旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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カルロス・ルイス サフォン, Carlos Ruiz Zaf´on, 木村 裕美

風の影〈上〉 (集英社文庫)
風の影〈下〉 (集英社文庫)

たぶん、本好きの人は、みなこの部分を引くであろう、上巻の最初の方の場面。

ある夜明け、主人公ダニエルは古書店を営む父に「忘れられた本の墓場」へと招き入れられる。そこは神秘の場所であり、聖域である。そこにある本の一冊一冊、一巻一巻に、本を書いた人間の魂と、その本を読み、人生を共にした人間の魂が宿る。もう誰の記憶にもない本、時の流れとともに失われた本が、この場所では永遠に生き、いつの日か新しい読者の手に行きつくのを待つ…。

さて、この場所に初めて来た人間は、ある一つの決まりを守らねばならない。ここにある本のどれか一冊を選び、それを引き取り、絶対にこの世から消えないよう、永遠に生き永らえるよう、守ってやらなければならないのだ。ダニエルが選んだのは、フリアン・カラックスという作家の『風の影』という本。

 本を読む者にとって、生まれてはじめてほんとうに心にとどいた本ほど、深い痕跡を残すものはない。はじめて心にうかんだあの映像(イメージ)、忘れた過去においてきたと思っていたあの言葉の余韻は、永遠にぼくらのうちに生き、心の奥深くに「城」を彫りきざむ。そして―その先の人生で何冊本を読もうが、どれだけ広い世界を発見しようが、どれほど多くを学び、また、どれほど多くを忘れようが関係なく―ぼくたちは、かならずそこに帰っていくのだ。    (上巻p20より引用)

ダニエルにとって、『風の影』はまさにそんな本となる。

フリアン・カラックスの他の本にも興味を持ったダニエルは、著者フリアンについて調べ始める。ところが、この本と、フリアン・カラックスという著者には不吉な影が付きまとう。フリアン・カラックスの本は、過去にほとんど全てが焼き払われているというのだ。それも、『風の影』の登場人物でもある悪魔、ライン・クーベルトを名乗る男によって…。そしていつしか、フリアン・カラックスの青春の悲劇が、ダニエル自身の境遇とも共鳴し合う。フリアンとダニエルの人生に影を落とすのは、身分違いとも言える恋。


冒頭ではぐっと引き込まれたものの、実は上巻の間はそんなにノリノリで読んでいたわけではなかったのです。冒頭の雰囲気から、はてしない物語」のようなファンタジーを期待しちゃったんだけど、「忘れられた本の墓場」とはいえ、それは(物語の中では)実在する場所であり、これはファンタジーではなく、ロマンな物語なのでした。あと、上巻でいま一つノれなかったのは、会話文の影響かなぁ。老若男女を問わず、「~してくださいよ」、「~じゃないですか?」という表現が目についたり、なんというか、印象的で個性的なキャラクターも多いのに、その辺が会話文で描き分けられてないような印象を受けたのです(というか、そういうのって、訳の問題???)。話が一気に展開する下巻からは、かなり引き込まれたのだけれど、それは会話文がほとんどない、「ヌリア・モンフォルトの手記」という形をとっている部分がかなりの割合を占めたからなのかもしれません。

ロマンには愛と障害がつきもの。メインはフリアンとペネロペの恋、ダニエルとベアトリスの恋だけれど、この本の中には父と子の愛(息子、娘)や、仕える者の愛、同士のような愛(とはいえ、恋としては悲劇なのだろうけれど)、恋多き男だったある男の誠実な恋など、恋愛だけではなく友愛や、家族愛が語られる。恋ではないけれど、人間の歪みという点では、フリアンのかつての学友であり、バルセロナ警察の刑事部長となったフメロ刑事が恐ろしい…。

さて、目次を見ても分かる通り、これは現代の物語ではありません。内戦と、第二次世界大戦を経たスペインを舞台としています。だからこそ、フメロのような人物が成り上がって、善良だけれど彼の気に障る人物の生活を脅かしたり、大人たちが何となく人生に疲れたような空気を醸し出しているのかも。スペイン内戦について、知識があった方が、躓かずに読むことが出来るかもしれません(私、ちびっと躓きました)。

登場人物の中で一人好きな人物をあげるとすれば、元スパイにして、元ホームレスであり、凄腕の古書店のバイヤーであり(お客が求める稀覯本を手に入れるには、ほとんど考古学発掘の世界であり、古典の知識と、ヤミの商売の基本的なテクニックがいるのだとか)、女性大好きなフェルミン! いやー、フェルミン登場から、ぐっと読み易くなりましたよ。ダニエルに拾いだされたに等しいため、彼に忠誠を誓うフェルミン(こんなにいい人だなんて、逆に怪しい、と途中から、フェルミンに裏切られたらどうしよう、とドキドキしながら読んでたのですが、フェルミン、ちゃんといい人で良かった!笑)。

ミステリーというよりは、ロマン小説であり、章のタイトルから引くならば、「ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)」でした。雰囲気も話も全然違うけれど、「嫌われ松子の一生 」のように、過去の人間の足跡を現代の人間が追うスタイルのお話です。「嫌われ松子の一生」では、現代の主人公の男女と、過去の松子と男たちを対比させることで、これから如何様にも生きることが出来る主人公の可能性を残していたけれど、こちら、「風の影」においてもやはり…。歴史は繰り返すだけではないのだよね。

・Wikipediaのスペイン内戦にリンク

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

(上)目次
忘れられた本の墓場
一九四五年―一九四九年 灰の日々
一九五○年 取るに足りないもの
一九五○年―一九五四年 人は見かけによらない
一九五四年 影の都市(一~十五)
(下)目次
一九五四年 影の都市(十六~三十一)
一九三三―一九五四年 ヌリア・モンフォルト―亡霊の回想
一九五四年 風の影
一九五四年十一月二十七日 ポスト・モルテム(死後)
一九五五年 三月の海
一九六五年 ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)
訳者あとがき
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恩田 陸
光の帝国―常野物語

目次
大きな引き出し
二つの茶碗
達磨山への道
オセロ・ゲーム
手紙
光の帝国
歴史の時間
草取り
黒い塔
国道を降りて・・・
 あとがき
 解説―久美沙織

常ならぬ能力を持つものの、常に在野にあれとの一族としての信念を持ち、権力を持たず、群れず、普通の人々の中に埋もれて暮らしてきた「常野(トコノ)」の人々。

ところが、この常ならぬ能力が異端であるとされてからは、「常野」の人々は狩られる側に回り、人々は何世代かにわたって追い詰められる。

権力を持たず、群れず、在野にあった常野の人間たちであるが、ここへ来て、今、その流れは収束に向かっているようである。世界は、常野の人々が時代の表面に出なければならないような局面を迎えるのだろうか?

「常野物語」という大きな物語があることを予感させつつも、その輪郭を辿るような連作短編集。まだまだその大きな物語の片鱗すら、掴めていないのではないか、と思われるのだけれど・・・。

「予感」が素晴らしく、だけに、時に、その後始末がちょっとなー、な恩田さんの本ですが、続く「蒲公英草子」「エンド・ゲーム」はどうなっているのでしょうか。恩田さんが続きすぎるなと思いつつも、この「予感」に落とし前をつけなくっちゃ、と続く二冊も図書館で予約してしまいました。「三月は深き紅の淵を 」とその関連本は、その予感が素晴らしく処理された物語群となったと思うのだけれどど、さて「常野物語」はどうなのかな~。

連作短編の中で、魅力的だったのが、「大きな引き出し」の春田家。物語を、音楽を、人間すらも『しまえる』能力を持つ春田家の人々。春田家では、子供が生れると、真っ先に子供たちに生涯連れ添う美しい書見台をこしらえるのだ。『しまえる』という能力にもゾクゾクくるし、本読みとしては、趣向を凝らし、精魂込めて作られる書見台にも実に惹かれるのだよね。

その後に読んだ、「蒲公英草子」、「エンド・ゲーム」の感想は以下。予感の後始末、大丈夫でした、楽しみました。

☆「蒲公英草紙―常野物語 」/幼年期の終わりに
☆「エンド・ゲーム 」/裏返される??
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北森 鴻
孔雀狂想曲

北森さんで骨董の世界で、というと、真っ先に思い出すのは、「冬狐堂シリーズ 」なんだけど、この本の中には、「陶子」の陰はちらとも見えない。
唯一クロスしているのは、「狛江の市」くらいかな。

同じ骨董の世界とはいえ、店舗を持たない旗師の陶子とは違い、こちらの店主・越名は下北沢の地に、《趣味骨董・雅蘭堂(がらんどう)》なる店を営んでいる。

目次
ベトナム・ジッポー・1967
ジャンクカメラ・キッズ
古久谷焼幻化
孔雀狂想曲
キリコ・キリコ
幻・風景
根付供養
人形転生

眠っているようだと、いわれることがよくある。
わたし自身もわたしの店も、である。
眠り猫のように目が細いのは親の遺伝子のせいであるし、わが愛すべき《趣味骨董・雅蘭堂》が下北沢という絶好のロケーションにありながら暇なのは、少々駅から離れすぎているのと、完全なる住宅地の、しかもひどく目立たない路地の片隅にあるためであって、これはだれを責めることもできない。

冒頭より引いたこんな雰囲気からも、少々漫画的でもあるかと思う。私は好きだけど。店で扱う品物を介した、ミステリー仕立ての短編集で、探偵役は店主の越名。

以前は美術館系のバイヤーをしていたようだけれど、今は何をやっているかわからない、香港からコレクトコールで国際電話をかます兄も面白いし、兄の繋がりで知る事になった、善悪飲み込んだような犬塚とその郎党も面白い。「非合法は身内でやるに限る。裏切り者が出ないからな」、ですよ。

目も細いし、冬狐堂ほどピリピリしたところはないけれど、そこは海千山千の骨董の世界。越名も眠っているように見える目とは裏腹に、実際はキレる男。越名は悪党の犬塚とも、対等に渡り合う。骨董の世界では、悪党ほどいい目を持っているのだという。何せ目利きが悪ければ、悪党としてのしていくことは出来ないものね。悪党が単純に敵、悪ではないという構造も、ちょっと面白かった。

キャラが漫画的であるのは、いいところでも悪いところでもあるわけで、女子高生・安積のキャラは、ちょっと私にはどうも・・・であった。いや、店主・越名とこの安積の掛け合いが、時々上滑りしてイタく感じたんだけど、これ、どうなんだろうなぁ。
「あのさあ、前に読んだことがあるんだ。ナントカ神父って小デブが活躍するミステリー。クラウンだっけ、バラモンだっけ、とかそんな感じ。小デブだってさ。汗 いや、私も結局、いまだに読んだ事ないんですが、「ブラウン神父シリーズ」。

でも、北森さんの本は基本的に手堅いよなぁ、とも思うのであった。そこそこの面白さは絶対外さないもの。北森さんの本の今ひとつの楽しみである、食の話があまり出てこないのが、残念といえば残念だったんだけどね。

← 文庫もあるようです。

そうそう、ちょっとおどろおどろしい感じのハードカバーの表紙より、こちら文庫の表紙の方が、本の内容に合っていると思いました。店主の越名、ちょっと年齢不詳だったんだけど、やはりこれはそれなりに若い男性なのかしら?

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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野口 健
100万回のコンチクショー

目次
まえがき
第1章 冒険の意味
第2章 少年時代
第3章 迷い道
第4章 家族の仕事
第5章 タブーへの挑戦
息子へ―あとがきにかえて
親父へ―文庫版あとがきにかえて

著者は七大陸最高峰を最年少で登頂した事や、エベレストや富士山の清掃登山、シェルパ基金などで知られる、野口さん。

ここに書かれた言葉はきわめて率直。生まれ育った家庭内のトラブルから、迷いもがいていた青春時代、目標を定めてからそれの障害となった出来事まで、ここまで書いてしまっていいのだろうか、と思うほどにセキララに書かれている。とてつもなく大きなエネルギーを持って生まれて、規格内に収まらず、苦しんだんだろうなぁと思わされる。でも、そこから自ら目標を設定して、そこに向って努力できるようになった姿は見事。C.W.ニコルさんとの共通点も感じられる。

何かをやろうと決めたときは、たいてい誰かから批判される。それに対して僕はとにかく言い返す。10回、20回と言い返していると、最初は自信がなくても、不思議なことに自信が出てくる。言い続けていると、自己暗示にかかってくるのだろう。

これは、そんな負けん気の強い野口さんが、「コンチクショー」と呟きながら、自らを鼓舞してきた軌跡を率直に語った本。易しく書かれているので、子どもが読むにもいいんじゃないかなー、と思った。逆に言うと、大人が読むと、その若さ、熱さがちょっと眩しかったりもする。笑 素敵だなぁ、と思うんだけどね。

表に見えていた野口さんの活動は派手だったけれど、それには彼の父の「金を集めることから始めないと冒険ではない」という言葉が関係している。「本当にやりたい事」(エベレストの清掃、富士山の清掃、シェルパ基金など)のために、例えば「七大陸最高峰最年少登頂」という記録が必要だったり、マスコミを上手く利用する事が必要だったわけ。

冒険というのは、表のド派手なところしか見えないが、実はその下の土台をつくるのが、本当はいちばん苦しく難しい。この土台ができれば冒険の8割はクリアしたと僕は思っている。山頂に登れるか登れないかというのは、天候や体調など時の運もある。だが、問題はそのアタックまでたどりつけるかどうかだ。

しかし、日本は失敗には厳しい社会。まだまだ経験の少ない野口さんが、自らを鼓舞して、「必ず登ってみせます!」とお金をもぎ取ってチャレンジした登山に失敗した時、マスコミや山岳会は彼に厳しかった。

この国では成功と失敗のあいだに幅がない。登頂すれば成功だし、登頂できなければ失敗なのだ。植村さんが死ぬ羽目になったのもこういう社会で冒険をしていたからだろう。

更に、これは日本だけではなく、アジア系の社会に共通した現象なのだという。

日本ばかりでなく、アジア系社会はだいたい失敗の許容量が少ないようだ。山の中で悪天候が続くと、アジアの登山隊には悲壮感が漂ってくる。無理して突っ込んで行って死ぬのも、アジアの登山家に多い。(中略)
韓国隊員も毎年よく死ぬので、あるとき「おまえら、何でそんなに死ぬんだ」と聞いたことがある。すると、彼らはこう言ったものだ。
「おまえは日本人だからいいんだ。オレたちは失敗したら国に帰れないんだぞ」
その反面、韓国では、成功したら大絶賛だ。だが、失敗したらコテンパンに叩かれる。

この本の最後の方では、自然を守るレンジャー制や、富士山に入山料を導入する話、更には富士山の五合目まで鉄道を通そうという話。小笠原を日本のガラパゴスに出来ないかという話、野外学校などなど、様々な「夢」が語られている。

環境省の役人の及び腰には呆れてしまうけれど(野口くんが、いろんなところで話をしてくれて、マスコミがそこに乗って、世論がそれで動いてくれたら、僕らはそこに乗りますから)、最近は野口さんの表立っての活動は目立っていないように思う。表立って活動しなくとも、着実に目標に向って進むことが出来るような道を見つけられたのだろうか。ま、これに関しては、単に私の目に入ってない可能性も大きいですが。

落ちこぼれていた高校生が、偶然植村さんの本を目にし、山に登る事から始まって、そこで知った世界から目標を設定し、自分を取り巻く世界との関わり方を見付けていく様は見事の一言。それが本当の道ならば、そこからどんどん広がっていくものなのかなぁ。

あとがきの、父から息子への手紙、息子から父への手紙もいい。これだけ主張が激しいというか、自分の意見を滔々と述べる、野口家で生きていくのは大変という気もするけど。笑

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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おーなり 由子
おーなり由子作品集 (2)

目次
ともだちパズル
 chapter1 谷川くん
 chapter2 みゆきちゃん
 chapter3 公園の人
 chapter4 みゆきちゃんの家のひと
 chapter5 よりちゃん
 chapter6 大町くん
 chapter7 しのぶちゃん
 chapter8 学校にきた犬
 chapter9 おとうさん
ツン・TaTaTa
みどりのぼうし
ゆうやけソノシート
三太郎少年の日
あとがき

ともだちパズル
どこか懐かしい、小学生ようこの過ごす日々。ようこの友だちのお話。全編、昭和の匂いが漂っている(って、平成の子供たちの生活を知らないけれど)。

一見おっかないけれど、実は犬好きで優しい谷川くん、魔法ノートを交換する、大親友のみゆきちゃん、公園で出会った中学生のお兄さん。みゆきちゃんのロマンチストなお父さん、ようこよりも大分お姉さんな従姉妹のよりちゃん、転校していった大町くんが残していったもの。近所の一見男の子のような、しのぶちゃんと一緒にかけた「髪の毛の魔法」、ある日学校に現れた、くたびれた犬「ジジオ」のお話、ようこの「いらち(せっかち)」なお父さん。以上、9章の短編漫画からなっている。

全く同じではなくても、子供時代に似たような経験があったなぁ、と懐かしく思った。大人になってからの時間は、本当に素早く過ぎ去ってしまうのだけれど、子供時代、特に小学生の頃は、6年という時間が非常に長く感じて、一生卒業しないんじゃないの?、などと思ったものだった。子供時代の、時が止まったような、濃密な時間を思い出す。

ツン・TaTaTa
学校をさぼった中学三年生の男の子と、病気のためにもう一度中学三年生をやり直す女の子が、動物園で出会うお話。二人それぞれに春が来るといい。

みどりのぼうし
初恋を助けてくれた、タンポポの綿毛を飛ばすことが仕事だという、緑の帽子をかぶった男の子のお話。

ゆうやけソノシート
地方から出て東京の専門学校に通う男の子のお話。地元には、麦ちゃんというGFを残してきたのだが・・・。幻想的だけれど、地に足が付いているお話。

三太郎少年の日
三太郎少年との友情の話。

ともだちやった
ことに
あとから
気づく
ことがある

あのあと
ぼくが

三太郎をさがして
ポケットを
チャリチャリならしながら

てつぼうや
土手を
ひとりで
はしって
いたことを

三太郎は
しらない-

ともだちパズルで、少女を描くのが上手いのだなぁ、と思ったけれど、ここに収められた他の作品を読んで、性別や年齢を越えて、「大事な気持ち」を描くのが上手い作家さんなのだなぁと思った。じーんとした。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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群 ようこ
トラちゃん

副題には、「猫とネズミと金魚と小鳥と犬のお話」とある。そう、これは群さんがかつて飼っていて、他の家族と共に暮らした、動物達のお話。

目次
金魚のよしこちゃんの話
手のり文鳥のチビの話
十姉妹のビンタちゃんの話
インコのピーコちゃんの話
犬のピーター君の話
初代トラちゃんの話
二代目トラちゃんの話
いたずら子ネコたちの話
モルモットのハム子ちゃんの話
ハツカネズミのモンジロウの話
ハツカネズミの大所帯の話

あとがきによると、群さんは「他の生きものは、いったい何を考えているのかなあ」と思うことが良くあるそうだ。そんな群さんの思いを反映してか、この本に出てくる動物達は、皆が皆(なんと、金魚に至るまで!)何とも感情豊か。

そして、動物達は勿論の事、群さんの家族の力関係も面白い。天真爛漫で情に厚い母(この母があってこそ、と思われる)、優秀なのになぜかいびられがちな弟(弟がいる人には、何だか覚えがあるのでは)、滅多に帰ってこないけれど、超マイペースな父(多分、途中でご両親が離婚されているはずなので、出てくる回と出てこない回がある)など。群さんの視線は、動物に対しても人間に対しても、それ程は変わらないように思える。
**************************************
■金魚のよしこちゃんの話
縁日の金魚すくいで群家にやってきた「金魚のよしこちゃん」(同時期にやって来たのは、「みのるちゃん」と「太郎ちゃん」))は、弟さんの愛情に応えて体長20cmの小さな鯉ほどに成長した。雑食の「よしこちゃん」は、ミートソーススパゲッティから、クッキー、おせんべい、チョコレートまで、何でも食い尽くしてしまうのだった。十四年間、弟さんの世話を受けた「よしこちゃん」は、本当に彼に良く懐き、弟さんがベランダに出ると、バシャバシャと水面ではしゃぐのだった(群さんが、同じサンダルを履いて騙そうと思っても、「よしこちゃん」は全く騙されず、水槽の底をのそのそと泳ぐのみ!)
たかが金魚と侮るなかれ。弟さんのこの言葉は、結構本気なのではと思った。

「ここまでなついたら、ボクいつ失業してもいいよ。どっかのシーワールドで、よしこと芸するから」

■初代トラちゃんの話
群家に迷い込んできた、美猫トラちゃん一家(トラちゃん、チビ、コトラちゃん)のお話。トラちゃんはとてもいいお母さん。気配りも行き届き、子猫たちの躾にも余念がない。しかし、そんなトラちゃんも年老いる。お別れを言いにきたトラちゃんと、入れ替わりで現れたのは、一時姿を消していたコトラだった。この話は、「二代目トラちゃんの話」、「いたずら子ネコたちの話」と繋がっている。二代目トラちゃん(かつてのコトラちゃん)の甘えっぷり(そして、いじられっぷり)も楽しいし、猫の親としての躾も感心する。子猫がいけない事をすると、前足で頭をぽかぽか叩いて怒るのだって(でも、怒った後は、毛を舐めて上げて、甘えさせてあげるのだそうだ)。

■ハツカネズミの大所帯の話
ネズミを集団で飼うと、そこにはきちんと社会が出来上がるらしい。「お掃除係」さんが出来たり、オスとメスに分けた集団で、大奥マル秘物語が展開したり。この章には、特に一緒に飼っていた動物の話が入り込んでいるので、この大騒ぎもまた楽しい。

うちでは、食事時の気分が、いまひとつ盛り上がらないときは、テーブルの上のインコのピーコちゃんもネズミたちも、一緒くたにおっぱなした。特にチャーハンは、みんな喜んだ。

って、凄いでしょ?
展開される図もすごいのだけれど、それを観察する群さんの目がいい。
**************************************
ここに上げた話以外にも、「ビンタちゃん」の名前の由来もいいし(話としては大変に腹立たしい話なのだけれど)、「ピーターくん」の話はとても切ない。
この本を読むと、人間も「生きもの」の一種に過ぎず、皆でわいわい暮らすのって、とっても楽しそうに思える(とはいえ、今現在、私はいかなる動物も飼ってはおりませんが)。

群さんの小説は実は読んだことがないのだけれど、動物や本に関するエッセイはとても好きでした。今日は久々に手持ちの本から。
amazonでは現在取り扱っていないようなので、bk1のリンクも貼っておきます。

トラちゃん
群 ようこ著


*臙脂色の文字の部分は、引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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佐藤 賢一
赤目のジャック

これは、「ジャックリーの乱」を題材とした物語。この耳慣れない「ジャックリーの乱」とは一体何なのか。それは、「1358年に百年戦争中のフランスで起こった大規模な農民反乱」であり、「叛乱の名前は当時の農民の蔑称ジャック(Jacques)に由来するとされるが、当時の年代記作者によって、当初、指導者名がジャック・ボノムと誤って伝えられたことに由来するという異説もある」そうだ(wikipediaより引用)。

佐藤賢一氏による、本作「赤目のジャック」は、この「ジャックリーの乱」に『ジャック」が本当にいたとすれば、一体どんな男だったのだろう』(あとがきより引用)と想像して書かれた本。惨たらしい描写の数々がなされ、人間の暗部がこれでもか、と描かれる。蓋が外された時、そこには何が立ち現れるのか。

北フランスの寒村、ベルヌ村に住む、十八歳のフレデリは絶望していた。彼が生まれ育った村は、傭兵たちにすっかり蹂躙されていた。双子の兄は婚約者を守ろうとして共に殺され、彼の婚約者、栗毛のマリーは傭兵たちに輪姦されていた。なぜこんなことが起こったのか?村人たちのやり場のない怒りはどこへ。傭兵たちに復讐を果たそうにも、彼らは元来流れ者。後を追うこともかなわない。

フレデリが頼ったのは、村にいつからか住み着いた、乞食坊主「赤目のジャック」。ジャックの色素が薄く、時に赤く光る目は、村人たちに「魔眼」として恐れられていたが、その闇の知恵ともいうべき世渡りの術は、村人たちに一定の信頼を得ていた。ジャックは言う。この惨状は誰によってもたらされたものか? それはひとり直接手を下した傭兵たちによるものではない。村人たちは貧しい中から、領主たる貴族に年貢を納め、賦役をこなしていた。それは本来、「守って貰う」代償としてのもの。「守って」くれない貴族に存在意義はあるのか? 戦に負け、傭兵たちを招きいれたフランスの貴族、騎士たち、彼らは一体何ほどのものなのか。

ジャックの魔眼が光り、杖に付けられた、帆立の貝殻が鳴る時、善良であった村人たちの良心は凍る。ジャックは村人たちに刷り込まれた、貴族に対する畏怖の念を破壊する。農民たちの人数は膨れ上がりながら、「世直しの十字軍」を名乗り、貴族を嬲り殺し、奥方、娘を犯し、およそ人が考えうる限りの残虐行為と略奪を繰り返す。より酷いことをしたものが、より高い地位につく。温和な人徳者で知られた村長も、孫のような令嬢の尻に取り付いて離れない。

フレデリがジャックの他に、もう一人神としたのは、赤毛で痩身の貴族の女、ブリジット・ドゥ・ベラトゥール。彼女は過去ジャックとも因縁のあった、冷血の爬虫類にも似る美しい女。彼女に弄ばれたフレデリは、正しい農夫としての人生を否定されたと感じ、貴族の女に対する憎悪の念を深める。

フレデリはジャックを破壊の神と崇め、自分を壊したブリジットを、屈服させるべき偶像、女神として、突き進む。

農民による蜂起は各地に広まったけれど、勿論貴族たちがそのまま手をこまねいているはずもない。これといって策もない農民たちの乱は鎮圧される。偶然にも鎮圧を逃れたフレデリであるが、心優しい旅芸人のジェローム、犯されたのにフレデリを愛してくれた貴族の娘、金髪のマリーを捨ててまでも、「赤」目のジャックの謎、「赤」毛のブリジットの謎、二つの謎を解くために、再び渦中へと舞い戻る。

そこで彼が見た真実とは。
人を操れる筈の「赤目」を開くこともなく、ジャックは処刑台の上であっけなく首を落とされ、誇り高く傲慢なブリジットは、可愛く少々頭の足りない妹マリーにコンプレックスを覚え、可愛がられ、奪われることを望むただの女であった

プロローグとエピローグでは、二十年後のフィレンチェにおけるフレデリの姿が描かれる。「赤目」は何度でも現れ、暴徒と化した労働者の群れが、今度は花の都フィレンチェを駆け抜ける。

「赤目」はしかし、その威力を信ずる人があってのもの。一番恐ろしいのは、それを信じて疑わないフレデリではないか、と感じた。圧倒的な暴力でもって、引け目を感じずにすんだという、栗毛のマリーの気持ちが私には良く分からなかった。互いに毒を飲み込んで、倣岸に見なかったことにしながら、それでもなお互いに優しく接する生活は、果たして幸せなのであろうか。むしろエピローグがない方が、「希望」を感じたように思う。繰り返される破壊、信仰が、人間の真実なのか。

佐藤賢一氏の入門としては絶対にお勧めしない本であり、既にファンであり、氏の色々な著作を読みたい人向けの本。このテーマ、この話を読み切らせる力量は流石と思うが、他の作品で見られるような爽快感は、ここでは全く見られない。

ジャックリーの乱 (wikipediaにリンク)
チョンピの乱 (wikipediaにリンク)
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江國香織「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」

透明な糸に絡め取られて、更に上からぴっちりとラップで覆われたような閉塞感を覚えた。息苦しい。

決して暗い物語ではなく、その舞台は明るく、江國さんらしく洗練されたものでもある。でも、江國さんの恋愛小説に出てくる女性は、色々な面で恵まれてはいるのだけれど、いつもゆるやかに絶望しているように思える。
自分には久しぶりの江國さんの恋愛小説で、そろそろ楽しく読めるかなぁ、と思ったのだけれど、うーん、私は「間宮兄弟」 の方が好き。

この小説は色々な女性が入れ替わって、主人公となっていくようなスタイル。
彼女達の関係は、友人であったり、姉妹であったり、会社の同僚であったり、夫を通しての付き合いであったり。職業もバラバラ、専業主婦、モデル、編集者、OL、花屋のオーナー・・・。

