最後の柔道

第22章は 

人は追い込むと

思わぬ事をする感覚を学んだ体験です。

 

高校の柔道大会での出来事です。

 

柔道部は中学でさっぱりとやめました。

それでも進学した深沢高校の体育には

柔道の授業がありました。

 

そして高校3年生の時には

全校柔道大会がありました。

 

 

柔道部と72kg以上は

全員無差別級。

私もギリギリ72kgだったので

無差別級での参加になりました。

 

 

その無差別級には

二人からだが大きい柔道部員がいました。

100kgのAくんと140kgの巨漢 Uさんです。

Uさんは2回ダブっているので20歳だときいていて

ものすごい年の差を感じたものです。

 

 

この当時2歳上は

ずいぶんおじさんに見えました。

 

このA君はUさんの腰巾着のようにいて

自分は2位になるくらいのつもりだったのか

 

「おてやわらかにね~」と言ってきました。

 

なんだかこの人を見下したような

物言いというのは好きではありません。

 

個人的なポリシーとして

幼少の人にも名前には敬称をつけ

呼び捨てはしないことにしています。

 

 

試合は勝ち抜き戦なので、

4回勝てば優勝という感じでした。

 

1回戦は本気でやるというより、

ムーンウォークなどしているひともいて

お祭り気分でした。

 

とはいえ柔道部員が

全員はいっているので

全体の本気度は高かったと思います。

 

苦しかった決勝戦

そんなこんなで準決勝まで勝ち進みました。

相手は100kgのA君だった。

体重差は30kgあったのだが

うまくはまって巴投げがきまりました。

 

実は中学の時の経験から

捨て身技はしないことにしていました。

自分から倒れてポイントを取られることもあります。

 

 

そして巴投げのやり方は知っていましたが

実際に使ったのはこのときがはじめてでした。

 

 

どうしたかというと本でイメトレです。

当時動画はないので

中学の時に持っていた柔道の本を見て

布団の上でイメトレだけはしていました。

 

 

自分の上を100kgの巨体が飛んでいくのは気持ちよかった。

と同時に繰り返し味わいたい物ではありませんでした。

一生で一回で満足。二度目は無くてよい感覚でした。

 

 

そして決勝、巨漢の柔道2段のUさんと対戦です。

 

もうUさんの優勝決定という雰囲気の中。

決勝戦が始まりました。

柔道部で体格差もある。

 

能力からしたら勝ち目はありません。

有効、技ありまでとられてもう時間が来たら負けという

勝ち目はないような追い詰められ方でした。

 

残り時間が少なくなってもみ合いになり絞め技になりました。

これは苦しかったですね。

大分苦しかったです。

気が遠くなってきましたが、

指をたぐってUさんの柔道着の襟がつかめました。

 

そして渾身の力を込めて

襟をもった手を伸ばしました。

そしてまもなく「まいった」の合図がありました。

 

その結果、柔道大会で優勝することができたのです。

Uさんはもの凄く悔しがっていたようです。

私は首が気持ち悪くてそれどころではありませんでした

どんな相手もなめてはいけない

毎日、練習していたとしても

実際の組合というのは殺すつもりでやらないと

勝てないものだなと思いました。

 

毎日好きで練習している人でも

私のように勝っても負けても

どっちでもいい人と勝負して

必ず勝てるわけではありません。

 

10回対戦したらトータルで

私には勝ち目は無いと思います。

 

 

しかし1回は違います。

能「石橋(しゃっきょう)」の言葉にもあるように

「獅子は小虫を食わんと手もまず勢いをなす」。

持てる能力はすべてつかって

全神経を使って向かわなければ

思わぬ落とし穴がまっています。

 

また高校での部活サッカーは

あまり上達しませんでした。

そこそこ成果を出せることと

好きなことは一致していないことも多い。

 

それでも

その時々に全力でしていれば後悔することはありません。

 

 

能「屋島」を勤めるたびに思い出すこと

どんなに練習していても

本気を出した人には簡単に勝てるものではない。

 

能楽もプロ、アマと区別はありますが

やはり本気で取り組んでいる人にはかないません。

 

調子が悪くても力を出しきっていけるのもプロの条件の一つです。

 

また能「屋島」に

景清と三保谷四郎が戦う場面があります。

 

台本に「首の骨こそ強けれと」という謡がある。

戦で本気で首の骨を折ろうと思っても折れなかった。

 

この「屋島」を勤めるたびに

この高校三年生の柔道大会のことを思い出すのです。

 

この柔道大会のあとは

仲のいい友人たちでお祝いをしてくれることになっていました。

 

これが、しめられて気持ち悪くなり

おきていられる状態ではありませんでした。

本当に残念ですが欠席しました。

 

 

このお祝い会にでたら高校のよい思い出になったと思います。

 

このお祝い会に出られなかったので

私の中の柔道大会は未完成で終了しています。

 

それなので、

いつまでも過去の栄光を語る

武勇伝おじさんにならずにすんでいます。

 

一見、悪いことでも

長期で見ればよいことになるこことになりますね。

 

何事もその時々に全力を尽くす。

人は追い込まれると予期しない能力を発揮してきます。

 

 

 

次は「第23章 ビンテージギターを手にする」です。

念願の1961年生ストラトキャスター

はじめてのビンテージギターの印象は意外なものでした。

 

https://ameblo.jp/yuji-nohgaku/entry-12598903446.html

 

 

生まれる前

第01章【誕生前】 選んだ家庭
第02章【 0歳 】 誕生

幼少期

第03章【  2歳  】 トイレに落ちるのをこらえていた
第04章【 4歳 】 幼稚園に送迎なしで通っていた
第05章【 4歳 】 祖母にコップで殴られる
第06章【 4歳 】 祖母に仕返しをする
第07章【 4歳 】 茶化されるのが嫌い
第08章【 4歳 】 ブランコの鉄パイプが顔に刺さる
第09章【 4歳 】 本をひたすら開いていた
第10章【 5歳 】 世田谷線を止める

小学生

第11章【 6歳 】 小学校初登校
第12章【 9歳 】 弟の病気
第13章【 9歳 】 柔道を始める
第14章【 10歳 】 給食着の紛失
第15章【 10歳 】 光に包まれる

中学生

第16章【 13歳 】 父が亡くなる
第17章【 13歳 】 ギターを始める
第18章【 14歳 】  国士舘大学の柔道部にゆく
第19章【 15歳 】 天敵が現れる

高校生

第20章【 15歳 】 サッカー部に入る
第21章【 17歳 】 交通事故
第22章【 18歳 】 柔道大会で優勝する
第23章【 18歳 】 ビンテージギターを手にする
第24章【 18歳 】 テンプル大学とのご縁
第25章【 18歳 】 引っ越し
第26章【 18歳 】 衝撃の初月給

大学

第27章【 18歳 】 テンプル大学「卵」と「バナナ」
第28章【 18歳 】 アメフトを始め防具を譲り受ける
第29章【 19歳 】 失恋劇場は上手ばかりではない
第30章【 19歳 】 座間キャンプで英語が通じない
第31章【 19歳 】 小鼓を初めて見る
第32章【 19歳 】 休学する
第33章【 20歳 】 国立能楽堂に願書提出

国立能楽堂研修生

第34章【 20歳 】 国立能楽堂の試験
第35章【 20歳 】 人生を決めた一冊「行動学入門」
第36章【 21歳 】 国立能楽堂の稽古とアルバイト

内弟子

第37章【 23歳 】 20年の運転が始まる

独立

第38章【 32歳 】 独立記念能
第39章【 41歳 】 演奏家の妻と結婚
第40章【 42歳 】 娘が誕生
第43章【 43歳 】 舞台から集中治療室に運ばれる

退院後

第42章【 43歳 】 退院後に待っていたもの
第43章【 43歳 】 いのちの電話
第44章【 44歳 】 野菜自給生活
第45章【43~47歳】社会勉強勉強でセミナー通い
第46章【 44歳 】 自分を変えなければ何も変わらない
第47章【 47歳 】 重要無形文化財能楽保持者の認定
第48章【 47歳 】 初出版『ビジネス版「風姿花伝」の教え』
第49章【 49歳 】 読書の習慣化
第50章【 50歳 】 神社とお寺に立ち寄る習慣

まとめ

これから