旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。


テーマ:

ジャネット・ウィンターソン, 岸本 佐知子

灯台守の話


物語るとは、世界を丸ごと構築しなおすこと。たとえば向かい合って話すとき、言葉の力は、表情や身振り、抱き合うことなど、身体的なものに負けてしまうかもしれない。けれど、言葉には言葉にしか出来ないことがある。それは物語ること、物語を作り出すこと。

私たちの人生は、様々な物語から成る。そしてそれは多くの場合、はじめがあって真中があって終わりがある、そういう類の繋がった一つの物語ではない。私たちの人生は、様々な物語の断片の積み重ね…。こうくると、ちょっと、フラグマン(断片)、注記(ノチュール)、続唱(セカンヌ)、反響(レゾナンス)から成る物語、「マグヌス 」を思い出す。

目次
二つの大西洋
暗闇のなかの確かな点
太陽の寄宿人
大博覧会
洪水の前の場所
新しい惑星
物言う鳥

小屋
 訳者あとがき


父を知らず、母を亡くしたシルバーは、ソルツの町はケープ・ラス(怒りの岬)との灯台に住む、盲目の灯台守ピューに引き取られる。灯台は光の仕事だけれど、必要のない物は照らさない。だから、自らの内部は闇に沈む。シルバーたちの暮らしは常に闇の中。目の見えないピューにはそれで問題はないし、シルバーもまたそんな暮らしに慣れていった。

ピューが言うには、よい灯台守の条件とは、船乗りよりもよりたくさんの物語を知っていること。そう、器械の使い方なら、誰だって教えることができ、誰だって習うことが出来る。けれど、灯台守となる人間に、本当に教えなくてはならないのは、光を絶やさないようにすること。そして、それは物語を覚えることと同義である。

船乗りたちがやって来た時代、灯台の光が活躍していた時代は当の昔に過ぎ去っていたけれど、そうして、シルバーはピューから、様々な物語を聞き、学ぶ。お話して、ピュー。すべての灯台は物語であり、そこから海へと放たれる光もまた、導き、報せ、慰め、戒めてくれる物語そのもの。シルバーもまた、海で流木を拾うように物語を集め、ピューに話して聞かせる。

ピューは百年前の出来事を、まるで見てきたように話す。シルバーの「その時、ピューはいなかったくせに」という言葉にもお構いなし。ケープ・ラスには、だって、ずっとピューたちがいたのだから。ここで語られるのは、まるでジキルとハイドのような二重生活を送っていた、百年前のバベル・ダークと言う牧師の話。自らを牢獄に閉じ込めるかのようであった彼の人生は、自分の真実を信じなかったために、非常にややこしいものになってしまう。「アイ・ラヴ・ユー」、それはこの世でもっとも難しい三つの単語。

やがて、ケープ・ラスの灯台にも機械化の波がやって来る。ピューとシルバーは退去命令を受け、ピューは海へと姿を消す。シルバーはピューを追うのだが…。これ以降のシルバーの人生は、シルバーの言葉を借りれば、難破と船出の連続。寄港地もなく、目的地もない、砂州と座礁があるのみ。本盗人となり、鳥盗人となり、たぶん、妻のある人と恋して、女性に恋して…。真実の愛を探して、ピューの残したバベル・ダークの日記を手に、旅立ったシルバーの生は…。

 化石に書かれた記録は、発見されようとされまいと、つねにそこにある。もろく壊れやすい過去の亡霊。記憶は海面とは似ていない、荒れていようが凪いでいようが。記憶は積み重なって層をなしている。過去のあなたはちがう生き物、とはいえ証拠はしっかりと岩に刻まれている―あなたの三葉虫が、あなたのアンモナイトが、あなたの地を這う命の形が、自分では二本足で直立できていると思いこんでいる今この瞬間にも、ちゃんとそこに存在している。   (p159-160より引用)

あれほど原始的な感じではないのだけれど、ちょっといしいしんじの作品に似た空気感を感じました。繰り返される、「お話して」というフレーズ、おとぎ話のような雰囲気、話はあちこちに飛ぶのだけれど、潮の匂いが立ち込めるようなこのお話、とても良かったです。

器械は誰でも扱うことが出来るけれど、良い灯台守はたくさんの物語を知っているというフレーズ。世にたくさんの仕事があって、それはどんどん機械に置き換わっていってしまうかもしれないけれど、「物語ること」、それは人間にしか出来ないことだなぁ、と改めて思いました。少し前に、野暮用で「将来の夢」なんぞを書かされていたのだけど、これもまた物語ることなのかしらん。自分の中の、アンモナイトや三葉虫のような記憶を掘り起こしてみたくなる本でした。

古い灯台にも興味が出てきちゃって、思わずネットをうろうろしてしまいました。あの「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」(実は私、「宝島」と「ジキル~」の作者が一緒だって知りませんでした…)で知られる、スティーヴンソンの祖父が、この灯台のモデルとおぼしき、ケープ・ラスに実際にある灯台を建設したのだとか。「灯台」というアイテムが実に秀逸。

美しい装幀は、吉田浩美さんと吉田篤弘さんのクラフト・エヴィング商會です♪

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

マーガレット アトウッド, 岸本 佐知子

ダンシング・ガールズ―マーガレット・アトウッド短編集


訳者の岸本佐知子さん目当ての読書であります。

目次
火星から来た男
ベティ
キッチン・ドア
旅行記者
訓練
ダンシング・ガールズ
訳者あとがき


著者はカナダ出身とのことなので、豊かな自然描写なども期待しつつ読んだのだけれど、その点は実はいまひとつ。でも、心理描写が独特で、すとんと居心地悪い所に落とされる、その感覚が面白かったです。

訓練」を除けば、ほとんどの主人公は女性。そして、どちらかと言えば、地味な人物に焦点が当てられる。でも、地味な人物には地味な話しかない、なんてことはそれこそ思い込みでしかないわけで。ぺろりと現実の皮を捲ればそこには…、というお話。なんとなーく、中途半端に放り出される部分もあるのだけれど、これはその釈然としない感覚も含めて、楽しむべき物語なのでしょう。

妙ちきりんさで言えば、ミセス・バリッジを主人公とする「キッチン・ドア」が、ぴったりはまった美しさでいえば、都会的な旅行記者アネットを主人公とした「旅行記者」が面白かったです。

キッチン・ドア」の主人公、ミセス・バリッジは、一九五二年からずっとピクルスを作り続けている。今年も勿論、鍋二つ分のグリーン・トマトのピクルスを作り、夫、フランクとのやり取りもまたいつもと同じ。フランクは毎年、妻がピクルスを作り過ぎると文句を言い、でもそれをいつだって食べきってしまうのだ。ピクルスとチーズを控えるように言うのも、フランクの健康を心配してというよりは、彼女が口うるさく言わないと、フランクが淋しがるから。そう、これらはすべて決められた形式にのっとって進行する、日常の決まり事…。
常と同じ時間の流れの中で、ミセス・バリッジは「それ」がやって来るのを感じる…。その時、きっと夫フランクには彼女を守ることは出来ない。「それ」を感じるミセス・バリッジは、キッチン・ドアを見つめながら、一人、準備を始めるのだが…。

旅行記者」では、有能で都会的な旅行記者、アネットが飛行機事故に巻き込まれる。楽しみを見出し、人々が求める記事を提供する術に長けたアネットにとって、旅は既に純粋な楽しみではなく、まるで書割の世界にいるようでもある。言うならば、自分だけが現実から隔離されたような感じ。
そんな中で、彼女は飛行機事故に遭う。慌てもせず、海に着水した飛行機から、必要なものを整えて脱出した彼女を待ち受けていたのは…。当然、すぐに助けがやって来るはず。救命ボートの上で、彼らは考えるのであるが、現実には…。そう、これがアネットが求めていた「現実」なのか、「生きる」ということなのか。

カナダの作家と言えば、新潮クレストブックスのこちらも気になります。こちらは、自然描写も期待出来るのかしらん。
AD
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

テーマ:
佐藤 良明, 柴田 元幸
佐藤君と柴田君

1950年生まれ、東京大学教養学部助教授、佐藤良明(トマス・ピンチョンやグレゴリー・ベイトソンの翻訳・紹介で知られるとのこと)、1954年生まれ、東京大学教養学部助教授の柴田元幸(ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザーなどの訳で知られる)のお二方によるエッセイ集。
(肩書きについては、1995年に発行された、この本の扉の著者紹介から引用しています)

文末に「さ」(佐藤氏)「し」(柴田氏)と記された文章が、ほぼ交互に並ぶ。

時に、一般教養の<英語Ⅰ>の授業の革命について熱く語り、時に、60年代のポップソングについて語る。そして、時に自らの少年時代について、思いを馳せる。

音楽については、特に佐藤氏の方の思い入れが強く、「そんなん知らんー」となることもあるのですが、柴田氏による「
つまみぐい文学食堂 」を読んだ時にも思ったんだけど、ああ、東大の学生はこんな二人の授業を受けられたのか、と思うとやっぱり羨ましい!(そして、今、Wikipedia を見たら、”歌手の小沢健二は柴田ゼミ出身”なのだとか。)

文章としては、私は柴田さんの脱力系の文の方が好みでした。
特に心に残ったのが、柴田氏による「たのしい翻訳」「ボーン・イン・ザ・工業地帯」の二編。

「たのしい翻訳」に、その恐ろしい書き出しが載せられている、T・R・ピアソンの「甘美なる来世に向かって」も気になるなぁ。訳されても読みこなせないような気もするんだけど。
 
 「ひっかかり、抵抗感こそが味である「悪文」的な原文の、そのひっかかりを再現する」ことを重視している柴田さん。「下手にやると、単に下手な訳文にしか見えなくて、結局は弱気になり、「通りのいい」訳文にしてしまうことが多い」そうだけど、このT・R・ピアソンの文は、そういう意味ではかなり癖の強い「悪文」っぽいです。

「ボーン・イン・ザ・工業地帯」では、柴田さんが訳したスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」の話と、柴田さん自身の「育ち」の話が絡む。東京のサウス・サイドである京浜工業地帯と、シカゴの南側であるサウス・サイドに、柴田さんはいくつかの共通点を感じるのだそう。

「なつかしい」と「うつくしい」が一致しがたいサウス・サイドを描くなかでダイベックはそこに、ふっと天使の影をよぎらせたり、不思議な言葉で呟かれる老婆たちの祈りを響かせたりして、つかのまの「うつくしいなつかしさ」を、あたかもささやかな救済のように忍び込ませた。

工業地帯の下町に育った柴田さんは、それによって自らが育った町も、一緒に救済された気持ちになったのだとか。そして、この部分にはなんだかしんみりしてしまう。

手拭いを頭に巻いたおじさんたちが黙々と旋盤を回している町工場の並ぶ、夕暮れの街並みを自転車で走るとき、僕はいまも、三十年前の、勉強ができることだけが取り柄の、気の弱い、背が伸びないことを気に病んでいる子供に戻っている。喧嘩と体育ができることが至上の価値である下町では、勉強ができることなんて屁みたいなものであり、そういう世界にあって僕は明るく楽しい少年時代を過ごしたわけでは全然なかった。あのころだって、いまだって、僕はこういう環境にしっくりなじんで生きているわけではない。

そういう、ある種の「うしろめたさ」のようなもの、どこかわかる気がします。

あ、スティーヴン・ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、気になります。「シカゴ育ち」「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、この本が届くべき人たち、この本を読んだらよかったな、と思ってくれる潜在的愛読者に本が届いていない気がするのだって。

 特にミルハウザーなどは、文系よりもむしろ理系の、ふだん小説なんてあまり読まない、どちらかというと人間とかかわるより機械とかかわるほうが好きな、根のやや暗めの人に潜在的愛読者がいるはずだと思うのだが、残念ながらそういう人のところまでこの本は届いていそうにない。

本は人の心に届いてこそのもの。柴田さんがそういう人に読んで欲しいと思ったこの本、自分がこの本を読んだらどう感じるのかなあ、などと思うのでした。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

←文庫も
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:
マーシャ メヘラーン, Marsha Mehran, 渡辺 佐智江
柘榴のスープ
アイルランドのクリュー湾近く、小さな村バリナクロウに、異国情緒溢れるカフェ、<バビロン・カフェ>がオープンした。そこで働くのは、マルジャーンにバハールにレイラーのアミーンプール三姉妹。彼女たちはこの寒村に、芳香に溢れた料理でもって、命を吹き込む。その料理はまるで魔法のよう。カフェの中では、金色に煌くサモワールがしゅんしゅんとお湯を補給し、香りに満ちた様々な料理が並ぶ。緑の指のように美しく整えられたドルメ、マリネのようなトルシー、紙のように薄いパン、ラヴァーシュ、ラム肉とじゃがいものシチュー、アーブグーシュト、ドーナツのようなゾウの耳などなど。それは、繊細にしてみっちりとしたペルシアの料理。

マルジャーンの料理のレシピが、一章毎に明かされるのとともに、段々と明らかになるのは、彼女たち三姉妹が、ここ、アイルランドの小さな村まで逃れてきた事情。黒いチャードルで隠された女性たちが増え、マルジャーンとバハールの人生の場面にも、イラン-イスラーム革命から波及した大きな傷が刻まれる。そして、それはまだ幼かったレイラーにも記憶されていた…。

彼女たちが町の人々に料理を振舞い、心を開くのと同じくして、町の人々が抱えていた問題も、少しずつ解決されていく。悪者は悪者として描かれるし、レイラーから漂うローズウォーターやシナモンの香りなど、何だかおとぎ話のようでもあるのだけれど、この明るさやユーモアが、チャードルで隠されたイランの、ペルシアの本来のものなのかもしれない。フィクションではあるのだけれど、「物語る」物語。美しい姉妹に料理を供されながら、お話を聞いているような気分になる。

マルジャーンの魅力溢れる料理のさまはこんな感じ。

 マルジャーンは真ん中をつまんだゾウの耳を二つ、オイルを熱した深い鍋に一分間沈めてから、溝穴のあるスプーンでペーパータオルに移した。余分なオイルの雫がペーストリーからぜいたくに滴り落ち、のどが乾いているペーパータオルにたちまち飲み込まれた。

まさに、煌きと官能の料理。

料理だけではなく、出てくる人物たちも、それぞれに魅力的だし、ペルシアの官能すら感じさせる料理と、アイルランドの自然の対比もまた見事。これは、良い本を読みました。マーシャ・メヘラーン、これ一作しか出ていないのが、残念だなぁ。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。



★アイルランド、メイヨー州について★
アイルランド留学クラブ 」さんが詳しかったです。
下記、URLには、クロッグ・パトリックや、クリュー湾からの眺めが載せられています。
http://www.ryugakuclub.com/ireland/travelireland/mayo.htm

★チャードル(Wikipediaにリンク

★イラン革命(Wikipediaにリンク

いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)

テーマ:


ニコルソン ベイカー, Nicholson Baker, 岸本 佐知子
フェルマータ

訳者の岸本さん目当てで借りてきた、ニコルソン・ベイカーの本。

妄想力が爆発していた岸本さんのエッセイ(→「
気になる部分 」)同様、こちらの本も物凄く変わってました~。

 もしも、時間が止められたなら?

基本設定はこれです。ワン・アイディアといえば、ワン・アイディア。

自由に時間を止める事が出来、全ての物たちが静止した状態の中、一人、自由に動く事が出来たならば、人それぞれやりたい事、やれる事は違うでしょう。

でも、この物語の中、主人公で自伝的記録をものしている途中のアーノがする事と言えば、そう、この文庫版の表紙にあるように、女性の服を脱がせたりなどの、セクシャルな行為ばかり。

アーノは、どんなタイプの女性であれ、それは純粋に女性の美を礼賛するための行為だと言うのだけれど・・・。

<襞(フォールド)>の中に入り、好き勝手に、時や他人の身体、人との関係性を弄くるアーノ。これ、amazonなどを見ると、基本的に男性目線の妄想なので、女性には不評では・・・、という意見が多かったように思うけれど、私は結構楽しんで読んじゃいました。まぁ、近くにアーノのような男性にいて欲しくはないけれど。ワン・アイディアだけど、流石に最後まで同じ展開というわけではなく、ラストの17、18章があるので、食傷せずに済んだというのもある。

