前回の記事

 

‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その6(戦後社会の差別構造)‐

 

 

関係記事

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その1(「当時の空気」から 何を学ぶか)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その2(逃げられない「監獄列島」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その3(「戦争の狂気」に晒される日本列島)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その4(現実化する『本土決戦』と「北海道避難計画」)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その5(戦争は絶対に起こしてはならない)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 その6(仮に「本土決戦」が実行されたら・・・・)‐

 

‐シリーズ・在日朝鮮人と戦争 最終回(終戦直後にあった虐殺)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その1(ライフル魔と呼ばれた男)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その2(社会的分断がもたらしたもの)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その3(責任感・徳のない国の末路)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 その4(在日コリアンは人質である)‐

 

‐在日朝鮮人『金嬉老事件(김희로사건)』の全容 最終回(排撃の歴史を乗り越えて・・・)‐

 

 

・「就職差別」を機に 自らの『虚無性』を知る

 

 

就職差別の壁

 

 

さきに述べたように、日本名をつけて、日本人を装い、むしろ民族的自覚もないままに日本人学校へ通っているのは韓国籍(民団系)の二・三世が大部分である。

 

そして日本人学校を卒業する彼らに、待ち構えているのは就職という冷たい壁であった。

 

学校へ通っているうちは、雨蛙風に自分を露わにしなくてもよかった。が、日本の実社会に一歩踏みだしたとき、かれらはハッと、おどろくことが多い。突如、日本社会のトゲを感触するのだ。

 

この“就職の壁”というトゲに、何度も感触して、逆上した者もいる。

 

埼玉県で、高校卒業をひかえたある二世は、何度も電話で就職を断られた。いうまでもなく理由は「韓国人」のせいであった、それで当人は、そのたびに「受話器をこなごなにこわしてしまった」という。

 

そして逆上して、母親に遅いかかった。

 

「なぜ、母さん、韓国人に生んだ?」とわめいて、寝ている母親の喉元に出刃包丁をつきつけたとか。だが、その夕方に、母親の肩をたたいたほどの孝行息子でもあった。この場合も親たちが、目先にとらわれて、安易に「日本人」のように育てたのはいうまでもない。

 

その若い青年が、あとで神妙に語るのである。それは渡日朝鮮人(一世)の父母とは、全く異なった見解であり、生きようとする姿であった。

 

「幼稚園から小・中学校、親しい友達は何でもなかった。普通の友人づき会いがつづいたのです。そのうち大人になったら、韓国人ですよ。私の見ず知らずの国ですよ。父母には故国の想い出がありますし、肌についた国が残っているのです。僕には、大人になった日から、日本で一人ぼっちが始まったのです。何故か、僕はいくら考えても解らないのです。朝鮮人だからいけない、悪いというのですか。アメリカの花を日本に明治期にもってきて、公園に種をまいて何年も何代も経っちゃっているのを、周りの人や、それを見る人は、アメリカの花と今もいいますかね。日比谷公園の花で済んでしまうでしょ。私は、日本で生きるのに精一ぱいという場所に、自分を置いて、解らないことを考えないことにしてるんです」(三原令さんの採談)

 

朝鮮人の二世や三世には、その祖国の山川のイメージはない。

 

母国語を解せない、言語が通じない、それに民族的主体意識を欠いている。日本の空の下で生まれ育った彼らには、日本そのものが“故郷”なのだ。その“故郷”で生きようとする者が少なくない。しかし“厚い壁”が至るところにある。それを、どうするか。

 

それでも生きなければならない。

 

それでかれらが日本名で学校へ通ったように、日本名を使って職場を求めた。

 

人手不足の時代に、小企業ならよかったが、大企業は頑として拒んだ。これは広く常識みたいになっている。

 

一九七〇年八月、愛知県立高校を卒業した新井鐘司という青年が、日立の戸塚工場の採用試験を受けて合格、九月四日「赴任日を指定し、戸籍謄本の携行を指示した採用通知を受け取った」。その新井鐘司は本名朴鐘碩といい、朝鮮戦争ぼっ発の翌年に生まれた在日朝鮮人「三世」であり、小学校から日本人学校で学んで育った。

 

その彼は戸籍謄本を取ることができないため、少し不安に思い、前もってその旨を会社へ電話した。

 

すると会社側は、あわれた様子で「採用通知は保留にしておいてくれ。詳細は明日電話する」と応対した。翌日に連絡はなく彼が再度電話すると、「当社では外国人は雇わない方針だ」との返事だった。そこで「それでは結局、日立で働くことはできないのか」と問い質すと「残念ながら、そのとおりだ」と返事し、一方的に採用を取り消した。

 

そして日立は、新井青年の母校の教師に、当人が朝鮮人であることを確かめ、あきらめるよう説得してくれる旨を頼んだという。

 

その後、本人は横浜の日立会社を訪ねて、釈明を求めた。が、会社側はあいあまいな返事を繰り返し、「取消し」を伝えた。

 

日立の門を出た青年は、不思議な世の中だ、と思った。

 

なぜ人間が人間社会で働けないのか。

 

朝鮮人であると知った途端に、なぜ採用を取り消すのか。納得がいかない。これが労働法違反という以前の問題として腑に落ちない。そして横浜駅前まで出ると、そこで署名運動をやっていた四人の学生に近寄って、事情を打ちあけ、「あなた、どう思いますか。これを裁判に訴えたいのです。あなた、応援してくれますか」と努力を求めた。

 

これを聞いた日本人の学生たちが、即時、応募を約し「在日朝鮮人の就職差別を粉砕する会」を結成した。

 

これが「朴君を囲む会」の出発である。

 

いま三〇〇名の会員があり、弁護士については自選をつのった。その年(一九七〇年)の暮れ、いみじくも太平洋戦争の開戦日にあたる十二月八日、横浜地裁に日立を相手に提訴した。

 

これこそ日本で最初の、いわゆる「就職差別裁判」の登場である。

 

東京高裁の判事・中平健吉氏は、当裁判の弁護人になるために現職を退いた、ときく。

 

朝鮮人が日本の会社に入れなかった話は山ほど聞いている。しかし、これを不服として訴えたということは前代未聞である。むしろ初めから仕方がない、と締めてサジを投げていた。これが渡日朝鮮人の通念であった。が、朴君のような発想は、二世か三世でなければ浮かばないものである。

 

新井青年は、かりに就職していわば日本名で無難に生きえたかもしれない。

 

が、厳しい差別の壁にぶつかったとき、かれは自己の本名に戻って反転し、日本社会を告発する責務を感じたのだ。ある青年は言った「おれは、居直って生きるよ」と。

 

また、ある若者は「自分は被害者意識として在日朝鮮人を自覚し、日本の差別の壁を打ち破る尖兵になるつもりだ」と、悲壮な覚悟を述べた。

 

差別の構造は「一握りの権力層によって」といわれるが、日本国民こそ道義的責任において、これら二・三世の生存志向を包摂すべきである。要するに差別の壁が、日本の内部から打ち破られるか、それとも世界に差別がなくなったあとに例の模倣性によって追従するか、「文化国」日本の試金石であろう。

 

ちなみに朝鮮総連は、すべての同胞を探し出して民族主体思想を教え、統一朝鮮のために、すべて帰国することを旗じるしとする。

 

‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その3(日本学校「入学取り消し」問題)‐

 

(注)参考として二〇種のパンフ、機関紙誌、および直接採談。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 152~156頁より

 

 

・「戦後社会」の矛盾 ベースに渦巻く差別の問題

 

 

東大を卒業していようとも、公認会計士の資格を持っていようとも、並の人間とは比べ物にならないスペックをもっていても、当時の「就職差別」は相当激しいものだった。

 

ゆえに、多くの有能な在日コリアンは、「人に使われる」のではなく、自ら企業を起こし、インテリ実業家として、その名を轟かせたり、私自身も在日コリアンの友人の話を通じて、そうした実話をうかがい知ることができた。

 

戦後社会の日本は明るいと、「あの時代は良かった」と古きを懐かしむ声は、よく巷では聞かれるけども、その「見えないところで」、さまざまな矛盾分断差別怨嗟・暴力など、数知れない悲しみを背負った時代でもあった。

 

誰かを対立させたいと思う者にとって、大衆を「コントロールすること」は簡単です。

 

最近の事例でいうと、『移民の問題』(れいわ新選組街頭演説にて)だとか、この国に大量に安く働かせられる方々を送り込んで、日本の労働環境をぶっ壊す大企業や政府の画策だとか、いったんそれが始まれば、平均賃金の「低下」もあわせ、この国に生きる人びとと、新たしく入ってきた外国人たちとの「分断」という、地獄みたいな社会がやってくるだろう。

 

しかしながら、日本人は「それをおこなった」国や企業に批判は行くのではなく、目の前の「職を奪う」外国人だけに、排外主義を振り向けるような傾向になるだろうし、この国は加速度的に生きにくい場所になるだろうと、私自身は悲観しています。

 

 

・世界の「ケース」 海外に住む中国人の葛藤

 


Michikoさんご自身も、学生時代に在日コリアン(帰化された方)とご友人だった、日本の方のおひとりです。

 

そのブログの中で、中国系アメリカ人のトニーさんのお話は、とても興味深い。

 

氏はもともと、東南アジアに生まれた中国人で、当然「故国」を知らない。

 

そこで渦巻く、『チャイニーズへの差別意識』だとか、国の治安も極度に悪く、トニーさんご自身は、自国語と母語と英語を話す「トリリンガル」でしたが、自国語が公用語でないため、読み書きの練習に中国語を学んだり、また生きるために資格を得るべく、専門学校に通えども、「中国人であるがため」に、資格は取れないという差別的状況に遭い、英語を学びアメリカへ渡られたことも、後レーガン政権の『恩赦』によって、アメリカ国籍とグリーンカードを取得されたことも、その複雑な生い立ちと、さまざまな境遇を経た結果、たどり着いた一つの「答え」が、自国アメリカへの『ラブヘイト』だったという。

 

この認識は、ものすごく「深い意味がある」と、私自身はもとより、Michikoさんの記事を拝読した在日コリアンの友人も、幅広い側面から、自分たちの暮らす国の「ヒント」にならないか、現在もこの先も、ひたすら考え続けている。

 

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12456974184.html

 

かの有名な、手塚治虫先生もおっしゃれるように「日本人」も「朝鮮人」も、それぞれの民族的教育が必要であり、これが崩れたとき、何かいびつな関係になって、一方が『虚無性』の中に埋没し、その「矛盾」が増大していく中で、社会的分断も加速していくという「負のスパイラル」に陥ってしまうのだろうと思います。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『自分の国への正しい態度』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12405434959.html

 

・かっちんブログ「堅忍不抜」 『在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう(漫画家 手塚治虫さんの』記事

 

https://ameblo.jp/sanpurena/entry-12456974184.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

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