旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


テーマ:
ヘルマン ヘッセ, フォルカー ミヒェルス, Hermann Hesse, Volker Michels, 岡田 朝雄

岩波書店 同時代ライブラリー


美しく、感じの良い表紙なのだけれど、残念ながら表紙絵が出ません。本書の中にもふんだんに使われている、手彩色の銅版画からキアゲハと、これはヘッセのサインなのかな。

目次
幼い日の思い出

アポロウスバシロチョウ―フィーアヴァルトシュテッテ湖畔の旅の一日
告白
アルプスヒトリ
葡萄酒の中の蛾
クジャクヤママユ
失望の人
インドの蝶
青い蝶
マダガスカルの蛾
晩夏の蝶

ある詩集への献詞
蝶について
晩夏
キベリタテハ
砂に書いたもの
三月の太陽
晩秋の旅人

編者あとがき―フォルカー・ミヒェルス
解説―岡田朝雄
訳者あとがき


蝶を切り口にヘッセを語る本書。ヘッセ自身による文は、エッセイから詩まで。これに、画家ヤーコプ・ヒュープナーの美しい銅版画が散りばめられるという作り。銅版画がないものは、訳者の判断により写真を載せたということだけれど、幾分かのっぺりしてしまう写真よりも、画の方が繊細で綺麗。

ヘッセは勿論、蝶が好きだったのだろうけれど、本書の内、結構なページを編者あとがきや解説が占めていて、編者や訳者も蝶には一家言ありそうですよ。

しかし、同じように羽のあるものだし、偏見といえば偏見なのだけど、蝶に比べれば私は蛾が苦手。解説によると、英語ではbutterflyとmorthという、蝶と蛾を別々に表現する特別な言葉があるけれど、ドイツ語では蝶と蛾を含めた「鱗翅類」という意味の言葉しかないそう(Schemetterling、Falter:久々にドイツ語辞書でも引っ張り出そうかと思ったら、どこかにいってしまっていて調べられず)。

アルプスヒトリでは、このヒトリガに狂奔する「虫屋」たちの姿が描かれるのだけど、私にはただの毒々しい蛾に見えてしまう・・・。蝶の美しさはまだ分かるけど(とはいえ、触ってあの鱗粉を手に付けたくはないけれど)、蛾のぼってりとした身体(?)や毒々しいまでのあの色使いにはやっぱり慣れない・・・。

ヤーコプ・ヒュープナーの絵は、私は十分美しく思えたのだけれど、解説によると、本書に載せられたものは、フリードリヒ・シュナック編『小さな蝶の本』及び『小さな蛾の本』から複写されたものであり、複製のため原画の美しさと精密さが出ていないとの事。本物はどれだけ綺麗なのかしらん。
というわけで、amazonで見つけた、『蝶の生活』。図書館で予約してしまいました(そして、例によって表紙が出ない~)。中身が楽しみです。

☆関連過去記事
ヘルマン・ヘッセを旅する
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福田 俊司
シベリア動物誌

とら さんに、虎の素晴らしさを諄々と説かれたせいか、何だか気になるようになってしまった「虎」という動物。というわけで、今日は表紙に惹かれて借りてきた、こちらの本。なかなかの迫力でしょ?

とはいえ、この本が追うのはあくまでシベリアの動物たち全般であって、全てがトラに割かれているわけではないんだけど。でも、「カラー版」だけあって、もくじにあるような動物たちの美しい写真が沢山載せられ、楽しんで読むことが出来た。

迷彩効果を実感できるトラの写真(あんなに派手な模様なのに!)、「世界で初めて撮影された」という夏の野生のシベリアトラ、木に駆け上がったトラ(なんとその高さは6メートル!)、とても美しいアムールヒョウ、オットセイとトドで埋め尽くされた海岸、カルデラ湾を持つ島(カルデラ湖の一部が海と繋がっている)、ユーモラスな表情の海鳥たち、ヒグマがベニザケを食べる瞬間、圧倒的迫力のレナ川の解氷、セイウチとホッキョクグマのたたかい、などなど、動物たちだけではなく、シベリアの風景もまた魅力的。

こんな魅力的な写真が沢山撮れたのには、一緒に取材をしたロシアの人々のお陰もあるらしい。
彼らとのエピソードも、また楽しい。

目次が五つに分かれているのは、シベリアを五つの地方に分け、それぞれ代表する動物を紹介したからとのこと。ちなみに、ロシアではウラル山脈からバイカル湖までを「シベリア」とするそうなのだけど、海外ではバイカル湖以東の極東も含める場合が多いそう。日本もこの「海外」に含まれるので、この本もそれに従ったとのこと。

もくじ
はじめに
1 タイガにシベリアトラを追う
2 海獣王国―千島列島とサハリン
3 ヒグマ王国―カムチャツカ
4 冬鳥の故郷―ヤクート(サハ共和国)
5 ホッキョクグマのハンティング―ヴランゲリ島
おわりに
参考文献
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梅若猶彦「能楽への招待」

実は相当さらさら流し読んでしまったのだけれど、覚書程度に少し書いておく。「能楽」なんて自分には関係のない世界~、と思って生きてきたのだけれど、数年前にほんのちょっとした関わりがあることを知った。とはいえ、実際に能を見に行ったのは、これまでにまだ二回だけなんだけど。で、能は好きか嫌いかでいうと、私の中では「好き」に分類された。知識がそんなになくても、楽しめたのだけれど、少しは知っておいた方がいいかな、と図書館で手に取った。

面の中で両眼をふさいだり、「心」字形に杖をついて歩いたり・・・・・・。能の演出には不思議がなんと多いことか。じつはここにこそ、能の世界の本質がある。「型附」という秘伝書には何が書かれているのか、世阿弥が到達した最高の美は「幽玄」なのか。基礎知識から本質論まで、演技者の眼からズバリと解説した斬新な能楽入門書。【表紙カバーより】

目次
はじめに
1 能の空間
冷たい空間/能舞台の構造/鏡板/役柄と囃子/能面について/能装束/
作物/『道成寺』の鐘/作物と身体の関係/演目の分類
2 内面への入り口
能楽以前の儀式/面の中で「両目ヲフサグ」/海外演劇の振付/振付の
変更/能の振付の矛盾/テキストと違う所作/能の不条理/『実盛』に見る
完璧な矛盾
3 能楽の歴史
芸能とは/芸能と芸術/古代芸能から猿楽、田楽へ/散楽/田楽/能以前の
猿楽―咒師猿楽/翁猿楽/世阿弥が語った田楽師/信長の時代の能/秀吉
の時代の能/徳川三代時代の能/明治維新の能
4 表現体としての身体
「型」とは何か/型の信仰/型の文化論の発展/『リア』でわかったこと/
コーヒーカップの身体性/身体の負荷
5 秘伝を伝える
「型附」という秘伝書/『融』の型/身体性の伝承/伝承の装置としての
メタファー/メタファーの例/能のメタファー/伝統的身体観とオリジナリティ
6 無への探求
能と禅の関係/精神と技術に思想提供した禅/「無」は粋なもの/インター
ネット上の「無」/世阿弥の芸術論/世阿弥の「幽玄」/「幽玄」から「妙」へ/
「妙」の二面性/「無心」と「幽玄」のちがい/能は武術的か?/身体と鏡/
能楽師と鏡/身体性の歴史は内面探求の軌跡
梅若猶彦を読む―高尾正克
あとがき
*******************************************
「能の空間」を読んで考える
能舞台には大抵の場合、何もない。極限まで削ぎ落とされた空間だ。「作物(つくりもの)」と呼ばれる大道具の一種が使われる事もあろそうだが(代表的なのは、『道成寺』における鐘)、私はそれらを使った舞台はまだ見ていないし、その作物は安価で簡素であるそうだ。

能舞台は荘厳なたたずまいで、絶対的な安定感を感じさせる。その舞台の上で舞う身体は、その空間や空気を揺さぶるほどの威力をもち、何もない空間を独占する必要がある。だから能楽師は自分の肉体より寿命の長い文化財である能舞台に対して、身体の優位性を意識しなくてはならない。

私が見た演目でも、身体は舞台を支配していたように思う。

「能楽の歴史」より
秀吉は自ら能楽をよく演じた。一五九三(文禄二年)一〇月五日から七日まで、秀吉は後陽成天皇の前で六番という驚くべき番数の能を舞ったのだそうだ。今でも三番能、あるいは五番能というものがあって、これは能楽師が一日で三番または五番舞うという独演会のことをさすのだけれど、それに比べても秀吉の体力と精神力は並はずれていたことが分かる

でも、見る方も大変だよな、これ。昔の能は今よりも動きが早く、時間も短かったようだけれど。

「秘伝を伝える」より
この章はちょっと難しい。何てったって「秘伝」だし。

型と呼ばれる形があるのだけれど、形だけではなく内面との関わりをどのように伝えるか、ということ。伝承とはある肉体に刻印されている身体性を、次の肉体へ映そうとする試みで、内面性もまたそこに含まれる。型附に出てくる、ある意味で隠れているメッセージを読み込まなければならない。

「無への探求」より
この辺りは、ほんとにメモ。難しいんだ。

「幽玄」とは、もともと中国の老荘思想や仏教思想の深淵さをあらわす言葉だったが、中世日本においては、歌人である藤原俊成が文学的な美の観念として好んで用いた。幽玄とは歌として書かれるものであり、読むものであり、それ以前に感じるものであった。しかし、世阿弥はその幽玄を身体の領域にもちこもうとした人のひとり。


あとがきに書かれていた、梅若氏の集中時における脳の変化の話も面白かった。

身体性を大事にするのだけれど、身体にほとんど変化を見せないまま、内面で表現する、って面白いよなぁと思った。演じ手の立場から書かれた本なので、自分に役に立つか?と言われたら、特に役に立つことはないんだけれど。でも、自分の知らない世界を知ることって、面白い。

梅若 猶彦
能楽への招待

*ピンクの文字の部分は、本文中より引用後、要約を行っております。
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吉岡幸雄「日本の色を染める」

表紙カバーより
紅花で艶やかな赤を染め、紫根から深い紫を取り出す。色を重ね、その微妙な変化を楽しむ。飛鳥・天平の美や『源氏物語』の世界は、その繊細な色彩感覚と高い染色技術を抜きにしては語れない。数々の古代植物染の復元に取り組んできた著者が、実作者ならではの眼を活かして読み解く、日本の色と衣と染の歴史。

目次
はじめに
第一章 色と染めの発見
第二章 飛鳥・天平の発見
第三章 王朝の色彩―和洋美の確立
第四章 中世の華麗とさび―武家と庶民の衣
第五章 辻が花小袖と戦国武将
第六章 江戸時代の流行色
あとがき

巻頭には「植物染の工程」「染め上がった色」「再現された日本の色と襲の色目」の写真付き。
******************************************************
著者は京都に代々続く染屋の五代目当主。父の死後、出版編集の世界から呼び戻されて、五代目をついだ。どうせ家業を継ぐのなら、一切化学染料を使わずに、伝統的な植物染に徹したいと考えたそうだ。そして仕事をするときに、常に「いにしえの染師たちは、どのような染料にどのような技術をほどこしたのだろうか」と、考えることを心がけているのだという。

なにせ、京都は伝統のある土地。滋賀県の伊吹山で刈り取った刈安(黄色に染まる)は、「正倉院文書」に出てくる「近江刈安」と同じ。千二百年前あまり前から、同じものが使われていたのだ。著者の仕事は、古代に思いをはせ、古文書にあたることでもある。平安時代に編纂された『延喜式』も、本書のあちこちに登場する。日本の伝統色、真に美しい色をもとめる道は険しいけれど、一途に色をもとめる道を記した本書はとても興味深いもの。

