順調に3年生になった。ところが、

第19章は、

嫌な思いをしたとき

「サッとその思いを手放せる」

ようになった体験です。

 

時間という死刑執行人に

任せて存在すらも

忘れてしまう事を覚えました。

 

その体験とは

中学3年生の時の事です。

ちょうど「3年B組金八先生」が

放映されたときです。

ちょうど2歳上がこの世代です。

 

テレビよりもさらに

学校はあれていました。

窓ガラスが割られたり、

ストーブに爆竹が入れられたり、

暴走族の集会に

参加するものもいました。

 

個人的には

上級生からのいじめは

ほとんどありませんでした。

柔道はあいかわらず

やめようと思っていました。

それでも部長以外には

おおよそ勝てる力はついたこともあり

上級生からの

ひどいいじめはなかったです。

 

ところが

自分が3年生になると

やたらと喧嘩をふっかけてくる

同級生がでてきました。

 

体も大きくなってきて

少年ヤクザ化している

同窓生から

誘われるようになってきました。

 

学校にいるときは適当に

話を合わせていたのですが、

だんだんと

ヤクザ事務所への誘いが

強くなってきました。

 

それを断るようになってから、

何かと攻撃してくるようになり

辟易しました。

 

なんども爆発しそうになりましたが

反撃せずに卒業になりました。

 

かなり用心深くなっていく

校内でも

わざと肩に当たってきたり、

ちょっとすれ違っただけで

肩を脱臼したなどと

騒ぐようなからみ方が

増えてきていました。

 

彼らのルールがあって

陰湿な悪知恵なのか

相手の「顔はなぐるなよ」

などといっていたので

腹筋を固めて

適当に痛がるふりをして

過ごしていました。

 

教師に呼び出されて

顔にあざがあると

殴ったといわれるので、

跡が残らないように

腹などを蹴ることが横行してきました。

 

このときに毎度、

頭に浮かんで来ることは

小学校4年の時に、

何かとちょっかいを出してくる

同級生の顔面を殴って

歯を折ってしまったことでした。

 

そのことが

いつも頭をよぎるのです。

 

自分がされていることよりも

反撃して母に謝ってもらい

世話になることがほんとに嫌でした。

 

育ててもらったことにも

多大な恩恵があります。

 

しかし、それ以上に

余計な借りを作ることになります。

 

それは当時の私にとって

殴られるよりも嫌悪感のある

耐えがたいものでした。

 

表面で

ただ我慢しているように見えて

相手のことはどうでもよく

自分の事しか考えていなかったのです。

 

こんな

矛盾した日々を過ごしていますから

周りの人を

心から信用してはいけないという

思いが強くなってきます。

 

そして

非常に用心深く

人を観察するようになってきました。

 

これはいまになっては

トラブルの兆候を感じ取るのに

役立っています。

 

しかし、

このころは嫌なことを

私にさせてきた人は全員

殺そうと思うこともありました。

 

想念の中では

何度も人を殺しています。

 

適度なストレス解消になっていたので

実行に至ることはなかったのは

今になってみれば幸いです。

 

終わりを決めればなんとも思わなくなる

こんなことも

中学3年生ですから、

卒業までと

自分の中で終わりを決めていました。

 

終わりが決まると

何を言われても気にならなくなるのは

不思議な物です。

 

幸いにして悪ガキたちは

勉強のできるタイプでは

ありませんでした。

 

それなので

同じ高校にいくこともなく

この時点で、私の心の中で

彼らの存在は消えていたのです。

 

中学を卒業する時点では、

具体的な夢や、

なりたい職業も

言葉にはなっていませんでした。

 

どこかに入れればいいと

思っていた高校受験も

グループ合格になりました。

 

選択肢があったので、

中学から誰も行かない

高校にするという基準で選びました。

 

これはその通りになり

進学後は心機一転

環境も変わり

卒業してから

地元の悪ガキたちの噂も

聞かなくなります。

 

気持ちが離れると

ほんとに一生あわないものだと

実感したものでした。

 

心の中で処理できたとしても、

靴の中の小石のようなものは

よくありません。

 

しかし、誰でも靴に入った小石のような

ストレスを感じることはあると思います。

 

そのままにしていれば

麻痺して感じなくなるかもしれません。

 

しかし、

一度立ち止まって靴を脱ぎ

小石をだして、はき直す方が健全です。

 

目的のない我慢というのは

生産性がないのです。

 

徳も上がらなければ

品も上がらないでしょう。

 

鼻をつまんで

我慢しているようなら

すぐにでもやめた方がいい痛みです。

 

自分史の記載で

記憶の底から引っ張り出してみました。

 

当時はほんとに嫌な出来事だったと

記憶はあるのですがなんだか

臨場感は薄い記憶になっています。

 

こころの中では、

もう私の問題ではなくなってます。

 

有罪宣告によって

死刑宣告された方々なので

もうどうなっても

私はどうにも出来ません。

 

時間という死刑執行人に

実行の時期は任せましたので

私の中には存在がなくなっています。

ひとつの解釈ですが私には効果的でした。

 

 

さて次は「第20章 サッカー部に入る」です。

一流の人はやっぱりすごい!中学以来2度目の感動体験です。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598904433.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから