住むところが無い!
第33章は
「実在の人に感謝する」
という事を学んだ体験です。
新聞奨学生も終わり引っ越し先も見つかりました。
生まれ育った世田谷区にもどり
喜多見のアパートに引っ越すことにしました。
場所や条件が合うところははやく見つかりました。
すぐに引っ越したいところでしたが、
まだ退居前でした。
2週間後に空室になるということで
実家の仏間に荷物を置かせてもらうことになりました。
寮の引っ越しの手続きを済ませました。
何も持っていなかったら
野宿して過ごすかとも考えました。
しかし荷物を預かってもらえるところが
見つかりません。
そこで実家に寝泊まりさせてもらうことにししたのです。
あいている部屋は仏間の4畳半だけでした。
そこに荷物を入れさせてもらい
荷物の間に挟まって寝ることにした。
食事も荷物の中に入っていた
チョコレート食べてできるだけ静かに過ごしていた。
そのときに卵形のチョコレートをかじったとき
中が空洞だったのを印象的に覚えている。
そのとき仏壇から幽霊が出そうな感じで
怖いと思っていました。
何か出てきそうと思いながらも
先祖の霊なら危害もないだろうと
自分に言い聞かせて寝ていたのです。
そんなある日、
近所を歩いていたら
文楽劇場の研修生募集ポスターが出ていました。
あまり人生に希望もないので
大阪に行って心機一転もいいかと思いました。
電話番号を書き留めようとしたら
書くものを持っていませんでした。
ポケットに入っていた鍵で紙に押しつけるように
電話番号の数字をへこませて
かろうじて書き留めることが出来ました。
電話をかけると番号違いだったので
また見に行くことにしました。
ポスターも無い!
再び掲示板を見に行くと
ポスターはすでになく電話番号はわかりませんでした。
ほんとに将来どうなるのだろうと不安な日が続きます。
もう二度といくこともなさそうなので、
幼少のときに父に連れられていった床屋にいくことにした。
店員の人は少し年をとったが
一目見てすぐわかりました。
「おにいちゃん、大人になったね~」
と昔話をしながら髪を切った帰り道、
掲示板に国立能楽堂の研修生募集のポスターが貼ってありました。
募集年齢は15歳から25歳です。
ちょうど20歳だから大丈夫だろうと思い
願書を取り寄せ申し込みをしました。
願書を郵送したのと時期を同じく部屋が空き、
友人に手伝ってもらい喜多見のアパートに引っ越しました。
すべてに人が関わっている
自分が思いつきで進もうとすると、
ちょうどよく気が枯れてくれる。
頑張るところと、
流れに任せる事の違いは
明確な違いがあります。
人生の転機は自分では想像しない形でやってきます。
改めて書き出してみると能楽人生のスタートは先祖の仏前でした。
そんな不思議なご縁があると
見えない世界の働きに注目したくなる。
それはあるかもしれませんが、
関わる生きた人がいるからこそです。
先祖の徳が現世の人を通して
自分を導いてくれたのだと思います。感
謝という言葉を使うのは簡単ですが、
ポスターを貼ってくれた人、
デザインしてくれた人、
なども含めて関わってくれた人に思いをはせる。
そうした現世の人のことを忘れることなく、
先祖など見えない力に感謝することが大切だと思います。
見えない力だけを感じて
現世の人を忘れてしまうのは本末転倒です。
これは常に心に留めています。
生きている人にまず感謝することが
見えない世界の導きに出会う方法です。
能楽に進んだのも
三島由紀夫先生の影響でした。
国立能楽堂の職員の中には
盾の会のメンバーだった方もいて、
私が見たポスターにも関わりがあったかもしれません。
見えない世界の働きを感じたら、
関わってくれた人に感謝する事が大切でだと思ってます。
次は「第34章 国立能楽堂の試験」です。
理系でアメリカンスクールに行っていた私はまったく古典とは無縁でした。
試験に向かった私は、、
https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598894404.html?frm=theme