悪い予想を伝えること

なんとなく変だなと思うこと、

はっきりと兆候が分かること

そんなことをハッキリ伝える

それをこのときに学んだように思います。

 

弟のようすをみて糖尿病だから

病院に行くように伝えだいぶ怒られました。

実際に糖尿病でした。

その時のことと

そこから学んだことを記していきます。

 

さてこのころは

幼少のときからの

読書習慣が続いていて

家庭の医学も愛読書の一つでした。

 

思いの外、絵も多いので

楽しんで読んでいたと思います。

 

このときは知らない言葉が

たくさん出てくることが面白くて

何回も読んでいました。

 

留守番することが多く

学研の学習まんがよりも

詳しい内容が知りたくて

「家庭の医学」もなんども読んでいました。

 

子どものときは

知っていることは何でも指摘していました。

 

親戚や大人同士が話している

健康状態や顔色のことなど

内容が耳に入ると

すぐに家庭の医学を開いて

照らし合わせて

「あのおじさん血圧たかいよね」

とか

「ガンになったらなおらないの」

などと聞いて怒られていました。

 

人相や手相など

占いの本も読んでいましたが、

それよりも

私の興味は家庭の医学に

注がれていました。

 

そんなときに

2つ下の弟は朝起きなかったり、

ぼっとしていたりということで

なにか「しっかりしなさい」

ということを言われていました。

 

 

弟の状況を聞いて

1型糖尿病と書いて有ることが

同じだから病院に行くように

何度も言っていました。

 

言うたびに

「そんなことを口にするな」

といわれぶたれたり

怒鳴られたりしていました。

 

すこししてから母が泣いていて

「健ちゃんが病気になっちゃった」

といっていた。

 

2つ下の弟は

自分から見て姿勢も悪く

なんだか腹を突き出して

猫背のようなダラッとした

立ち方をしていました。

 

兄弟は4人いるのだが呼び方が

なぜか次男だけ「ちゃん」付けで呼ばれていました。

 

「ゆうじ」「けんちゃん」

「きよみ」「こうじ」という具合でした。

 

また私だけでは無いと思いますが、

長男だったこともあるのか

姿勢などかなりうるさく

父からも怒られることがあった。

 

それと同じように

私が弟に姿勢の注意をすると

「余計なことをするな」

と怒られることに

疑問と不満を感じていました。

 

「あまやかすと病気になるよ」

 とか

「おおきくなったら困るでしょ」

 

などと子どもながらに反論していました。

 

実際におとなになってからは

「育て方を間違った」

とか

「産まなければよかった」

という愚痴も耳にしました。

 

目先のことで感情的になると

長期でうまくいかなくなることが

見たくないくらいに

見せつけられてきました。

 

ほんとに毎日が

嫌でしょうがなくなってきていて

早く家を出たいと思うように

なったのもこの頃からです。

 

運命学は当たるのか

 

運命学も学びましたが、

提唱している人も習っている人も

うまく行っている人もいれば

そうでない人もいる。

 

 

練習もしない人が

順番でバッターボックスにたっても

チャンスを活かすことができない。

 

そんなことを思う

根っこの部分が

この時の弟の病気発覚にあります。

 

 

また思い込みとか希望

「うちの子に限ってそんなはずはない」

と念じたとしても

すでになってしまった現状を

冷静に見なければ

早期の改善策が出せずに

悪化します。

 

どうしょうもなくなってから

認めるような

後手に回る人生になることに

気付かされました。

 

 

運命学を否定はしないが

宝くじではありません。

 

私自身も自分の将来について

占ったことが2回あります。

 

あたったかといえば

結果は当たってます。

 

そのかわり、

どれだけの代償を負うのかということは

語られませんでした。

 

 

1回目の20歳の頃から30年以上立って

52歳のとき改めて自分の今後を占ってみました。

その結果は20歳のときと全く同じ、

気持ち悪いくらいの一致でした。

もう一度は経験済みですから

今日できることを

全力で取り組んでいけばよい卦も

実現すると思います。

 

一番大きな学び

自分にとって

大切なメッセージは優しく

教えてもらえるわけではありません。

 

ときには聞きたくない話を

聞きたくない人から

聞かされることもあります。

 

「人事を尽くして天命を待つ」

この天命は

古典の中では言い訳に使われます。

 

天命だから私は悪くない。

天命や使命を語る人は多いが

生きているうちは

人事をつくすことに尽きると思ういます。

 

天命の存在など忘れて

予想外の頼まれごとや、

自分の目の前のことを

誠意を持って全力でやっていくことで

天命らしきものを

感じられるようになると

思っています。

 

 

天が定めたものならば、

偶発的なことも含めて

天命に沿わないことはおこるはずがない。

 

自分で決めるなら

天命ではなく「人事」です。

 

そんなことを受け入れながら

一つ一つの物事を

確実に積み重ねて

ボーダーラインを上げていくことが

実は一番の開運方法だと思っています。

 

奇跡が起きることもある。

良くも悪くも奇跡のようなこと。

日々の習慣で積み重ねた先に、

積み重ねたものに沿った

「奇跡的幸福」も、

「奇跡的不幸」もあります。

 

そして人が100%力を注ぐのは

自分のできることだと思いまます。

 

そうした

ひたむきさの先に天佑神助があるのです。

 

都合の良いように奇跡が起きると望むのは

宝くじのように

「当たりの人生」を望むのと

変わらないと思っています。

 

 

 

さて、次は「第13章 柔道を始める」です。
いやいや始めた柔道を大好きになったら美談ですが、、、

どうなったかは13章に続きます。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598907164.html

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから