が来ると、職人たちは週を追う毎に不機嫌になる。トンダだけが、以前と変わらず平静で親切であったが、クラバートにはどこか淋しげに見えるのだった。そして元日の朝、トンダは死ぬ。職人たちは、急いで無造作に死体を埋葬する。そこには、牧師も十字架も蝋燭も、賛美歌の一つも無い。

トンダを埋葬した翌朝、今度はハンツォーが職人頭となる。そして、これまでトンダが使っていた寝台に、ヴィトコーという赤毛の痩せた少年がやってくる。ヴィトコーが着た服はトンダのもので、服はまるであつらえた様にぴったりだった。

水車場での一年が過ぎた夜、クラバートは親方から、年季明けを宣言される。一年での年季開けに戸惑うクラバートであったが、コーゼル湿地のこの水車場では、最初の一年が普通の三年に相当するのだ。

クラバートは死んだトンダの事を忘れられないが、粉引き場での仕事は続く。今度は見習いのヴィトコーを助けるのは、ハンツォーのつとめ。 今年の復活祭の前夜、クラバートとともに過ごすのは、「まぬけ」のユーロー。クラバートは再び、トンダと行った<ボイメルの死の場所>で、この夜を過ごす。クラバートは、復活祭の賛美歌のソロを歌う少女に恋をする。しかしながら、彼女の事は、トンダの忠告通り、親方にも告げ口屋の職人リュシュコーにも知られてはならない。

また一年が過ぎる。元日の朝、次に死を迎えたのは、ミヒャル。ミヒャルの代わりに現れたのは、クラバートと浮浪生活を共にしていた、ローボシュだった。今度はクラバートがトンダがしたのと同じように、彼を助ける。

そう、全ては繰り返し。水車場の職人たちは、毎年元日の朝に、親方の代わりに必ず一人が死なねばならず、その代償として魔法の技術を教えて貰っていたのだ。親方を倒すということは、今まで教えて貰った魔法の技術が無に帰すということでもあり、また失敗した場合は自分の命はない。

クラバートは誠実な友人と、恋した少女の力を借りて、親方を倒し、トンダやミヒャル、トンダの恋した少女ヴォルシュラの敵を討つことを決意する。
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暦に多少戸惑うかもしれないけれど、きちんと注釈が付けられている。
その他、17世紀から18世紀初めにかけてのヨーロッパの歴史的背景、ザクセン選帝侯なども出てくるけれど、これに関しては特に知識がなくとも、何とか読むことが出来る(勿論、知識があった方が、より楽しめるのだろうけれど。私は知識なし)。

在来の<クラバート伝説>から決定的に離れた点は、親方の魔力からの解放に、母ではなく、少女が重要な役割を担ったことだそう。
でも、母よりも少女の方が良いよね? 表紙、挿絵も美しい一冊。

オトフリート=プロイスラー, ヘルベルト=ホルツィング, 中村 浩三
クラバート
プロイスラー, 中村 浩三 ← こちらは、偕成社文庫
クラバート (上)
プロイスラー, 中村 浩三
クラバート (下)
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田島征三「人生のお汁」

絵本作家・田島征三さんのエッセイ集。私がこの人の存在を知ったのは、灰谷健次郎さん絡みだったと思う。灰谷さん→今江祥智さん→田島さんの流れ。結構豪快な絵を描かれる方と記憶している。


目次
第一章 伊豆に暮らす
 海に帰った女/海草押し葉/胃ガンでバンザイ/“安全な食”が裏目に/ラーメン食べたい/くるべくしてやってきた/植物たちの祟り/キャンの改心

第二章 命を食べる
 もったいない!/アジの干物に愛の言葉を/農耕民から採集民へ/かわいいやつほどウマイ/「グリグリグリッ!」の思想/個性のある野菜、個性のない野菜

第三章 自分をこわす
 アートに常識はいらない/土偶のオーラに受精する/罵詈雑言/“売れっ子”にはならんぜよ!/岡本太郎の呪縛/人生のお汁で描く/ウンコのアーティストたち/絵筆でアートと斬りむすぶ

