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人生初の交通事故

第21章は

人生最後の日でも

ジタバタしない生き方をする

と決められた体験です。

 

 

高校二年生の時のことです。

小学校からこれまた

絶対拒絶で嫌がっていた

ジュニアリーダークラブに参加していました。

 

ボーイスカウトまで

本格的ではないですが

地域のリーダーとして

キャンプなどの野外研修や

区のイベントのお手伝いをする集まりでした。

 

小学校の高学年くらいから

関わらせていただきました。

 

 

長く関わった割には

やはり自分で決めた事ではなく

早く卒業したいと思っていました。

 

 

そのなかに

小学校2年の時から

仲良かった友人がいました。

 

世田谷区役所から

松陰通りを

自転車二人乗りで走っていました。

 

通学路でいつも通っていたので

一時停止の標識があるのは

知っていましたが

交差点をノンストップで

通過しようとしました。

 

そのとき走ってきた

バンの横にぶつかり

気を失ってしまいました。

 

 

二度目の光に包まれる体験

このときも

小学校4年生のときに感じた

光に包まれる感覚になりました。

 

どのくらい気を失っていたか

わからないのですが

現場で目を覚ましたことは

覚えています。

 

気がついたときには

全く目が見えなくなって

生きているのか死んでいるのか、

失明してしまったのか

何が起こったのか

把握できませんでした。

 

 

後ろに乗っていた友人が

大丈夫なのか

探そうとしているうちに

病院に運ばれました。

 

病院に着いたときには

意識はあったので、

肩のレントゲンを撮り、

頭の検査は

あまりしなかったように思います。

 

今から思うと

さほど精密な検査はなく

入院せずに自宅に帰ってきました。

 

うちに帰って

母から叱責されました。

 

それもすみ

もう横になって

眠ろうと思ったら

後頭部が痛くて

横になれませんでした。

 

この痛さは寝たら目が覚めない。

 

そんな思いがおこって

隠してあった

エロ本なども引っ張り出して

部屋の掃除を始めました。

 

このとき

見られたくない日記とか本とか

掃除をしはじめました。

 

6畳の部屋なので

30分くらいだったと思いますが

ものすごく長い時間だったのです。

 

 

 

そうしているうちに、

ほんとにきれいにしてしまったら、

ほんとに死んでしまうかもしれない。

 

そんなことが

心配になってきました。

 

人の心はすぐに変わる物です。

もしほんとに終わりだったら

見られて困る物もないという

達観した境地になってきたのです。

 

 

そのときは

大きな夢や希望は

なかったので

痛みさえなければ

最後でもいいと

思いました。

 

 

それでも、

なにか

やり残していることが

あるような感じはしていました。

 

具体的な事柄ではなく感覚です。

 

そんな思いもわき上がり

掃除は途中でやめて

思い切って寝ることにしたのです。

 

ジタバタしない生き方をしよう

人生で初めて

救急車に乗った事件でした。

 

ひとは覚悟が決まると

けっこう

淡々と過ごすことを学びました。

 

ここから29年たって

舞台から集中治療室に

運ばれる経験を

することになるわけです。

 

二回とも

死を覚悟したときには

普通に過ごすことを経験しました。

 

 

それなので43歳の脳梗塞以後に

参加するセミナーで

 

「今日が最後だったらどう生きるか」

 

という質問をされても

 

「普段と同じ」

 

というところに

行き着いてしまうのです。

 

ほんとにそうだったので、、、

 

日常の生活が大切なのであって、

ラストスパートだけ

全力疾走したところで

どうにもならないでしょう。

 

能楽の舞台にしても

普段が大切で、

舞台の前日だけ

猛練習したところで

さほど技術が上がるわけではない。

 

全くしないよりは

一夜漬けでもした方が

いいかもしれません。

 

しかしそれは

素晴らしいことでは

ないですよね。

 

日常の準備があれば

舞台の前日は

稽古をしないほうが

よい場合もあります。

 

そんな風に思えるのは

この交通事故の体験からです。

 

ジタバタしない

生き方をしたい。

ホントにそう思います。

 

後日談ですが、

この交差点には

信号機が設置されました。

 

私が事故を起こした次の日、

同じ夕方の同じ時間に

大学生が事故を起こし

他界しました。

 

二日続けて同じ場所での事故です。

生かされた私には

まだやることが残されています。

 

ラストスパートに

すべてをかけるのではない、

最後に

ジタバタしない生き方を

していきましょう

それが天命です。

 

さて次は

「第22章 柔道大会で優勝する」です。

高校三年生の

校内柔道大会は

柔道との最後のご縁になりました。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598903706.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから