前回の記事

 

‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その5(民族的主体性を奪われた人びと)‐

 

 

関係記事

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その1(「当時の空気」から 何を学ぶか)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その2(逃げられない「監獄列島」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その3(「戦争の狂気」に晒される日本列島)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その4(現実化する『本土決戦』と「北海道避難計画」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その5(戦争は絶対に起こしてはならない)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その6(仮に「本土決戦」が実行されたら・・・・)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その1(ライフル魔と呼ばれた男)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その2(社会的分断がもたらしたもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その3(責任感・徳のない国の末路)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その4(在日コリアンは人質である)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 最終回(排撃の歴史を乗り越えて・・・)‐

 

 

・大日本帝国 「第二幕」のはじまり

 

 

日本の学校教育は民主化されたか

 

 

大戦後、アメリカは旧日本軍部筋から、明治以来の“アジア戦略”のパターンを受け継いだ。

 

それと引換えに旧権力層は、その下請けにすがって“失地挽回”を欲した。それは人間差別と加虐性という“失地挽回”であろうか。ある朝鮮人小学生の少女に「きょう石けりをして、あそんでいたら、〇男君がきて、わたしを“ちょうせん”といっていじめました。どうしていじめるのですか」とある。

 

小学校低学年において、もう加虐性の芽は育っている。無邪気な子供の世界では、むきだしで残酷な形で露出する。むかし<戦前>ほどでないにしても、どうかすると「ヤーイ、チョウセン」と、石のつぶてを投げつける。子供は大人の世界の鏡である。これが中学生になると、喧嘩や暴力行為となる。そこで、ある朝鮮の少年たちは逃避的になり、次のような奇現象も起きた。

 

「子どものころでした。僕は日本名で学校へ行っていて、誰も僕が朝鮮人だったことを知らなかったと思う。でも僕はいつも不安だった。そんな気持からかどうか、あるとき、日本人の友だちといっしょになって朝鮮人の子をいじめたことがあるんです。チョウセンジンって、はやしてね。今から思うと情けない思い出です」

 

戦前には、学校の教師までが、頭から朝鮮の少年を叱りとばし、いじめて、のろいの言葉を投げた。それで朝鮮の少年の中には学校が嫌になり、歓楽街をさまよった者が多い。大阪・下関などの朝鮮人密集地域で、朝から場末の映画館でたむろした少年の大部分は朝鮮の子であったという。当時の少年審判所の記録として“日本少年の不良化の原因は八〇%までが家庭にあり、在日朝鮮人の不良化の原因は、八〇%までが学校にあった”と伝えている。

 

周知のように学校の教育educationは「引き出す」ことであり、文化cultureとは「耕す」ことである。が、日本の学校は、なにを引き出したか。それは、偏見と差別を引き出す役目を演じた。

 

また何を耕したか。それは非行少年を耕した、といっても過言ではない。そして戦後日本に、むかしの面影はないにしても、非行少年という尾ひれは依然としてついていた。

 

ある朝鮮人の母親は、しみじみと漏らすのだ。

 

「私たちのつらいのは小・中・高・大学と日本の学校へやってある子供たちが、中学の一年から三年までに、突然、ある日、なぜ、朝鮮なの、と聞く日が一日あることです。何も変わったことはしてやっていません。そんな日が、子供の成長のなかにあるんです。つらいです」

 

民主教育を旗じるしとする日本の学校教育の場で、ほんとうに“引き出す”ものがあったならば、在日朝鮮人二・三世の心情に、刀でえぐったような“突然変異”は起こらなかったはずである。

 

今日なお、学校教科書に「神功皇后<記紀神話に出てきた三韓征伐の当事者>」や「豊臣秀吉<朝鮮侵略の将軍>」を、偉勲めいた物語で教え、サディズムを鼓舞している。ある中学では、授業中に「朝鮮」や「ベトナム戦争」の語句がでてくると、くすくす笑いだす生徒がおり、さすがの教師も「ハッとして・・・・・・そら恐ろしさを感ずることすらしばしばある」という。

 

ある朝鮮人の息子が、一流学校の学級委員をやっていた。

 

勉学に自信があるとみえて、東大進学を学校へ届けた。ある日、その息子が、傷だらけの姿で帰宅した。が、息子は、「転んだ」というだけで、多くを語りたがらなかった。不審に思った母親が「医者にだけは本当のことを言っておくれ」と寝床にすがりついて頼んだ。が、何も語らない。それから四、五日休んで学校へ通いだした息子が、母親の機嫌の良い日に、おもむろに口を切った。

 

「・・・・・・朝鮮人が東大へ行くとは生意気だ・・・・・・と、学年の級友に袋だたきにあった。心配しないでいいよ」と。

 

これを聞いた老婦人は、気持がおさまらない。

 

学校へ出かけて、校長と教頭に“朝鮮人に生まれただけで、なぜこのような仕打ちに遭わなければならなのか、わかるように説明してくれ”と迫った。

 

その先生たちは“ちっとも知らなかった、悪かった。今後そんなことのないように気をつける”の一点ばりで、その母親が問い質して知りたかった「なぜ」は聞けなかったという。

 

その母親は「私は日本人を許せない。子供を痛めつけられた母の怒りは、何年も経っても心の底に秘められ、消えない」と訴えた(浦和市、三原令さんの採談)。

 

東洋の処世訓に「衣食足りてすなわち栄辱を知る」あるいは「礼節を知る」とあるが、“衣食足りて加虐性を知る”とは、日本社会のことであろうか。

 

戦後、経済成長を遂げて豊かになると、多くの日本人は周辺国に横着をまき散らし、朝鮮人に対する民族的蔑視観は異常化している。

 

東京都内のパチンコ屋の七割は朝鮮人の経営といわれる。そこでパチンコ屋といえば、朝鮮人の代名詞のように思いがちである。そこで日本人の高校生の間では、パチンコ遊びに行くことを「朝鮮征伐に行こう」との隠語で交わしているとか。この隠語の発端は“朝鮮人を税金徴収で叩く”という意識の税務署だといわれる。

 

※当時の空気感をあらわした映画『パッチギ』(1960年代京都を舞台/井筒監督)

 

『映画「パッチギ」part1 朝高のバス襲撃』

 

https://www.youtube.com/watch?v=Dkk8ifSuR1A

 

いわゆる軍国主義意識が、ここではむきだしに現れた。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 149~152頁より

 

 

・薩長の「生き残り」が 作り出した国家・社会

 

 

『A級戦犯 岸信介』(巣鴨プリズンにて)

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12043128632.html

 

戦後、日本はアメリカとの戦争に敗れ、その「植民地」となった。

 

Do you think your military should be squatting in east Asia?②

 

 

『CIA Records - Name Files CIA Name Files - 2nd Release』Kの章より

 

https://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release/name-files.html

 

薩長系統の政治家天皇、その官僚体系は「温存」され、戦後日本の国家づくりは、先の大日本帝国の「延長」であろうと、本質的には言えると思います。

 

‐岸信介と在日米軍‐

 

究極的に、自国が「主権なき敗戦国」である自覚を持たずに、現実逃避というひとつの観点からしても、旧植民地の人々との「分断統治」を敷いた、戦後為政者の罪という大前提のもと、各家庭単位における教育についても、大いに問題があったと思います。

 

親の差別的意識が、子どもに伝播することは往々にしてあることで、「差別」を温存する大人社会を見て、子どもたちは育ち、さらなる「差別構造」を生み出して、この日本社会は腐りに腐っていったわけです。

 

まず、その事実を直視しなければいけない。

 

私たちの多くは、モノリンガルであるがゆえ、『戦前の意識を肯定すること』が、どのような事態を招くかについては、世界の情報に触れる方々ならば、その深刻さを認識されていらっしゃる。

 

‐あの戦争で我々はものすごいものを失った‐

 

今、日本は「岐路」に立たされていると思います。

 

60年前のアルジェリア独立戦争時の残虐行為を認めたフランス

 

このままアメリカの真似をして、無自覚な表面的「自国主義」を貫き、わりと早い『衰亡の道』を突き進むか。はたまた、世界の主潮を理解して、自らの行動を「修正して」周辺諸国と和解と共存の道へいくのか。今や経済も社会も疲弊し、宗主国アメリカに、あらゆる資源や権利を差し上げる様相が濃くなっていくなか、急迫する『リアリズム』の中で、責任ある「国益の選択」が、一人ひとりの認識に問われている。

 

スケールの小さい「ゴミたち」の集まりが、社会を構成すれば、その空間自体が腐り、やがては「国家自体」が衰退することは、冷静に考えて、誰しもが理解できることだと思います。

 

分断が招く、悲しみと憎悪・・・・・・、この負のスパイラルを断ち切らなくては、もう私たちに未来も何もないことを、強く自覚します。。。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Youtube動画 『映画「パッチギ」part1 朝高のバス襲撃』

 

https://www.youtube.com/watch?v=Dkk8ifSuR1A

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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