本来、韓国政府がアメリカに依存する「独立した民族政権」でなくて、そうなると日本側が朝鮮半島の南側にある日本資産を、自国に移譲する「余地」があったのですが、日本側はそれをあっさりと放棄しました。

 

これからその真実をお話致します。

 

前の記事で、アメリカが日本の在韓資産を不法に横領し、私消したことは述べましたが、日本側の在韓請求権を認めれば、その事実が明るみになり、アメリカにとって非常に都合の悪いことでした。

 

そこでアメリカは1952年4月29日駐米韓国大使の梁裕燦に「覚え書」を送り、「日本側の請求権はすべて消滅した」として、「アメリカ軍によって行われた『在韓日本財産』の処理は、サンフランシスコ条約第四条(b)項で、日本が承認した。ゆえに、これらの財産に対して日本の請求権はない」としました。

 

同時に韓国側にも、「日本がこのような承認をしたことは、韓国の対日請求権に関する交渉の際に考慮せらるべきものである」と言いました。

 

つまりどういうことかと言うと、「ワリぃ、日本の請求権認めちまうと、俺がこいつらの財産盗んで使い込んじまったのがバレるから、請求権は放棄しろって言っといた。ついでにお前ら韓国も日本が財産権放棄したからには、男らしく事情を汲んで、下らねぇ意地張んねェで、両者で相殺するくらいに折れろよ。いいな?」という、まことに身勝手極まりない理由によるものでした。

 

後にこの出来事によって、韓国側は自国から略奪された文化財返還も除外させられ、後の歴史に禍根を残すこととなりました。

 

しかし、このアメリカからの覚え書の直後に、日本の武内駐米大使は「日韓両国の主張いずれも解釈できる」(5月16日、日本の覚え書)として、「米軍としては紛争当事国のいずれにも加担すること欲せず、日韓両国自身が近く双務協定に達することを希望する」(5月19日声明)などと上辺だけの糊塗に終始し、米軍の日本財産放棄の言いつけに対し、第三次会談での久保田発言は、その反発でした。

 

こうしてアメリカは、まんまと日本の公私有財産の横領に成功し、その一部をアメリカに従属する韓国の買弁(売国)資本家の育成につなげ、さらには日本と韓国を適度に対立させて、日本の再軍備促進の足掛かりを作りました。

 

後に、再び日韓関係の調整期に入った時、52年4月29日覚え書の方針を強く再確認(57年12月)し、在韓日本財産の請求権放棄の要求を日本側に押し付け、日本は正式にそれを受け入れ、第四次日韓会談に入りました。

 

アメリカのこの問題についての正式態度は、52年4月に示されており、日本側にも5月16日に文書で手交されています。

 

しかし日本政府はそれを秘密として、1961年3月9日まで公表しませんでしたが、事実は十分に承知していたのです。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房