学校の様子

ノリが合うとか

ソリが合うとか

いろいろなたとえがあります。



この「気が合う」という感じ。

ノリを感じる事を覚えた体験です。

 


ノリを感じられると

自分を順応させていくことが出来ます。

このときの私はここが苦手でした。


 

ついに入学したテンプル大学、

本校は英語だけの学校でした。

授業も英語だけです。

先生も日本語が堪能なわけではありません。

 


生徒はといえば、

ポルシェやキャデラックで

通ってくるような人もいて、

個性的な人が集まる

漫画のような雰囲気です。

 


一生の付き合いになる

友人との出会いも

この2年間に凝縮されている

不思議なおもちゃ箱のような場所でした。

 


今までの人生では

出会わないような

変わった人が多い面白い学校でした。

 

このときは

一つ一つのことに驚くというよりは、

こんな感じなんだな~

と受け入れてなじんでいくような感覚です。

 


「おお!!」


と感動するわけでなく

淡々とした感じがしていました。

 

人の能力は見かけで判断できない

アメリカの大学の分校だけに

アメリカからきた学生が大半です。

 

日本人でもアメリカや

オーストラリアなど

英語圏の学校からの

帰国子女が多かったです。


ほとんどが英語を話せるので

学力もそれなりにあると思ってしまう。

 

ところが、私にはここが衝撃でした!!

 


英語が出来るのと

勉強が出来るのはまった違うのです。

 


日本でも日本語が

話せても勉強が

できないということは

普通にあります。

 

そう思えば

不思議なことではありません。

 

それと同じで海外から来たから、

必ず成績優秀ではないわけです。

 

また見かけは外国人でも

日本で生まれ育って英語ができないとか、

ものすごくおしゃれなスタイルの黒人が

ダンスが全くできないとか、

運動音痴のボディービルダーとか、

いい意味で人への先入観が

なくなっていく日々でした。

 


時代劇でも演劇でも、

見た目と中身の統一感が

キャラクターを

作っていくように思っていました。

 


このキャラクターの統一感や

ギャップはいい感じもあるし

そうでないときもあります。

真面目そうで極悪人だったら困ります。

 


この学校の先生方は、

日本人の生徒のことを

「バナナ」、

自分たち日本に来ている外国人を

「エッグ」とよんでました。

 


見かけは

黄色人種

中身は白人のたとえが「バナナ」、


逆に中身が東洋人で

外見が白人を

「エッグ」と表現していました。

 

このときは気にしていませんでしたが、

テンプル大学の先生方は、

日本に来て

大学で教鞭をとるくらいの方々です。

 

日本の文化はそれなりに

知識があったと思います。

 

それに対して、

帰国子女は

日本の文化について全くわからない、


私のような日本人は

英語もわからなければ

日本の文化もわからない。


まるで

未開拓人のように

思われていたかもしれません。

 


言葉も通じない

文化も知らない

逆だったらやっぱり

未開拓人のように

思ってしまうかもしれません。

 


このときから

なんとなく英語を

文法通りに話すことよりも

ノリについて行けない感じがありました。

 


スーツ着た哲学者のような人が

すぐダンス始めたり、

先生方も盛り上がってくると踊りはじめる。



私はすぐに慣れませんでした。

いわゆるノリが悪かったのです。

 


担任だった先生が帰国するので、

お別れ会をすることになった時の事です。

 


こじんまりしたホームパーティーでした。

全員にハグしてキスしていて、

私は当時、超潔癖症だったので

よけてしまいました。

 


いまなら抵抗はないかもしれないが、

当時はおばあさんにキスされるということが

受け入れられなかったのです。

風習とかノリとかすぐには

なじめないところでした。


 

また、割と真面目そうな先生方も

日曜日になれば部活のアメフトを

ビール飲みながら見に来たり、

点数が入るとダンスしたりと

盛り上がり方が

アメリカなんだと思ってました。

 



このあたりがイギリス人と大分違う感覚で、

このアメリカの町内会のようなノリには

なかなか抵抗が強かったです。

 


このノリの感じは

現在の舞台ではホントに役立っています。

出来る出来ないよりも

「感じる」こと、

なじむことが大切だと学びました。

 

 

次は「第28章 

アメフトの防具を譲り受ける」です。


サークル活動に誘ってくれた

友人から思わぬ提案がありました。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598900678.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから