旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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デヴィッド ウィーズナー, David Wiesner, 当麻 ゆか
かようびのよる

bookbath さんのところで、気になった絵本です。

 ◆bookbathさんの記事はこちら → 「絵本色々2

このbookbathさんの記事が、うまーくぼかして、でも、すっごい気になる感じに纏められてまして、わたくし、急ぎ図書館で借りてきました。

bookbathさんも仰るとおり、これは前情報なしで読んだ方が良いと思うので、私も多くを書くことはしませんが、出てくるものたち、それぞれの表情がとってもいいのです。自由だーー!、という感じ。

敢えていうならば、ぐるぐる さーん。もし、ご覧になっておられましたら、是非ぐるぐるさんに読んで欲しいなぁ、と思います(もしかしたら、既にご存知かもしれませんが・・・)。

火曜の夜が終わって朝になれば、夜にあったことは既に分からない出来事になり、そして、次の火曜日の夜には・・・。

実に楽しい絵本でした♪
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スティーヴン ミルハウザー, 柴田 元幸

バーナム博物館  

なかなか不思議で雰囲気のある表紙なんだけれど、出ないようです、残念。

読み終わってもやもやと考えていた事を、「訳者あとがき」にてずばり書かれておりました。
それはこの本のテーマが、「過剰な想像力を抱え込むことの甘美な呪い」であるということ。
想像力は現実を超えて、軽やかに、軽やかに飛翔してゆく・・・。

目次
シンバッド第八の航海
ロバート・ヘレンディーンの発明
アリスは、落ちながら
青いカーテンの向こうで
探偵ゲーム
セピア色の絵葉書
バーナム博物館
クラシック・コミックス#1

幻影師、アイゼンハイム
訳者ノート
訳者あとがき

七つの航海で終わるはずの、シンバッド(シンドバッド)の第八番目の航海(シンバッド第八の航海)、全くの無から自らの想像力によってのみ、幻の女性を創り出すロバート・へレンディーン(ロバート・ヘレンディーンの発明)、ウサギを追いかけてひたすら落ち続けるアリス(アリスは、落ちながら)、上映が終了した映画館の中で、スクリーンの中に入ってしまう子供(青いカーテンの向こうで)、「探偵ゲーム」のプレイヤーたちとゲーム盤の中の世界(探偵ゲーム)、セピア色の絵葉書の中に、私が見たもの(セピア色の絵葉書)、空飛ぶ絨毯、人魚など、あらゆる不思議なものが陳列されたバーナム博物館(バーナム博物館)、コミックスの中のコマの世界(クラシック・コミックス#1)、全てが雨に溶けていく()、世紀の奇術師、アイゼンハイム氏の生涯(幻影師、アイゼンハイム)。

雰囲気が好きなのは、子供の頃の、映画館への恐れが混じった憧れや、映画の映し出されるスクリーンの向こうを描いた「青いカーテンの向こうで」(スクリーンの向こうに、映画館のどこか奥深くに、映画の登場人物たちが隠れていないとどうして言える?)。

面白かったのは、「探偵ゲーム」、「バーナム博物館」、「幻影師、アイゼンハイム」。

探偵ゲーム」は、アメリカで最もポピュラーなボード・ゲームの一つ、「クルー」が元になっているそう。ゲーム盤中央の黒い封筒に隠された、犯人、犯行現場、凶器のカードを当てるのが最終目的。デイヴィッドの誕生日に集まった、ジェイコブ、マリアン、デイヴィッドのロス家の三兄弟と、招かれざる客、ジェイコブのガールフレンドのスーザンの四人で行う、「探偵ゲーム」。現実の緊迫した彼らの様と、ゲーム盤中のコマたちの生が絡み合う。

幻影師、アイゼンハイム」。並外れた技量を持つ、奇術師のアイゼンハイム氏は、とうとう一般の奇術の枠をも超えて、幻術の枠へと進んだようである・・・。アイゼンハイム氏が夜毎の舞台で登場させるのは、幻の少年や少女。言葉も発するし、会話も出来る、しかしながら現実の人間が触れることも出来ない彼ら。さて、どこからどこまでが幻影だったのか・・・?

クラシック・コミックス#1」などは、ちょっと読むのが辛かったけれど、幻想的で奇妙な味に満ちた物語たち。

 ← 新書も。「白水Uブックス 海外小説の誘惑」だって。
            こちらのシリーズも気になります。

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ジクリト ホイク, 酒寄 進一
月の狩人―アマゾンでみたわたしだけの夢  

砂漠の宝 」がえらく面白かったので、同じ作者と訳書のコンビだし(出版社のシリーズもね)、と借りてきた。ところが、主人公の性別のせいか、その年齢設定のためか、砂漠の宝」とは違って、いまひとつ楽しめず。むーーー。少女物の方が、少年物よりも難しい気がしまするよ。

十六歳の少女シェバは、スペインマニアの父さん、「パブロ」(本名パウルのスペイン読み)の旅に同行する。それは、密林の奥深くに住む部族を訪ねる旅だった。どこからやって来たのか、誰も知らない少年、マヤク。彼はピラミッドが聳え立ち、木の上に立てられた家がある、密林の奥深くからやって来たのだというのだが・・・。

父さんが時に投稿する雑誌社から資金を得ての、南アメリカの小さなジャングル探検。メンバーは、父さんにカメラマンのジョニーにシェバ。更に現地に着いてからは、白人とインディオの混血のホワン。雲を掴むかのような話に思われたけれど、彼らは無事マヤクを探し出す。

当初は仲間の元に彼らを連れて行くことを拒否したマヤクであるが、シェバが偶然手に入れた木彫りのジャガーを見てからは、態度が変わる。そして、ここから本格的な河を遡る彼らの旅が始まる。

ジャングルのイメージであるならば、場所は違うけれど、古川日出男の「
13 」が強烈だったからか、この本のその辺のイメージは特筆すべきものはなく、インディオたちの言い伝えもどこかで聞いたことがあるというか、特に迫ってくるものがなかった。ってことで、この本の情景が楽しめなかったのが、いまひとつ楽しめなかった原因みたい。うーむ、こういう物語では、情景が肝だからなぁ。

唯一面白かったのは、メスティソのホワンと、生粋インディオのマヤクの違い。ホワンは洗礼も受け、神を信じるけれど、やはりこれまでの「迷信」とは無縁ではいられない。アヤママ鳥の鳴き声は死の予言。そして、それらの「迷信」はマヤクにとっては、この上もなく真実であるということ。

あ、あと、町の人々には忘れ去られた宣教師、エンリク神父の存在も面白かった。インディオが土地を変えるごとについていって、教会を建てて歩いた神父。日曜日にはミサをあげ、インディオにも分かりやすい言葉で祈る神父。シェバの言うとおり、インディオたちがミサに来たり、洗礼を受けるのは、彼らが自分たちの神や魔物を捨てたわけではなく、インディオの言葉を覚えて、みんなの世話をしてくれた神父を喜ばせたいからなのかもしれない。

シェバはマヤクと段々に心を通わせるようになるけれど、マヤクの部族で行われる、新月の夜の「月追い祭」において、悲劇が起こる。インディオたちの中に溶け込んだエンリケ神父の生き方と、シェバや父さん、ジョニーたちの生き方は、悲しいまでに異なるんだよな、やっぱり。

表紙絵は出ませんが、ルソーの「蛇遣いの女」です。
副題に「アマゾンで見たわたしだけの夢」とありますが、この題から想像するようなメルヘンチックな物語ではありません。
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ジクリト ホイク, 酒寄 進一
砂漠の宝―あるいはサイードの物語

トゥアレグ族の少年、アブリ。彼の父は、駱駝の隊商を率いる長のアフマド。アブリにとって、これが最初の長旅だった・・・。熱い日差しを浴びて砂が煌き、風に煽られた無数の砂粒がたなびいていく。アブリは自らの手で大切に育て上げた、駱駝のアールシャに乗り、砂漠を行く。
「ウルド!ウルド!進め!もっと速く!」

アブリたちの隊商は、砂漠の中に忽然と現れた旅人と一緒になる。スレイマンと名乗るその旅人は、藍色のガンドゥーラを纏い、腰にはアブリがこれまで見たこともない見事な銀の短剣を佩いていた。

男たちは砂漠の中でも、イスラムの聖地メッカに向かい、夕べの祈りを欠かさない。さて、旅人は名をスレイマン=エル=ハカヤティというのだという。「昔話の語り手(エル=ハカヤティ)」だという彼は、アブリにせがまれ、食事やお茶の休憩の度に、ある少年の物語を語るようになる。

「まわりの世界をよく観察するのは大切なことだ。そこにはたくさんの不思議な物語が隠されている。それを見いだしたら、あとはなりゆきにまかせればよい。物語の始め方さえわかっていれば、あとはひとりでに発展していくものだ。主人公たちは命を吹きこまれ、おまえが想像だにしてなかったでき事にあうことさえある」      (P160より引用)

物語の中の物語にあるこの言葉のように、昔語りの主人公とされたサイード<幸せなる者>は、スレイマンとアブリ、隊の他の者たちに命を吹き込まれる。水の妖精(ペリ)を名付け親に持つサイードは、幸福を求めて旅に出る。それは「砂漠の宝」を求める旅。現実のアブリたちの旅の途中で、彼らが見付けたものが話の接ぎ穂となり、サイードの物語は続いていく。それはまた、アブリたちの旅といつしか重なっていく・・・。

物語を作るのは、絨毯を織るのと同じ事。同じ色を使い過ぎるのも禁物だけれど、決まった繰り返しもなくてはならない。主人公は物語を一つに纏める縦糸であるけれど、色柄や模様は、織り手が繰り出す横糸で自由に変えることが出来るのだ。

児童書であり、勘のみで借りてきた本だったのだけれど、これが良かった! アブリたちの旅、サイードの冒険。初めての長旅に、見るもの全てが新しいアブリ。魔人や妖精(ペリ)が身近に思えるような砂漠の様。ニジェール河(イッサ=ベール河)から始まり、モロッコ(マグレブ=エル=アクサ)、カイロ(エル=カヒーラ)、イエメン、再びニジェール河と、様々な人(と動物)と出会いながら、サハラ砂漠の周りを旅するサイード。この二つの物語が如何にも巧い具合に絡み合う。まさに、語り手の決まり文句も、決まるというもの!

誉むべきかな、アッラーの神。われらに言葉を授け、昔語りする術を与えたまいしアッラーの神に感謝!

物語はやっぱりいいなぁ。

これ、福武書店の児童書、ベスト・チョイス(選びぬかれた子供の本)というシリーズなんだけど、他の本もなかなかに気になるラインナップ。気が向いたら、他の本も借りてこようと思います。

◆トゥアレグ族(Wikipediaに
リンク
◆トンブクトゥ(Wikipediaに
リンク
←ポール・オースターの『ティンブクトゥ』は関係あるの??

* 臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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姫野カオルコ「喪失記」

子供の頃、あなたは何かに縛られてはいませんでしたか?

例えば親から押し付けられた価値観、例えば親戚や近所の人の心無い一言、
例えば級友の何気ない言葉。

主人公の白川理津子は、33歳のイラストレーター。テレビのトーク番組に出たり、CMに出演したこともある。雑誌の取材だって受ける、華やかだと思われがちな、彼女の私生活は、しかし本当は静かなもの。

子供のころのまま変化がない。十代のときも、二十代のときも、そして三十三歳の現在も、変化というものがない。

三十三歳の今、「ビジンはビジンを売り物にしていい」と言われても、高校生の時に後輩に「きれいな人」と言われても、多分それは彼女に何の感傷も呼び起こさない。

彼女にとって、繊細で小さな身体を持つ他の女性は、殆ど怖れを抱くような存在で、それに比して自分はあまりに頑丈な骨組みを持つ「鉄人28号」。料理が出来る事を男に話すことすら、はしたないと感じる彼女は、あまりに潔癖だ。

ブスという語は何語なのだろう。ともかくも、それは決して顔の造作によって決定されない。男にとって女としての価値のないこと、それがブスということである。

顔の造作に関わらず、彼女は自分にブスの烙印を押している。
資格がない、分不相応だと、全ての享楽から目を背けている。

彼女の自己を律するこの強さはどこから来ているのか?
些細なきっかけで知りあった、食べ物の好みと食べ方がぴたりと一致する、大西という男との毎夜の食事の中で、それが語られる。

近所の美少女に、「剥げキャロ」と呼ばれた五歳の頃の話、彼女が家の事情で預けられていた、イギリス人神父コートネイさんのもとでの暮らし、その後一緒に住むようになった両親のこと、高校生の頃の話、デザイン学校に通っていた頃の話、卒業後の話、ホストクラブでの雑誌取材の話・・・。

そこに浮かび上がるのは、あまりに淋しい一人の女性の姿。
「愛」を感じ取る事が出来ないまま、「愛」を受け容れる事が出来ないまま、言葉だけを受け取ってしまった者は、多分その言葉のみに縛られる。彼女を縛ったのは、キリスト教の言葉、周囲の言葉。彼女は過剰なほど自分を律する。それは彼女があまりにも周囲の目を恐れたから。

あいつ、繊細でもないくせに繊細な役をやりたがってるんだぜ。あいつ、鈍重なくせに鋭敏な役をやりたがってるんだぜ。ひそひそ声で世界が私をあざ笑うのではないかと恐れたのだ。

この本の中での大西との連続した食事は、外食ではなく彼女の部屋で作ったトマトソースのパスタと、茹でた茄子とキュウリにチーズを絡めた付けあわせで締め括られる。大西は、彼女が料理を作ることを見破った、初めての男。二人は互いに好ましく思い、相通じるものを感じるが、それは男女の愛ではない。大西もまた、何かが欠けた男であった。友愛と欲情が異なっている。

大西の言葉により、彼女は眠っていた、若しくは眠らせていた、女としての小さな願いに気づく。

「鉄人でも男でもなく女であることは神様だって変えられない、それを認めないから鉄人になって男になるんだよ」

願いに気づき、目を向けた彼女は、今度はその願いから逃げず、恐れず、幸せになれるのだろうか?

「ツ、イ、ラ、ク」 のような、恋愛小説の迫力はここにはない。
ただ、三十三歳処女の白川理津子のかなしみが胸に迫る。姫野さんはどうしてこういう感情をそっくりそのまま覚えていて、それを抉り出すことが出来るのだろうか。

少しでも身に覚えのある人間にとっては、とても痛い小説だと思う。ただし、肥大化した自意識に嫌悪感を催す人、またはこういった感情に縁の無かった人には、この小説は用が無いのかもしれない。

 
姫野 カオルコ
喪失記 ← こちらは、私が読んだハードカバー
 ← 角川文庫からも出ているようです

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。                       
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