堺 だいすき ブログ(blog)

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"チンチン電車"が交差する商店街 特製フラッグで活気

綾ノ町東商店街のアーケードに掲げられた朱色のオリジナルフラッグ 大阪で唯一残る路面電車、阪堺電気軌道の阪堺線と交差する商店街「綾ノ町東商店街」(堺市堺区)で、空き店舗を工房にして創作活動を展開中の若手クリエーター集団が、アーケードに掲げる特製のフラッグを製作し、商店街にプレゼントした。

空き店舗が活動拠点 創作集団の“恩返し”

 空き店舗が目立つ商店街を元気づけようと企画。“チンチン電車”をモチーフにデザインした鮮やかな朱色のフラッグがシャッター街にはためき、商店主らは「商店街に明るさが戻った」と喜んでいる。

 フラッグを製作したのは、元呉服店だった空き店舗で創作に取り組む大阪工業技術専門学校(大阪市北区)夜間部の学生を中心にした約15人。アーティストの辻大樹さん(21)と帽子作家の山口純大さん(29)が常駐し、アートイベントの企画などを手がけている。山口さんは「生活感とコミュニケーションが商店街の魅力。そこから刺激を受けて生み出せる作品がある」と話す。

 ロゴマークは商店主らの人気投票で選んだチンチン電車のデザインで、各店舗名もプリントされている。

 かつてにぎわった商店街も閉店が相次ぎ40店舗から現在15店舗に。3月には振興組合も解散した。

 が、フラッグの登場で商店街の雰囲気は一気に華やいだ。室内装飾店の貴田巌さん(73)は「明るさが戻りうれしい。商店街の活性化のため奮闘していたころを思い出す」。日用雑貨店の筏井清さん(75)は「店主は年寄りばかり。若い人が応援してくれるのだから頑張らないといけないね」と話している。

【写真説明】アーティストの辻大樹さん(左端)らが企画・製作し、綾ノ町東商店街のアーケードに掲げられた朱色のオリジナルフラッグ=堺市堺区

(2010年11月 2日 09:17

以上産経新聞より引用

取材したのか・・・

実は・・石谷議員のブログで・・・

シャッター通り商店街に新風!

と言うのを見ていて、近いうちに行かないといけないと思っていたのだが・・・

なんとなく・・・中崎町の界隈に似たものが堺にできるのではないかと思っていたが・・・そんな堺の中崎町になるのではないかと思っている・・・そんな可能性を含んだ綾之町界隈・・。

ちなみに旧市街は、しんどいと思う・・。

大小路界隈や山之口界隈は、文化資源はないし・・・市民が使える文化資源がないと言う意味・・。

さらに山之口、大小路界隈は商人の町と言うよりかは・・
旦那さんの町・・。

少し排他的な風土がまだまだ残っている・・。

それに比べて綾之町界隈 七町界隈は、職人の町・・・

職人の町の気風と言うのがあるのではないかと思う・・・。

そういう意味では、どんどんと受け入れる要素が高いと思うので・・・今後は・・あの辺が新参若手を受け入れて発展していく要素が高いわけである・・。



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この間・・・中心市街地に関していろいろと思うことがある。

いろいろと考えている。そんな思いについて、感想について述べる。

だからといってどうなのかということはない・・・わたしの私見ということでスルーすればいい。
少しでも参考になればという思ういである。

まずこの間中心市街地ということを考えることが多くなってきた、特に阪堺線施再生について思いをめぐらす中で・・。

堺市の中心市街地は・・大道筋ではないかと・・・。

堺東はそのゲート的な役割を担っているに過ぎないのではないかと・・・。

まず、堺の商業について考えると・・・実際に堺市の商業というのは、戦前から衰退の歴史にあるようである。

それについては・・・

alternative/なかなか面白い論文があったので紹介・・

を読んでの感想である。都市の歴史発達という意味~見るとなかなか面白いのであるが・・・

ふとそれを読んでいて感じたのだが・・・

堺東の発達の歴史というものを見てみると・・・なかなか面白いものがある。
まず・・。堺東は・・戦前は・・。山之口と比べてまだまだ辺境であった・・。

それは、南海高野線がまだまだ整備されていなかったということもあり、明治以来の勃興期の中心は、堺駅周辺ないし大小路というか、大道筋・ちなみに大道筋というのは当時はまだまだ狭かったのであるが・・。

堺市役所も今の殿馬場中学校付近にあって・・泉陽高校、元女学校も賑わいを添えていたわけである。

その当時はまだ堺東周辺は、田園風景であったのであるが・・。よくは知らないが三国ヶ丘・・当時の田園風景の中の
郊外型住宅地として始まったのではないかと想像するのであるが・・・そんな部分が今の高級住宅地として位置を持っているのではないかと想像するのであるが・・・


戦災で中心市街地が焼け野原となり、そこで役所が移転したのが堺東・・。

そして高度成長の中での都市開発が高野線沿線で始まったのだろうと思う。

続く





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大阪View:町屋で街づくり 堺の商人文化は消さない /大阪

 古い歴史と伝統がある歴史的建造物が減りつつある堺市で、市や市民らによる町屋を活用した街づくりが進んでいる。

 市は07年から、非公開だった寺社や町屋などを期間限定で特別公開。江戸時代から戦前にかけての建物が多い旧市街地などでは、観光客を誘導する案内板などを整備した。

 また、打(うち)刃物の工房や鉄砲鍛冶(かじ)屋敷が残る旧市街地北部地域(堺区北旅籠(はたご)町周辺)の住民有志は09年、「七まち町屋会」を発足。展示のために自宅を整備したり、ボランティアで観光客を案内するなどしている。

 同会メンバーで、大正時代の町屋を改装した休憩所「鳳翔館」を運営する柏木作さん(55)は「高齢化が進み、ここ5年ほどで2割ぐらいの町屋が無くなっているように感じ、街が消えるという焦燥感があった町屋の減少は、地域に伝わってきた庶民の生活文化が消えていくということ」と話し、定期的に開く会合で町屋の保存と活用について知恵を絞っている。【森田剛史】

毎日新聞 2010年1月10日 地方版

以上毎日新聞より引用


確かに5年ほど前からどんどんと町屋が消えていっている・・。

紀州街道沿いの名前忘れた・・あの鉄砲カジノ屋敷跡・・榎並???の石碑 あの辺でも駐車場になっている部分もそのときくらいからであった・・・。


錦西小学校の南門付近の蔵のあった家も・・・。


けど・徐々に町屋再生の動きが出てきたのは救い・・・。


阪堺線も含めての堺の文化が今、風前の灯になっている・・。


何とかしないと・・・。//七まち町屋会//の七まちというのは堺 7まちということに由来しているんだろうね・・。


晶子も多分七まちで歌を詠んでいたような・・・・。





ちなみに



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