前回の記事

 

‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その1(徳義なき国の所業)‐

 

 

関係記事

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その1(「当時の空気」から 何を学ぶか)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その2(逃げられない「監獄列島」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その3(「戦争の狂気」に晒される日本列島)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その4(現実化する『本土決戦』と「北海道避難計画」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その5(戦争は絶対に起こしてはならない)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その6(仮に「本土決戦」が実行されたら・・・・)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その1(ライフル魔と呼ばれた男)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その2(社会的分断がもたらしたもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その3(責任感・徳のない国の末路)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その4(在日コリアンは人質である)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 最終回(排撃の歴史を乗り越えて・・・)‐

 

 

・「天皇制」「日本軍」「虐殺」 を乗り越えも・・・

 

 

戦後二七年の軌跡

 

 

また夏がやってきた。二七年前の今時分は、アジア全域で、日本軍が死に物狂いに戦っていた。ボロボロな軍服に、目だけが狂気に光っていた。まさに天皇制の日本軍隊こそ「戦争動物」とでも言えようか。

 

ちょうど今の季節である。

 

タイ領内にて八万名の英軍捕虜を各分所に収容していた。その監視兵に朝鮮出身の将兵が多く当てられていた。が、戦争の終結する二ヵ月前の一九四五年六月六日付で━南方軍作戦命令、227号朝鮮人処分に関する件という秘密指令が、バンコクにあるタイ捕虜収容所本部から各分所長あてに伝達された。

 

その内容は、朝鮮出身者全員を再教育するとの名目で終結させ、タイのナコンバトム郊外の一個所に送り、深夜、敵軍(連合軍)機の爆撃に見せかけて虐殺せよ、という指令であった。

 

かくて監視兵全員を日本兵と交替させ、武装解除させて移動する寸前であったが、戦局があまりに急なので未遂に終わったという(当時の捕虜監視兵、金海栄の記録による)。

 

この種の朝鮮出身兵虐殺指令が、前線のいたるところで計画されたのだ。

 

日本軍隊は敗北のうっぷんを朝鮮人全員虐殺に向けた。

 

ある島では、防疫と称して注射による毒殺を企てた。朝鮮においては、大反攻を計画したという。━これが日本軍隊敗北当時の本性として確認されつつ、朝鮮は、大局の趨勢として解放された。日本を占領したアメリカは、平和憲法を設定し、貴族制度<旧皇族含む>を廃し、被抑圧層を解放し、民主主義を謳歌して大義名分とした。

 

朝鮮の民衆は、かれらを“解放軍”として讃えた。

 

しかし、中国も朝鮮も、アメリカの思惑どおりにはならなかった。

 

いずれも人民政府が立ち、日本の民衆は赤旗を振り立てた。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編12(日韓軍事基地化と南朝鮮単独選挙の強行)‐

 

‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その7(なぜ日本側は在韓資産を放棄したのか?)‐

 

南朝鮮では、完全にアメリカ軍と対立した。かれらを“解放軍”と見たのは錯覚だった。かれらは旧日本の“利権”を横取りする輩であることを確認した。

 

かれらは、漁夫の利を狙ったニセ紳士として登場したのだ。このような事態(いわゆる「極東情勢」)に周章狼狽したマッカーサーは、身を翻し、おのれが斬った旧日本権力者の肩をたたいたものだ。これを味方とするべく臆面もなく再軍備をけしかけた。

 

脱力の「ひまわりJAPAN」、被害者面を始めた歴史修正主義者たち

 

そこで、旧日本の権力者<天皇・薩長閥の生き残り・その官僚>は死地から救われ、アメリカの助成者として再軍備し、未練を残したままの朝鮮と中国に逆恨みの敵対感情を抱くのだ。

 

が、いまや、その古き本性を発揮すべき唯一の対象者は、日本に踏みとどまった「在日朝鮮人」であった。さきに述べたように、おだてて兵隊に仕立て酷使したあげく虐殺を企てた本性が、再び頭をもたげた。

 

