くも膜下出血から回復していく師(61話目)
松井先生が2012年7月16日に倒れてから…。(56話目参照)
約二ヶ月後に愛知県のリハビリ病院へ転院することになりました。
本当はもっと早くからご家族の転院希望があったのですが、担当のお医者さんから「まだこんな状態なのにとんでもない!」ということで伸ばされていたのです。
「本当はもう少し元気になってからが良いのですが…。」とお医者さんも仰っていて、私とあっちゃんも出来る事なら、施術が可能な通える範囲にいてもらえたら…と思っていました。
奥様の強い要望ということもあって、お医者さんも渋々承知して転院が決まったような形だったのですが…。
まだ自分の力で歩くことは出来ない状態なのでストレッチャーに乗せたまま転院となりました。
松井先生が愛知県に転院してからは、以前のようにお見舞いに行くことが難しくなり、約一ヵ月くらいが経った頃でしょうか。
10月29日の月曜日に、松井先生の元へお見舞いに行くことになりました。
お見舞いついでに、松井先生が所有していた車をご実家まで届けることになり、私が運転して逗子から蒲郡まで向かうことになりました。
横須賀から蒲郡まで約4~5時間でしょうか。
実は松井先生の車を運転するのは二度目なのです。
初めて運転したのは、2011年の年末。
松井先生のご実家に行ったことがあるのです。
スペイン在住の方が大阪講座で松井先生の小顔施術を見られた時、「ぜひ、この技術を覚えて帰りたい!」ということで懇願され…。
年末に松井先生のご実家で特別集中講座を開催することになったのです。
その話をされた時、松井先生が私とあっちゃんに「一緒に来る?」とお誘いされました。
私は年末の忙しい時期、親族で過ごす大切な時間の邪魔をしたら悪いと思っていたのですが…。
あっちゃんが「行きます!行きたいです!」と即答したので、私も講座のお手伝いに行くことになりました(笑)
実は、あっちゃんの決断があったからこそ、後々に繋がってくることもありました。
そして、その後の不思議な体験へと繋がっていくのです…。
2011年12月28日、私が松井先生の車を運転し、松井先生は助手席、あっちゃんは後部席に座り、3人で愛知県の蒲郡まで運転していくことになりました。
運転中、もう夕方で日が暮れ始めてきた時のことです。
車の左手に夕方の太陽が沈んでいっていたのですが、あっちゃんが太陽の写真を撮影していました。
そうしたら、突然こんなことを言うのです。
「今日は太陽の色がいつもと違う!太陽がピンク色してるよ!」
それを聞いた私は、内心「また変なこと言ってるよ…。」と思っておりました。
というのも、あっちゃんは元々スピリチュアルなことが好きで、太陽の写真を撮るのも好きなのを知っていたので、またおかしなことを言い始めたと思っていました。
運転中なので横も向けませんし、ましてや太陽の方を向けるはずもなく、「ふ~ん。」くらいで流していたのですが…。
それから夜になり、運転席側に月が出てきました。
そして、月を見た時に「えっ!」と驚いて二度見したのです。
いつも見慣れたはずの黄色い月が、なんとエメラルドグリーンのような色をしていたのです。
「見て!今日は月がエメラルドグリーンだよ!」
そうしたら、それを聞いたあっちゃんが…。
「何言ってんの?」と言うのです。
再度、月を見返したのですが、どう見てもエメラルドグリーンにしか見えません。
「本当にエメラルドグリーンに見えないの?」
「そんなわけないじゃん。」
自分の眼がおかしくなったのかとも思いましたが、どうやってもエメラルドグリーンにしか見えないのです。
後であっちゃんに聞いたのですが、太陽がピンクに見えなかったのが悔しくて、私が対抗して言っていると思ったそうです(笑)
そうしたら、松井先生がこんなお話をしてくれました。
「アストラル体に入る時、そういうことが起こったりするんだよねぇ。」
アストラル体については、以前に少しだけお伝えしたことがあります。
「今生の内にアストラル体くらいは抜けて頂きたい(46話目)」
松井先生の説明では以下のようなことでした。
「僕がアストラル体に入った時も運転している時だったんだけどねぇ。高速道路のトンネルは独特の黄色っぽい色をしているでしょう?でも、その時はトンネルに入った瞬間、キラキラとした凄い綺麗な光に包まれてねぇ。アストラル体に入った時、普段と違うものが見えることがあるんだよねぇ。」
その時は私も実感は無かったのですが、その後、心の勉強会に継続して参加されている方が、「雲がエメラルドグリーンに見えたんです。」とご報告を受けたこともありました。
なるほど、普段は見えないものが見えるというのは、こういうことかぁ…と後になってから納得しました。
不思議な体験がありながらも無事に蒲郡に到着し、二泊三日で松井先生のお宅でお世話になりながら、スペインからの受講生さんの受講をお手伝いしてきました。
その時のことはブログに書いたことがあるので、興味のある人は読まれてみて下さい。
その不思議な体験があった時が、松井先生の車を初めて運転した時の話しです。
それから約10ヶ月後、私は再び松井先生の車を運転していました。
蒲郡の実家まで無事に到着し、今度は奥様の運転する車に乗せて頂いて、あっちゃんと私で後部座席に乗らせて頂きました。
奥様との繋がりがあったからこそ、松井先生が集中治療室に入った時も「家族以上の存在」と中に入れてもらえたのですが…。(56話目参照)
松井先生のご実家に行った二ヶ月後くらいの時、あっちゃんが松井先生にこんなお願いをされたことがあるのです。
「うちの奥さんが体調を悪くしているんだけど、あっちゃんに遠隔してもらっても良いかなぁ?」
あっちゃんは快く承諾して、それから約四か月、遠隔施術を毎日していたのです。
遠隔をする前と後で連絡を取るので、電話やメールで奥様と関係が作られていったのです。
それがあったからこそ、松井先生が倒れた後、連絡も取りあえて協会運営も上手くいっていたのです。
おそらくは松井先生が後々のことを考えてお願いされたのだと思います。
奥様の運転で松井先生が入院している病院まで連れて行って頂きました。
私達が来る前、再度肺炎を起こして治療ということで心配だったのですが、行ってみると熱も下がったそうで元気そうな姿を見ることが出来ました。
くも膜下出血の後遺症で右半身が動かなくなっていたのですが、少しずつ動くようになっていて…。
左半身もリハビリのおかげで、私達が横須賀で最後に会った時よりもかなり力強く動かせていました。
松井先生が「体を起こして下さい。」と言うので、抱き起すと、奥様が「まだ寝ていた方が良いんじゃない?」と心配されたのですが、松井先生は「起きた方が良いのです。」とお伝えされておりました。
体を起こしても、首がしっかりとしています。
「施術はどこをやってほしいですか?」と聞くと、「全身です。」と笑顔で答えられて…。
二人で施術を始めると「痛い。」と言うので、あっちゃんが「やめますか?やりますか?」と聞くと、「やってください。」と(笑)
普通に会話が出来るような状態だったので、途中冗談も言いながら、私達二人で3時間ほど全身の施術を行いました。
みんな頑張っていることを伝えると「ありがとう。」と仰っておりました。
その時も、施術で体がほぐれていくのを体感しました。
熱も下がったので、翌日から胃ろうを再開するということでした。
近くだったら、毎日でも通って施術をしてあげたいなぁ…と思いながらも、さすがに東京と愛知県だと、そういうわけにもいきません。
「松井先生、元気になったら一緒に妙義神社も行きましょうね。」とお伝えすると、「みんなで会食しましょう。」と答えられました。
以前よりもずいぶん元気そうな姿だったので、これなら復帰も早いかもなぁ…と思いながら、「また来ますね!」とお伝えし、病院を後にして東京へ戻りました。
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