アーノは実際に時を止めているわけだけれど、本来は過ぎ去っていってしまう、何でもない一瞬一瞬を愛おしむような、時を手の平で優しく撫で擦るような感触が新鮮でした。ま、やってる事は、セクシャルな妄想を実行に移しているという、ほんとけしからん事ばかりなんだけどね。

訳者の岸本さんのお遊び(? というか、訳語の工夫か)も、随所に見られまして、成長物語(ビルドゥングスロマン)をもじった性腸物語(ディルドゥングスロマン)という名の張形とかね・・・。この訳語でも分かるように、途中に挿入されるアーノ自身による猥文(ロット)は、ほとんどポルノ小説なので、そういうのが大丈夫な人じゃないと、ちょっと読むのは辛いかも。

俗語はそれなりに触れたことがあると思っていたんだけど、乳房を<ジャマイカ>っていうのは知らなかったな~。何からきているんだろう??? 英語に堪能な方ならば、岸本さんの訳やルビを更に楽しめるのかもしれません。

*私が実際読んだのは単行本なのですが、表紙絵が出てきた白水μブックスのソフトカバー版を載せています。35歳、派遣社員(テンプ)のアーノ。アーノっぽさが良く出ている表紙だわ~。

白水社

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:
岸本 佐知子
気になる部分

新聞の書評で見かけた「ねにもつタイプ」が気になっていた岸本さん。
ほんとは「ねにもつタイプ」を読みたかったんだけど、わが図書館にはなかったのでこちらの「気になる部分」を。

しかし、白水社から出ているとはとても思えないこの表紙。装丁を知らずに予約で取り寄せちゃったので、ちょっとたじろぎましたよ。や、私、こんなの頼んでないです、という感じでね・・・。

目次
Ⅰ 考えてしまう
Ⅱ ひとり遊び
Ⅲ 軽い妄想癖
Ⅳ 翻訳家の生活と意見

さて、内容はというと、私より一足お先に、岸本体験をされた
nanika さん(nanikaさんの記事はこちら→『ねにもつタイプ 』)が指摘されておられる通り、その妄想力と記憶力に舌を巻く。

そうだなー、一例を挙げると、あなたは街で飾られている七夕の短冊が気になるタイプですか? そう、ことによってはイケナイことだと思いつつも、ついつい絵馬を読んでしまったりとか。もしそういうものが気になるようだったら、あなたも立派に「こちら側」(ええ、私も思いっきりそちらのタイプです)の人間かも。

しょうもないことについつい考え込んでしまう人、ふと聞こえた会話から色々と妄想が広がっていく人、これを読むと力強い味方を得た気分になるかも?(私だけじゃなかった!)

そうなんだよなー、私も子供の頃、算数の文章題に苦戦したのは、しょうもない事に気がいってしまったからだった・・・。母に悩みを打ち明けて、「そんなことは心配しなくてもよいのよ」と言われてからは、普通に解ける様になったけどさ。岸本さんバージョンの文章題の悩みは、こんな感じです。

「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」というような問題があったとすると、私はその”ある人”のことがひどく気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7個買えないとわかった時に”ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりだったであおるか―。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまうことさえあり、(”ある人”ったら、うふふ・・・・・・)などと思いを馳せているうちに、「はい、鉛筆おいてー」という先生の声が響きわたってしまうのだった。

そして、岸本さんの本業、翻訳家としてのお仕事で気になったのは、ニコルソン・ベイカーの作品。
やっぱり、本業も拝見しないとねー。


その後に読んだ「フェルマータ」の感想はこちら。いやー、けったいな小説でしたよ。次は「中二階」だ!

 →「
フェルマータ 」/もしも時間を止められたなら?

そして、ついでに、「ねにもつタイプ」も読みました。たのしー!

 →「ねにもつタイプ 」/夢見るように生きている

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
いいね!した人  |  コメント(15)  |  リブログ(0)

テーマ:
ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
最後の物たちの国で

ポール・オースター初読みです。翻訳もまた、気にはなっていたものの、これまで読んだことがなかった、柴田元幸さん。

これは、全てが失われゆく街で生きる、「彼女」から「あなた」へと書かれた手紙。裕福でまだ若く、魅力的な女性であった事が示唆される、「彼女」、アンナ・ブルームは、周囲の制止を振り切り、消えた新聞社勤務の兄ウィリアムを追って、その街へと侵入した。

辿り着いた街の状況は彼女の想像よりももっと酷く、兄は勿論見つからず、彼女は生き抜くためにあらゆる手段を取る事になる。彼女と助け合う人々も現れるけれど、この旅は兄を探し出して共にこの街を脱出出来る様な生易しいものでは既になく、彼女は街に閉じ込められる。閉じ込められた、閉ざされた世界の中で、ある人々は死に向かって狂おしく努力し、それ以外の人々は日々を生き抜く事だけを考える。

手紙は街の様子をつぶさに伝えるけれど、普通の世界に住む人々にとって、見たことも聞いた事もない、この街の暮らしは分かって貰えるものでも、想像できるものでもない、と彼女は書く。新しいものは何一つ作られず、人々は死にゆき、赤ん坊は生まれない。そんな街の中で、彼女は恋をし、身篭るけれど、不幸な事故により、やはり赤ん坊は生まれない。

混乱の時代の中、自らの蓄財を切り崩しながら、細々と慈善事業を続けてきたウォーバン博士を創始者とする、ウォーバン・ハウスに身を寄せた彼女であるが、ウォーバン博士の蓄財とて無限ではない。やはりこの施設も永遠ではなく、終焉を迎える・・・。彼女と共に残ったのは四人。ウォーバン・ハウスの物資を一手に引き受けていた、陽気な厭世家ボリス・ステパノヴィッチに、アンナの恋人サムに、ウォーバン博士の娘であり、ウォーバンハウスの後継者であるヴィクトリアに、彼女。

いまこの時点で私が望むのは、とにかくもう一日生き延びるチャンス、それだけです。あなたの古き友人アンナ・ブルーム、別の世界からの便りでした。

彼ら四人は、ボリスの語る突拍子もない御伽噺のように、旅立てるのだろうか。

失われるものを描く点で、小川洋子さんに似たものを強く感じた。何の理由もなく、物事が消え去っていく『
密やかな結晶 』の世界にも近いかも(『密やかな~』で消え去るのは、物に付随する記憶や思いであり、アンナたちの行動は『密やかな~』よりは能動的だけれども)。

引用したアンナの言葉に、「別の世界からの便り」とあったけれど、実際、戦争や内乱の渦中にあったら、それは「こちらの世界」には本当には分からないものであり、渦中にあっては状況も分からぬまま、生き抜く事にただ必死にならざるを得ないのだろうなぁ、と感じた。

柴田元幸さんの「訳者あとがき」より、長くなるけれど引用します。

インタビューなどでも、この作品に描かれた奇怪な事件や状況の大半が、自分の想像の産物ではなく、二十世紀のどこかで実際に起きた(あるいは起きている)出来事を下敷きにしていることをオースターは強調している。たとえばこの小説で詳述される屎尿処理のシステムは、現在カイロで実践されている方式に基づいているし(実際それは、かつて日本で機能していたシステムともそれほど変わらないと思う)、人肉工場でさえ第二次大戦中レニングラードに実在したのだとオースターは述べている。ワルシャワのゲットー、ナチスの強制収容所、今日の第三世界、そして急速に第三世界化しつつあるニューヨーク・シティ・・・・・・。「これは現在と、ごく最近の過去についての小説だ。未来についてじゃない。『アンナ・ブルーム、二十世紀を歩く』―この本に取り組みながら、僕はずっとこのフレーズを頭のなかに持ち歩いていた」(ラリー・マッキャフェリーとシンダ・グレゴリーとのインタビューより)。訳者が最近目にした書物のなかでも、本書にもっとも「似ている」のは、サラエボの芸術家集団が作った、ミシュランをもじった旅行書のパロディ『サラエボ―サバイバル・ガイド』だと思う。

小川洋子さんも『アンネ・フランクの記憶』などの本を書かれているわけで、ポール・オースターの喪失の描き方と共通点があるのかも。そして現実離れして見えるこれらの物語は、決して現実とは無縁ではないのだよな。

また、『サラエボ―サバイバル・ガイド』とは、『サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド』のことだと思われる。
私も以前読んだ ことがあるのだけれど、絶望の中にユーモアがある点で、確かに似たものを感じた。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。