数々の難病を治すゴッドハンド(18話目)
17話目の続きです。
この地に留まって重病人達を治していけと神様より言われた松井先生。
体のことは素人だった松井先生は、体を貸すから治してくれと伝えます。
その後、松井先生が治してきた方々は数えきれないくらいおりますが、その中の一例をお伝えしていきたいと思います。
この地に留まるならば、アパートを借りなければと思った松井先生。
お世話になったA旅館に出入りしていた不動産屋を営む方に聞いてみたところ、逗子のあたりは男の独り者には貸したがらないと言われてしまったそうです。
そんな時、網膜剥離を治したTさんの娘さん(14話目参照)の嫁ぎ先にも施術に行っていたそうなのですが、新築のアパートを建てたとの話を聞きます。
どうやら二階が空いているらしいという話だったので、恐る恐る貸して頂けないかと申し込むと、「松井さんなら貸しましょう。不動産屋が入ると家賃五ヶ月分取られるから直接契約をしましょう。それなら三ヶ月分で良いですよ。」と言われ安心したと言っておりました。
ところが、手持ちが二ヶ月分しか無かったので、一ヶ月分は後からお支払いするということで了承して頂いたそうです。
昭和63年1月4日に入居。(1話目を参照)
今まで貸家に入ったことは無かったそうで、蒲郡より布団は持ってきたものの、新築のアパートの中はガランとして何もありません。
仕方なく、なけなしのお金で電気の笠とコンロを買ったそうです。
冬なのでコタツも…と思ったがお金も無かったとのこと。
その時、松井先生の娘さんが蒲郡から一緒に来ていたので「お金持ってないか?」と聞くと、「あるよ。お年玉の一万円。」との回答。
「後で返すから貸してもらっても良いか?」と娘にお金を借り、コタツを六千円で買ってきたそうです。
この話は、後で娘さんからも当時の笑い話として聞きました(笑)
松井先生が施術していたお金は、ほとんど実家に送金していました。
そのことを子供達には一切言わず、奥さんも言わなかったので、松井先生がやっていたことを子供達が知るのは、松井先生が亡くなった後になります。
アパートの前が粗大ゴミ置き場で二階からよく見えたので、入り用なものが捨てられていると借りてきて、壊れるとお返しに行ったこともあったそうです。
このアパートは松井先生が亡くなった後に取り壊され、松井先生の為に準備されたかのような形で、松井先生が神様と誓ってから亡くなるまで30年の間、多くの人を救っていく場所となります。
私自身もその中の一人です。
網膜剥離を治したTさんの娘さん(14話目参照)の紹介で、東京に住む女性を看ることになります。
軽い鬱で悩みを抱えていたそうですが、御主人がオーストラリアの大手会社社長に就き赴任することになり5年間行ったそうです。
現地で体調を崩し白血病になり、帰国後、松井先生の元へ施術を受けられに来たそうで、女性の色々な悩みを神様に伺って解決しながら身心共に回復させます。
右半身不随のYさん宅(14話目参照)は、Yさんが亡くなるまで約9年お世話になったそうです。
Yさんは病院で院内感染(肺炎)にかかり、「自分の命は今日で終わりだ」と言う電話を松井先生が受け、夜7時頃病院に駆けつけたそうです。
喉に痰が詰まり苦しそうだったので、松井先生が手をYさんの胸に置き、しばらく気を送ると大量の痰が出ます。
その直後、「熱い、熱い。」と言い出し、新聞や本を使ってご家族や松井先生とで扇ぎ、しばらくして熱も治まったとのこと。
Yさんが「もう大丈夫。帰って下さい。」と言われるので、握手して帰り、翌日早朝に御年90歳にて亡くなられたそうです。
そのYさんの娘さんの友達で運送会社を経営されている女性がお越しになり、足が萎え、痛くて足を床につくことも出来ない状態でした。
最初は友達に支えられて連れて来られていたものの、しばらく通う内に痛みもとれ、最後は自転車で通うようになったそうです。
当初は女性の友達の医師から手術を勧められましたが、断っていたということでした。
更にその女性の娘さんはリウマチを患っていたそうですが、母娘共に改善させてしまったそうです。
Yさんの娘さんの友達繋がりで、くも膜下出血の為、不随になり困っているという女性も看ることになりご自宅まで尋ねられたそうです。
車イスに乗られていて、片足が常時震え、片手でタオルを握り口からヨダレを垂らし身体を丸めて、足が痛いのか「ウーウー」と唸っている状態。
病院からは「治らない患者は入院させない。」と言われてしまい、手の打ちようのない程だったとのことでした。
松井先生が足の治療をして痛みを取り除き、何回かの治療の後、ベッドに寝かせての施術。
あまりの痛さに悲鳴をあげ手に握ったタオルで松井先生を打ったそうですが、打たれながらも施術をしたそうです。
何ヶ月か経つと、小声で話せるようになり、食事も一緒にとり、歩行訓練を始め、病院側も「ここまでよくなれば。」と、入院の許可が出たので辞したということでした。
ある女性は膠原病で全身が痛かったらしいのですが、特に手の腫れが酷く、駅で切符を買う時に百円玉が持てず、やっとの思いで持って銭を入れるが穴に入らず泣いていたそうです。
そんな大変な状態の方も施術で改善させます。
M民宿(14話目参照)の奥さんが猫を抱いていたそうです。
「今から動物病院へ連れて行くんです。脂肪の塊が出来て取ってもらいに。」と言うので、松井先生が「ちょっとかしてごらん。」と言って猫を抱き上げて施術し、「なくなったよ。」と言って猫を渡すと、脂肪の塊が無くなっていたそうです。
乳癌になり、病室が空き次第手術と言われている女性。
「大きすぎるので少し小さくしてから手術した方が良いよ。」と何回か施術してかなり小さくなったので、一か月後に手術をしたそうです。
手術も軽く済み、術後も元気だったので、同じ病室の患者から「どうしてそんなに元気なの。病気とは思えない。」と言われ、「おかげさまで体調も良いです。」と退院後御礼に見えられました。
M民宿に出入りする八百屋の姉さんの息子さんが、脳梗塞にかかり半身不随になり、口からヨダレが垂れ言葉も上手く話せない状態に。
父親におんぶして連れて来られ、週一回の施術を一ヶ月程続けたところ、M民宿までの階段を自力で登れるようになったそうです。
半年程経つと、自分で車を運転してくるようになり、口も閉まり、食べ物もこぼさなくなったとのこと。
家業をパソコンで手伝うようになり、最初は半日くらいで疲れていましたが、一年後には一日手伝えるようになったということでした。
M民宿に来た神戸の社長は、糖尿病が悪化し、両目が見えなくなっていました。
夕方到着されて、お手伝いの方が手を引いて部屋に案内したそうです。
松井先生は夜中の12時過ぎに着き治療して帰ります。
翌朝、お手伝いの方が部屋に行くと、社長が窓を開けて「ここから富士山がよく見えるのですね。」とジーっと外を見ていらしたそうです。
お手伝いの方が「見えるのですか!?」と問うと、「不思議ですね。今見えているのです。」と答えられたということでした。
と、ここに挙げた例は、松井先生から聞いたり、関係者から聞いたりしたもので、本当に極一部に過ぎません。
松井先生の人柄もそうですが、体のことを何も知らなかった松井先生が、病院でも見放されたような状態の方々を多く救ってきたのは事実で、そういうことが実際にあるということを知って頂きたくて書きました。
松井先生が秘伝書を読んで身に付けた気功。(12話目参照)
そして、松井先生が神様に体を貸して行ってきた施術。(17話目参照)
その両方を組み合わせた松井先生オリジナルの気功整体を2011年3月10日に、神様から「お前の技術や心のことを若い者達に伝えていけ。」と言われ松井式の気功整体講座を始めることになりました。(8話目参照)
この嘘のような本当の話は、当時、私自身も半信半疑だったのですが、後から徐々に繋がっていくことになります。
★「心」「気功」「体」の三つが学べる無料メルマガ一覧
★最短5日間で整体講座が開催可能
★素人からゴッドハンドを目指せる気功整体講座
★仏教と気功が学べる心の勉強会
★☆★☆★☆★ 【心の勉強会スケジュール】 ★☆★☆★☆★
★4月8日(日)、仏教数秘編「9の話」
★4月11日(水)、逆さまの世界に生きる人間
気功と仏教の入門講座申込みフォーム