見ないで!!
「月夜です」
と始まる
「かちかち山」の
ソノシートをよくきいていました。
電池がなくなると手で回して、
電気で再生するときと同じように回すのは
どうすればいいのか試していたり、
早くしたり遅くしたり
簡易なレコードプレーヤーで遊んでいました。
この頃好きだったのは
昔話や童話のような物語でした。
歌や音楽も入っているので
何回も聞いていると覚えできます。
まねしてうたったり物語をまねしているのが
ひとりの時の遊びでした。
結構自分の世界に入って楽しんでいたと思います。
そうしていると、
誰かが見ているような視線を感じてくるわけです。
母や祖母がからかうように見ていて
「みないでよ!」
というと
「いいじゃない、気にしないでやりなさい」
と言われるのでそれが嫌で即座にやめていました。
「(みられると)出来ないからあっちいって!」
そんなことを繰り返していた記憶が残っています。
そうすると
「やめることないじゃない」
というので
「もう終わり」といって片付けていました。
親戚などが来て
「ゆうちゃん、あれやって」
などと言われても
拒絶していたので
「こどもらしくない」
などという声が聞こえていたのを覚えています。
これがもの凄く嫌だったのは
直接言われるだけですまない事でした。
母からも
「親戚の○○さんに。
あなたの子はこどもらしくないといわれた。もっとこどもらしくしなさい」
そんな事を言われることが嫌だった。
それを数日たって
忘れた頃にまた言われる。
何のことで言われているのか
本人は把握していないので
ただただ嫌な思いを耐えているという感じだった。
いまはスマホで動画や写真は簡単にとれるし、
赤ちゃんや子どもの映像が流れてくる。
こんな映像を見ていると
ずいぶん楽しそうにしている。
放っておいて楽しませていれば
ギャーギャー泣きわめくような事もなかっただろうに
なかなか扱いにくい子だと思われていたようだ。
じーというのはストップのサイン
こんな家族の「やってみて」というのは
茶化されたように思っているが、
単にうるさいからやめさせるために
やっていたかもしれないと思うことがある。
「片付けなさい」といってもやめないので、
茶化すとやめる手段だったのかもしれない。
子どもが楽しそうにしているのに
ちょっかい出してきて
いやがられるまで
しつこくするというのは
コミュニケーション障害でないかと思う。
とにかく
人が真剣にやっていることを
笑うのは好きではない。
真剣にやっている人は
表面的に下手でも取り組みが美しい。
自分は器用ににできて、
できない人の真似をしたり、
ディスったりしている人を見ると
周りが楽しそうにしていても、
吐き気を催すほどの嫌悪感を感じる。
それなのでセミナーなどで
参加者をいじる講師も受け付けない。
いっとき自分でもセミナーなどをしているときに
参加者をいじるのも一つのテクニックなのかと
思って試したこともあるが生理的に合わなかった。
人には誠意を持って接したいとともっています。
いづれにしても
真剣に取り組んでいる人は尊敬しています。
次は 第8章 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
少々痛い話に突入します!
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