国士舘の柔道部

第18章は大きな二つの学び、

自分の0から始める。

そして、

「どんな相手にも全力を尽くす」

ということを学んだ体験です。

 

中学二年生の時、

中学校の体育館が

建て替えになりました。

 

そのときの柔道部は

体育館のステージの上に

畳が敷いてありました。

 

当然ながら建て替えの間は休部になります。

 

そのときの

顧問の先生が

国士舘大学出身だったご縁で

この国士舘大学の

柔道場の一角で

練習を継続できることになりました。

 

それは嬉しい!!

 

と言いたいところだが、

当時の私は

我慢してやっていたので

休みでいいなと思いました。

 

が、それでは

何かスッキリしない物もありました。

 

3年でやめると

決めていたので

その間は「やる」とも

決めているわけです。

 

それがないというのは

筋トレのバーベルに

おもりがついていないような物です。

 

せっかくジムににいって

体を鍛えようと思っているのに、

ウェイトなし、

これは拍子抜けです。

 

それが

大学の柔道部で継続という事になり

内心「それでいいんだ」と

思ったことを記憶しています。

気持ちというのは

単純ではありませんね。

 

さてつい先日、

国士舘大学の講義で

登壇させていただきました。

 

今の国士舘大学は

おしゃれな学生もおおく

かつてのイメージは全くありません。

 

 

 

 

私の中学当時の国士舘大学は

リアル版 漫画「男組」

のような感じです。

 

詰襟の襟が高い

ハイカラーに

膝の下まである上着の

応援団が闊歩していました。

 

中学の裏手にある

若林公園では、

応援団の「はとぽっぽ」

が聞こえていました。

 

 

 

 

これは

ヨガのダウンドッグのような形、

手と足をついて

体をくの字にして下級生が並びます。

 

 

その上に上級生が乗り

大声で

「はとぽっぽ」をうたわせるのです。

 

夕方暗くなってから

松陰神社の境内を通れば

応援団が整列して

上級生の檄を受けていたり、

はたまた寮の前を通れば

紫色の

ボンタンジャージの集団が

そりの入った頭で並んでいたりと、

中学生の私は

近寄ってはいけない

危険オーラを感じていました。

 

 

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その中に入って

柔道の練習をするのは

「もうゆるしてください」

というまで

しごきを受けるんじゃないかとか、

しめられて気絶して

バケツでドバーッと

水をかけられるんじゃないかとか。

 

 

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頭の中は軽い不安で

ぐるぐるしていました。

 

その一方で、

場所を借りるだけだから

自分たちが

しごかれることはないだろうと

冷静な所もありました。

 

 

なんだこの感覚は

実際に国士舘に行ってみると

体の大きな

柔道部員がぞろぞろいて、

相撲部屋に行ったら

もっとすごいんだろうな~

と頭をよぎりました。

 

 

全国大会で入賞している

選手を紹介されたのですが、

緊張してたせいか

お名前も顔も全く覚えていません。

 

 

さて、実際に練習にいくと

2名の先生が

若林中学の柔道部を

担当していただけました。

 

森脇保彦先生と

西田 孝宏先生でした。

 

このとき

モスクワオリンピックの

ボイコットがなければ

こんな好待遇を

受けることはなかったと思います。

 

 

見えないところから

ここで修行しなさいと

導かれているような出来事です。

 

さて練習ですが、

森脇先生と

初めて組んだときの感覚は

不思議なものでした。

 

組んで

何の技もかけられていないのに

足がかくっとなってしまう。

 

小刻みに

動いているような感じは

するものの

何もしないでいるようにも感じられる。

 

起き上がって

また組むと

足がかくっとなるのです。

 

膝かっくんの経験がある方は

同じような感覚です。

 

もうこうなると

悔しいと言うより笑っちゃいますね。

達人の印象

話は前後しますが、

当時は知らない学校や

団体練習でも

一番強い人を選んで

積極的に練習していました。

 

そんな練習で

いかにも柔道有段者という人は

数多く見ていました。

 

また東京なので

新日本プロレスや

国際プロレスの選手も

見かけることがありました。

 

近くにいるのがわかるような

格闘オーラが

湧き出ている人が多いものでした。

 

ところが

この森脇先生は全くそれがない、

みためは柔道家という感じがするが

威圧感とかがないのです。

ここがほんとに不思議でした。

 

そして組むと

膝かっくんのように

立てなくなってしまう。

 

芸能人や音楽家は

オーラをまとっているような人が多いが、

闘志が表にでない

格闘家は最強だと思います。

 

これは

同世代の人とだけ接していたら

得られない感覚だったと思う。

 

自分の出会える範囲で

一番力のある人に接することは

大切だと思います。

 

 

何をするにも0ならプラスにしかならない。

今年に入って

サンスクリット語の書物を手にした。

全く読めない。0です。

文字をなぞったりしていると

文字を書くアプリがあることがわかり

指でなぞっていたら

3日くらいで10文字はかけるようになりました。

 

そしてまたこれを0にする。

行きつ戻りつではなくて

朝起きたときはいるも0。

0で居続けるのではない。

どんな実績があっても

今日を目盛りの0にする。

3から始めるとか、

5から始めるとかではない感覚です。

 

 

現実的にも全く知らない世界や

達人ばかりの中に飛び込めば

0になれる。

プラスにしかならない。

そして謙虚になれます。

 

「知りません」

「教えてください」

 

と素直にいえる。

この感覚は

この中学二年の時に学んだ

最大の学びです。

 

全力を尽くすこと

やっているうちに

組んで練習できるまでには

なってくる。

 

何か始めるときに

自分が一番下の

0にいる環境に入ると、

ちょっとできるとか、

少し知っているという

おごりがなくなり

素直にいろいろなことが

入ってきます。

 

 

そしてもう一つ

この時に学んだことがあります。

 

それは寝技の

外し方を見てもらったときの事です。

 

袈裟固めや、

横四方固めという技をかけて

外し方を教えていただいてる時です。

 

どんな技でもいいから

かけてみてといわれました。

 

私は肩固めを

かけさせていただきました。

 

そのときは先生ではありますが、

絞め殺す気で全力で締めました。

 

この肩固めは森脇先生に

外されることはありませんでした。

 

どんなに実力差が当っても

全力でかかってくる相手には

やはり全力で取り組まないといけない

大きな学びになりました。

 

能「石橋(しゃっきょう)」の

「獅子は小虫を喰わんとても

 まず勢いをなすとこそ聞け」

 

という一節を聞くと

この中学二年の肩固めの場面が

鮮烈に思い出されるのです。

 

この大きな二つの学び、

0から始める。

自分が0に慣れる環境に行く。

そして、

どんな相手にも全力を尽くす

この大きなことを学ぶための

大切な経験でした。

 

 

次は「第19章 天敵が現れる」です。

肉体的にも精神的にもつらい1年でした。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598904670.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから