旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


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奥田 英朗

最悪 (講談社文庫)


トンでも精神科医・伊良部シリーズ の奥田さん。
伊良部シリーズ以外も読んでみよう!、なわけであります。

ここで描かれるのは、きっと精神科医などには行かない(もしくは、行けない、行こうなどという考えすら浮かばない?)、でもそれぞれの状況で追い詰められた人々。

日々の生活に疲れ、金策に苦しみ、近隣住人に工場の騒音を突き上げられる、鉄工所の社長、川谷(とはいえ、従業員は妻を入れても3名)。パチンコの儲けで日々を暮らす内に、悪い仲間と知り合い、ヤクザから抜き差しならぬ状況に追い込まれる青年、和也。巻き込まれるのは、かもめ銀行に勤めるみどりと、その妹めぐみ姉妹。この上なく閉鎖的な職場である銀行で、支店長からセクハラを受けたみどり、優等生であるみどりとは対照的なめぐみは、彼女のルートで和也と知り合いになる。

それぞれに最悪な、人生どん詰まりの状況。

めぐみの提案により、和也はみどりの勤める銀行を襲い、銀行強盗が妹であることを知ったみどりは人質となることを志願する。たまたまカウンターに居た川谷もまた、なぜか彼らの逃避行に合流し…。

事態は呆れるほどに、ぐずぐずと最悪へと雪崩れ込む。

金属加工などの描写や銀行を襲う場面、それぞれの事情が事細かに語られる様には、高村薫の「黄金を抱いて飛べ」や、「李歐」あたりを思い出すのだけれど、あちらがねちねちと綿密に計画を進めるのに比べ、こちらはいかにも全てが行き当たりばったり。あと少しのタイミングが違っていたら、誰かがそこで手を差し伸べていたら、またそんなに追い詰めなかったなら、「最悪」な状況は避けられたはずなのだけれど…。

クライム・ノベルとしては、登場人物たちは如何にも気が弱すぎるし、計画性もほとんどなし。かといって、めためた具合では、戸梶圭太(とはいえ、「溺れる魚 」一冊しか読んでないけど)には負けている。

これは、この雪崩のような様を楽しむ小説なのかな。しかし、真面目に働いてきた川谷社長が可哀相でねえ。近隣住民との軋轢など、ほんとにやりきれませんな。お隣の太田さん(特に「分かりますか?」を連発するご主人)は、伊良部に診てもらって、やっつけられるといいと思うですよ…。あと、かもめ銀行も是非、伊良部にぶっ壊してもらいたい。
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村上 春樹

回転木馬のデッド・ヒート

小説家である村上さんのもとに集まって、澱のようにたまる誰かの話。そんな話の中には、時に「語られたがっている」話がある。それらを元に、事実に即してスケッチのように書いたのが、この短編集。

目次
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート
レーダー・ホーゼン
タクシーに乗った男
プールサイド
今は亡き王女のための
嘔吐1979
雨やどり
野球場
ハンティング・ナイフ


事実に即して、とあるけれど、これらの中にはかなり不思議な、説明のつかない出来事もある。しかし、共通しているのは、これらが誰かの人生の断片であること。

わたしたちは、自分の人生から降りることはできない。人生はまるでメリー・ゴーラウンド。定められた速度で、定められた順序で、それは続いていく。どんなに順風満帆に見える人生でもそれは同じ。そして、わたしたちは、メリー・ゴーラウンドの中でアップ・ダウンを繰り返し、時に仮想の敵を作ってデッドヒートを繰り広げる…。

基本的に、村上春樹さんの小説には苦手意識を持っているのだけれど、これは割合するりと読めました。そう多く読んだわけではないので、勝手なイメージなのだけれど、村上春樹の小説は、言いたい事が、弾力のある何かにきっちりと包まれているような気がして、その手触りが何だか気持ち悪く感じてしまうのです。ま、こんな私でも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、もう二十年近く前になるけど、結構楽しく読んだのだけれど。きっと村上春樹の言いたい事というか、核心には賛同出来るんだけど、その手段が時に私には合わないんだろうなぁ、と思います。「心臓を貫かれて 」など、翻訳はむしろいいなぁ、と思うしねえ。

ところで、この「回転木馬のデッドヒート」を読んで思い出した本があるのだけれど、それは村上龍の「ポップアートのある部屋」という短編集。こちらもまた、おそらくは作家である「僕」が出会った(ような体裁をとった)、ポップアートとそれに交差する誰かの人生の一部を描いている。こちらもポップアートの軽さというか平板さと、誰かの人生の落差が興味深い短編集です。W村上なんて言われていた時代もあったけれど、やっぱりどこか似ているような気がします。

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小野 不由美
過ぎる十七の春
講談社X文庫ホワイトハート


東亰異聞 』を読んで小野不由美さんの作品に興味が出てきたのと、波津彬子さんの表紙絵に惹かれたので、この本を借りてきました。

波津さんに関して言えば、表紙絵だけではなく、ところどころに挿絵も入っていて、うーん、満足。やっぱり、波津さんの絵は美しいなぁ。

さて、筋書きはといえば。

長い休みには従兄弟の隆の家で過ごすのが、直樹と典子の兄妹の決まりごとだった。この三月も、いつものように従兄弟の家へとやって来たのであるが・・・。

彼ら兄妹を里山で迎えたのは、いつもの春と変わらぬ咲き乱れる野の花々だったけれど、従兄弟の隆の様子だけが違っていた。この春はいつもと違う・・・。母一人、子一人で暮らす心優しい隆が、伯母に向ける視線は暗かった。愛猫の三代も、なぜか隆に近寄ろうとはしない。

直樹の母も、隆の母も、「十七」という言葉に過敏に反応する。直樹、隆の二人が十七を迎えるこの春。彼らに一体何が起こるのか??

ホワイトハートだから、ってわけではないのだろうけれど、お話としてはちょっと食い足りないかな。キャラはみんなそれなりに良いし、典子に妹萌えはするかもしれないけど。一応ホラーに分類されているみたいだけれど、それなりに整合性があるので、あまり怖い話ではありません。どちらかといえば、哀しいお話(ま、でも、綺麗に纏まってるので、どこかで読んだ話とも言えなくもない)。

「あとがき」によると、この作品、過去、呪われた十七歳』というタイトルで、朝日ソノラマから出版されていたそうです。なんか、ホワイトハートとソノラマの違いを見るようで、ちょっと面白かったです。ソノラマの方は、ちょっと怪しげだよねえ。
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舞城 王太郎
世界は密室でできている。―THE WORLD IS MADE OUT OF CLOSED ROOMS  

英題は、THE WORD IS MADE OUT OF CLOSED ROOMS。 ”make out”をgooの英和辞書で調べると、「…を(やっと)見分ける; (書類を)作成する; …を証明する; …を仕立て上げる ((to be)); 理解する; 主張する; ふりをする; (こまかく)描く; 〔話〕 成功する; 仲よくやる ((with)); 〔米話〕 いちゃつく; 性交する ((with))」と出てくる。〔話〕〔米話〕は関係ないとして、作成する、仕立て上げる辺りが正解でしょうか。いや、最近、英語からきしなので、make outって何だっけー、と思わず調べてしまいました。あ、あれ、でも、make out ofでは出てこないなぁ・・・。ofがついてても一緒でいいのか?

さて、本の方に戻ると、これはある意味で舞城氏御馴染みである、地方を舞台にした青春ミステリ。

煙か土か食い物 」にも出てきた名探偵ルンババ(番場 潤二郎)と、僕、西村 友紀夫の少年時から青年に至る物語。

彼らがどの位成長するかというと、パンツ丸見え天国にウハウハする十三歳(パンツ丸見え天国。これって十三歳の男子にはマジ極楽じゃないですか?セックスとかさせてくれる天国があればそっちの方が本当は素敵そうな感じだけど、でもそんなの、なんかよくやり方判らなそうだし、わざわざ天国まで来て何かに困りたくなんてないし、死んでからまでいちいち頑張りたくない)から、私と一緒にいてくれる?なんて聞いてくれて、彼を頼りにする女の子が隣にいることになる十九歳まで。

彼らの周囲には常に何らかの事件が起こっていて、手始めは、ルンババの姉、涼ちゃんの「飛び降り自殺」に、その後の、中学の時の東京への修学旅行で出会った井上 椿、榎姉妹を巡る事件や、名探偵となったルンババが手がける事件など。ルンババのハチャメチャな名探偵ぶり(有り得べからざる事件がおき、とんでもない解釈がなされ、実にそれが正解だったりする)は、舞城作品、お馴染みの事と言えるかも。

でも、例によって、間にどんな事件が起ころうとも、言いたい事は最後の部分に集約されているような気がするなぁ。作られた密室を飛び出した彼らは、前を向いて生きていく(で、でも、「煙か土か食い物」においては、ルンババって死んじゃいましたよね? あー、書いておいても内容、結構忘れちゃうんだよな。その辺、確かめなくっちゃなぁ)。

好みでいえば、これまで読んだ舞城作品の中では、「煙か土か食い物 」がやっぱりまだまだ一番。
あれは凄い迫力でしたよ、やっぱり(微妙に内容忘れてもおりますが)。

 ← こちらは新書。装丁はこっちのが好みです。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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坂田 靖子, 橋本 多佳子, 波津 彬子 フレドリック・ブラウンは二度死ぬ

坂田靖子さんのマーガレット奥さんの本 を読み始めたら、ついつい既に読んだ坂田さんの本にも手を出してしまいました。とはいえ今日のこの本は、坂田靖子さんだけでなく、波津彬子さん、橋本多佳子さんという、三人の漫画家の手によるもの。フレドリック・ブラウンをこよなく愛す、三人の漫画家の競作アンソロジー。

目次
血         坂田靖子・橋本多佳子・波津彬子合作
黒猫の謎    波津彬子
帽子の手品  橋本多佳子
わたしらはこうしてフレドリック・ブラウンしてんぞいね
狂気恐怖症  坂田靖子
大失敗     橋本多佳子
ミミズ天使   波津彬子
プラセット   坂田靖子
フィナーレ
あとがき

この中で、私が好きなのは、「ミミズ天使」「プラセット」

「ミミズ天使」は、ある日突然、天に昇る愛らしいミミズ天使を見てしまったチャールズの話。ミミズ天使の次にチャールズを襲うのは、雨の中での日射病、日焼け。博物館では、古銭陳列ケースになぜか生きた鴨が・・・。結婚式を間近に控えたチャールズは、この迷惑かつ不思議きわまる現象をそのままにはしておけない。考えるんだ、チャーリー!

「プラセット」は、二重太陽を持つ惑星の話。惑星プラセットは二重太陽のまわりを8の字を描いて回るため、6時間の昼、2時間の夜の次に、15時間の昼間と1時間の夜が来る。かつ、二つの太陽の中間点を通過する時、引力と磁力の加減により、視覚認識が狂ってしまい、全てが別のものに見えてしまう! また、プラセット唯一の生き物の鳥は、なんと地面の下を飛ぶというはちゃめちゃぶり。この星に来るとみんなうんざりしてしまうんだけど、色々あって、建設公団の行政主任、フィルは「だから私はここが大好きなんだ!」、と言えるようになる。

この本を読むまでは、 「短編の名手として名高いSF作家」フレドリック・ブラウンをまーったく知らなかったんだけど、この本を切っ掛けとして読みたい熱が高まるのでした。

今、amazonをざっと見たところ、気になるのは次の二冊なんだけど、入門編としては、どれがいいんですかね。沢山あるよ~。

フレドリック・ブラウン, 小西 宏
天使と宇宙船

フレドリック・ブラウン, 小西 宏
未来世界から来た男

この二冊は、表紙もいい感じではありますまいか?
【追記】
最近、良くお邪魔している、「奇妙な世界の片隅で 」のkazuouさんが、フレドリック・ブラウンの記事を書いてくださいました。 
 
 kazuouさんの記事はこちら 
  → ブラウン・オブ・ワンダー  フレドリック・ブラウンの奇妙な世界

やっぱり面白そうです、フレドリック・ブラウン。kazuouさんの文章も、これまた魅力的なんです。
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小川 洋子
密やかな結晶


主人公の小説家である「わたし」が住む島では、ある変わった現象がもう長い間続いている。それは、「消滅」として知られ、人の心の中から、物に付随する記憶及び思いが無くなってしまう事を指す。

一度「消滅」が起これば、物を見てもそれが何であったか、思い出すことも、再びそれらを味わう事も出来ない。香水の匂いも、オルゴールの音も、島の人たちは、もう二度とそれらを味わう事は出来ない。