第四章 木の実とあそぶ
 絵の具をやめよう/モクレンのオチンチン/血を流す少年/ミノガシテクダサイ!/縄文人になりたい/植物たちへの鎮魂歌/木陰のエビフライ

第五章 ふたごに思う
 タシマとタジマ/もうひとりの自分/のろまのブーちゃん/ぞうをもむぜよ!/酒盗とままかり

第六章 血を感じる
 “謎の男”の言いぶん/タクシーで伊勢から大阪まで/もう“息子”ではなく/まさぐる生き方/永遠の二七歳


田島さんの胃ガンの恐らくは原因となったゴミ処分場についての話、食べものの話、絵の具の始末の話、アートについて、きょうだいについて、父母について、自分の子供たちについて。目次を見ても分かるけれど、話は実に多岐に渡る。この世代の熱い男性たちに共通なのかなあ、とも思うのだけど(というか、私が読んだ灰谷さん―田島さんラインに共通なのかな)、多少露悪的な面もある。原始的なことを書くことが尊いことである、といったような、別にそれ書かなくてもいいんじゃないの?、と私には思える部分もある(私の人生経験が浅いせいかもしれない)。

アートに関する部分では「こわす」画家である、田島さんの凄まじさが滲み出る。(ちょっと、
この人と結婚生活を送るのは大変そうです)。でも以下の部分には共感する。引用します。

子どもはいずれ大人になる。子どものころに好きだった絵本を大人になってから見て、「なんだ。こんなチャチな子どもだましだったのか」とガッカリさせたくない。大人になってから見ても「こんなすごい芸術作品だったのか」と驚かせるような絵本しか、存在する意味はないと思う。絵本はアート作品であるべきなのだ。そういう意味では、ぼくは大人に向けて絵本を描いている。ただ、それは子どもを無視していることではない。すぐれた感性をもつ大人がおもしろいと思うものは、子どもだっておもしろがるのである。
世の大人たちは絵本を手にとると、「これ、うちの子にどうかしらね」とか「孫がよろこぶかしら」とかいって悩んでいる。でも、ぼくとしては「あなたはどう思うんだ」と聞きたい。大切なのは、大人のあなたがどう感じて、あなたがどう評価するかであって、子どもの目で見たらどうなのかではない。誰がどうやったら子どもの目になれるんだよ!

広い意味で、良質な児童書も同じであると感じる。良質な児童書というものは、大人の読書にも充分耐えられるもの。

同じく絵本作家である、ふたごのきょうだい田島(こちらは「タシマ」ではなく、タジマと読ませる)征彦さんとの、「絶望的な関係」は哀しい。同じ生業であるだけに、この本の著者である田島征三さんの、圧倒的パワーに耐えられなかったのではないかなあ、と思う。冷静なスタンスにたっての批評と言うものは、身内からは難しいもの。

芸術家としてのパワー、土佐人としての気骨溢れる本でありました。これ、賛否は色々あるのだと思います。全ての人に当てはまる(そして押し付けられる)事ではないのだけれど、これ程正直に真っ直ぐ書かれた文は貴重であると私は感じました。

著者: 田島 征三
タイトル: 人生のお汁

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。
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五味太郎・しかけ絵本 (1) 「きいろいのは ちょうちょ」

前の住居では、お隣さんにとてもよくして貰いました。
仕事も辞めてしまったし、知り合いもない土地で、仲良くして頂けてとても嬉しかった。
そんなわけで、引っ越していく際にお隣のNくんにプレゼント。
しかけ絵本で、○○だと思ってページを捲ると、あら、違う△△だった。が延々と続く本。
色彩が美しく、ページを捲るのもまた楽しい。

絵本に穴があいているものといえば、「はらぺこあおむし」も大好きだった。
この辺りのものは、私が子供の頃と変わっていないのかな。
彼にあげる「絵本」を選ぼうと、絵本コーナーを眺めていたら、懐かしい本を沢山発見して、何だか楽しかったのだ。

Nくん、隣とうちの境にじっと座っていたり、下から私を呼んでくれたりしたよね。私は君の笑顔に癒されました。
これからの君の人生が、楽しみに満ちていますように。元気でね。

著者: 五味 太郎
タイトル: きいろいのは ちょうちょ
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