悔しさの行方

第5章 祖母にコップで殴られる【4歳】の続編です。

5章は現在の感覚で感謝で終わりにしました。

 

しかし

 

この事件の時、

4歳の私はそんなに大人ではありません。

 


「飲み物は座って飲むんでしょ!」


「ごめんなさ〜い」


ということを何度も繰り返して

ひたすら怒られていたように記憶している。

 

 

このときは泣きわめいて

謝りたくないので全力で抵抗していました。

 

 

ひとしきり折檻がすんで、

納得できないまま、

ふてくされて膝を抱えて壁に寄りかかっていたときです。

 

このときの私の頭の中は

悔しさの行方をどうぶつけるのか、

なんとかして仕返しできないのか

と小さい頭をフル回転させて復習を狙っていました。

 

 

そこに祖母がやってきました。

目の前を何度か行ったり来たりしてました。

 

 

そのときにパーっと復讐計画が

頭に浮かんできたのです。

 

息を潜め、

次に祖母が近くに来るまで

まって思いっきり

全力で足を伸ばして転ばせた。

その後は覚えていないくらい怒られました。

 


結局、これは一生の縮図だったと思う。

なにかやられたら

やり返さないと気がすまない。

この根本的な問題の見える化だったように思います。

 

 

その後に起こる脳梗塞後のトラブルも

同じパターンで

登場人物が変わっただけのことである。

今生の大きな課題だと思って、

本気で人生脚本のパターンを克服してきました。

 

 

負のパターンの解消が一生を好転させる

この当時は、

怒られるにしても

コップを持って

立っただけで殴るまで

怒ることはないだろうと思っていました。

 

 

人生でおきる負のパターンも

ひとつの大きな負のパターンを克服すれば

まもなく人生は好転してきます。

 

 

 

その第一歩は

負のパターンがあると言うことを認めることです。

 


祖母との関係だけを見れば

家庭内暴力にも近い

怒られ方をかなりしていた。

 

ぶたれることは日常的で、

家にあった火鉢の火箸を

手に当てられることもあった。

 

 

それを踏襲してなのか、

母からはマッチの火を消して

手に当てることを頻繁にされた。

 

これを大人になってから

母に話したことがあるが

そんなことはしていないと言い張られた。

 

ただ、これは過度のしつけであって

何もしないのに暴力を振るわれていたわけではない。

 

 

自分の落ち度もある訳なので、

痛みはありますが、

かわいそうとも言えない。


10円入れたら

10000円返ってくるような返報なので、

これを良い方に転じられたら

かなり面白い公式を持っているとも言える。

 

 

 

この時点では

負の返報がやってきていると感じていました。

 

 

それなので、

人の闇の部分を引き出すような事を

してしまったという自己嫌悪を持っていました。

 


その割には、

事実関係が納得できない出来事は

いくら怒られて暴力を振るわれても

一切反省することはなかった。

ただただ肉体的には我慢だった。

 

このときに

どうなったら理想なのか思い描いて、

布団の中で空想して寝る習慣が

できていったように思います。

 

 

起きているときの我慢の世界、

布団の中の理想の世界。

 

明確なイメージを作る土壌が

このときに育成されていきました。

 

 

あとから感謝に変わっていった

この幼少期は、

何かやっては殴られる、

何かやっては火傷させられる、

そんなことが繰り返される日々だった。

 

 

母には否定されているが、

実際にやけどをさせられたことは

鮮烈な記憶があるので

なかなか解消されないことの一つでした。

 


これは今では大きく感謝している出来事の一つになりました。

 


 成人してから入った能楽界ではまだ暴力的なこともある時代だった。

なにしろ30年以上前です。

昭和です

 

 

また殴るというのも愛情表現だったり、

殴るというのが教育だったり、

個人のモラルと言うよりは

そんな時代だったと捉えています。

 

「何発殴ったかわからないくらいから少しはマシになるだろ」

 

そんな殴ることが一部では善であり

愛情であり教育ということもある時代だった。

 

 

幼少期の体験があるので

多くの厳しさは乗り越えることが出来た。

 


どんなことがあっても、やり続けると決めていたので

今でも実際に能楽は続けている。

 

 

4歳の時は力もない、

知識も知恵も何もない

保護してもらう人に、

弱い状態でやられっぱなし。

 

このときの無力感からすれば、

なんとでもやりようのあるくらいは成長している。

 

 

この強力な精神的免疫ができた経験は非常に大きい。

 

 

割と大きな不条理も

なんとかやってこられたのも

この時期に育成された精神的免疫の力だと思います。

 


またトラウマという言葉もあるが、

どんなによみがえらせようと思っても、

祖母はよみがえることはないし

現在の私を殴ることも出来ない。

 

現実的に出来ないのです。

 

そんな現実的に起こりえないことを

トラウマというのならばそんな

馬鹿馬鹿しい時間はない。

 

過去のことを思い煩うような事がありそうなら、

すぐに

 

「これからどうしたいのか」

 

ここに集中する練習をしました。

 

この意識転換の練習こそが

良い人生を作っていくと信じている。

 

そしてそんな免疫をつけてくれた感謝とともに

祖母の冥福を祈っています。

 

 

次は 第7章 茶化されるのが嫌い です。
楽しそうに歌をうたっている4歳の私はこれがどうしてもダメだった、、、それは

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598911084.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから