誰にも相談できない!!

第43章は

「自分で決めないと他者に決められる」

そんなことを実感した体験です。

 

 

退院後の出来事が

あまりにも耐えがたくなってきました。

 

 

健康でもきついことは

体力も気力も無くなっているときには

何倍にもきつく感じられる物です。

 

 

そうなってくると頭に浮かんで来るとは

この世からどう消えるかと言うことばかりです。

 

 

頭にチラチラと自殺したほうがいいかと

思いはじめていました。

 

 

迷惑がかからないようにどうすればいいのか、

もう何もかも放り出して

後のことはどうでもよく死んでしまうか。

 

 

もう少し待って体力が戻れば

なんとか生きられるだろうとか

いろいろなことが頭を巡っていました。

 

 

そして日々のストレスは強くなっていきました。

 

しかし内情の話を聞いてもらえるような人も

思い浮かばず。

親しい人には心配はかけたくない。

 

 

私の話に誰かの人生の貴重な時間を奪えない。

まして能楽界以外の人に話をして

能楽の印象が悪くなることは

さらに望まないことでした。

 

 

このときは弁護士さんにも

相談した方がいいと思っていいましたが、

なにをどうしたらよいか

頭の中はぐちゃぐちゃになっていました。

 

しばらくしてこの混乱は

ピークになってきます。

 

このままでは誰かが

傷つくと危機感と恐怖を感じるようになりました。

家族に危害を及ぼすのではないかという

恐怖感も日を追うごとに大きくなってきました。

 

私は思い切ってい「いのちの電話」に相談することにしました。

 

いのちの電話に頼ってみる

「いのちの電話」のポスターを見た記憶はありました。

緊張しながらも電話をしてみました。

 

さほど待つこともなく

相談員さんにつながりました。

 

 

自分を正当化するだけでは

問題の本質では無いと思っていました。

 

できるだけ事情だけをつたえて、

いまの苦しい状態をどう解決していけばいいのか

そんなことを考えながら心情を話しました。

 

 

「特殊の世界だからそれは普通のことではないのですか?」

 

「つづけるなら頑張って」

 

という言葉だけが記憶に残っています。

 

なかなか個人の苦しみを

わかってもらうのは大変なことだと思いました。

 

「特殊な世界ですからいろいろあるでしょう」

 

そう言われ伝わりづらい職業だなと

話す気力もだんだん無くなってきました。

 

明確なスッキリした状態にはなりませんでした。

 

それでも結果として私は

こうして生きているので感謝すべき時間になりました。

 

 

ここから学んだことは悩んでいる人には

「特殊な世界ですから」

その言葉は言わないようにきめました。

 

 

なんでもこの一言ですんでしまう。

プロ野球選手でも

プロレスラーでも音楽家でも

「特殊な世界ですから」

それで自殺する人も多いと思います。

 

国立能楽堂の研修生でも

公式ではないが二人自殺に近い死に方をしている。

 

「特殊な世界ですから」

 

刃物より怖い言葉だと思いました。

 

ここまで読んでいただいた方には申し訳ないのですが、

劇的な一言で開眼したようなことはありませんでした。

 

なんともスッキリしない

宙ぶらりんな感覚がしていたことも事実です。

こんなモヤモヤした感じも、

しばらくしてだいぶ考えが変わってきました。

 

ストレスとは目指すところの高さによって

変わるのではないかと頭に浮かんで来たのです。

 

目標を高くすればストレスは消える

後日、子どもの時に好きだった

「タイガーマスク」の主題歌が

頭に流れてくることがありました。

 

 

虎の穴で逆さ吊りで腹筋してたり、

不意打ちを食らったり

「ちびっこハウス」のために戦っている。

 

 

この物語は子どもながらに

琴線に触れるものがあったのを思い出しました。

 

 

そしてストレスは、

目標を上げろというサインかと思うようになりました。

 

 

一流のプロ野球選手になろうと思えば、

罵声もしごきも成果につながるのなら

積極的に受けて

「お願いします!」といえる。

 

 

公園で適当に遊ぼうと思っている

子たちにフォームが悪いとか、

素振りを1000させたらいじめでしかない。

 

一流の選手は強制されるでもなく

自ら負荷をかけてトレーニングをしています。

 

 

そんなことを思うと、

自ら負荷をかける稽古が

弱くなっていたのだと痛感しました。

 

 

それなので外側からの圧力があると

考えるようになりました。

 

 

人格的にも技術的にも

崇高なものを目指すという目標設定をする。

 

そうすることで日々刻まれる痛みにも

耐えられるのではないか。

 

 

もしかしたら、

痛みとすら思わなくなるかもしれない。

すぐに自分の考えを改めました。

 

 

自分のシナリオを万年発展途上の人から、

一流のプロだったが

何かの拍子で記憶を失った人という

設定に切り替えた。

 

なかなか面白い人生設定になりました。

どんな方便でも人それぞれ。

 

自分の人生は自分で決めないと

自動的に他者に決められる。

そんなことを学んだ体験になりました。

 

 

次は「第44章 野菜自給生活」です。

楽しい思い出、失った時間はどう感じる物なのか、、

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598891733.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから