父の病気
第16章は
「起こってほしくないことは
口に出さない」
それを実感した体験です。
父の病気が無くなった前後のお話です。
小学校5年生のときから
発症を聞かされていた
父の白血病が悪化、
新築の家ができて
引っ越してすぐ他界しました。
それまでのことをここに記します。
小学校2年のときから
家を建て替えるという話を聞いて
かなり楽しみに過ごしていました。
小学校の時の1年は
今の10年ぐらいに感じるくらいに
長く待ち遠しい建て替えでした。
小学校5年生のときに
家を建て替えるということになりました。
楽しみにしていた立て替えです。
そして母から話があるといわれました。
その話は父の病気のことでした。
そのときは悲しめなかった
その病気の事を聞いたとき
正直悲しい気持ちにはなりませんでした。
どちらかというと
父親からは殴られたり、
ダメ出しをされる事が多かった。
かなり殴られたりもしていたので
正直早くいなくなってほしいと思いました。
当時はこれが正直な気持ちでした。
慢性白血病ということで
急性に変わらなければ
150ヶ月と聞いていました。
それを聞いたときは、
あと最長150ヶ月我慢してれば
殴られることもなくなる。
そんな恐怖も終わるのかと
複雑な気持ちになっていました。
そして家の建て替えがすみ
私も中学生になりました。
新築の家を受け渡されるときに
1日父親と新築の家で過ごしました。
それが最後になり、
父の白血病は急性にかわり
43歳で他界しました。
喪失感はあったものの
私自身は悲しい気持ちは
全くないほど感覚が麻痺していたようです。
祖父がシベリア抑留で
38歳でなくなり、
祖母が60歳、
父親が43歳でなくなりました。
元気な人が
いついなくなっても
おかしくない事実をみていると、
自分はいくつまで生きられるのか
そんな不安がつきまとってきました。
そんな状態で
将来への希望はななく闇の中でした。
「夢も希望もない」そんな感じと
一緒に開放感も感じている
変な感覚だったのです。
まったく記しておくのは
どうかと思うほど親不孝な話です。
ずいぶん長くかかって解消した
31歳になるころまで
いつまで生きられるのか
不安な感じが続いていました。
変な思い込みで
がんじがらめの毎日です。
明るさのかけらもありません。
ずいぶん悲観的な感じがしますが
当事者は結構大変です。
寝るときには
次の日に目が覚めるのかと
不安になる日々が長く続きました。
起きなかったら
そのときは寿命だなと思い
覚悟して布団に入っていました。
そんな状態ですから
睡眠も浅く
窓には光が入らないように
目張りして真っ暗闇にしないと
眠れないほどでした。
杞憂という言葉がありますが
このときは
とにかくネガティブ思考で
包まれていました。
テレビで古い映画
「リーンカーネーション」
これを見たときに
人は何世代にもわたって
人生脚本の
テンプレートが繰り返されている、
そんな感覚が芽生えました。
小さい頃から、
ほんとに嫌な人は
なんとなく
いなくなってくものだと感じていました。
それなので自分が
ほんとに嫌だという想いは
強くて怖いものだと思っていました。
またこの頃から
歴史上の人物や
戦国武将などの死に様に
興味を持つようになってきました。
私自身は
悲しいという思いはありませんでしたが、
母は4人の保証人や生活費など
ほんとに大変だったとも思います。
そこに恩はあるものの
毎日の悲観的な言葉に
耐えがたいものがあり
早くココから脱出したいと思っていました。
また父の死後、母の他人や世間の悪口、
またお店に来た人への
「おばあちゃんの時から
大変なことが多かったから、
次はもっと大きいのが来いと思う」
という不幸自慢のような話を耳にする度に、
この人は
ほんとにそういう不幸を呼び込んで
喜んでいるのではないかと思うようになり
震えるような恐怖を感じていました。
何が起こるわけでもないのに
ほんとに怖かったのです。
それなので私は冗談でも
起こってほしくないことは
口にしないという習慣も
確立されてきました。
次は「第17章 ギターを始める」です。
自分の中の
父の影を消す小さな抵抗だったのか、
やってはいけないと言われていた
ギターをはじめます。
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