旧・日常&読んだ本log

流れ去る記憶を食い止める。

2005年3月10日~2008年3月23日まで。

以降の更新は、http://tsuna11.blog70.fc2.com/で。

この場所での更新は停止しています。

2008年3月23日からは、fc2ブログで更新を続けています。

 http://tsuna11.blog70.fc2.com/


また、fc2ブログの引っ越しツールで、こちらの過去記事も移行しました。

トラバ、コメントなど、fc2の記事に頂ければ嬉しいです。

よろしければ、今後ともどうぞよろしくお願いします。



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約三年間、アメブロでやってきましたが、色々と不自由なことが増えてきたので、こちらに移行しました。

 
http://tsuna11.blog70.fc2.com/

新しい場所でも、またお付き合いいただければ、と思います。

以上、お知らせでした~。
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス
アドルフォ・ビオイ=カサーレス
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件

「ラテンアメリカ怪談集(過去感想にリンク )を読んで、ラテンアメリカ文学にも心惹かれておりました。

で、ラテンアメリカと言えば、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(なんか、名前も回文みたいでいいよね)?と思って、くだんの「ラテンアメリカ怪談集」の中の「円環の廃墟」が良く分らなかったくせに、ボルヘスにいってみました。

とはいえ、これはアドルフォ・ビオイ=カサーレスという、これまたアルゼンチンの作家との共作であり、更に探偵小説なんですね。なので、普通に「ボルヘス!」というにはちょっと語弊があるだろうし、私の腰の引け具合もちょっと分かるかも…。
ちなみに、刊行当初、二人の合作者としてのペンネーム、<H・ブストス=ドメック>名で発表されたそうです。

目次
H・ブストス=ドメック
序言

世界を支える十二宮
 Las doce figuras del mundo
ゴリアドキンの夜
 Las noches de Goliadkin
雄牛の王
El dios de los toros
サンジャコモの計画
  Las previsiones de Sangiácomo
タデオ・リマルドの犠牲
  La Víctima de Tadeo Limardo
タイ・アンの長期にわたる探索
  La prolongada busca de Tai An

訳者解説


探偵役は、身に覚えのない殺人の罪で、二十一年の懲役刑を受け、獄中生活を続けている、元理髪店店主のイシドロ・パロディ。マテ茶をたて、静かに独房の中で暮らしている彼の元には、最初の事件、「世界を支える十二宮」の時にやって来た、おっちょこちょいの新聞記者、アキレス・モリナリを皮切りに、厄介な事件を抱えた人々が引きもきらない。

依頼人たちは、いずれも大仰な物言いが特徴と言えるでしょう。時には話題は詩や文学までへも広がっていく。たいていは、殺人事件について助けを求めに来ているはずなのに! 自分のことを重要人物であると信じ切っている人々の演説(だって、ほとんどご立派な演説なのだ)を、じっと見、聞いているのが、イシドロ・パロディ。そうして、彼は依頼人たちの膨大な言葉の中から、独房に坐したままで、真実をより出して見せるのだ。

依頼人の出番は一回こっきりというわけではなく、新聞記者モリナリの口コミが次の依頼人を呼び寄せたり、ゴリアドキンの夜」で登場し、”気取ったところはあるが、そそっかしくて人のいい愛すべき舞台俳優”と紹介されるヘルバシオ・モンテネグロに至っては、”皇女と結婚し、趣味としての犯罪捜査に明け暮れ”たり、”アメリカ大陸友好団体の地方局長”を経て”私立探偵”になってしまっています。どいつもこいつも、イシドロ・パロディの推理を自分の手柄にしてしまうのはなぜなんだ! 冤罪なんだから、刑務所から出してあげてよ~。

多くの訳注があるにも関わらず、詩や文学、作家については、面白さを与えようという効果が、私には消化し切れなかったなー。アルゼンチンの多様さ、混沌については、なんとなーく雰囲気が理解出来たようにも思うけど。

「世界を支える十二宮」に出てきた、イスラム教、ドゥルーズ派について、Wikipediaにリンク。

同じくラテンアメリカで、気になってるのはこの一冊。いつかは読むぞ。

七悪魔の旅
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青来 有一
爆心

目次







目次がちょっと変わった作り。
釘を頂点として、時計回りに、石、虫、蜜、貝、鳥と六作品が円形に並べられている。

主人公となる人物の年齢も性別もバラバラだけれど、共通しているのは、長崎を舞台としていること。長崎と言えば、被爆地であるとともに、キリスト教とも縁の深い土地でもある。多くの殉教者を生みながらも、先祖代代、愚直なまでに神を信じてきた、彼らに与えられた運命とは? のみはちょっと違うけれど、苦しみがまだ足りないとばかりに、なぜ彼等に苛酷な運命が襲うのか。

描かれていることは、結構辛いことが多いのだけれど、穏やかな人々が操る方言のせいか、どこかやさしくもある。どんな辛い出来事が人々を襲おうとも、そこで人生が分断されるわけではなく(分断されるに等しい出来事もあるけれど)、それでも彼らの生活は続いていくし、一歩一歩、家族や支えてくれる人々と共に、生きていくしかないのだよなぁ。

■もともと、読むきっかけとなった、作家、桜庭一樹さんの「読書日記」の記事に
リンク

■関連過去記事■
てれんぱれん 」/わたしを待っていたのは…
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桜庭一樹
桜庭一樹読書日記―少年になり、本を買うのだ。

現在も、東京創元社の
こちら で連載されている、Webの読書日記の2006年2月~2007年1月分の書籍化です。

この本のいいところは、本文は上段にあるんだけど、下段に書影と、桜庭さんご自身や、編集のK島氏による簡単な本の紹介が載せられているところ! 何せこの「読書日記」には本がざばざばと贅沢に出てくるので、本の洪水に溺れないためにも、この構成は実にいいねえ。

桜庭さんにとっては、呼吸すること=本を読むことなんじゃないかというくらいに、とにかく、日々、本を読んでおられる。面白い本を読んでは、面白いっ!と叫ぶこの感性、この密度の読書の中で保っておられるのが凄いよなぁ。

桜庭さんが本を読んでないのは、直木賞受賞作でもある「私の男」を書くために音楽漬けになっている時くらい。意識的に本を読まず、自分を追い詰めているこの時期には、桜庭さんはどんどん痩せていってしまうのです(ま、これは「読んでない」せいだけではないとは思うけど)。

以下、本読みとしての心意気に、こちらも感動だった箇所。そうだよねえ、「やさしい」本ばっかり読んでると、自分がどんどん偏っていく気がするのだ。

 
わたしは普段、本や映画を選ぶときに、人が薦めるものをなるべく入れるようにしている。自分の選択だけだとどうしてもかたよって、その場所がせばまっていってしまう。せばまり続けるとちいさくなって完結して、そうなったら、死ぬ。
二〇〇六年八月のp144より引用)

 
帰宅して、なにを読もうかなぁと積み本を眺めていたら、なにか急に、怖くなる。東京に戻ってきたので新刊がいくらでも手に入るのだが、いや、自分の本も出たときは新刊なのだが、新たに出る注目の本ばかり追いかけると、まるで流行りのJ-POPを消費する若者のような心持ちで読んでしまう気がして、手が止まる。
 こういうことを繰り返したら、作家も読書も聞き分けがよくに通った、のっぺりした顔になってしまうんじゃないか。みんなで、笑顔でうなずきあいながら、ゆっくりと滅びてしまうんじゃないか。駄目だッ。散らばれッ!もっと孤独になれッ!頑固で狭心で偏屈な横顔を保て!それこそが本を読む人の顔面というものではないか?
(中略)
みんな、足並みなんか、そろえちゃ、だーめーだー……。古い本を!古い本を!むかしの小説を!読まないと死ぬゾ。
二〇〇六年十一月のp211-212より引用)

死ぬ死ぬ出てきちゃいますが(笑)、この切迫感も桜庭さん独特なのかなぁ。ご自身の小説は、私は「
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 」しか読んだことがないんだけど(そして、あまりの救いのなさに大ダメージを受けた)、桜庭さんの尖りや切迫感が少し理解出来たように思いました。

そして、本読みとしての目は実に確か! 自分が読んだ本については、うんうんとうなずきながら読んじゃうし、凄い本を凄いスピードで読んでるところには驚愕してしまうなぁ。普通、こんな濃い密度で読めないよ~。凄い本を探すのに、この本はオススメです。

■とりあえず、ざっくり気になったところのメモ■
愛についてのデッサン―佐古啓介の旅 (大人の本棚)
キャロル・オコンネル
淑やかな悪夢―英米女流怪談集

目次
二〇〇六年二月 読書にまつわるすごいこと(たぶん)を発見する。
二〇〇六年三月 町中に”なぞの女”がいる、気がする。
二〇〇六年四月 ジョン・ランプリエールが辞書になる!
二〇〇六年五月 夏木マリと、カー談義する。
二〇〇六年六月 直毛なのに、アフロである。
二〇〇六年七月 バナナの皮で、世界が滅亡する。
二〇〇六年八月 傑作の前を、歌って通りすぎている。
二〇〇六年九月 百匹の蠅が死に、百人の老人がやってくる。夏が、終わったのだ!
二〇〇六年十月 片手に二十世紀梨、片手に豆腐竹輪の夜である。
二〇〇六年十一月 「ビバビバ都会!野戦病院!」である。
二〇〇六年十二月 少年になり、花を買うのだ。
二〇〇七年一月 書店はタイムマッシーンである。
あとがき

*脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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社団法人・日本道路協会、サンケイ新聞国際編集室編
世界の道―アメリカ・ヨーロッパ (1982年)
サンケイ出版

1982年に出版された本書。サンケイ新聞国際編集室と日本道路協会との共著ということなんだけれど、サンケイ新聞国際編集室長の巻頭の言葉によれば、この本はこんな意図で編まれたものらしい。

 
道には長い歴史が刻み込まれていて、アメリカの高速道路網も、西部開拓時代に切り開かれた駅馬車の道がその原型である。ヨーロッパには、紀元前のシーザーの戦いのあとがそのまま道になっているところも多い。日本も同様で、国道一号線はかつての東海道である。同じようなルーツとルートをたどって現代の道が出来上がったのに、なぜに東西の道に開きが出来てしまったのだろうか?

 日本には車輪の文化がなく、狭い土地に山と川があり、道が作りにくかったこと、また狩猟と農耕という民族性の違いも考えられる。けれど、「くるま社会」を迎えた今、過去の歴史によらず、日本においても車の走る事が出来る道路を作らなければならない。ここにアメリカ、ヨーロッパの道を示すことで、日本の道路との違いをくみ取り、日本のこれからの道づくりに役立ててほしい…。


と、まぁ、こんな意図で編まれたらしいのだけれど、それから既に二十年以上の時が過ぎていて、日本の道路も、アメリカ、ヨーロッパの道路も、この本が編まれたときとは、変わってしまっているはずではある。それでも、「車が走る」という目的は同じなのに、国によって違う顔を見せる道路が面白い。アメリカ、ヨーロッパだけと言わず、他の国も見てみたいなぁ。

アメリカのひたすら何もない道、東に向かって広がっていくというアメリカの町(出勤は西に向かい、家路への夕方は東へ車を走らせることが出来るから、いつも太陽を背にして眩しくない)、広い駐車場のある鉄道駅(パーク&ライド。空港ではこれが、パーク&フライトとなる)、廃道と化しても撤去されないままのハイウェーの残骸…。

ローマの石畳の道、車が入れない路地、二千年前に作られ、完全に原形を残し、一部が道路として使用されている、南フランスの水道橋、山の上に張り巡らされたスイスの道路(国民皆兵のスイスでは、山合いの地方道であってすら、戦車や装甲車の走行に耐えるよう頑丈に作られている)…。

車が走る道路だけでなく、自転車道、遊歩道、鉄道についても少し。その他にも、ドライブインや、料金所、防音壁、建設と補修などについても、各国の写真が載せられています。

どんな道を作るべきか、今参考にするとしたら、どこの国なのかなぁ。ひたすら道を追うだけでも、色々な貌が見えて面白かったです。

目次
まえがき
アメリカ編
ヨーロッパ編
 イタリア
 フランス
 西ドイツ
 オランダ 
 ベルギー
 イギリス
 スイス
アメリカに学ぶ 今野源八郎
ヨーロッパの道路 武田文夫
         坂手道明
あとがき

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乾ルカ
夏光

目次
第一部 め・くち・みみ
 夏光(なつひかり)
 夜鷹の朝
 百焔(もものほむら)
第二部 は・みみ・はな
 は
 Out of This World
 風、檸檬、冬の終わり


非常に巧い小説だと思います。
で、好きかと言うと、実はこれは微妙だなぁ、と思いながら読んでたのだけれど、ラストの「風、檸檬、冬の終わり」は結構好きでした。なので、ラストでちょっと評価を覆された感じ。

め、くち、みみ、は、みみ、はな。

身体の一部を主題に語られる異能の話。どれもこれも、死の匂いが強く、一部どうしようもなく陰惨でもある。その辺が、不思議を描いていても、朱川湊人さんなどとは違うところかなぁ。「風、檸檬、冬の終わり」にはまだ希望が見えるけれど、その他の物には、何だかほとんど希望がないのだ(「百焔」のあれは希望と見るべきか?)。

■夏光(なつひかり)
 
哲彦は疎開先で喬史という少年と仲良くなる。顔の左半分を黒い痣に覆われているものの、喬史の眼は実に美しいものだった。村人は、喬人の痣をスナメリの祟りだと忌み嫌うのだが…。喬人の目に流れる青い光の意味とは?

■夜鷹の朝
 
健康を害し、静養のために厄介になることになった家で、私はマスクで口を隠した愛らしい少女に出会うのだが…。

■百焔(もものほむら)
 
美しい妹マチといつも比べられる、姉のキミ。キミは幼い頃から、妹が憎くて仕方がなかった…。そんな折、出会った美しいモダンな女性、鶴乃に、キミはあることを教えてもらう。

■は
 
学生時代の友人、熊埜御堂の快気祝いに招かれた、長谷川。熊埜のたった一つの頼みは出された食事を決して残すな、というものだった。刺身や、鍋の中に入っている、非常に美味な白身の魚。熊埜の話と共に食事も進んでいくのだが…。

■Out of This World
 マコトの住む田舎に越してきた転校生のタク。タクの父はテレビに出るようなマジシャンだったが、息子であるタクを使った脱出マジックの失敗により、テレビ界から干されてしまう。タクの体には傷が絶えず、周囲の大人は、父親による虐待を心配するのだが…。

■風、檸檬、冬の終わり
 私には、嗅覚の異常があった。左右の鼻の穴から感じる匂いが一致しないのだ。いつしか、私は左からする匂いは、他人の感情が発する匂いなのだと理解する。死期が迫った恩人から、漂ってきた匂い。それは、私がただ一度だけ嗅いだ、忘れられない匂い。凛冽とした風、青さの残るレモン、冬の終わりの一時だけ大気に混じる緑と土の気配が混じり合う…。
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ジェイムズ・P・ホーガン, 池 央耿
星を継ぐもの (創元SF文庫)

超有名SFですよね。なんとなく、最近、SFも怖くない!、と思えてきたので、読んでみました~。しかし、これ、実は四部作だったのですねえ、続きもぜひ読まなくては。

あらすじを引きます。

 
月面調査隊が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。すぐさま地球の研究室で綿密な調査が行われた結果、驚くべき事実が明らかになった。死体はどの月面基地の所属でもなく、世界のいかなる人間でもない。ほとんど現代人と同じ生物であるにもかかわらず、五万年以上も前に死んでいたのだ。謎は謎を呼び、一つの疑問が解決すると、何倍もの疑問が生まれてくる。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見されたが……。ハードSFの新星ジェイムズ・P・ホーガンの話題の出世作。

30代の半ばにして核物理学の権威であり、会社に自分専用のポストを作らせる程に優秀なヴィクター・ハント博士は、ある日、理不尽とも言える指示を受け、自身が設計した画期的な機械と共に、国連宇宙軍(UNSA)が居を構えるヒューストンへと駆り出される。彼を待っていたのは、UNSAの航空通信局(ナヴコム)本部長のグレッグ・コールドウェルと、月面で発見された五万年以上前の死体。

各分野から集められた専門家たちが、この謎に挑むのだが…。

主たる登場人物は、このハントと、コールドウェルに、生物学者のダンチェッカーですかね。あ、あと、”チャーリー”と名付けられた月面の死体。所属していた会社で、ハントとコンビを組んでいた、ロブ・グレイは途中からフェード・アウト。

その全貌は明らかにされないけれど、一本釣りのような手法でハントを駆り出したコールドウェルという人物も気になるなぁ。

二十年以上もの長きにわたって彼は熾烈な闘争を勝ち抜き、宇宙軍最大の機関の長にのし上がったのだ。白兵戦にかけては、彼は百戦錬磨の古強者である。しかも、その間彼は自らの血を一滴たりとも流していない。以前のナヴコムなら、あるいは今回のようなプロジェクトは与り知らぬことだったかもしれない。これはナヴコムの手に余ることかもしれない。その意味では土台UNSAにとって荷が勝ちすぎる仕事かもしれないのだ。それはともかく、現実にコールドウェルは責任者の立場にある。プロジェクトの方からナヴコムの膝元に転げ込んで来たのだ。コールドウェルは自分の手で仕事をし遂げる決心だった。協力の申し出があれば、それは拒まない。しかし、プロジェクトはあくまでもナヴコムの名において推し進めなくてはならない。それが気に食わないと言うなら、この仕事を横取りしてみるがいい。そう、やれるものならやってみろ―。
(P41、42より引用)

実際に謎を追うのは、研究者たちであり、ダンチェッカーであり、ハントであるのだけれど、後ろで糸を引くのはあくまでコールドウェルなんだよね。何故に、彼はこんなタフさを身につけたのでしょう? というか、リーダーってこういうものなのかもしれないけど。まさに適材適所に、ぴたぴたと人を嵌めていく手腕が見事。

最初はどうしようもない堅物に見えたダンチェッカーは、ラストにやってくれます。いいねえ、かっこいいねえ。途中から、ファーストネームのクリスで呼ばれるようになるし、ただの堅物ではありませんでした。

ハントに関しては、ただただ先へ、未知の世界へと突き進んでいく、その生きざまが興味深い。以下は、有毒ガスがたちこめる、荒涼とした木星の衛星、ガニメデでの彼の独白です。

彼は生涯、一度も立ち止まることなく歩み続けて来た。そして、彼は常にそれ以前の自分から未知の自分へ変貌する過程を生きていた。新しい世界に立つと、必ずその向うからさらに別の世界が彼を差し招いた。どこへ行っても周囲は知らない顔だらけだった。見知らぬ顔は、ちょうど前方の靄の中から浮かび上がってくる岩の影のように、彼の傍を流れて消えて行った。岩と同じように、人々は一瞬、紛れもなくそこにいるかに見えながら、やがて幻のように背後の闇に吸いこまれた。
(p257より引用)

そうして、彼らが辿り着いた真実とは…。タイトル「星を継ぐもの」の意味とは…。とっても大胆な説なんだけど、ぐっときちゃうな。特にダンチェッカーが語る、”ルナリアン”(月世界人)たちの最後の様子や、”人類”というものの希望には。

しかし、実際、これ一冊を読んでも、プロローグにおける謎や、ガニメアンと名付けられた”巨人”の謎は解けないんですねー。今後、どういう風に謎を解いてくれるのか、楽しみです。


■四部作の残り■

ジェイムズ・P・ホーガン, 池 央耿
ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)

ジェイムズ・P・ホーガン, 池 央耿
巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))


ジェイムズ・P. ホーガン, James P. Hogan, 池 央耿
内なる宇宙〈上〉 (創元SF文庫)
内なる宇宙〈下〉 (創元SF文庫)

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

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ロバート・J. ソウヤー, Robert J. Sawyer, 内田 昌之

占星師アフサンの遠見鏡 (ハヤカワ文庫SF)


ターミナル・エクスペリメント 」から、勢いづいてのソウヤーです。

表紙絵を見ても、恐竜が主人公である事が丸分かりなんだけど、今度の主人公は恐竜キンタグリオの少年、アフサン。まだ年若い田舎の少年であるアフサンは、帝都に上り、見習い占星師として、頭の固い宮廷占星師のタク=サリードに仕えていた。

さて、恐竜であるキンタグリオ一族には、当然ながら野性としての様々な本能がある。しかし、彼らは宗教と理性の力で、それらの本能を抑え込み、世襲制の国王のもと、中世ヨーロッパ的な文明社会を築いていた。キンタグリオの社会の中では、その個体が大人になるために、狩猟と巡礼という二つの通過儀礼が定められている。

狩猟は憎悪と暴力の衝動を一掃するための儀式であり、特別な仲間意識を共有することが出来る。消すことのできぬ縄張り意識を持つキンタグリオが、友情と協調によって一つになる事が出来るのだ。巡礼は、彼らが住む大地を離れて大河へ漕ぎ出し、かつて予言者ラースクが発見したという<神の顔>を詣でる儀式。この二つの儀式を通過することで、そのキンタグリオの魂は来世で救われるのだ。

さて、ダイボ王子と共に、ダシェター号に乗って巡礼の旅に出たアフサンは、遠見鏡を使って天体を観察するうち、驚くべき発見をする。それは、キンタグリオたちが作り上げてきた社会通念を、真っ向から否定するものであった…。

この発見を黙っているべきか、更に仮説を深めるべきか? 偶然現れた巨大川蛇、カル=タ=グードへの、ヴァー=キーニア船長の執着から、アフサンは船をそのまま同じ方向へと進めることに成功し、この世界が水で覆われた球体であることを発見する! 

というわけで、ネットを見ていたら、これは恐竜ガリレオ少年の物語であるそうです。

実は本国ではキンタグリオ三部作として、残り二作が出ているらしいのだけれど、残念ながら日本では未訳。なので、最後の方は、もうページ無くなっちゃうよ~、と思いながら読んでたんだけど、やっぱり、ええ!そこで終わっちゃうの?!という終わり方なのでした…。いや、一応、これ一冊でも完結はしているのだけれど、「序章」という雰囲気も強いんだよなぁ。

最初の頃のアフサンは、まさに田舎から出てきたばかりの少年なんだけど、様々な出来事を経てアフサンは成長していく。自らの力で真実を探り当て、その真実のために戦い、そして尊敬出来るパートナーとも出会って恋をし…。真実を伝えることは、時に大変な難しさを含んでしまう。特に、それが誰かが信ずるものを否定することになってしまう場合には。しかし、キンタグリオ全体の危機をも予知することになってしまったアフサンは、真実を伝えることに躊躇はしなかった。その代償は非常に大きなものになってしまったけれど…。

うーん、ここから先のアフサンについても知りたいなぁ。続編では、アフサンの息子やアフサン自身も活躍するそうなのだもの。キンタグリオの習性なども面白かったです。野性的な狩猟の場面や、縄張り意識の話がある一方、そういうのが向かない体型なのに、寝板に寝そべって本を読んだり、書きつけをしたり(尻尾があるので、仰向けにもなれないし、ぺたんと座るにも不具合があるのかな)、 理性的であろうと礼儀正しいところには、なんだか健気な愛らしさを感じてしまいました。
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西尾 維新, あさの あつこ, 諸星 大二郎

妖怪変化 京極堂トリビュート


目次
鬼娘                     あさのあつこ
そっくり                   西尾維新
「魍魎の匣」変化抄。           原田眞人
朦朧記録                  牧野修
粗忽の死神                柳屋喬太郎
或ル挿絵画家ノ所有スル魍魎ノ匣   フジワラホウコウ
薔薇十字猫探偵社            松苗あけみ
百鬼夜行イン                諸星大二郎


表紙には、石黒亜矢子氏、小畑健氏の名前もありまして、お二方は、それぞれ一枚の絵のみで参加(石黒氏:京極堂、小畑氏:榎木津)ということだと思いますが、「デスノ」の小畑氏、流石の美しさであります。白黒なんだけど、これ、カラーで見たかった!

ええと、この本、amazonで評判が良くないんですが、うーむ、確かにむべなるかな。

京極堂シリーズは、蘊蓄の京極堂、破壊(でもないかしらん?)の榎木津、崩壊の関口、軽薄の益田、忠誠の和寅など(あ、木場の旦那を忘れちゃった)、立ちまくったキャラに、独特の「憑物落し」の世界観が特徴だけれど、これをそのままなぞっただけでは、そりゃー本歌の方が面白いのは当たり前。ちょっと違ったアプローチをしていたものの方が、面白かったです。

■鬼娘
京極堂へと至る眩暈坂で、中禅寺敦子は様子のおかしい女性に出会う。比良時子と名乗る女性を、敦子は京極堂へと連れて行き、兄嫁の千鶴子に介抱を頼むのだが…。
時子は自分は生き肝を食べる鬼女だと語るのだ。
 傑作と名高い「バッテリー」を読まずして語るのもあれなんですが、あさのあつこさん、「福音の少年」(どのへんが「福音」なんだかさっぱり分らず)がダメで、それ以来あまり良い印象を持っていません。で、この「鬼娘」は京極堂の世界をなぞっちゃったもので、あまり工夫が見られませんでした。

■そっくり
一族の中でも変わり者扱いされていた祖父。その祖父から届いた、亡くなる直前に書かれた「懺悔」の手紙の内容とは?
 戯言シリーズ(未読)や、「
魔法少女りすか 」シリーズの西尾さん。世界観はそのままだとは思うんだけど、あの人を出してきたところが巧かったです。これは、本家にほんとにありそうだもの。

■「魍魎の匣」変化抄。 
映画監督描くところのお話のようだけれど、これは読み通すことが出来ずに、途中でぶん投げました。こういう作中作みたいなのって、よっぽどうまくないと、どうも読めません…。

■朦朧記録
記憶の地獄を彷徨う「関口」。みな、同じように年老いた。彼の病室を訪れるのは、今では車椅子を操る京極堂。彼の姿は車椅子に座った黒衣の死神のよう…。
 これは、面白かったです。オチのある一点が気に入らない(というか、個人的感情としてイヤ)のだけれど、そうそう、トリビュートというのならこういうお話でしょう、という巧さ。

■粗忽の死神 
京亭三茶久なる落語家が語る死神の話。上方でもないのに、「京亭」を名乗るこの一門。実は初代の師匠が、箱根の旅館、仙石楼で出会った京極堂に心酔し、「京」の一字を貰ったのだという。さて、そんな経緯ゆえか、「京亭」一門は、一応憑物落しの一門でもあるというのだが。死神に自分を落とす様に頼まれた三茶久は、さて…。
 ほとんど京極堂には関係ないけど(だって、一字を貰ったって、ねえ?笑)、これは面白かったなぁ。落語だし、いい感じの軽みが出てます。

■或ル挿絵画家ノ所有スル魍魎ノ匣
絵を描かれている、フジワラホウコウ氏を知らないのですが、おどろおどろしい絵が十ページちょっと。

■薔薇十字猫探偵社
これは楽しかったな~。松苗さんの絵で、京極堂や榎木津が見られるだけでも楽しいんだけど(エノさん、私のイメージだと、もちっと線が細いけれども)、猫が!猫が!
お金持ちの家から脱走した、エジプトから取り寄せたという、美しく、凶暴で高貴な猫(野生のリビアヤマネコ)。そのお嬢様が京極堂に良く本を頼む関係で、京極堂のもとへも、女中が猫を探しに来るのだが…。実はその女中には、猫が人間の男の姿に見えていて、というお話。美しく、凶暴で、高貴な男といったら、ねえ? 和寅と益田の絵も好きー。石榴は割とぶちゃいくな猫になってました…(私の中では、割と美猫のイメージだったんですが)。

■百鬼夜行イン
百鬼夜行が百物語! その一話、「書き損じのある妖怪絵巻」が主に語られ、百話語り終わった後のオチは勿論、というやつです。

私は図書館で借りたからいいんですが、どうなんだろう、これで1200円。高いとみるか、安いとみるか? 松苗さんのが、もっといっぱい載ってたら、高くはないような気がするけど、今の構成だとちと微妙かな。

■京極堂シリーズ関連記事■
邪魅の雫 」/待ってました、京極堂シリーズ最新作!
百器徒然袋―風 」/にゃんこーー!!
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河名木 ひろし

ラグーナ―もうひとつのヴェネツィア (Bee books)
アックア・アルタ―ヴェネツィア高潮 (Bee Books)
Bee Books


花粉症で疲れた目に優しい写真集。笑 ほんと、コンタクトが入んなくて、困っちゃいます。

と、それは置いておいて、本の話にもどります。ラグーナ/LAGUNA」は副題に「もうひとつのヴェネツィア」とあるのだけれど、ヴェネツィアではなく、その周辺のラグーナの佇まいを写したもの。

先日読んだ、塩野七生さんの「漁夫マルコの見た夢 」のマルコが住んでいたような辺りなのかな。この風景は、昔からあんまり変わっていないんじゃないかなぁ、と思いました。

この中で、私のお気に入りの一枚は、「Laguna Nord」という遠くに陸を望む一枚。ほとんど官能的とも言える、緩やかな波が美しいです。こういうのは潟ならではの風景なのかな。

もう一冊の、アックア・アルタ」はヴェネツィアの高潮を写したもの。風景が主だった「ラグーナ/LAGUNA」とは異なり、こちらではほとんどすべての写真に人物が写り込んでいます。膝や腰辺りまで水につかりながらも、なぜか楽しげな人々の表情が印象的です。あとがき」から引くと、ヴェネツィアでは晩秋から春にかけての大潮の時期に、シロッコ(アフリカ大陸からの南風)に雨という気象条件が重なると、潮位が異常に高くなり、街のあちこちが冠水する高潮に見舞われるのだとか。そういえば、私がヴェネツィアに行った時も、朝方は思いっきり冠水していたのを覚えているのだけれど、あれも晩秋のことでした。

河名木さんの写真略歴を見ると、「1947年 東京・深川の運河沿いに生まれる。」、「1973年 初渡欧。約一年間を各地で過ごし、特にかつての深川の運河の様子を彷彿とさせるヴェネツィアに魅了される。」とある。日本にも、かつては豊かな水の世界が隣にある、そんな世界があったのだよね。運河とかお堀とか、やっぱりいいよなぁ。

こちらも気になります。


今回の二冊ではほとんど文章がなかったんだけど、これは紀行文のようだし、面白そう。

後はこちらか。長らく積みっぱなし…。

写真で見てもやっぱりヴェネツィアって不思議な街だなぁ、と思うんだけど、それを知るためにはやっぱり早いとこ読むべきだよなぁ。

■参考■
地球観測研究センター(EORC) の「千年にわたり作り上げた水の都、ヴェネツィア 」。
こういう機関があるんですね、面白い~。

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