いま私は、染師福田伝士とともに、日本の染織の歩みを再現する道の途上にいる。工房では、椿や樫や藁を焼いて灰をつくり、百メートルほどの地下から伏水をくみあげ、山野に自生する植物を採り、また栽培された植物を求め、往時と同じ色材を使って、同じ方法を踏襲するようにしている。しかし、初代のころの「色」にはまだ到達していないかもしれない。ましてや桃山時代の、いや、はるか天平の職人の「色彩」にはまだまだ遠いものがあるだろう。
本書は、日本の伝統色にこだわり、真に美しい色をもとめて、時代をさかのぼろうとあえいでいる染屋が記した、日本の色の具体的な歴史であると思っていただきたい。
 「はじめに」より

「なんて素敵にジャパネスク」 などにハマった経験のある私には、第三章がとても面白かった。特に「四季の彩りの表現―襲の色目」、「王朝の女性装束」、「襲の色目の色調」、「多彩な衣裳を着る」、「『源氏物語』の色をよむ」、「衣配りの場面」、「人柄を映す衣裳」などの衣裳についての記述。いろいろな物語や、絵巻物も著者にかかると、全て色の教科書となる。この辺の読み解きの部分も興味深い。

紙を染める話も出てくるので、鷹男の帝の御料紙はこうやって作ったのかなぁ、なんて楽しんだ(でも、紙を染めるのはとても大変そう!瑠璃姫にさらさらと歌を贈るのなんかに、使っちゃっていいのかしらん・・・)。

自分が実際に染めている人だけあって、定説とされていること、解釈にも「私はそうは思わない」というフレーズがバシバシ出てきたのも、面白かった。

吉岡 幸雄
日本の色を染める

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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扉によると、
「重度の活字中毒者」による「面白本」ガイト。日本の異様な光景への疑問を語る「全国どこでも自販機横丁」、都会と自然界の眺めを鮮やかに対比する「素晴らしいぐにゃぐにゃ風景」、日本人の醤油・味噌好きをアンデスの麓で再発見する「アミノ酸の呪縛」など、<食>への徹底したこだわりと辛辣な眼差しが冴える軽妙なエッセイ17篇。
とのこと。

実はこの本が特に印象に残ったというわけではなく、椎名誠さんの本では他にもっと好きなものがある。けれどこの本の中に、私が椎名さんを好きな理由の一つである、「言語感覚」が分かる部分があるので、今日はこちらを。

椎名誠「活字の海に寝ころんで」

椎名
さんは実に色々な系統の話を書いていて、SF系、新橋サラリーマン系、冒険系、紀行文系(あくまで、ワタクシ個人的分け方です)など色々あるのだけれど、私が好きなのは冒険系紀行文系。その中でも色々な文体があって、よろめきぐんにゃり系(?)とか、真面目で透徹した眼差しが冴えるもの(こちらも同じく個人的分け方です)もある。更に扉にもあるように、「重度の活字中毒者」なものだから、言葉の使い方が非常に巧い。この文体は中々真似出来ないのではないか、と思う。「活字フェチ」的にも非常に面白い表現が目白押し。


男性四人で南米アンデス山脈の麓のルートを南下していた時のエピソード。バックパッカースタイルで、テントで寝起きする毎日。食料は村で手に入れる羊肉か瓜の類ばかり。勿論お酒だって満足に手に入らないから、酔って気分を和ませて眠りに付くことも出来ず、もうずっと一緒に行動しているから、寝ながらするような楽しい話題も何もない。

ここまでが私の要約で、以下が地の文。

しかし、ある晩、ひとりの仲間が突然ヤケクソのようにして、「ああ、オレ、いまギョーザ食いってえ!」と叫んだ。
(中略)
ほかほか湯気をあげた蠱惑にみちた濃密誘惑物体が楕円形の皿の上に六つほど並んでそれぞれの目の前に漂っていた。そうなるともう駄目だった。にわかに全員が今すぐ餃子を食いたくて食いたくてたまらなくなってしまったのである。「ギョーザ」というヒトコトだけではまだ耐えられていたささやかな理性が、「ギョーザ六個」というヒトコトによってあっという間に瓦解したのであった。何を叫んだとて食べられるわけでもないのだが、そのあとみんな雪崩をうったように、口々に今すぐ食いたいものを叫びはじめた。

「蠱惑にみちた濃密誘惑物体」なんて、中々出てこない表現だと思うのですが、如何でしょうか。それにきっといい大人であり、むくつけき男性である四人の、切ないまでの心の叫びがよく分かりました。

以前「笑える本」 として椎名さんの本を上げた事もあるのだけれど、真面目な紀行文も好き。この本は中間という所かな。 でも、これはなんで「新書」で出ているんだーー??

著者: 椎名 誠
タイトル: 活字の海に寝ころんで

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたらご連絡下さい。
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小説が続いたので、ここらで新書を。ずっとずっと避けていた大江健三郎さん。どうも最初に読んだ小説との相性が悪かったようで、「この人の文は私には読めん!」と諦めていました。でも、避けて通ることも出来ない気もしていたので、漸く重い腰を上げたのです。

大江健三郎「あいまいな日本の私」

1994年ノーベル文学賞受賞記念講演ほか、全九編の講演がまとめられたもの。講演のタイトルは以下。

あいまいな(アムビギユアス)な日本の私
   *
癒される者
新しい光の音楽と深まりについて
「家族のきずな」の両義性
   *
井伏さんの祈りとリアリズム
   *
日米の新しい文化関係のために
北欧で日本文化を語る
回路を閉じた日本人でなく
世界文学は日本文学たりうるか?


表題にもなっている「あいまいな日本の私」が、ノーベル文学賞の受賞記念講演です。読んでみて分ったのは、大江さんという人がとてもチャーミングな人であるということ。ユーモアを交えた講演内容、易しい言葉で語りかける口調などが素晴らしく、ちょっと講演を聴きに行きたいと思いました。そして、読書量が尋常ではない。名前を薄っすら聞いた覚えがある作家も一部いますが、全く知らない作家の言葉も度々引用されています。


印象深かった箇所を挙げます。

息子であり、知的障害をもつ音楽家・大江光さんについて語った講演
「新しい光の音楽と深まりについて」において、芸術について語った言葉。
芸術をつくるということは、現実の混沌とした世界に秩序を、かたちをあたえることだ。新しい才能を持った芸術家に、知らなかった新しい世界を感じるけれど、それは彼が新しい世界から来たというのではなく、新しい表現のかたちを持っているのだ。我々はそれを見て、自分の生きている世界を、あらためて理解するのだ。また、芸術家が自分のかたちを表現する際に、自分のつくるものによって、魂の暗い深みに入っていく。そうして、深みにあるものを発見せざるを得ないという不幸があっても、同時にその表現行為によって自分自身が癒され、恢復するという不思議、幸せがある。その不幸と幸せが重なりあい、重なり続けて、芸術の深まりというものをもたらすのだ。
絵、音楽、小説、漫画、映画…、いい芸術に触れたいと思いました。

同じく「新しい~」より、シモーヌ・ヴェイユというフランスの哲学者の言葉。
本当に価値のある人間は、苦しんでいる人に会って、「あなたはどのようにお苦しいのですか」と問いかけることが出来る人間である。不幸な人の存在を陳列の一種や、社会の一部門の見本のようにみなさず、私たちと同じひとりの人間と見ていくこと。その人間が、たまたま不幸なために、ほかの者には追随することのできない印を身に帯びるに至ったのだと知ること。そのためには、ただ不幸な人の上に一途な思いを込めた目を向けることができれば十分であり、またそれがどうしても必要なことである。そして、そのような人間になる努力として、注意力というものを訓練していけば、後になって機会が到来した時、不幸な人がこの上ない苦悩に苦しんでいるのに際して、その人を救う手を差しのべることが出来るようになる。

