関係記事

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その1(「当時の空気」から 何を学ぶか)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その2(逃げられない「監獄列島」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その3(「戦争の狂気」に晒される日本列島)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その4(現実化する『本土決戦』と「北海道避難計画」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その5(戦争は絶対に起こしてはならない)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その6(仮に「本土決戦」が実行されたら・・・・)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

 

・みなさんは 『金嬉老事件』をご存知だろうか

 

1968年2月20日 在日朝鮮人の差別に抗議し、日本の暴力団を殺害し、旅館に立てこもり、多数の人質と共に88時間のあいだ、警察と対決した当時の姿。この写真は金嬉老の自宅に保管されたもの。

 

4 金嬉老の“決死対決” ━一三人の人質で在日朝鮮人60万“人質政策”への対決

 

日本に住む朝鮮同胞の一人が「犯罪」をおかし、それが報道されるたびに「またか、恥ずかしいな」と、われわれは胸が痛む、二月二十日夜(一九六八年)、金嬉老<キム・フィロ>という男が、手形のもつれから暴力団員二人を射殺し、静岡県寸又峡<すまたきょう>の「ふじみ旅館」へかけこみ、一三人を人質にダイナマイトとライフル銃で警察陣に対抗し、まる五日間、日本中の耳目を集めた事件は、ことさらに萎縮の思いをさせる。

 

その金にとっては不幸の総決算ともいうべき悲壮な対決であった。

 

資本社会の象徴ともいえる手形のもつれ、その境涯を染めた暴力団との接触のあげくに射殺で報い、最後に、罪と不幸と侮辱の因果関係にある警察と対決するために、多量のダイナマイトと銃弾と青酸カリを用意して、対決にふさわしい旅館を選んでトリデとし、一三人の日本人を人質とし、タタミを立てかけてバリケードとし、いつでも爆破できるように炭火のコンロを赤々と燃やし、皮ハンチングに編上げ靴で身を固めてライフル銃をもった金嬉老━なんと悲壮な状況であろう。

 

これで警察陣も「手も足も出ない」状態になり、まさに金は「寸又峡城主」になり、ふじみ旅館はふじみ(不死身)城となり、“城主の金嬉老の動静を取材する百余の報道兵”は、最後の決定的瞬間をとらえるべく昼夜、息を呑んでいたのである。

 

※当時のマスコミ報道

 

『[昭和43年3月] 中日ニュース No.737_3「恐怖の88時間」』

 

中日映画社

 

https://www.youtube.com/watch?v=YTZpZLPuNoQ

 

その間、金嬉老は二〇回の記者会見をして「民族差別」をぶち、「朝鮮人侮辱」を警察に謝罪をつきつけ、ついに県警本部長がテレビ二局を通じて「深くお詫びします」と二度も謝罪した━これが「金嬉老ライフル男」のあらましである。

 

この籠城事件が報道されて二日目、ふと私に浮かんだのは「三浦倭乱」であった。

 

そして金嬉老の深層心理を察するとき、彼は一三人の日本人を人質に“在日朝鮮人六〇万人質政策”への対決か、と感じられてならなかった。

 

三浦倭乱とは、一五一〇年(足利時代)に、朝鮮に住む日本居留民の暴動である。

 

当時、朝鮮では貿易と釣魚の日本人のために釜山付近に一区域を設けて、六〇人にかぎり臨時居住を認めていた。ところがやがて日本人は二〇〇〇名に増えて永住希望者も現われ、次第に傲慢となり悪事を働くので、朝鮮側では厳しく取り締まった。その結果、ついに日本居留民が殺人・放火といった大暴動を起こした事件である。

 

今から四六〇年前のできごとだが、今度の金嬉老事件はどこか似たような気がする。もし今度の事件が一〇名以上であったならば殺人は問題ではなく「反乱」の様相を呈するであろう。

 

金嬉老は単独行動ではあったが、その対決の仕方が戦闘的である点で似た面があり、大宅壮一氏も「金嬉老のミニ・クーデター」と書いている。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 77~78頁より

 

 

・暴力や弱者を人質にするのは反対の立場だが・・・・

 

 

私はこの事件について、中世の居留民暴動と「一緒」に考えるつもりはない。

 

なぜなら、在日コリアンの歴史的出自その経緯も、近代の日本との関連「強制的に」生まれたものであり、決して同列に語れるものではない。

 

無論、「暴力」に訴えた金の罪を憎んでも、彼が懸命にに訴えた「差別」というイシューについては、それぞれ分けて考える必要があるでしょう。

 

人種差別の問題は卑劣であり、金嬉老事件から半世紀以上が経ってもなお、制度的・世間的な見地からみても、改善の余地は見つかっていない。

 

‐山本太郎「在日差別について私は『平静』ではいられない」‐

 

在日コリアンと日本人の「分断」によって、この社会だけではなく、日本や朝鮮半島における周辺諸国との関係においても、大きな齟齬をきたし、将来的な国益を考えた上でも、ただちに解決されなくてはいけない問題だと思います。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Yotube動画 『[昭和43年3月] 中日ニュース No.737_3「恐怖の88時間」』

 

https://www.youtube.com/watch?v=YTZpZLPuNoQ

 

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

ブログランキングに参加しております。

皆さまのご支援が頂けるとありがたいです

(下のバナーをクリック)

 

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村