「違い」への興味が育てられた
これは幼少期の習慣です。
事件と言うよりは
習慣のことなので
4歳から7歳と幅があります。
幼稚園の時は
祖母が病気だったり、
父が出張が多かったりで
留守番ばかりでした。
また小学校の時に
祖母はいなかった訳ですが
兄弟が出来たので
やはり留守番の多い日々でした。
外を駆け回って
遊びたい時期ですが
外出は極端に
禁じられていました。
庭に出るのも
祖母との思い出
(第5章 第6章)から
なんとなくいい気分では
ありませんでした。
そんなときに
うちにある本を全ページ
開いてみるという遊びを思いつきました。
幼稚園に行くまでの
電柱に全部触ってみたり、
学校に行くまでの
ガードレールの出っ張りに
全部さわってみたり
家の中にある物に
全部触れてみたいと思うのも
特別不思議な発想ではありませんでした。
どんな本を開いてみたかと言えば
最初は美術全集だったと思います。
父の本棚が有ったので
触ったことがない本はたくさんありました。
何冊かひらいてみても
文字がぎっしり、
新聞のように写真もない。
何冊か開いてみているうちに
「字の少ないのはないかな」
そう思い始めました。
その中の美術全集に
かなり心引かれました。
東洲斎写楽、
安藤広重などの浮世絵、
ゴッホ、ダビンチ、ピカソ、など
絵本とは違う色使い、
絵の本ですから
文字が読めなくても
抵抗はありませんでした。
むしろ絵本より面白い。
特に印象に残っているのは
フランシスコ・デ・ゴヤの
「裸のマハ」と「着衣のマハ」です。
この絵です。
絵を見ているといろいろ
疑問がわいてきます。
描かれているている人物は
本当にいる人なのか??
服を着ている人を描いて
裸を想像したのか?
裸の人を描いて
服は想像で描いたのか?
絵を描く間、
モデルはじっとしてたのか?
などなど、
その中でも一番気になったのは
切り抜いて重ね合わせたら
ぴったりになるのかということでした。
これはもう少し大きくなってから
何回か試してます。
トレーシングペーパーにうつして
重ね合わせたり、
コピーをとって重ね合わせたり、
なんでそんなことを気にしていたのかはわかりませんが
同じような物が二つ並んでいると
どこが違うのかもの
凄く興味があったようです。
いまにして思えば対象こそ違え、
能楽の流儀による
「節」や「手組」の違いを調べるのに似ています。
「易経」との出逢い
本棚の上の方には、
中国古典文学大系、
日本文学全集のような
大きさの揃った本がズラッと入っていました。
今度はこれに
取りかかることにしました。
一番最初に
「易経」が有ったのはよく覚えています。
このとき「易経」が
なんだかはわかりませんでした。
今から思えば
これが人生で初めての易経との出逢いです。
なんだか分からない
線が引いてあるという記憶しか有りません。
それでも
文字ばかりの本に比べたら
図があるのが楽しくてよくひらいていました。
わからないことの利点は
意味を理解して読まないことです。
そもそもまだ文字が
読めないわけですから理解以前です。
「全ページ開く」
そんな遊びですからどんどん進みます。
最後まで言ったらもう一回、
次に指で行をなぞってもう一回、
全ページするのは4歳の子には
体力のいることで
結構いい運動にもなっていたと思います。
順番に端っこから
全部しているので
読めないながらに家中の本の
挿絵だけは記憶していました。
鳥の絵が描いてあるとか、
川の絵が描いてあるとかそんな程度です。
「易経」との関わり
易経は
能楽に限らず
日本の文化の根底にある物です。
「古事記」「日本書紀」をはじめ
「大正」「明治」など元号のうち
27個は易経からつくられています。
20代の頃
ユングの心理学に
易経のことが紹介されていたので
易経と心理学の関わりにも
興味を持っていました。
2013年に本格的に
易経を習うことになりました。
「爻」の部分を深く学びたいと
思っていたので
個人的に「爻」を読み込む
勉強会を立ち上げました。
能楽の台本を
読むごとに易経の爻を
学ぶ必要を感じてます。
実際、室町時代の
流儀の2代目が記した
小鼓伝書には
易経の六十四卦は
秘伝という記載もあります。
インターネットや
書籍はない時代ですから
能楽以外にも
人生哲学として
易経を学ぶことは
限られた人だけの
物だったと思います。
現代は本気で学ぼうとすれば
情報がある有り難い時代です。
おおかた文学全集というのは
本棚の飾りであって
通読はなかなかないことかもしれません。
内容がわからなくても
取り出して開いて
めくってみるというのは
衛生的にもやった方が良いことです。
4歳の私は
そういう意味で
家の本棚の
よいメンテナンス役になっていたと思います。
このとき育成された習慣
このときの
本を全部開いたのは私の
人生に大いに役立っています。
全く知らない外国語の本でも、
分厚い辞書でも
まずは全ページ開いて目を通す
習慣ができました。
能の台本である
謡本も100曲ほどが
一冊になり
冊、3冊と分冊になっています。
当然、いっぺんに
そんな数の曲を稽古することも
舞台で演じることも出来ません。
勤めるタイミングがいつ来るかなんて
わからないわけです。
チャンスは準備している人だけが
つかめると信じています。
どんなにわからない物でも
自分が望んでいれば
階段一段分くらいは
得られるところが出来てくる物です。
一回の効力は
たいしたことがなくても
1000回、1万回、十万回と繰り返す習慣が大事ですね。
話はちょっと変わって、
30代なかばで
ナポレオン・ヒルが
カーネギーにインタビューしている
音源をきいたことがあります。
そこに辞書を読む人の
話が出てきます。
適切な言葉を選ぶために
普段から1日30分
辞書を読む習慣のある人の話です。
コミュニケーションは知らない言葉、
知らない名前、
聞いたことが無い発音、
など知らない言葉に対する
抵抗感から生まれます。
第8章に出てくる「無明」ですね。
知らないというのは苦しみを生みます。
それでも人がひとりで
知ることが出来る量はほんの少しです。
「知らない」ことが多いのが普通
と知るだけでも
悩みのほとんどは解消されるように思います。
この知らないことへの好奇心はこの時期に育成されました。
本棚に感謝ですね!!
次は 第10章 世田谷線を止める です。
よい子はまねしないように!が大事故を引き起こしそうになります。
https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598909276.html