第46章は自分を変えなければ何も変わらないという事を学んだ体験です。
相手の名誉にも関わるので
いきさつは詳しくは触れないでおきます。
親権などの条件もふくめ協議離婚が成立しました。
入院後、舞台の依頼数は約半分になっていました。
また目白、四谷、戸塚と三カ所で開催していた
伝統文化子ども
事業も会長平山郁夫先生の死去とともに
事業仕分けで廃止になりました。
そこに自分の脳梗塞、不祥事への慰謝料とたくさんのことがまとめて起こりました。
妻が体調不良とのことで実家に帰った。
それが、見知らぬ名刺が
家の中にあり別名のブログを見てしまいました。
そのブログを読むと、
半年前からwifiを準備し、
住民票を移し準備している様子が
赤裸々に語られてたのです。
何のことかすぐに理解できず、
全部読んでしまいました。
そんな次の日に「アクセスが増えた」という記事が投稿されました。
見ているのは私ですからなんとも情けない気分でした。
その後、群馬県の家庭裁判所に
円満調停を申し出ていましたが、
離婚しないと娘にあわせないということなので
円満調停を取り下げ離婚調停に切り替えて離婚しました。
そのときは、若い女子がやってきて
事務の人かと思ったら
「裁判官です」といわれました。
そこで最後の離婚成立がすんだのです。
「離婚届書かないんですか?」ときいた
ら「ここは裁判所なので離婚の判決が出れば離婚成立です。」といわれました。
手続きもなんともあっさりしたものでした。
その後約束通り、
2ヶ月に一回面会ができていましたが
3回目で体調が悪いといいて中止になって以来、
連絡が取れなくなってしまいました。
その後二つ近況を知るきっかけがありました。
一つは、倫理法人会の合宿に参加したときでした。
元妻の実家の近くの会長さんが同室でした。
自己紹介の時には知っていたのですが
そのことは最終日まで話せずにいました。
最終日の片付けが済んで、
部屋に二人になりました。
元妻の実家が近くだという話をしました。
話の流れでさらっと離婚後、
連絡が取れないということを話してみました。
「なんてお名前」ときかれたので
元妻の実家の名前と住所を言ってみました。
そうしたら驚くことに一軒挟んで隣に住んでいたのです。
「赤い車が止まってませんか?」ときたら
「あのちっちゃいお嬢さんが娘さんですか」という話になり
義理の父とも町内会で掃除をしたりすることもあるとききました。
もう一つは2年ほど前、
Facebookで知らない女性から連絡がありました。
知り合いということだったが、
すぐには信じられなかったので
娘の写真を送ってくれるように
頼んだら2枚送られてきました。
それから何度がメッセージが
来たがしばらくしてアカウントがなくなってしまいました。
争うよりも
自分の生活態度を改める必要があると痛感しました。
自分には根本的に
人の徳とか情というものが薄いように感じています。
そのうち娘が見つけて
これを読むかもしれないと思って書いてます。
この体験は
自分を変えなくては
何も変わらないことを痛感させてくれました。
次は「第47章 重要無形文化財の認定」です。
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