人々は「消滅」による心の隙間を埋めるように、既に消滅してしまった物を、捨て去ったり燃やしたりする。それらは既に持っていても仕方の無い物であり、ざわめく心が物自体の消失を求めるのだ。

実は島に住む人間、全てが「消滅」を経験するわけではない。心の中の記憶を無くさない人間も、数は少なくともいるのだ。彫刻家であった「わたし」の母がまさにそうだった。彼女は幼い「わたし」に、既に喪われた物たちを隠した、引き出しの中身をそっと見せるのだった。しかし、その母は既に亡い。秘密警察に連行された後、不可解な病死を遂げたのだ。

中盤からは、小説家である「わたし」が書いている小説と、島の描写が交互に続く。「わたし」がこれまでに書いた小説も、全て何かを無くした人々を描いていたが、ここでもまた、声を失ったタイピストの女性とその恋人が描かれる。声を失って、そして所有される、タイピスト。失うこと、無くしていく事は、輪郭を失うことでもある。

「消滅」を扱う、秘密警察の取り締まりは段々と強化され、島の「消滅」もまた加速していく。記憶を失わない人々は、秘密警察による「記憶狩り」に連行されてしまう。

「わたし」と仕事を共にする、編集者のR氏もまた、記憶を失わない人々の一人であった。「記憶狩り」が激しさを増したため、「わたし」はR氏を匿うことにする。おじいさんの協力を得て作った隠し部屋は、小さいけれど全てが事足りるようになっている。

そうこうする内に、島からは「わたし」の生業である小説が消滅し、おじいさんは地震により住んでいたフェリーを失ってしまう。「わたし」とおじいさん、R氏三人の暮らしが始まる。

記憶を失っていくおじいさんと「わたし」、記憶は失わないけれど、隠し部屋でひっそりと暮らすR氏。R氏の心は小さな隠し部屋の中で、どんどん濃密になっていくようである。それに比べて、すかすかになっていくおじいさんと「わたし」の心。

消滅はどんどんと進んでいく。とうとう、島の人々は自分の体の一部までをも失い始める。そして、最後は・・・・。


感想を書くのが難しい、雰囲気で読むような物語。静かな、静かな物語。淡々と進む物語は好きだし、きっとこの物語全てを読み取れていないんだろうけど、好みで言えば「沈黙博物館」の方が好きだなぁ。

「忘れてしまう」ことと「消滅」は違う。島の人々は、淡々と「消滅」を受け入れているのだけれど、実際にこんな事が起こったら、とちょっと怖くなった。「消滅」を経験する方が普通で大勢を占め、そうではない場合は、秘密警察に狩られてしまうのだけれど、そうであっても「消滅」を経験したくはないよなぁ。

そして、物は「記憶」があるからこそ、機能するものなんだよね。記憶や思いが無ければ、それは既に「その物」として存在出来ないのかもしれない。

☆関連過去記事☆

「博士の愛した数式」  (現在、コメント停止中。英文スパムめ~)
「沈黙博物館」

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桐野夏生「ローズガーデン」

村野ミロシリーズの、何だか気だるい短編集。
ミロの前半のシリーズ、「顔に降りかかる雨」などに見られるハードボイルド色よりも、混沌として妖しい気配に満ち溢れた「ダーク」よりの物語。

目次
ローズガーデン
漂う魂
独りにしないで
愛のトンネル

■「ローズガーデン」
ミロの夫、博夫はインドネシアで、僻地への営業を勤めながら、高校時代のミロと自分を思う。年上の女とばかり付き合っていた博夫は、ミロの持つアンバランスな気配に気付く。

ミロが俺の目をじっと見つめた。冷めていて熱い。そこに見え隠れする関心と無関心。ああ、こいつもやはりあの手の女だ。間違いない。

誘われて訪れた、ミロが父親と二人で暮らす家には、荒れ放題の庭のそこかしこに薔薇が咲き乱れていた。ミロの言葉に背徳を覚え、そのインモラルさに興奮する博夫。
ミロと結婚することで、博夫はミロの昼も夜も手に入れるが、愛した混沌を永遠に失ってしまった博夫は、それを求めて彷徨う事になる。

ここで高校時代のミロが話すことが真実なのかどうか、それはどちらにもとることが出来るように思う。村野ミロのデビュー作、「顔に降りかかる雨」では既に自死を選んでいる博夫
「ローズガーデン」はミロシリーズに更に妖しい奥行きを与える物語。
混沌としたジャカルタの描写もいい。

■「漂う魂」
ミロの住むマンションに幽霊騒ぎが持ち上がる。探偵業を営むミロは、管理会社から幽霊騒ぎの調査を正式に依頼される。

人の悪意の怖さを感じるお話。

■「独りにしないで」
ある夜ミロは、あまりにも不釣合いなカップルに出会う。女は類稀れな程美しく、男は平凡で地味で冴えない。びっくりするほど美しい女は、中国人のホステスだった。偶然、冴えない平凡な男・宮下に再会したミロは、美しい女「有美」の気持ちを確かめて欲しいと依頼される。他人の気持ちを計るのは不可能だと、依頼を断ったミロだが、一週間後宮下は殺されてしまう。宮下は一体何に触れてしまったのか?

ミロが受けていた他の依頼の話も絡め、「愛」の難しさを描く。

■「愛のトンネル」
ホームの巻き添え転落事故で、娘、恵を亡くしたばかりの男性が、ミロの事務所にやって来た。平凡に暮らしているものとばかり思っていた娘が、なんと「女王」業で貯めた二千五百万円で、SMクラブの経営権を購入していたのだ。ミロは男の妻と末の娘が恵のアパートを片付ける前に、「その手の物」を取り除いておくよう依頼される。
ごく簡単な仕事のはずだったのに、後手に回ってしまったミロは、荒らされた恵の部屋と対面することになる。父親から見ると、天使のように優しく、おとなしくいい子だった恵。

「天使のような」彼女の優しさは、何に向けられていたのか。
彼女の周囲の人々は、その「優しさ」をどう受け止めていたのか。
*******************************************
どれもこれも、人の心の複雑怪奇さに迫るような物語。
すっきりするような話ではないのだけれど、たまにはこんな心の中を覗いてみるのも悪くはないかもしれない。ただし、一編一編は短いけれども、どれもこれも結構ずーんと来ます。

桐野 夏生
ローズガーデン

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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倉橋由美子「夢の通い路」

倉橋さんの小説は、典雅でありながらエロチック。現実の世界と、こことは違う世界との境界が曖昧になる感じがする。これは「桂子さんシリーズ」の内の一冊。

背表紙にはこうある。

現世と冥界を自在に往来し、西行、式氏内親王、定家、則天武后、西脇順三郎たちとくりひろげる典雅な交歓と豊潤な性の陶酔。「大人のための残酷童話」の著者の奔放なイマジネーションが、時空を超えて媚薬の香りに満ちた世界へ読者を誘う。幻想とエロティシズムの妙味を融合させた異色の文芸連作二十一編。

冒頭はこう。

夜が更けて犬も子供たちも寝静まった頃、桂子さんは化粧を直して人に会う用意をする。誰にも話していないことであるが、それは別に秘密にしておく必要があってのことではなくて、話す必要がないので黙っているだけのことである。大体、別の世界があってそこの人たちと付き合っているというような話を理解してもらうのは、考えただけでもむずかしい。

これは、「桂子さん」と別の世界の住人たちとの、交わりの話。

目次
花の下
・・・こちらの世界では「佐藤さん」である「西行さん」との話
花の部屋・・・『とはずがたり』の二条のパパ、後深草院の話
海中の城・・・「トリスタンとイズー」が飲んだ媚薬の話
媚薬・・・式氏内親王と「定家さん」の話
慈童の夢・・・「定家さん」ご推薦の美少年、慈童の話
永遠の旅人・・・西脇順三郎と食す、霊魂の実の話
秋の地獄・・・地獄から能舞台に現れた、深草少将の話
城の下の街・・・現世の知人と共に迷い込んでしまった地下街の話
花の妖精たち・・・近所に引っ越してきた、完璧な美少年と美少女の話
月の女・・・月の世界の住人、嫦娥と、蝉丸の話
遁世・・・「西行さん」に学ぶ遁世の心得の話
雲と雨と虹のオード・・・緑珠に学ぶ巫山の夢(房事の術)の話
黒猫の家・・・ポーの『黒猫』を思わせる話
赤い部屋・・・処女の血を好んだ、エルゼベート・バートリ伯爵夫人の話
水鶏の里・・・六条御息所に紹介された紫式部の話
蛍狩り・・・紫式部に連れられて見た、和泉式部から舞う霊魂の話
紅葉狩り・・・桂子さんの誕生会に集まった鬼女たちの話
蛇とイヴ・・・ある学会に現れたHeavahay博士(Yahaveh)の話
春の夜の夢・・・鬼女になってしまった愛人の話
猫の世界・・・トバモリーのような猫、ポザイと暮らす母娘の話
夢の通い路・・・死者との「夢の通い路」を塞ぐ話

元になっている話を全て知っているわけではなく、大方は雰囲気で読んでいるのだけれど、たまに読み返すとこちらの知識量が若干増えて、以前は分からなかった所が分かるようになったりする。一編ずつはとても短いお話なのだけれど、独特の世界に酩酊する。「蛇とイヴ」以降は、桂子さんの物語ではないのだけれど、同じくこちらの世界だけではなく、妖かしの世界とどこかで繋がっている話。

倉橋 由美子
夢の通ひ路
←講談社文庫のものは取り扱われていないようで、これは単行本です

☆関連記事→「ポポイ」/首を飼う

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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新井素子「緑幻想(グリーン・レクイエムⅡ)」

「緑の髪の少女」というイメージが印象深い本。

いきなりの紹介から始めてしまうけれど、amazonから引っ張るとこんな感じ。

内容(「BOOK」データベースより) 明日香は本当に死んだのか…。彼女の「愛」は滅んだのか…。緑の大地に今、何かが起ころうとしている。のぼる、旋律。おりる、旋律。リフレイン。そのあとひたすらのぼりつめて…。何だろう、この旋律、不思議になつかしい、不思議に昔のことを思わせる…。明日香の想いが作りあげた『グリーン・レクイエム』の物語は、より美しい愛の想いへと凝縮しながら、幕を下ろす。待望の書下ろし長編。

では、「緑の髪の少女」明日香と、「信彦さん」との出会い、恋が描かれている。種々の事情で、「狩られる」ことになってしまった明日香は、自らを閉じてしまうは、その後の物語。でも、明日香が全く出て来ないわけではない。彼女の想いはきちんと生きている。の方が広がりと、脇の人物造形に魅力を感じる。

に流れる「グリーン・レクイエム」「ひたすら望郷の思いに満ちた、とにかく帰りたいって曲」だけれど、のラストに流れる曲は「すべての動物を愛してる」という曲。全編、音楽、想い、植物が溢れる小説です。

作者あとがきによると、グリーン・レクイエムは、十九のおわりから二十にかけて書いたお話で、ショパンのノクターンを基調に作ってあるのだけど、ショパンのノクターンを基調にお話を作ろうと思ったのは、中学生のときにさかのぼるのだそうだ。音楽の宿題の感想文で、曲を聴いてどんなイメージがわいたかを書きつらね、戻ってきたその点数は無残だったけれど、これはお話になるなぁと考えたのだそうだ。その感受性の豊かさに舌を巻く。頭の中には、常にお話が流れているのでしょうか。

新井 素子
グリーン・レクイエム
新井 素子
緑幻想

高野史子さんによる表紙カバーも美しい。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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遠藤周作「イエスに邂った女たち」

前にちょこちょこ書いてはいるのですが、私はクリスチャンです。子供の頃は親に連れられてプロテスタントの教会に通い、その後、機会があってカトリックの方でお世話になることになりました。

ちょっと語弊があるかもしれませんが、普段の礼拝(ミサ)において、プロテスタントの方が、聖書のあちらこちらを引き(参照し)、カトリックではあまり引くことがありません(カトリックでは読まれる箇所が決まっている)。小さい頃から聖書を引いたり、聖句を暗誦するような環境に居ましたので、何だか分かったような気になってしまって、改めて聖書について考えたことがありませんでした。

夫の実家で、「イエスに邂った女たち」「山本七平の旧約聖書物語」を見付けたので、ちょうどいいや、と両方借りてきました。「イエス~」はスラスラ読めましたが、「山本七平の~」はそうはいかず、もうちょっと時間が掛かりそうです。というわけで、今日は「イエスに邂った女たち」について。

目次
はじめに
第1章 マグダラのマリア①
第2章 マグダラのマリア②
第3章 マグダラのマリア③
第4章 サロメ
第5章 イエスと娼婦と
第6章 姦通の女
第7章 マルタとマリアの姉妹
第8章 ベタニアのマリア
第9章 かくれ切支丹のマリア
第10章 聖母マリア①
第11章 聖母マリア②

何せそういう意味での勉強を全くしていなかったので、「はじめに」の以下の文にも軽い衝撃を受けました(薄っすら、思っていたことではありますが・・・)。

■新約聖書に書かれたイエスの言葉は、必ずしも本当にイエスが語った言葉とは限らない
■それはイエスの死後にできた幾つかの教団の思想や信仰を反映させたものである
■イエスの生涯のできごととして書かれていることも、必ずしも本当にあったことだけではなく、ユダヤ各地のイエス伝承を取捨選択したものである

しかし、以下の文のような新約聖書への考え方が、この直後に書かれています。新約聖書とは、次のようなものである。

■イエスの死後、ユダヤの各地でできたイエス伝説、イエス伝承が、たとえ事実そのものでなくても、当時の人々が彼をどのように思っていたか、彼にどのようなイメージを抱いていたかの優れた資料
■たとえ事実の出来事は書かれていなくても当時の人々の心にあったイエス、当時、人々の考えていたようなイエスの物語

引用ばかりになりますが、次の文章は心をうちます。

人間の夢や歎きや祈りがそれら挿話にこもっているなら、たとえそれは事実でなくても真実なのだ。真実は事実より、もっと深く、もっと高い。

以前聞いた、ある神父の言葉が、少し深く分かったような気がします。神父は当然これらの事を、すっかり勉強しているのでしょうから。 以下、一つ一つの話にうつります。
--------------------------------------------------------
■「マグダラのマリア②」より
「新約聖書に出てくる女性が烈しく、また健気で立派に勇敢にふるまうのに対し、男性がぐうたらで威張り屋のくせに実は臆病者だった」というのも、確かにそうだよなぁと思う(イエスの復活を経てからの、弟子の男性たちの奮闘は凄まじいけれど)。

■「姦通の女」より
一、宗教的倫理と社会道徳とは必ずしも一致しない。
二、宗教的倫理とは一人一人の心の奥底の問題であって、社会の秩序を保つための約束事の道徳などではない。
三、それは当人の内面の底(時には無意識の世界)の問題なのであって、神はそのすべてを知っている。
四、そして我々が神の働きとよぶものをみつけるのは、この心の奥底においてである。社会的道徳などの世界では神は働かぬ。
五、イエスはたえず、この心の奥底のことを問題にしていた。心の底はドロドロとした無明の世界であり、暗黒の場所だが、また神の働く場所でもあるからだ。「神の国はあなたのなかにある」とイエスは言っている。

■「聖母マリア①」より
プロテスタント(新教)から入った私には、何となく違和感を覚えた「聖母マリア」。なぜ自分が違和感を覚えたのか、なぜカトリック(旧教)の方がやさしい宗教であるように感じるのか、の理由が分かりました。
三位一体のほかに聖母信仰を認めることで、基督教は父の宗教と母の宗教とを併わせ持ったのだと言えるのです。「怒り、裁き、罰する」父の宗教だけでは人間は辛く孤独でたまりません。「許し、慰め、共に苦しんでくれる」母の宗教だけだと、人間はいい気になります。この二つがあわさって、我々の宗教心理はみたされると言えるでしょう。
(中略)
新教が聖母に崇拝や信仰を持たなかったのはそれなりの合理的な理由があると思うのですが、しかし「母の宗教」を信仰のなかから消すことによって、新教にはある欠除ができたような気がしてなりません。
--------------------------------------------------------
納得することしきり、でありました。私は遠藤周作氏の「聖書の読み方」を興味深く読みましたが、『日本の旅行者に馴染みの少ない基督教美術ではあるが、聖書のこういう場面を描いているのか、とわかれば興趣は更に深くなるだろう。そういう時の一助となればと思って書かれたものでもあります。名画も載せられており、キリスト教に興味のない方でも、楽しめるかと思います。

******************************************************
【追記】 記事中及びコメント欄で、プロテスタントとカトリックについて言及しておりますが、これはあくまで私個人の印象であり、どちらが心情的に添いやすかったか、という話です。当然ながら、どちらが優れる、劣るといった、優劣を付けるものではありません。
******************************************************

遠藤 周作
イエスに邂った女たち

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