この中で印象深かったのは、陶子、衿、道子の三人。

陶子は結婚して四年になる専業主婦。彼女は夫である水沼のアクセサリーのような妻(だって、水沼のセレクトは、彼女の下着にまで及ぶのだ!)。その状況の甘やかさを楽しみ、一番そういう所から遠くにいるようであるのに、彼女は犬の散歩中に知り合った男性と情事を重ねる。「好もしい」という程度の気持ちはあれど、それは恋ではなく、求められる事を純粋に喜ぶような気持ち。情事を終えた彼女は、いつもすっかり「元通り」。

でも、それでは遠くにいきすぎる。
遠くにいけば、帰れなくなる。この居心地のいいリビングに。水沼との生活に。
第一、自分は昔から旅行好きなタイプではないのだ。

衿は、陶子の学生時代からの友人である、れいこの夫、土屋保のガールフレンド。職業はモデル。土屋との関係は不倫になるけれど、衿は土屋に真っ直ぐで健やかな愛情を示してやまず、また彼女なりの矜持を持った女性。

ちゃんと話をきいている、ということを示すのは、端的で清潔な愛情表現だ、ということを、子供のころから衿は体でおぼえている。

道子は、陶子が結婚前に付き合っていた、獣医師山岸の妻。山岸は陶子の妹、草子の長年の片思いの相手でもある。過去、道子は浮気をして、それはまた、夫、山岸の知る所ともなった。しかし、今では二人は表面上は、落ち着いた夫婦に戻っている。

「不思議ね」
「みんな、いちばん愛したひととはちがう相手と一緒にいるみたい」
「でも、すぎてしまえばずっと一緒にいた相手をいちばん愛していたと思ってしまうのね、きっと」

その他にも、花屋の共同経営者であった、夫・篠原との離婚後に何とも言えない淋しさを感じるエミ子(不在を淋しいと感じる気持ちも、また愛情なのか?)、土屋との虚像のようだった結婚生活に、終止符を打つ事を決める、れいこ達夫婦の関係も印象深い。

しかしながら、江國さんは恋愛を描きつつも、相手となる男性にまるで期待していない感じがする。でも、それってちょっと淋しくないか?、と思うのです。
だから、読みながら何とも言えない閉塞感を感じるのかも。

陶子の妹、草子と見合い相手の藤岡のカップルは、この中に出てくるカップルの中では、一番向かい合っているように感じられる。最初はみんな向かい合っていても、長い年月の間に気持ちが離れてしまうのかなぁ。自分の世界の構築だけに篭ってしまって、夫婦二人の間に育てているものがない感じ。関係性とは互いの努力によるものであるわけで、空疎な関係にはなりたくないな、と思った。

文句も言ったけれど、江國さんの小説は、氏独特の他にはないもので、時々はこの毒気に当てられたくなってしまう。

江國 香織
薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木

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これは昨日の「なぎさボーイ」 の対となる作品。

目次
第一章 女の子以前―十三歳
第二章 遅すぎた予感―十五歳
第三章 あなたについて考えている

多恵子から見たなぎさは、「なぎさボーイ」よりも随分と格好いい。「なぎさボーイ」はなぎさの内面の七転八倒で、周囲に見せたい「なぎさ像」とは違っているから、これは当然の帰結といえるのかもしれないが。多恵子はお節介で感情的な女の子だけれど、デリカシーもあるし(時々興奮し過ぎるきらいはある)、「見守る」ことの出来る女の子。だから、この「多恵子ガール」が、「なぎさボーイ」の補完的な位置にあたる。


「女の子以前―十三歳」は、多恵子が「雨城くん(なぎさ)」のどこが好きかという話。彼女の周囲でごちゃごちゃが色々あって、もっと違う目でいろいろなことをして、いろいろなことを見るんだと決意する、女の子以前の話。

あの人は強い人だ。ほんとに偉い人だ。
あたしはとても、そんな人にはなれそうもないけど、そういう人をわかる人にはなりたい。
拍手する時、その人の後ろにあるたくさんの練習や、いろんな気持ちを想像できる人には、なりたい。


こんなこと言われたら、男の子冥利に尽きるような気がするよ。
男の子限定ではないのかもしれないけど。


「遅すぎた予感―十五歳」は、多恵子の口から語られる受験勉強時代の話。「なぎさボーイ」から見ると、例の「革命」前後の話になる。同じ蕨高校を受けるということで、なぎさと多恵子は、その他、北里、野枝、三四郎を入れたグループを作っていた。楽しい生活の中に不穏な空気が忍び寄る。

何ヶ月かして、あたしはこの日のことを、ある理由から、たびたび
思い出した。
この日の自分の呑気さ、他愛なさがおかしくて、思い出すたび苦笑した。


「あなたについて考えている」は、ライバルにあたる槇修子が、多恵子の前に現れて以降の話。

離れれば離れるだけ、あの人は知らない人になった。他人の顔した人に
なった。
知りたい。
もっともっとあの人のことが知りたい。
あたしはちょっとだけしか、あの人のことを知らなかった。それだけのことだ。


「多恵子ガール」を読むと、なぎさが思っていた以上に、多恵子がなぎさのことを良く見ていたことが分かる。 私はクラスの人気者的な明るい多恵子が苦手で、当時、鮮やかな槇修子に随分と肩入れして読んだものだった。なぎさが色々思い悩むだけあって、槇修子は鮮やかで凛々しく魅力的な女の子。硬質なイメージ。これを読んでいた当時は、なぎさなんて大した男じゃないんだから、そんな男は多恵子に上げてあげるわ、なんて思っていたのだけれど。

改めて読んでの感想は、若いって恥ずかしいけどいいよね、ということかなぁ。この本には、思春期の色々が沢山詰まっている。多恵子の良さ、可愛らしさも、今読んだ方が良く分かる。

氷室 冴子
多恵子ガール
集英社コバルト文庫

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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氷室冴子「なぎさボーイ」

突然、古い本を持ち出してしまいますが、今日は「なぎさボーイ」について。渡辺多恵子さんによる、表紙イラストも実に愛らしい。

「男はすべからく枝葉末節にこだわることなく泰然と構える」をもって理想とする、俺、雨城なぎさ。しかし、彼の外見はそんな決意を裏切るもの。身体は小づくりで、女顔。幼稚園の入園式ではプロポーズされ、中学生となっても、全校生徒に「なぎさちゃん」呼ばわりされてしまう、一種のアイドルでもある。これはそんな「男たるもの」な彼が、恋愛に七転八倒する様を描いた本。

タイトルに「男の子の気持ち」と入れたけれど、実際は女性である氷室冴子さんが書かれているので、これが本当に「男の子の気持ち」なのかは分からない。でも思春期で、且つ「男たるもの」な男の子って、こんな感じなのでしょうか。対になる「多恵子ガール」があって、こちらは多恵子の側から描かれた本。

目次
第一話 俺たちの序章
第二話 俺たちの革命
第三話 俺たちの乱世


「俺たちの序章」は、同じ高校を受験する、なぎさと多恵子の共通の友人、三四郎の恋物語。三四郎は気弱で頼りない同級生。なぎさは父のように、多恵子は母のように、これまで彼の面倒を見てきたのだ。なぎさから見た多恵子は、彼の建前では、でしゃばりでお祭り好きの、お節介で感情的なオンナ。でも本当は? 根性を見せた三四郎にならい、建前ばかりだったなぎさが、ようやく自分の本音を認めるようになる。ちなみに、三四郎の恋は「蕨ヶ丘物語」という別の本になっている。

そうなんだ。
俺は多恵子が、ずっと気に入っていた。
だけど、素直になるのが下手だった。しょうがないよな、性格だし。

「俺たちの革命」は、なぎさが自分の気持ちを認めてからの話。彼は「革命」と呼ぶのだけれど、実際は大した行動を起こしたわけではない。だけれどなぎさは、「革命後」に多恵子が気になって仕方がない、自分自身が気に入らない。多恵子の一挙一動が気になる彼は、「男は泰然と」からは外れているわけであるから。自分の心を乱したくないなぎさは、多恵子に「革命前」に戻ることを宣言する。なぎさにとって思わぬ伏兵が現れ、またごちゃごちゃと考えた挙句に、もう一度仲直り。

あれに意味をもたせて、革命革命と騒いでいたのは、俺の独り芝居だったのか・・・・・・。とすると、今までが革命前夜、今日が革命当日ってことになるのかな。

「俺たちの乱世」では、舞台は高校へ。乱世というだけあって、なぎさと多恵子の周囲にも、それぞれにライバルが出現する(なぎさのライバル、松宮は前章で出てきているけれど)。なぎさは多恵子とはクラスが離れてしまうものの、あまり一緒になりたくなかった、ライバルの松宮、槇修子とは同じクラスになる。突然名前が出てきてしまうけれど、槇修子とは、なぎさが中学時代に陸上競技会で出会った、鮮やかで凛々しく
強い女の子。有体に言えば、多恵子と槇修子の二股状態になってしまい、自他共に認めるシンプル思考のなぎさは大混乱に陥る。

「槇が男だったら、北里以上の親友になれるよ。槇は特別な人間だ。多恵子とは次元が違う。多恵子がいてもいなくても、特別な人間には変わらないんだ」
****************************************************
ちなみに、この「なぎさボーイ」は中途半端な所で終わっているので、「多恵子ガール」を手元において読まないと、身もだえする羽目に陥る。「多恵子ガール」は、「なぎさボーイ」のラストよりも、もう少し長く物語が続く。「ボーイ」と「ガール」、両方の側面から描かれるのが、当時はとても新鮮だった。

氷室 冴子
なぎさボーイ
集英社コバルト文庫
古い本なのに、画像が出て感動です。可愛いでしょ?

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたらご連絡ください。
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