手元の在日朝鮮人を、温存された旧体質のはけ口とした。

 

‐『아이들의학교』アイ(子ども)たちの学校(ハッキョ)‐

 

今度は、占領軍の影に立っての役割であった。

 

そのはけ口の焦点は、朝鮮人の民族教育を潰すことであった。一九四八年四月、阪神地方の朝鮮人学校閉鎖事件があり、翌四九年九月「朝鮮連盟<朝連=総連の前身>解散命令」があり、この二度の弾圧で、朝鮮人学校の半数を潰してしまった。

 

‐おバカだけど笑えない安倍政権の「閣議決定」(朝鮮総連はテロリスト集団)‐

 

かっちんブログ「堅忍不抜」 『生々しい銃弾痕の写真はこちら 総連なら銃で攻撃しても許されるのか?』記事

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12355338778.html

 

また日本政府は、ためらうことなく、あらゆる名目をつけて朝鮮人の集団部落を襲った。

 

ドブロク捜索といって一軒を襲うのに、市街戦まがいの数百名の武装警官が一帯を包囲し、これを全国規模で繰り返した。その一方に各新聞は連日のように朝鮮人強盗、麻薬密売、密航者、北鮮スパイ<差別用語>・・・・・・と、あらゆる名目で誇大宣伝風に、さらし者にした。

 

いうまでもなく朝鮮人に就職口を閉ざし、干乾し作戦をめぐらしたのだ。

 

これを延々と数十年も続けるうちに、日本国民の胸ぐらには否応なく戦前のような「朝鮮人」という誤韻にひそむ嫌悪感、蔑視観が再生産された

 

これが戦後日本の、偏見と差別の形成作業であった。

 

この時期に育ち、また生まれたのが在日朝鮮人二世や三世であった。このような渦の中で、在日朝鮮人は、ピンからキリまでの人間像が形成された。たとえば思想、教養においては日本人よりも遥かに優れた人間が多く輩出する一方、他方では、自己の民族意識を取り戻せず、再び劣等感のとりこになっていく。

 

つまり、帝国主義に侵された中毒症から解毒されないうちに、あらたな劣等意識にとりつかれ、民族的虚無主義に陥るという状況であった。

 

ここに問うのは後者の人々である。この種の人々は「韓国」籍をもった者が大部分である<1970年代当時の認識>。それは現今、韓国政府そのものが民族的主体性をもたず、カイライ政権であるという実像を反映したものである。

 

こうして二十数年間、旧体質の日本政府から、あらゆる差別を受けて疎外され、また日本民族から敬遠され、さらに自国政権(韓国)から棄民視されると、かつて侵された中毒症との合併症を起こし、ついには自己疎外を起こすのである。

 

つまり自分を見放してしまうのだ。

 

そして雨蛙のように保護色を帯びようとする。自己を隠したがり、自己民族を忘れたがる。そして、おっとり日本人らしく見せかけようとする。が、日本社会は躍起に、保護色を帯びた雨蛙をつまみ出そうとする。

 

そこで現代の“隠れキリシタン”はあばかれる。これが差別構造社会の情景なのである。

 

この情景は、旧日本的な加害者と、その中毒者との相会現象でもあった。

 

しかし、自己矛盾は必ず噴出するものだ。今春(一九七二年)、東京都内の女子高校における「本籍誤記による入学拒否」問題も、その一つである。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 139~142頁より

 

 

・一体 どれだけ「恨み」を買い続けたいのか?

 

 

最終目的「ユダヤ人虐殺」と化した、ナチスドイツの『極東版』というべき、日本軍の蛮行は、もはや「世界レベル」となって認知されている。

 

‐あの戦争で我々はものすごいものを失った‐

 

当事者たちの意図と反して、国を奪い、生活を破壊略奪しながら、そこに住む人々まで、徴用や徴兵の「道具」として、戦争遂行のために死の爆走をつづけた大日本帝国。

 

挙句の果ては、その「抹殺」をも厭わない狂気の所業ぶりには、ひたすら軽侮と憤慨しか起こらぬが、戦後、朝鮮出身の「傷痍軍人」に対しても、びた一文の補助金や慰労金を出さなかった日本政府は、ひたすら「恩知らず」「冷淡」そのものであった。

 

もし、「あの世」という空間が存在するのなら、今頃かれらは地獄の業火に焼かれ、首領もろとも、自らの行いに対する償いの苦しみを味わい続けているだろうが、私たちが向き合うべきは、そうした忌まわしい過去を「遠ざける」のではなく、真正面から受け止めて、民衆自体が個人単位で認識を掘り下げ続けることだと思います。

 

‐大日本帝国2.0を生きている私たち‐

 

‐岸信介と在日米軍‐

 

‐『北方領土』以前に考えねばならないこと‐

 

無論、戦後のアメリカによる「占領」は、再び新たな『支配体系』を生み出し、カタチだけの民主主義の下に、「永い眠り」へと民衆をいざない、個人の娯楽や人生のみに執着させ、根本的な意味での政治的無関心を導入させ、社会にうごめく「多くの苦しみ」に目を向けさせないようにしてきた。

 

その中で、「共産主義」や「資本主義」の対立というよりも、『国家主権』(民族の自律性)をいかにして護るかのたたかいが、長年繰り広げられてきたわけであって、現在の中国や北朝鮮は、現代において数少ない「本当の主権国家」として、大いなる脅威に晒されながらも、民衆の覚悟の上で維持しつづけている。

 

ゆえに、誰もが畏敬の念をいだく、剛胆なプーチン大統領も、金正恩委員長の到着「30分前」に、すでに会場入りし、その到着を待っていました(※ちなみに安倍首相相手は3時間遅刻)。

 

‐プーチン氏遅刻なし「予想」よりも重要だった朝露首脳会談‐

 

そんな中、米国や日本政府の「分断政策」によって、その『犠牲の先頭』に立たされたのが、在日コリアンの方々である。

 

‐山本太郎が「国民」という言葉を使わない理由‐

 

朝鮮籍韓国籍の違い、「無権利」「特権」の狭間で苦しむ人々、先の見えぬ日本社会、そうした「諸々の桎梏」が、予期せぬ対立憎悪を引き起こし、取返しのつかない事態を招くこと、また、そうしたリスクを抱えること自体、社会にとって大きなマイナスであり、これを早急に解決しなければならないのは、誰しも考える当然の帰結だ。

 

れいわ新選組の山本太郎代表は、そうした問題に敏感になって、一人ひとりの市民たちと「一対一」の対話で、実にドラスティックに自らの思いや共感を広げられる、きわめて稀有な政治家だと思います。

 

在日コリアンの友人の近しい話では、とある方が「韓国籍」であるがゆえに、住まいを借りることができないという、未だに異常極まりない事態が起きている。その方は、泣く泣く日本国籍に「帰化する」成り行きで、いたるところに「大日本帝国の残滓」がこびり付いた社会が、その「排他性」や「落伍性」を発露する空間であることを、社会のベースで再認識した。

 

引用書物が指摘するごとく、一部の在日コリアンの中では、自らの出自や「ネイティブでない母国語」を恥ずかしがる人がいらっしゃるらしい。無論、モノリンガルである私が出る幕ではないが、建設的に自国語を本式に学ぶのなら良きことだが、それを「自己嫌悪」につなげて、みずから在日コリアンであることを否定し、同胞を貶めようとする行動にでれば、これほど哀しきことはないであろう。

 

自己喪失と他者攻撃・・・・、その果ての分断。

 

もう、この連鎖は断ち切らねばならぬ時だと、切に思い続けます。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・かっちんブログ「堅忍不抜」 『生々しい銃弾痕の写真はこちら 総連なら銃で攻撃しても許されるのか?』記事

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12355338778.html

 

・Cluttered talk blab blab blab 『脱力の「ひまわりJAPAN」、被害者面を始めた歴史修正主義者たち』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12410753383.html

 

 

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