「「家族のきずな」の両義性」からは読書に関するお母様の教育のくだり。
公民館に置いてある本を全て読んでしまって悲しいのだと訴える健三郎少年に、母は公民館の本棚にある本を任意に取り出して質問をする。答えられないと「あなたは本をどういう目的で読むのか、それは時間をつぶすためなのか」と母がいう。「一ページ読んですぐ忘れるのなら、それは自分の忘れる能力を訓練するためか」と。
耳に痛い言葉です。

井伏鱒二の故郷で行われた講演、井伏さんの祈りとリアリズム」からは、歴史に対する認識。 ヤーコブ・ブルクハルトという歴史家の言葉。
われわれは忘れちゃいけない、歴史を記憶していくことが重要なのだ、それが人間のやるべきことで、将来の道を探る方法でもある。そして歴史はエモーショナルに、感情的にとらえてしまってはダメで、冷静に歴史の事実を受けとめて、それを記憶し続けることが重要なのだ。

著者: 大江 健三郎
タイトル: あいまいな日本の私

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用・意訳を行っています。何か問題がございましたらご連絡下さい。
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昨日が「仕事文の書き方」 だったので、今日は日本語について。
ちょっと硬い本が続きます。

大野晋「日本語の教室」

少し前に良く取り上げられていた本なのかもしれません。母と話していたら、「あら、その本、家にあるわよ~」なんて言われてしまいました。
いつだって世の中から遅れ気味です…。

実際の本書は「教室」と銘打っていても、このような日本語を書きなさい、という指導をするわけではありません。質問とその回答からなっていて、第一部「さまざまな質問に答えて」、第二部「日本語と日本の文明、その過去と将来」と題されています。

第一部は、何となく使い分けていた助詞や文法上の事柄等に、へ~、と感心しながら読んでいました。この辺りまでは、優しいおじいさん教授の講義を受けている感じでした。しかし、第二部からの迫力のあることといったら。日本という国、日本語に対する強い愛を感じました。

以下、感銘を受けた部分。

>漢字と漢文とを大野氏が重く見ていることから、発せられた質問に対し
日本人は漢文そのもの、若しくはその訓読系の文章によって論理的な組織化の重要さを学び、和文系の表現によって、情感のはたらきを受けとる能力を養って来た。この二つによって日本人の心がはたらかされてきたが、敗戦によって転換点が来てしまった。
敗戦後の日本の漢字政策は、かなり適当なものだったようで、必要な漢字をばっさり切り捨てられてしまった、強い怒りや憤りを感じる文章です。

>日本語は南インドのタミル語から来たという説を、氏はとっておられます。
つまり
日本の殆どの文明は輸入されたものであるという立場。
文明の輸入国である日本には何が欠けているとお考えか、との問いに対し
日本人は全体像を組織的に捉える習慣を欠いていて、日本語の問題というとすぐ「美しい日本語」という。しかし現在の日本にとって大切なのは、感受に傾いた日本語の使い方ではなく、正確で的確な、文意の明瞭に分る日本語を、もっともっと心掛けるべきである。そして事実を第一に重んじ、真実に対して誠意を持つ行動を貫くこと。それが文明を把握し、消化する力、いわば文明力と対応する。
漢文訓読体という文章は文明に向き合おうとする意志によって維持されて来たが、それが敗戦後の言語政策によって壊されてしまった。人間の理と情という両輪の一方が、国民として脆弱になり崩れて来たのだ。
全体像を組織的に捉えるのは、正に私が苦手とするところ。

多少意訳していますので、伝わりにくいかもしれませんが、本当に気迫溢るる文章です。

その他、文化と文明の違い等も、目から鱗でした。
理・文化:位置が持つ自然に伴って生じる地方性(日本のわび、さび等)
・文明:生産に関する技術や、精神世界に関する思考の体系。世界に共通する技術と論

60歳を過ぎてから新たな研究【日本語は南インドのタミル語に端を発する】を始められたとの事。その気力も凄いものだと思いましたし、また良い研究をしている人は謙虚な姿勢を持っておられるのだなあ、と感じました。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用後、多少の意訳を行っています。何か問題がございましたらご連絡下さい。

著者: 大野 晋
タイトル: 日本語の教室

ところで、日本語は古代タミル語に起源をもつとの説。納得して読んだのですが、古代朝鮮語等と絡めた解釈を行っていた「人麻呂の暗号」「額田王の暗号」。当時面白く読んだのですが、今ではトンでも本に分類されてしまっているのでしょうか。

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昨日の日本語があまりによれよれなので、今日はこちらを。
家にもあったよ、岩波新書!

高橋昭男「仕事文の書き方」

でも、いらして下さっている方に同世代の方が多いのか、昨日は沢山のコメントを頂いて嬉しかったです。ありがとうございました。
さて、「仕事文の書き方」。引越し作業で箱に詰めてしまう前に、さらっと再読。これは確か珍しく夫が買ってきたものです。
私たちは二人とも似たような職業に就いていたのですが、その頃苦しめられていたのが、まさに「仕事文」の書き方
レポート、報告書、資料、などいろいろな「仕事文」があると思います。私がよく指摘されていたのは、「形容詞が多い」とか「主観が入りすぎ」といった注意。下手に小説などをよく読んでいたためか、「表現が文学的に過ぎ(?)」たりもしていました(ほんとにそう注意されたのです)。


扉部分には、以下のように記されています。

レポートや企画書がうまく書けないという、悩みを抱える人は多い。学校教育で学ぶ「文学的文章」と社会で実際に使う「仕事文」は異なる。「仕事文」は事実と意見のみを伝える文章である。正確でわかりやすく、説得力のある文章を書くために、一文一義主義、短く書く、事実と意見の提示順、リライト法などを具体的にしめす。

上司や先輩に言いたいことが伝わらない時、ご一読をお薦めいたします。この本の成果か、根気強く注意してくれた上司のお陰か、この後、仕事の文章の事で悩むことはあまりなくなりました。会社によって書き方のカラーなどが存在するとは思いますが、本書は「分かりやすい」文を書くための参考になる本であると思います(でもこの本、横書きなんですよ。その点だけが辛い所です。なぜ縦書きではないのだ)。
ところで最近、家電製品のマニュアルがちっとも分かりません。この本を読んで、出直してきて頂きたいと思います。ちーーーーっとも、分かりません!!!怒 (それとも私の読解力のせいですかね)
でも、これを読んだ所で、私のブログ上の文はだらだらと長い訳ですが。

文中の、「土佐から文章を学び、源氏に文学を学ぶ」に納得。分かり易い文と文学とは、異なる次元に存在している。
でも、分り易い文の方が好きですけれど。・・・私には文学が分らないってこと?

著者: 高橋 昭男
タイトル: 仕事文の書き方
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「声に出して読みたい日本語」で有名な斎藤孝氏による「読書力」。アメブロを彷徨っていたら、本・書評ランキング一位のtakam16さんの所で、この本が薦められていた。

章立てはこうなっている。

序・読書力とは何か、Ⅰ・自分をつくる-自己形成としての読書、Ⅱ・自分を鍛える-読書はスポーツだ、Ⅲ・自分を広げる-読書はコミュニケーション力の基礎だ

読書力の基準として、文庫100冊、新書50冊を読むことが挙げられている。これらは推理小説や完全な娯楽本を除いたもので、「精神の緊張を伴う読書」を読み方として想定している。

印象に残ったのは、読書で培われる強靭な自己についての以下の記述。

矛盾しあう複雑なものを心の中に共存させること。読書で培われるのは、この複雑さの共存だ。自己が一枚岩ならば壊れやすい。しかし、複雑さを共存させながら、徐々にらせん状にレベルアップしていく。それは、強靭な自己となる。思考停止するから強いのではない。それは堅くもろい自己のあり方だ。思考停止せず、他者をどんどん受け入れていく柔らかさ。これが読書で培われる強靭な自己のあり方だ。

著者は自分探し」ではなく「自己をつくる」という表現の方がしっくりくるという。さらに読書を食べ物になぞらえて、次のように語っている。

読書力があるということは、食べるということになぞらえて言えば、強い歯や顎を持っているということにあたる。硬い食物は、成長期に歯や顎を鍛える。そして鍛えられた歯と顎でその後の人生を生き抜いていく。読書の歯や顎は、鍛えられるべき成長期に鍛えられておくことで、一生の宝になる。児童文学はいわば離乳食である(質としてではなく、読みやすさという点で)。次にステップとして、推理小説や歴史小説、エンターテインメントもの、雑誌やショートショートなど、わかりやすく読みやすい読書がある。これはいわば乳歯レベルの読書だ。従来は、この乳歯レベルのものと本格的な読書が混同されてきた。この次の段階に、永久歯の読書がある。歯が生え替わる読書ということだ。心地よい精神の緊張が味わえる。そうした新しい感覚を味あわせてくれるのが、永久歯レベルの読書だ。

量はある程度読んでいるのだけれど、永久歯レベルの本が非常にあやしい。文庫本の方はともかく、読書力の基準に挙げられている新書50冊など、きっとクリア出来ない。

本書では、本の要約や、読んだら人に話すことが薦められている。ブログを書くという行為は間違いなくいい練習になる。小論文の練習のために、本の要約をある程度の量こなした時期がある。結局その練習を役立てることはなかったけれど、その時期は随分クリアに文章を理解出来ていた。

またこの本の中では、「読書会」なるものが薦められている。

各人のおもしろいと思ったところを何頁の何行目というように指摘してもらい、線を引いた理由をコメントしてもらう。いろいろな人が自分がおもしろいと感じたところを指摘していくことによって、全員の目が開かれてくる。

いい本があったら、ブログで該当箇所をトラックバックしていっても面白いと思う。
mori3mori3さんの所の「人前で読んではいけない本」というお題も面白い。見に行かれていない方は、どうぞ行ってみて下さい。

巻末には文庫百選「読書力」おすすめブックリスト」がついている。それぞれの本に対し、概ね一言のコメントがついているのだが、これがうまい。実に端的。自分が読了したものなどは、「確かに一言で表現するとこうだった」と懐かしく感じた。

以下、ブックリストのジャンル分け。

1 まずは気楽に本に慣れてみる、2 この関係性は、ほれぼれする、3 味のある人の話を聴く、4 道を極める熱い心、5 ういういしい青春・向上心があるのは美しきことかな、6 つい声に出して読みたくなる歯ごたえのある名文、7 厳しい現実と向き合う強さ、8 死を前にして信じるものとは、9 不思議な話、10 学識があるのも楽しいもの、11 強烈な個性に出会って器量を大きくする、12 生き方の美学・スタイル、13 はかないものには心が惹きつけられる、14 こんな私でも泣けました

ブックリストは誰もが作ることの出来るものだけれど、いろいろなジャンルに均等に割り振ることが難しい。頭の中に偏りが出来ないよう、異なった分野の読書をすることの必要性を感じた。

ところで、この著者は「本は買うこと」、「読みながら本に線を引くこと」を薦めている。図書館で借りてきてしまった私だけれど、この本は買って持っていてもいいと感じた。コンパクトにまとまった本書。お得だと思う。


*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用しています。何か問題がございましたらご連絡下さい。


思い出したこと
1.子供の頃、面白いなと思う言葉を舌で転がして遊んでいた。古文、漢文もリズムがあって面白い。

2.小学校の国語の授業で、教室を真ん中で二つに分け、両端から順番に教科書を朗読していくというゲームがあった。途中で詰まったら次の人に朗読の順番を回し、朗読した人数が少ないチームが勝ちというもの。私はこのゲームが大好きで、小学生時代、このゲームに自己の存在意義をかけていたと言っても過言ではなく、途中で詰まると悔しくて仕方がなかった。


これらもまた「声に出して読みたい日本語」と言ってもいいのかもしれない。いい文章の朗読は口と舌が嬉しい。



著者: 齋藤 孝
タイトル: 読書力

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