第44章   野菜自給生活

ベランダでゴーヤをつくってみた

第44章は

「なくした物より乗り越えた経験」が

良い思い出になるという体験です。

 

 

庭で野菜自給できたらいいね

と家族で話していました。

 

 

引っ越す前

下落合にすんでいました。

そこには腰の曲がった

ターシャチューダーのような

おばあさんがいたんです。

 

毎日、お庭で季節ごとに

庭の手入れをしていました。

広い庭があったらいいなあと思っていました。

 


 
その後、練馬に引っ越しました。

近くに畑はたくさんあり、

ロッカーでの直販もありました。

私のところでは

プランターでゴーヤを作り始めました。

 

小学生の時以来

プランターで植物を育てたのは

かなり久しぶりでした。

自家製のゴーヤをとって

すぐに食べられるのだけでも感動的でした。
 
そんなある日

東京都の事業で

農家が農業体験として

区画を貸してくれることになりました。

 

 

区の農園のように土地を貸すのではなく、

農業体験をする研修です。

 

 

その研修区画でできた

農作物は持ち帰ってよいという建前でした。

 

やることは家庭菜園なのですが

資材も指導もあり3m×10mの土地に

1年で30種類の野菜を作るという

初心者にしては本格的な農園体験でした。

 

これは申込みしかない!!

ということで当選の日を待ちました。

 

あたった!!

 

野菜自給生活が始まる

材料も種も育て方も研修もあり、

歩いて5分という好立地で

野菜30種類を作る生活。

 

 

10億円くらいあって

土地と家を買って

引っ越さないと出来ないと思っていたことが

思いがけずできる事になりました。

 

 

そんなときに3.11の

大震災がありました。

放射能のことなど

心配は多かったがのですが

野菜自給生活が始まりました。
 
少し前に10億円あったら

生活どう変わりますか

そんな質問をされたことがあります。

 

 

そのとき思ったのは

今すんでいるマンションが

自分のものになって、

畑ができる土地をもって

野菜自給して生活したい

 

 

都心のタワーマンションに

住んでという人もいるでしょうし

一軒家を建てるという人も

いるかもしれません。

 

生活レベルというのは、

その人の望んでいることで

ある程度以上に収入が増えても

変わらないんじゃないかと思っってます。

 

近所の大地主さんも

泥だらけで畑作業しているし、

所有財産と生活水準は

好みによるものだと

思うようになりました。

 

理想を持って

発想を豊かに

柔軟に生きる。

 

そんな生活をすることが

幸せかもしれないですね。
 


引っ越してから

何度も前を歩いている場所が、

ある日、自分の庭になる。

これはほんとに楽しいことでした。

 

家族で自家菜園をすることも

念願叶いました。

 

娘も一緒に畑の作業が出来たのは

人生最高の思い出です。

 

 

ちっちゃい手で

はさみをもって

ピーマンのへたを切っていたのを

思い出します。

 

 

このあとしばらくは野菜を

スーパーではなく

畑に取りに行く生活ができました。

 

 

今から思うと

遠い過去のように思えますね。

 

戸塚の稽古に行くときは

娘も大体一緒でした。

 

パンも焼いて、

畑でできたじゃがいもと

ベランダのゴーヤでサラダを作り

サンドイッチにしていったのが

良い思い出です。

 

つらかったことを思い出すのは楽?

元妻が楽しいと行っているので、

ひとりで畑作業させてしまっていました。

 

もっと一緒に何かして、

話もよく聞いてあげられれば

よかったのだと思います。

 

人生の中で

幸せを感じる時間があったことだけでも

感謝しなています。

 

 

ここで第44章ですが、

ここまで自分史を書いてきてみると

いやだったことはもう感情が

枯れている物が多いです。

 

 

出来事としての

記憶はあるが

感情はさほどよみがえっては来ない。

 

きつかったときから見れば

今は幸せなわけで

次の日はもっと

幸せになろうという希望が持てる。

 


反対に、

幸せだった時間を思い出すのは

ほんとにきつい。

 

幸せな時間を

思い出すというのは

失ったものをもう一回失うようで

思い出した後は

再度なくなった事実を

受け止めなくてはいけない。

 

そんなことにも

なれていこうと思ってこれを記しています。

 

心の引き出しに入っていて

出すこともなかった宝物ではあります。

 

 

これは記しておきますが

自分で読み返すことは

何度も無いと思います。

誤字脱字があってもそのままです。

 

 

つぎは人生の最後の最後に

思い出せばよいかな。

 

過去を思い出すのは

悪いことの方が楽です。

 

悪い出来事があったと語る人が多いですが、

本当は乗り越えてきた話なんですよね。

転落した話ではない。

 

なくした物より

乗り越えた経験が良い思い出になります。

 

次は「第45章 社会勉強でセミナー通い」です。
心療内科にいって薬を処方された私は、

別な方法をえらびました。それは、、

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598891366.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから