前回の記事

 

‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その2(戦争末期の「朝鮮兵」虐殺計画)‐

 

 

関係記事

 

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‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その2(逃げられない「監獄列島」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その3(「戦争の狂気」に晒される日本列島)‐

 

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‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その5(戦争は絶対に起こしてはならない)‐

 

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‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

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‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その2(社会的分断がもたらしたもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その3(責任感・徳のない国の末路)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その4(在日コリアンは人質である)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 最終回(排撃の歴史を乗り越えて・・・)‐

 

 

・胸糞が悪くなる話

 

 

「本籍誤記」と入学拒否問題

 

 

一九七二年二月十六日、私立武蔵野高校(女子二八〇〇名)の入試があり、二日後に福原真紀という少女も合格者になった。クラスも決まり、生徒手帳、制服、教科書も渡された。かくて四月八日、めでたく入学式を終えた。この日、新入生は戸籍謄本を学校に提出することになっていた。

 

このとき、前記の少女は戸籍謄本のかわりに「国籍・韓国」の外国人登録証の写しを提出した。

 

ところが、その後、当校の教師二人が少女の自宅にきて「願書と、謄本の本籍が違う」と伝え、入学を取り消した。この福原真紀という少女は在日朝鮮人の三世であり、本名を黄真紀という。

 

埼玉県朝霞市<あさかし>の公立中学でも日本名を名乗ったし、バレー部の部長もやっていた。

 

そして高校の願書には、自分の国籍を書かず出生地の山口県下関市の番地を記入した。学校側が入学を取り消したのは、願書の欄外に「記入事項に虚偽または重大な誤記があった場合は、入学後も許可を取消す」となっていたためである。

 

これがいわゆる「本籍誤記による入学拒否」の起こりであるが、この事情が外部に知らされて思わぬ波紋を投げた。

 

当校の入学願書の本籍欄に、日本での出生地を書いたことは明らかに「誤記」であった。

 

しかし、入学を取り消された四月八日といえば、どこの高校も入試の終わった段階である。そして完全に高校入学の機会を逸したのだ。そこで困惑しきった少女の母親、金昭子(三十八)さんが学校を訪ねて、何度もかけあってみた。

 

が、やはり「重大誤記なので」と断られた。

 

そこで母親は、事情を韓国人の牧師に打ちあけた。その牧師は、日本朝鮮研究所の佐藤勝巳氏に相談した。その結果、少女と母親、佐藤氏と牧師が武蔵野高校へ出かけて「やむなくついたウソであるから・・・・・・」と学校側の善処を要望した。

 

しかし「重大誤記」をタテに、考慮の余地はないという答えがかえってきた。

 

これを知った朝日新聞の石川記者が四月十四日、都の学事部二課長を訪ねて意見を資すと、小林節夫課長も総合的判断と日本人の立場から、学校側へ「当人が誤記をやったのはよくわかる。本人の深い気持まで学校は考慮にいれて、どうか前むきに善処してほしい」と要望した。

 

そこで学校長も、やっと再考の態度を明らかにした。

 

その翌日、学校側は当の少女宅に「話し合ってみたい」と伝え、母親と娘を呼びだした。学校側は「編入試験の機会をやる」と提案した。そして少女は“編入試験”を受けた。この場合、学校側の肚<はら=意図>によっては、問題をやさしくも難しくもできる。ところが、その問題に「日本のことわざ」があったりして、少女は「サンザンな成績で」不合格になった。

 

要するに“ことわざ”に関する学力テストほど厄介なものはない。

 

常識としてもバケものみたいなものであろう。とにかく“善処”の結果として、編入試験をやらせて、落ちたのであるから文句はなかろう、というわけでもあった。

 

この編入試験に落ちて、しおれている少女と母親に、当校の高橋一彦校長は、妙に威圧調の言葉を与えたようである。たとえば「日本のことわざも知らないで、日本の学校で学べるかね」とか「あなたは本校へきて、なにか政治運動でもやる気かね」と。

 

筆者が、当の少女から聞いてみたところ「お母さんは、校長のすごくゴウマンな話にショックを受けて・・・・・・貧血を起こして倒れそうになりました」とも言った。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 142~144頁より

 

 

・「規約」や「法律」を超えた問題 孤立した昔の韓国籍

 

 

一言でいって、人道的に重大な問題でしょう。

 

「書かれたことしか」実行できない応用力なき典型的な無能集団によって、またしても在日コリアンが犠牲となった。日本人がダメなところは、物事を幅広き見地から大きく考え、仮に「例外」であろうと、より良き方向に導く努力が「まったくない」ところだ。

 

1を教えたら1しか言わぬ、がんと強情っぱりな「安物ロボット」のごとく、クソみたいな「面子」にしがみつき、臨機応変で対応できないがため、それが「どのような禍根を残すか」について、少女の人生のみならず、この日本社会の趨勢について、一切考えることもできぬ脳ミソならば、もはや論外であり、その一員としての「資格はない」と言える。

 

それとは別に、当時の韓国籍(在日コリアン)「コミュニティの弱さ」が浮き彫りとなる。

 

やはり、この無情な「容赦なき世界」において、人々が団結することこそが、もっとも有用な選択だ。

 

この時代は、朝鮮籍の在日コリアンが主体となった朝鮮総連などは、多くの優秀なサンゴンイン(企業家)方の寄付もあり、組織的にも、かなりの力がありました。朝鮮学校をはじめ、郵便局銀行出版社病院など、あとは「軍隊だけがない」という、準国家的位置にまで登り詰め、日本という「無権利空間」の中でも、多くの人々が知恵を絞り努力の結晶をつくりあげ、保守・革新問わない数々の有力な国会議員とも深いパイプを持ち、高らかに生きていた70年代です。

 

しかしながら、韓国籍のコミュニティについては、ついぞ民団というワードは出ず、戦後における「彼らの立ち位置」については、情報不足がゆえ、多くの不明点がある。ただ言えることは、今回の一件で、たったひとりの在日コリアンを救う力すらなかったことです。

 

 

・日本の「嫌な思い」しかなければ それはいつか跳ね返る

 

 

在日コリアン以外にも、現代は『外国人技能実習生問題』など、海外の出自を持つ方々への「迫害」が半端ないのは、私たちの住む国日本の現実だ。

 

国政政党『れいわ新選組』の山本太郎代表が、多くの街宣活動の中でおっしゃられていたことだが、『本当の安全保障』を考えたとき、日本で嫌な思いをしまくった外国人の方々が「増えれば」、それは日本の国益に直撃する。

 

いったん、そうした状況が「出来上がってしまったら」、ちょっとやそっとでは解決しなくなるし、日本人には(太郎氏を含む一部俊英をのぞき)、これに対する危機感「圧倒的に」欠けている。。。

 

しかし、あらためて本学校の問題を鑑みると、意地が悪いのなんのと呆れる。

 

やっていることは「小物のそれ」である。15歳の少女という、まったく反抗できない「弱い立場」の人間に、これほどまでの仕打ちをする高橋何某という輩、ひいては日本人が「そうした感情」でいるかぎり、底意地悪くて、陰湿で、ハッキリと言ってしまえばクズである。当時は「経済的勢い」でごまかせたとしても、もはや落ち目が差し掛かる昨今、私たちの一人ひとりの『徹底した意識改革』が実行されなくては、日本は・・・・、いやこれ以上言いたくはない。

 

60年前のアルジェリア独立戦争時の残虐行為を認めたフランス

 

答えは、単純なこと。

 

“人として正しいことを追求せよ”

 

以上。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『60年前のアルジェリア独立戦争時の残虐行為を認めたフランス』記事


https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12404944182.html

 

 

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