一人暮らしが始まった

第26章は

「必要な時に必要なことが学べる」

という体験です。

 

新聞奨学生として学費も全額出る。

何の元手も無い状態にしては

好条件のスタートでした。

 

給料も8万1千円ということで

楽しみにしていた給料日に

衝撃の事実を知るのです。

 

え!これだけ??

先に誤解の無いようにしておくと

一般的に少ないわけではありません。

私の想定と違っていたという話です。

奨学金については非常に感謝しています

 

 

一人暮らしの寮生活は

営業所の近くのアパートでした。

住込みですから家賃は不要でした。

 

 

このころは年の割には

倹約マインドが勝っていて

お金に関する本もかなり読んでいました。

 

収入の範囲内で2年間は

節制した生活を送る計画を立てて、

給料のうち1万円は積み立てする

口座もつくりました。

 

 

もし余裕があれば

全部本を読むという計画をしていました。

 

 

よく読んでいる本には

若いうちは

全額本を買って読むことを

すすめる本が多く

私自身も共感していました。

 

 

そして楽しみにしていた給料日に

衝撃の事実が発覚します。

 

初めてもらった給料は

税金と食費2万4千円が引かれていました。

 

 

何度も念を押して

確認したことですが

食費は全く予想外でした。

 

 

営業所の所長さんと面接したときは

8万1千円は手取りだと聞いていたので

そのつもりで生活設計をしていました。

 

「え!これだけですか??」

と言う感じでした。

 

そりゃ食事もしますから

営業所の食堂で食べた方が

栄養バランスはいいと思います。

 

営業所の食堂には

大きなジャーに

ご飯がいつも入っていて、

朝晩だけまかないのおかずがでます。

食べ盛りの若者には良い環境でした。

 

しかし、、、

 

私としては

学校に通う交通費や

教科書代は自分で出さないといけません。

 

学校は学費だけでは通えません。

 

教科書、副読本や交通費まで

奨学金には入っていません。

 

せっかく学費を確保しても

教科書が買えないでは

目も当てられません。

 

現代は年が変われば

教科書も変わっるので最新版が必要です。

そして、それでいっぱいいっぱいでは

現実的に無理があります。

 

積立口座も作ったし

少しは手元に

お金を残しておく必要もあります。

 

 

第一の対策 食費カット

そこで3ヶ月ほどたったころ

思い切った提案を

営業所に交渉しました。

 

自炊するので

まかないは無しと

申し出てみたのです。

 

自炊と行っても

アパートには共同の流ししかありません。

 

ガス台もついていません。

それなので反対はされました。

部屋にガスコンロなどは厳禁です。

 

 

私もそれは避けたいことでした。

勉強以外の

火の心配など

したくもありませんでした。

 

 

しかし、背に腹は代えられないので、

どうするかはいったん置いておいて

なんとか食費をカットしてもらうことにしました。

 

 

実際には帰りませんが、

口実に実家が近いことも

理由に加えました。

 

 

そして、

営業所での食費の分も

給料を確保したのです。

 

まったく食べずに生きていくことは

できませんが、

やりたいことが勝っていました。

 

定期代、教科書代を引いたら

何もなくなってしまう。

 

その生活を体験してみて

まずは目先のお金確保を優先しました。

 

 

自分のやりたいことと

環境のギャップが出来ると、

直前まで

考えてもいないような発想が

出るものだと実感したのもこのときです。

 

それで食事はどうしたのか??

現実的にはお腹すきます。

食事をしないわけにはいきません。

まず最初に

女子栄養大学の栄養成分表を購入しました。

 

 

 

なにしろ一人暮らしで

食事をすると

インスタントばかりと言われます。

それは人によるのです。

 

 

準備として

近くのディスカウントショップにゆきました。

炊飯器と米、ポットを購入完了。

 

これで後は

成分表を見てタンパク質

多めのおかずを選び

節約して2万円を

確保することにしました。

 

心配したのは

給料から食費の天引きをやめても

それ以上に食費がか

かってしまうことでした。

これでは意味がありません。

 

実際にはそんなことはなく

計画通り2万円ほど

活動資金を確保できました。

 

何事もまずは目的に向かってみる。

そして検証する。

 

こんな時に

直感という言葉を使いたくなりますが

私は直感に頼らないようにしています。

 

決めたルールでやっていく方が

頭が解放されますし

都度やることを考えることもなく

日課は楽に続きます。

 

この頃の私は不思議なくらい

潔癖症でした。

 

下着も洋服も毎日洗濯。

実家にいるときは

菓子パンを食べたりしていましたが、

ひとりになってからは

タンパク質にやたらと

こだわってました。

 

 

また、同じ新聞奨学生を見ていると

集金のお金でジュースを買ったり

お菓子を食べたりしていて

入金ができなくなっている人が

半数くらいいました。

 

 

食堂でたむろしてしまい、

だんだん学校に行かなくなる。

 

これが反面教師になったせいか

コンビニは20歳で新聞奨学生が終わるまで

入りませんでした。

 

ストイックなようですが

心の負担はなく

罪悪感に包まれることもなく

気持ちの良い生活が出来ました。

 

自炊の生活習慣は

この頃からできて、

あまり苦にもならなかったのが

不思議です。

 

 

朝刊、夕刊という

時間の縛りがあることも

規則正しい生活に役立っていました。

 

 

また自分が

厳しいことがあると

人に優しくなれるといわれます。

 

ここがなかなか

克服できないところで

かなり悩んだこともあります。

 

自己評価が低かったので、

周りの人は自分よりも

能力が高いと思っていました。

 

ですから自分ができる事は

誰でもできるだろうという

変な基準を持っていたのです。

 

それなので

自分が経験したこともないような

大きな障害は「大変だな」と感じますが、

自分が経験したことがあることは

誰でもできることと思い

全く同情すらしないような感じでした。

 

これは自分でも

よくないとは思いながら

かなり長い期間

なおらずいました。

 

ここからさらなる

活動資金確保に取り組みます。

 

第二の対策 交通費カット

食費を引かれないようにして

給料を満額いただくことは成功しました。

 

それでも計算してみると

月に8万円以上は必要でした。

 

そこで、交通費削減のために

原付を購入することにしました。

 

これはかなり役立ちました。

 

中古で4万円のスクーターを購入。

 

このころはヘルメットも

駐車違反もなかったので

遠くまで行ける

自転車のような感じです。

これは、かなりの経費削減になりました。

第三の対策 ノルマ達成ボーナス

経費は削減できても

マックス8万円です。

 

どんなに節約しても

これ以上は増えません。

 

なんとか

倍にならないものかと考えてました。

 

先輩や同期を見ていると

集金がネックになっている人が多かった。

 

なにかここに

ピンとくる物がありました。

 

また30%、80%、100%の

期日を達成すると

ボーナスが出ることもわかってきました。

 

 

達成した人がいないので

もらっている人がすくなく

「どうせ出すつもりないよ」

という先輩がいて

全く気にしていないことでした。

ここを攻略することにします。

 

「集金初日に100%達成」

というスローガンを作りました。

 

この時点では

そうなったらいいと言うだけの理想です。

 

 

夏休みの宿題と同じで

周りを見ていると

だいぶ締め切りにならないと

動かない人が多く

集金グラフは

はじめはあまり動かない物でした。

 

 

周りがまだ取りかからない

はじめの土日から

朝から晩まで集金をして

すぐに店に入金するという

ルールをつくりやり始めました。

 

こういうことを

面白く感じる性格のようです。

ルールを決めてするのが楽しい。

この経験は32歳の独立記念能の

切符販売で大きく役立ちます。

 

そのおかげで先輩から

「君の区域はなかなかとれないよ~」

といわれていましたが、

毎回、期限を大幅に前倒しして

ノルマ達成する事が出来ました。

 

そして計画通りボーナスを

確保することができました。

めでたし。

第四の対策 飛び込み営業

生活のペースも出来てくると、

クラシックコンサートや来日する

ブロードウェイミュージカルを

見に行くようになりました。

 

最前列の指定席に

ものすごいこだわりがあったので

「ぴあ」で調べて座席番号指定で

席を確保していました。

 

積立口座に入れた残りは

1万5千円くらいのチケットも

躊躇せずに購入しました。

 

あとは、すべて本になりました。

 

このとき最前列で見た経験は

能楽をしてから

かなりの財産になっています。

 

今から思えば素晴らしい先行投資です。

 

芸術は自己投資と思っていても

やはり元手がいりました。

 

そこで、、

 

何か収入を増やす方法はないか

模索していたところ

契約の営業ができることがわかりました。

 

新聞奨学生は

いろいろボーナスが出る

仕組みがありますが、

バリバリ使っている人がいないので

情報が入ってこないんですね。

 

 

また私は

営業所で食事をしていなかったので

雑談から入る情報は

折り込み当番の時しか

ありませんでした。

 

 

それでも他に

アルバイトするでもなく

収入を増やせる方法があるのは

良い発見でした。

 

 

このときに保険営業の本を

20冊くらい読みました。

 

ずいぶん高額な本も

あったと思います。

 

そのときに

「大数の法則」という考え方に

出会います。

 

サイコロをたくさん振れば

確率は6分の1に

近づいてくるという考え方ですね。

 

 

厳密に言えば

違うという説もあります。

実際に必要なのは

ざっくり数字をつかむ感覚です。

 

これはすぐに取りかかることにしました。

何しろ給料は1ヶ月計算ですから

1日伸びれば30分の1の機会損失です。

 

始めに営業所にある

ゼンリンの住宅地図をコピーして

区域の全戸数を把握しました。

 

これも正確な調査ではありませんから

ざっくり把握しました。

 

そして現状の配達数から

割合をだしました。

 

そして実際に何件まわれるか

計算してみたところ

1日100件回れば

1年間で

ほぼ全部網羅できることがわかりました。

 

1日100件 飛び込み営業 1件10分かけてたら17時間かかります。

 

さて、机上論は出来ましたが

現実的に回れません。

 

1件10秒なら可能です。

自分の区域の固定読者、

3ヶ月、半年、定期的に

変更する人を分類して

切り替えタイミングを全部記録しました。

 

そして配達の時に

集金と勧誘営業を同時に

1件10秒で回れば

100件回れることがわかってきました。

 

実際には留守もありますから

100軒ピンポーンしても

100軒応答があるわけではありません。

 

10秒待って出なかったら次、

「うちいらなーい」といわれたら次、

そうすると

配達の時間+30分で100件まわれます。

 

そして100件回ると

1件契約が取れることもわかってきました。

 

しばらくの間は、

配達のついでに

毎日100件回っていました。

 

一見出来ないようなことでも

計算してみると意外に出来てしまう物でした。

 

そうしているうちに

コンスタントに契約が取れるようになり

最高で1月60件くらい、

少なくても15件くらいは

契約が取れてきたのです。

第五の対策? グレーゾーン

契約が取れるもの

配達に加えて時間はかかります。

 

それなので次には、

なんとか時間を増やさずに

収入を増やせないか考えました。

 

当時学生の新規勧誘は

印鑑一つで300円、

継続契約で200円でした。

1年分で最大3600円です。

 

それが、、、

あるとき

拡張団の支払いを

知ることになります。

 

 

当時の新聞は1ヶ月2800円でした。

拡張団員は契約1件5000円!!

17倍!!!

思議な仕組みがあることをしりました。

1年で3600円と6万円です。

これは驚きました。

 

 

拡張団の団長は、

ほぼヤクザにしか

見えないタイプの人でした。

白のベントレーで

サングラス、

テカテカのスーツ。

かなりの強面です。

 

これを知ってから、

なんとかならないものかと

思っていましたが、

とても直接声かけられるような

雰囲気ではありません。

 

また本格的なヤクザに

絡んでしまってはたまりませんから

周りの観察だけにとどまってました。

 

勉強もしたかったので、

少し余裕をもって契約を出せるように、

契約が少し先の場合には

すぐに店には出さず、

毎月の契約書は5件くらいに

抑えるようにしました。

 

それでも集金ペースは速かったので

「勉強が忙しい」といえば

特別に営業を強要される

ことはありませんでした。

 

 

そうしていると鞄の中には

常に新規の契約書が

10枚位ストックされるように

なっていきました。

 

そんなある日、

拡張団の団員から

「おにいちゃん、どっかとれるところない??」

と聞かれる事が増えてきたのです。

 

今までは気にすることもなく

「ないですよ」と答えていましたが、

どんな事をしているのか監察すると

一軒でに粘っている人を

見かけるようになりました。

実家にいるときもよく来てました。

 

 

顔見知りになってくると、

「おにいちゃんコーヒーおごるから

一件回してくれない?」

という人が出てきました。

 

はじめは

お約束のあいさつでしたが、

だんだんに

はんこ1つに500円払うから

契約書売ってくれないかと

言うひとが出てきました。

 

学生は、はんこひとつ300円ですから

5千円でうれたら

鞄の中に入っている

3万6千円分の契約書が

60万円になります。

 

そんな時、拡張団の中でも

夕方まで一件もとれない

ボウズといわれる人がいることを知りました。

 

そんな人が何人も

「カード持ってない」と聞いてくるのです。

 

一月分5000円ということは

知っているので、

「ないですよ」といって断ります。

またしばらくすると

2000円、3000円と

値を上げてくるので

5000円その場でくれる

ボウズの人だけに

契約書を売ってあげることにしました。

 

これはあまり気持ちが

よいものではありません。

 

それでもここで1月24万円くらいには

なっていて演劇も本も友達づきあいも

極端な制限なく

送ることできたのは

本当に感謝すべき事です。

 

このときは複数のアルバイトを

掛け持ちするという発想はなく、

自分の時間を

浸食されないようにしててました。

 

それなので、

目黒地区の拡張コンクールで

優勝したときも

表彰式に出でませんでした。

 

出席しなくても

賞金がもらえると聞いたので

何のためらいもなく欠席しました。

 

 

何かこのときは

お金を得る方法を模索していましたね。

 

給料の少ない割には

洋服なども

長く着られるものという

基準を持っていて、

18歳の時に購入した

ツイードのジャケットは

今でも痛みなく

クロゼットに入っています。

物持ちはいいですね。

 

 

そんな生活で

2年がたったころ

あまり勉強をする気にも

ならなくなってしまいました。

 

そして、まもなく

休学することになります。

このときまでの

入学金と学費は

すべて新聞社が出してくれました。

 

他の新聞社だったら

上限があり自己負担も多かったので

学生生活は継続できなかったと思います。

 

時間は犠牲にしたが

面白い

体験アトラクションと思えば

十分すぎる楽しい体験でした。

 

この時期に人生に影響したのは

「大数の法則」という考え方です。

 

また期間、

数値を区切って地道にやってみると

一見ものすごい数と思えることも

そこそこ処理していくことが

できることも学びました。

 

そして3時半

起きの習慣は今でも役に立っています。

 

昼間で寝ていてという

生活にならなかったのはこのおかげです。

 

今になって

しみじみと思い出すことはありません。

 

それでも

必要なことが

必要なタイミングで

学べるようになっていて

人生には無駄がないものです。

すべての経験が後で役に立ってきます。

 

次は『第27章 テンプル大学「卵」と「バナナ」』です。

第26章と同時進行での学校の様子です。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598902195.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから