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・騙される同胞 プロパガンダの「成果」とその後

 

 

朝鮮における演出

 

 

この虐殺さわぎの最中に、朝鮮の民衆たちは、総督府当局の宣伝によって本当に「朝鮮人が放火し爆弾を投げて、東京横浜を丸焼けにした」と思い込み、「みんなが恥じ入った」という。

 

そして、当局の音頭取りで大げさに始まった“震災救援金募集”にも積極的になっていた。

 

ところが、朝鮮に渡ってきた日本人たちが“鮮人をこのように片っ端から殺した”と自慢そうに喋り歩いたので、真相は意外なところから朝鮮中に広まった。日本人たちの吹聴では「此の際、人を斬らずんば好機を逸すと称し、竹槍を振り回し、日本刀を掲げ彷徨し・・・・・・工兵第三大隊より不逞鮮人を貰い受け、朱鞘の日本刀にて腕を斬り、あるいは首を斬りて試し斬りを為し・・・・・・」といった調子で、痛快そうに喋り歩いたのだ。それで“朝鮮人虐殺は本当らしい”ことが朝鮮各地で知れわたっていく。

 

かくて朝鮮民衆は怨声が湧き上がる、ソウル・釜山・大邱・平壌などの日本人の間に、銃剣による「自警団」が計画された。

 

その一方に、日本政府は次のような「対朝鮮策」を総督府に伝達した。

 

(1)内地新聞の報道<情報操作>をして朝鮮統治に有利ならしむごとく指導する。

 

(2)不穏分子に対する監視を厳にする。

 

(3)軍隊をしてとくに示威の目的をもって各種の演習を行なわしむ。

 

(4)万一の紛擾<ふんじょう-揉め事>を顧慮し増兵計画を策定し即時出動の準備をなし。

 

こうして朝鮮民衆の口を封じるための法令が告知された。

 

つまり「朝鮮同胞数千名が虐殺された」と言い合うことを「流言飛語の罪」「不穏言語の罪」として厳重に取り締まった。それは「大正十二年九月七日勅令第四〇三号」という奇妙な名称である。

 

そして朝鮮中に「震災に関する不穏言語並びに流言飛語取締一覧表」まで作って配った。

 

要するに“朝鮮人は無感情の馬鹿になれ”ということだった。

 

日本政府官憲がとてつもない“流言飛語”を飛ばして数千の朝鮮人を殺害しておきながら、朝鮮では虐殺の実情を語り合うだけで流言飛語罪で拘禁し、これに触れた朝鮮文の新聞は押収された。日本から帰ったばかりの朝鮮人の口を封じるために「大邱駅に下車すると共に大邱刑務所に入監されつつあり」という状況であった。

 

その一方で、ソウル市内には抜剣の騎馬隊が実戦さながらに連日ねり歩いた。

 

警察の全員は動員されて教会などの集会場の厳重監視に当たったし、竜山の軍隊は夜中に国境方面に出動する騒ぎを演じた。

 

こういう状況の下に、筆舌を塞がれて苦しんだ一朝鮮青年が北京へ脱出し、朝鮮文と英文で「虐殺」と題する文書を印刷し、諸外国人に配布した。これを探知した日本官憲当局は、この筆者を神戸関西学院出身の「金健」と推定し、これを捕らえるべくアジア全域に手配した。

 

東京や横浜では“至る所の路上で鮮人殺しの場面を堂々と漫談調に語っていた”し、小学校の校庭では「鮮人殺しゴッコ」という遊戯が流行っていたのだ。

 

それさえも放置しておきながら日本官憲当局は、一青年の悲憤の手記を血眼となって探し回る有様であった。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 49~51頁より

 

 

・国家全体が「イスラム国」という現実

 

 

‐決して覚めない悪夢(恐ろしき時代のはじまり)‐

 

生きたまま人の首を斬り落とすという、むごく残忍極まりない行動を、彼国はいとも簡単にやり遂げたが、戦前日本の狂気は、まさしくそれに匹敵するだろう。

 

同時に、植民地下において、数々の権利を失い、国家経済をめちゃくちゃにされ、なおかつ『三・一独立運動』で民衆虐殺の憂い目に遭いながら、一時は大日本帝国の「プロパガンダ」翻弄される朝鮮民衆を鑑みて、時の巧妙化する支配体制(文化政治=斎藤実)や、数々のシガラミと利権の中で、一筋縄でいかなくなっていた現実があるのだろうと推察する。

 

‐『究極のパターナル国家』アメリカという現実(全世界の価値を決める存在)‐

 

それは、現在のアメリカの戦争行動や犯罪に関して、「無頓着」になっている欧州やアジアの属国含め、さらには中国やイランのような国でさえも、自国に米ヒモ付きNGOに扇動された「売国奴たち」によって、政情不安状態にある事実から、国家主権や独立を「守ろうとする側」でも、さまざまな葛藤があることを見せつけられる。

 

‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 その6(体制維持の「生命の道具化」と「隠蔽工作」)‐

 

といわけ大日本帝国は、「完全敗北した側の国」なので(私自身は実によかったと思っている)、アメリカのように「言説を支配すること」が出来ず、現在ではアジア人米国人を含め「朝鮮や中国を侵略した『野蛮国』」と位置付けられ、そんな国に原爆投下をしてよかったと、もし上陸していれば狂気の殺戮劇が展開され、多数のアメリカ兵が犠牲になったとして、このことに関して「ある部分では真実であったろう」と仮定するも、『歴史の90パーセント以上が戦争の国』が、たとえ「理ある主張」を展開しようとも、新たなる支配秩序構築のたくらみにおいて、とても偽善臭く感じてしまうのだ。

 

無論、人を「モノ扱い」し、北東アジアにおける礼儀や徳もなく、分不相応極まりなく図に乗り過ぎた大日本帝国は、地図上から消え去るべき存在であったのは言わずもがな、ご察しの通り、今回の記事で明るみになった、ビックリするほどの「民度の低さ」に、その『国家のレベル』が明瞭にうかがい知れる好例でした。

 

‐福沢諭吉の思想をたどる(日本軍国主義の淵源)‐

 

なぜ、そのような低劣な国になってしまったのかについては、私は日本自身が抱える「大陸への劣等感」であり、皇帝制度や浩瀚な文化力を誇る中国や、先進的な朝鮮に対し、ある一部の日本人の中で、国学思想を中心「天皇」という日本版皇帝をつくり、あらゆる制度をパクって、まるでそれが自分たちのオリジナリティであることを吹聴しはじめ、本格的な「成り上がりのタイミング」を、欧米侵略によって弱りきった中国の傍らで見出したのでした。

 

本当にくだらないし、私自身は、日本が北東アジアの「末っ子」であることは、その地理や歴史において必然的で、何ら恥ずかしいことではなくむしろ「得」の方がはるかに大きいことは、海外の中国人の方々と長らく交流されてこられた、英語ブロガーMichikoさんが、自身のブログにてご説明されています。

 

課長が一万円払う理由と、新人が千円でいい理由

 

今こそ、「国益とは何か」という議論を始めよう

 

実は、関東震災後の『伊豆地震』(1930年)でも、「朝鮮人来襲」というデマで幾人かが殺害されたし、第二次大戦末期の『樺太(サハリン)朝鮮人虐殺事件』(上敷香<かみしすか>虐殺事件/瑞穂<みずほ>虐殺事件)や、『浮島丸事件』しかり、ナチスドイツのユダヤ人殲滅のごとく、その本質がハッキリと見えてくる。

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『課長が一万円払う理由と、新人が千円でいい理由』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12544905040.html

 

・同 『今こそ、「国益とは何か」という議論を始めよう』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12553643317.html

 

 

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