嬉しいはずの結婚が
第39章は心が病んでいると
それにつれて体もむしばまれる事を実感した体験です。
この頃はすべてが麻痺しているような生活でした。
それでも
二人の結婚の意思が決まって師匠にも
挨拶と進んでいったところに
また師匠からダメ出しがありました。
実家を見に行って
近所の風評を聞くといいだしました。
そしてその運転をしろと言われました。
結婚式の日取りが決め招待客、
席次など決めているときに
なかなか気に入るようににはなりませんでした。
最終的に会場の予約も保留になって
余裕もないので披露宴はやめました。
ごくごく最低限の人だけで
友人もひとりも呼ばず元妻の家族と
自分の母親だけですることになりました。
嬉しいようで手放しでは喜べないことが
申し訳ないイベントでした。
何か精神的におかしくなっていて
結婚のお祝いも全部ご挨拶で上納。
過度のプレッシャーは人を壊してしまいます。
自分でも精神的に危ないと思う状況が続いていました。
とにかく感情の起伏無く淡々として
仕事には支障は出ないようにしていることだけが
精一杯です。
今から思えば人格崩壊しているような状態です。
大人になれば親の保護の影響のないものと思っていました。
しかし30を過ぎてから徐々に思うことは、
仕事上にも実際にも父親がいないということは
だいぶ苦労するものだということに気づきました。
かといって
実際、父が生きていたとしても
同じような状況はあり
自分で克服すべき
人生の課題だとも認識はしていました。
それでも良かったこと
この時は結婚式のことも
披露宴が内輪だけのことも
相手の家族に了承してもらい
小さいながらも形にすることができました。
この頃は悉く何をやっても
裏目に出るような状態でした。
やめてしまえばどんなに楽かとも思いました。
また毎日のように
師匠からのダメ出しがあり
ボディブローのようにダメージを
受けていいました。
この頃が人生最悪かと思っていたが、
すこしたってま
だまだ前兆でしかないことがわかります。
ただ妻にとっては
人生最悪の日々を送らせてしまったことを
申し訳なく思っています。
表面は問題なく淡々と過ごしているが、
内面はボロボロになってきていました。
またそんなことを
気遣ってか仲間が飲みに誘ってくれました。
朝まで飲んでいるような時もありました。
そして運転。
そして自分の舞台、
終わると同世代の能楽師と朝まで飲む、
そんな生活を繰り返していました。
どこかで終わりにしないと
死んでしまうのではないかと
不安が出てきたら酒を飲む。
不完全でも
進み続けないとこのまま仕事もなくなり、
また死んでしまうのではないかと思う日々でした。
心が病んでいるとそれにつれて
体も蝕まれていくということを痛感しました。
いつも機嫌が悪くイライラしていて
周りの人や家族は大変だったと思います。
次は「第40章 娘が誕生」です。
https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598892732.html