あっ青虫がいる!

家には小さいながら庭がありました。

 

これはわざわざ作ったのか、

元からあった物をそのままにしていたのか、

コンクリートで四角く囲った

公園にあるような砂場です。

 

そして右側にミカンの木がありました。

 

ここではミカンの木と青虫にまつわる思い出です。

 

 

 

ある晴れた日に、

縁側に腰掛けて

お気に入りのホーローの青い

コップで牛乳を飲んでいました。

 

ミカンの木を眺めていると、

青虫を発見しました。

 

 

「あっ青虫だ!!」

コップを持ってたちあがった、、

 

 

 

その瞬間、

 

 

祖母は私のコップを取り上げました。

そして、まだ残っていた牛乳を庭に捨てられ、

そのコップで殴られました。

 

 

私のお気に入りの

青いホーローのコップは

凶器に変わってしまいました。

 

 

「すわって飲みなさい!!」

 

 

という怒鳴り声とともに

なぜ怒られたのか

わかっていない私は

ただ泣きわめいていたのです。

 

祖母の思い出

自分にとっては祖母は

怖い人という印象しかありません。

 

 

もう一つ、やはりコップに

まつわる思い出があります。

 

 

お風呂に入っているときに

水を飲もうとして

コップのそこがお湯についてしまったことがあります。

 

 

そのときも

こんなに怒らなくても

と思うくらい怒られました。

 

 

大人になってから

このことを叔父に話したことがあります。

祖母の次男である父の弟です。

 

 

叔父によると私の印象とは真逆の人でした。

 

 

「小さい頃、ボール遊びをしてガラスをわっちゃってね。

家に帰ってものすごく

怒られると思って正直に話したら

一緒に誤りに行こうと行って

怒られなかった。

おふくろはほんとに優しい人だった。」

 

 

自分には見えていない人の良いとこはあるとおもいます。

自分の印象と全く違う話を聞くと

 

「あっ私が間違っていた」

 

と涙が溢れてきたという話を聞くこともあります。

 

 

私には全くそんな感動はおこりませんでした。

 

 

そんな人が

抵抗できない4歳のこどもを

殴りまくるのはどうなのか??

そんな疑問しかわきませんでした。

 

 

私が生まれてから

祖母は肺がんを患っていたこともあり

母にもかなりきつくあたっていたように覚えている。

 

 

また下に新聞紙をしいて

排便が困難になっていた祖母の排便を、

母が手で手伝っていたことも

記憶している。

 

 

確かに人は優しいときもあれば

きついときもある。

 

 

当時は意地悪ババアと思っていた。

それでも孫に腹いせで暴力を

振るわけではないだろう

 

幼少期には

自分では気づかなかった何かをしたために

殴られたのだろうと解釈している。

 

記憶は正しいのか?

昔のことは事実を曲げて記憶されることは多い。

 

もしかしたら自分が

アオムシと思っているだけで

毒のある虫だったかもしれないし

孫の安全を考えてくれたのかもしれない。

 

 

そんなことを思い出しながら

何がほんとでなにが嫌だったのか考えてみる

 

 

そうすると

 

「祖母のいい思い出」

 

というものがなく

 

「厳しい体罰をする祖母」

 

という思い出でいっぱいになっていることだと思う。

 

 

母方の祖母は

何かと優しくしてもらった記憶がある。

 

同居していた父方の祖母は

怖い印象しか残っていない。

 

 

優しい祖母や優しい家族に囲まれて

幸せだったと

心から思えないことが

一番の不快感になっているように思います。

 

 

昭和の時代、

殴るのが善と思っている人は多いですし、

学校でも鉄拳制裁はふつうでした。

 

それなので

トラウマになるような囚われはない。

 

 

それでもなにかスッキリしない感じは残っている。

 

 

祖母に「マッサージ椅子」を

プレゼントすると言ったのに

できなかったことも

引っかかっているのかもしれない。

 

 

事実関係は

今となっては確認しようもないことです。

 

 

確認しようもないことを

頭の中に巡らせるのも健全ではない。

 

 

気になるときはこれからもあると思う。

 

 

そんなときは、墓参りをして

経を読み

わだかまりがなくなるまで

冥福を祈ることにしました。

 

 

すんだことや、

生きていても現在合わなくなってしまった

不都合な人たちに対しても

恨む時間は人生の無駄。

そのために命は使えない。

 

心から幸せを祈れる自分になりたい。

 

 

と、ここまでなら、

いいまとめなんですが、

4歳の私は

そこまで大人ではありませんでした。

 

 

思いがけずとんでもない行動に出ます。

次は 第6章 祖母に仕返しをする です。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598911716.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから